第14話
第14話
彼らが王城正門に集まったのは、日の出の直後だった。
全員の顔合わせは二日前に済ませている。
騎士団からはニコル、レイトル、セクトル。
魔術師団からはモーティシア、そしてアクセルとトリッシュという若い魔術師が。
全員がそれぞれ馴れた馬の手綱を引きながら正門の内側で静かに待機し、その時が来るのを待っていた。
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「--以上三名、本日より正式に治癒魔術師アリアの護衛に任命する」
そうクルーガーから正式に辞令を言い渡されたのは、顔合わせを果たす二日前だ。
集まったのは治癒魔術師の護衛部隊に選出された六人と、騎士団長クルーガー、魔術師団長リナト、そしてエルザとクレア、彼女達の護衛部隊が全員。
「姫付きの任からは外れることになるが、治癒魔術師は現在エル・フェアリアにたった一人。目に見えて敵対している国は今はないが、神経を集中させて治癒魔術師をお守りせよ。お前達の力なら守り抜けると信じている」
クルーガーからの激励にニコル達は静かに頭を下げた。
これで完全に、三人は王族付きから外れることになる。
ニコルはエルザから。レイトルとセクトルはクレアから。
長く姫達に仕えてきた。ニコルは七年弱、レイトルとセクトルは約三年。自分達で選んだ道だが、いざその時が来るとやはり少し寂しくて。
そしてそれは姫達も同じなのだ。
「二人が抜けるのは寂しいけど、しっかりね」
「私達のことは心配なさらないでください」
今生の別れというわけではない。ただ護衛対象が変わるだけで、これからも姫達との交流は続いていくだろう。
姫達の背後では仲間の騎士達が三人に真面目くさった眼差しを向けてきて、それも少し名残惜しませた。
それぞれ思い出がある。
これからは、少しだけ別の道を歩くのだ。
仲間達と歩いた同じ道ではなく、隣り合う道を。
「モーティシア、言わずとも理解しているだろうが、気を引き締めなさい。部下の安全確保も隊長の責務だぞ」
「勿論です」
リナトの激励に、モーティシアもゆっくりと頭を下げる。
治癒魔術師の護衛部隊長に選ばれたのは、自分自身でも宣言していた通り魔術師団のモーティシアだった。副隊長にはニコルが任命されたが、こちらは恐らく形式だけだろう。
穏やかに笑うモーティシアはやはり独特のペースを持っており、若い二人の魔術師も少し緊張している中で彼だけが落ち着きはらっていた。
最年少は21歳のアクセルで、トリッシュはニコルの1つ下なだけだ。全員が若者で固められた理由が、村で年配の男達に強姦されかけたアリアに配慮してだということを知っているのは、護衛部隊ではモーティシアとニコルだけだった。
顔合わせを兼ねた任命式の後は今後の動きについて打ち合わせがあり、そこで改めて自己紹介をして。
「--…頼みが一つあります」
打ち合わせの中で何度も口にされていた単語に眉をひそめて、ニコルは手を上げた。
説明を遮られたが、モーティシアは快くニコルの発言を許してくれる。
最初に会った時に子供のように説教をされて少し苦手意識があったが、モーティシアは見た目同様基本は穏やかな性格らしい。
モーティシアより魔力の質が良いはずのアクセルやトリッシュもよくなついている辺り、面倒見はいいのだろう。
「…治癒魔術師の護衛に選ばれたからといって、妹を様付けにしたり、特別扱いはやめて下さい。王族というわけではないし、実質ただの魔術師団の新人です」
それはアクセルとトリッシュに向けた言葉だった。ことあるごとに「治癒魔術師様」と呼び、特に最年少のアクセルはまるで崇め奉る様子を見せるのだ。
「私は妹を守りたいが甘やかしたいわけではありません。なので妹に敬語もやめてください」
強めの口調で言えば、アクセルが表情をわずかに強張らせる。
怖がらせているつもりは無いのだが、戦闘職のせいか今までも魔術師達に怖がられることは何度かあった。
「…初めからは難しいと思いますが…なるべく」
少し吃りながら返される。やはり怖がられている様子だ。
「しかし妹君を呼び捨てには出来ないですよね。女性ですし」
代わってトリッシュの方はさほど怖がってはいないらしい。ニコルにもさっくりと気楽に返してくれるのは有り難い。
「構いません。女だからという特別扱いもやめてください。魔術師団の中でも後輩は呼び捨てでしょう?」
「女の子を呼び捨てかぁ…何だか、変に意識してしまいそうですね」
気楽すぎるのも考えものかもしれないと少し思った。
「トリッシュ…家族のいる前でそれはないでしょう」
モーティシアがたしなめると、ようやくトリッシュは決まり悪そうに苦笑して。
「しかし…そうですね。よく考えればニコル殿の言う通りでしょう」
そして何か考え付いた様子で、モーティシアはゆっくりと落ち着き払いながら、姿勢をわずかに崩した。
全く気にならない程度だったが、穏やかながらきっちりと礼儀正しい振る舞いばかりのモーティシアがそんな態度を取るなどと驚いてしまいそうになるが、彼の考えの一つらしい。
「妹君にだけでなく、我々も気楽にいきましょうか」
意味のよくわからない発言に全員首を傾ける。どういう事なのだろうという視線を一身に受けながら、彼は微笑みを絶やさずに告げた。
「年齢も近い事ですし、固い敬語は護衛部隊内ではやめておきましょう。他の方々がいる場では許しませんが」
言葉の意味をすぐに理解したのはトリッシュ以外全員で、レイトルとセクトルは互いに顔を見合わせている。
「で、ですが中位貴族の方もいるのに…」
アクセルが気にしたのはレイトルとセクトルの出自についてだ。
魔術師三人は下位貴族の生まれだとは聞いており、それ故中位の二人には気後れするのだろう。出自に煩い人間は確かにいるので仕方無い事だが。
「我々は構いませんよ。騎士団でも仲が良いと家柄の位はあまり気にしませんでしたし」
最上位のガウェと平民のニコルが良いコンビでいるくらいなのだからと。
モーティシアと同じような笑顔を浮かべるレイトルの隣で、セクトルも無言のまま頷いた。
家柄を気にするような二人でないことはニコルも充分理解している。
「え…でも」
「何だよアクセル。こんな楽なこと無いぜ。肩から下りた荷の分は治癒魔術師の護衛に使えばいいんだから」
ようやく理解したらしいトリッシュはのびのびとして、先ほどまでのわざとらしい固さがすでに無い。
「中位貴族って聞いてたからちょっと怖かったんだけど、二人みたいな人でよかったな!」
「トリッシュ、あなたは少し気を使いなさい」
早速注意を受けるトリッシュを見ながら思わず笑ってしまう。
レイトルとセクトルもさほど気にしておらず、コントのような魔術師達の動きが面白い様子だった。
堅苦しさは無く、だがモーティシアがいるかぎりグダグダとした馴れ合いにもならないだろう。
「護衛経験については王族付きである貴殿方の方がよく理解しているでしょうし、今後とも宜しくお願いします」
言い出したわりにモーティシアは口調を砕けさせないので、彼はこちらが基本姿勢らしい。
これからはこの六人でアリアを守っていくのだ。
顔合わせは思った以上に良好のまま終わることができた。
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そして今日、ようやくアリアが王都に辿り着く。ファントムの件があるので大々的な出迎えなどはせず、静かに王城内に迎える為にニコル達だけで迎えに行くことになった。
ニコル達が纏う衣服も騎士や魔術師だとわからないように、全員が王都兵の装備無しの兵装だ。これならば市民からは休憩中の兵士くらいにしか見られない。
慰霊祭を半月後に控え城内は慌ただしくなっているが、治癒魔術師の護衛部隊は当分はその喧騒から外されることになっている。
アリアが暴動に巻き込まれたと知らされて九日が経ったのだ。
紫都ラシェルスコットで意識を取り戻したと聞いたのが四日前で、それまでの五日間は地獄だった。
何も手につかず、何に対しても苛立って。
コウェルズの口から暴動を知らされて、コウェルズが王族であることも忘れて掴みかかったのだから。
掴む寸前でニコルを止めたのは、コウェルズの騎士達だった。
暴動の原因はあまりにも愚かな理由で、アリアはそれに巻き込まれて傷つけられたのだ。
紫都まで向かうと出ていこうとするニコルを止めたのは誰だったのか。
アリアの意識が戻り、自分で治癒を施したと聞いた時はどれほど安堵したかわからない。それでも、再会するまで不安は拭えないのだが。…たとえ再会出来たとしても。
「…いつの間にかアリアが治癒魔術師として入団することが決定事項になってるね」
時間が来て、全員が騎乗して王城を後にする。
馬を歩かせながら最初に会話を始めたのはレイトルだった。
言葉遣いは気兼ねしないもので、騎士達の中では珍しい穏やかな性格をモーティシアと重ねたらしく、最初は緊張していたアクセルが一番最初に打ち解けたのがレイトルだった。
「え?治癒魔術師様ではないのですか?」
様付けで呼んでしまった後でしまったと口許を片手で押さえてニコルに視線をよこす。
そこまで怯えられるのも心外だが、最初の頃の固さは無い。
「治癒の力を持つから王城に呼ばれたんだ。治癒魔術師になるか否かは魔術師団長の判断の後のはずだったんだがな」
結局アリアが旅の道中に治癒魔術を使い、それを目撃した領兵達からの報告により魔術師団入りは完全に決まってしまったらしい。
アリアへの説明は伝達鳥を使用してすでに終わっているらしく、そこに交ぜてもらえなかった事については少し向かっ腹の立つところでもある。
アリアの負傷に正気を無くしたニコルも悪いのだろうが、対話可能の伝達鳥を飛ばすなら少しくらい会話させてくれてもよかったはずだ。
「一応治癒魔術の能力がどれほどのものかを調べる試験はあるらしいが」
「ここまできて治癒魔術師じゃないとか言われたら泣くぞ」
セクトルの呟きに、レイトルとトリッシュも頷いた。
「治癒の力はどれくらいなんだ?」
トリッシュは最初の時点ですでに砕けており、ニコルの隣に馬を付けながら訊ねてきた。
全員の注意がニコルに集まり、ニコルも過去に村を襲ったとある事件を思い出す。
それはあまり語りたくはない辛い思い出のひとつなのだが。
「…昔、住んでた村に賊が攻めてきた時に怪我人が多く出たが…母と妹で完全に治した」
「!?」
皆がどこに反応したかもすでにわかっている。
「母はもう死んでる。蘇生術でもないかぎり二人目の治癒魔術師にはなれないぞ」
若くして死んだ母。
ニコルや病気の父、幼いアリアを残して逝くと悟った瞬間は何を思っていたのだろうか。
「…すみません」
「いや…」
レイトルとセクトルは知っている事だったが、母の死を語らせたということに魔術師三人は決まり悪そうに口を閉じ、やがてモーティシアが代表するように謝罪した。
沈んだ雰囲気を払いたくて、ニコルは自分が知る限りでのアリアと母親の力を説明した。
「母は元々病弱で、治癒の力はほぼ妹の力だったはずだ。母は妹の力が分散しないように力を貸しただけと言っていたから」
それでも。
「…だが結局それが負担になったから母は…。盗賊に襲われた村の唯一の犠牲者さ」
母の最期を覚えている。
家族で看取った母は最期に笑っていた。
笑ってはいたが…
「…一気に暗くなったな」
話題を逸らしたい。これ以上は自分の若さゆえの過ちをぶちまけてしまう。なぜ母が死んだのか。母を殺したのは誰なのか。
「…今の話を聞いて明るく振る舞えるのはパージャくらいだよ」
「ヴァルツ殿下も負けてないぞ」
そんなニコルの心境に気付いたのかどうかはわからないが、レイトルとセクトルはなだめるように笑ってくれた。
モーティシア達はまだどう口を開けばよいのかわからない様子だったが、ため息を漏らすようにわずかに笑い返すニコルに安堵したように緊張を緩めていた。
共に行動していけばいずれは何でも笑い飛ばしてもらえるようになるだろうか。ニコルの過去は、あまりにも誇れるものが少ないが。
父の治療費を稼ぐためなら、何でもやったのだから。
「--ところでニコル」
「ひとつだけ知りたいんだが」
わずかに俯いていたニコルを挟むように、前を進んでいたレイトルとセクトルが馬を下がらせてきた。
トリッシュがつられるようにモーティシアのいる最後尾へと馬を下がらせて、同じく最後尾にいたアクセルがわたわたと慌てて馬から落ちそうになっていた。
落ちそうになったアクセルが心配になったが、モーティシアのフォローで何とか体勢を立て直して無事なようだ。
「…何だよ」
安堵しつつ妙に馴れ馴れしく近付いてきた二人に警戒する。
この二人が息の合った謎の行動をする時は、だいたいろくなことを考えていないのだから。
近付きすぎたせいかレイトルを乗せた馬がわずかに嫌がり、手綱を引いてなだめながら、それでも遠慮無く訊ねてくれた。
「君のお母様は、胸が豊かな方だった?」
さっぱりとした爽やかな笑顔とまるで噛み合わない内容に思考が止まる。
「…は?」
「乳だよ。でかいのか?」
ようやく聞き返したところで立て続けにセクトルも身を乗り出して訊ねてきた。
思い出すのは、酔った口でいかに巨乳が素晴らしいかを語った二人の姿だ。
「っはあ!?何でお前らにそんなこと言わなきゃなんねーんだよ馬鹿か!?」
「いやいや落ち着こうよ。別に人妻に興味があるわけじゃないんだ。でもほら、遺伝的な見方でさ?妹さんも、ね?」
「この数年会えてないんだろ?」
そういえば妹を紹介しろなどと馬鹿げたことも言っていたっけか。いやそれにしても、見る場所がおかしいだろう。
「…お前ら…俺の妹をどういう目で見るつもりだ?」
いくら気を許せる仲間だとしても、妹を邪な目で見られても構わないわけがない。
じっとりとキレる数秒前の様子を見せれば、レイトルが手綱を離して器用に両手を振った。
「誤解しないでくれ!私達だって胸の大きさだけで女性を判断しないよ。ただ判断基準に大きな影響を及ぼすだけで!」
いったい何が誤解であるのか。
「そんな風に言われて“はいそうですか”って納得する兄貴がいると思ってんのか!!」
「安心しろ。胸が無かったら興味は沸かん」
「っっざけんなぁ!!」
ニコルの罵声に前を歩く三頭の馬が嫌がるように体をよじらせ、ニコル達は慌てて馬を落ち着かせた。
後続の馬達に影響は無かったが、騎乗しているモーティシア達は今のやり取りを聞いてぽかんとしている。
「…二人はおっぱい教って噂は本当?」
訊ねたのはトリッシュだった。
「…まあ」
「クレア様が七姫様の中で一番大きかったからな」
少し恥ずかしそうに照れながら返したレイトルとは真逆にセクトルは堂々と認める。しかも姫の名前を出す始末だ。
「お前らは姫を何だと思っているんだ!!」
「…しかしエルザ様も…その、大きいですよね」
「いいか二度とエルザ様をおかしな目で見るな」
会話に加わりたかったのか何も考えてないのか、エルザの名を上げるアクセルをニコルは強く睨み付けた。
何を嬉しそうに話しているんだ馬鹿かこいつはと。
たしかにエルザは豊かな胸をしているが。いやだからそうでなくて。
「仕方ないだろ。男に生まれた責任みたいなもんだ」
お前だってそうだろ?とセクトルから暗に言われてグッと言葉に詰まったのは肯定するというわけではなくて、開いた口が塞がらないという方だ。決して肯定などではない。はずだ。
「羨ましい…魔術師団は基本的に国の結界の維持が仕事だから、七姫様との接点があまり無かったんだよな」
「コレー様は妹みたいな感じだったし…雰囲気的にミモザ様に似そうだし」
後ろでトリッシュとアクセルが語るのは、まだまだ発達前の11歳の姫についてだ。
ミモザに似るとなると、手のひらに収まるサイズということになるか。
「もう、下品ですよ皆さん…もうじき正門ですから、最初は引き締めてください」
たしなめるモーティシアの呆れるようなため息を合図に、全員が改めて手綱を握りしめた。
「了解」
返答したのも全員だ。
アリアとの合流場所である王都城下町の正門まで、馬を走らせればもうすぐだ。
これからこの六人で守っていく存在にようやく出会う。
ニコルにとって唯一最愛の妹に。
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