第13話



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「アリアさん!起きてください!」
 体を揺さぶられて目覚めた瞬間に目に入ってきたのは、覆い被さるようにアリアを見下ろす男の姿で。
「----っ!!」
 喉が引きつって声にはならない悲鳴を上げて、アリアは逃げるように身を引いた。
 だがすぐにその男が隊長だと気付いて、アリアは困惑しながらも跳ねた心臓の鼓動を静めようと胸を押さえる。
 あまりに急に体を動かしたせいで頭痛がして気分が悪くなるが、そんなことを気にする暇もないほど隊長の様子がおかしい。
「…どうかしたんですか?」
 窓の外はまだ薄暗くて日の出前だと告げており、早く起きるアリアでもまだ眠っている時間だ。
「説明は後でします。今はここを去る準備を急いで下さい」
「え?」
 言われてすぐに腕を捕まれ、靴を履く暇も与えられずに部屋から連れ出される。
「何ですか!?いったい何が…」
 訳もわからず引かれるままに付いていけば、他の領兵達も慌ただしく動いていた。そして夕暮れ時に見た通り、この街の兵の数は異常に少ない。
「--隊長、馬車は無理です!包囲されています!」
 アリアの背後に現れた領兵の一人が、隊長に現状を報告する。
 いったい何が起きたというのだ。
 困惑するアリアに、ようやく隊長は目を合わせてくれて。
「街の住民にあなたの力の事が知れ渡りました。多くの者が治癒を求めて集まっています」
 意味を理解できずに首をかしげたアリアを、隊長は窓まで連れていってくれる。窓から完全に体を出さないように注意されて地上を眺めれば、松明を持った数十人の人間が兵舎の正面玄関口に集まっていた。
 その中に昼間に助けた幼児の母親も見かけて、思わず声を上げそうになったのを口を両手でふさぐ。
「…治癒を求めてって…怪我をしてる人がいるなら…」
「怪我人はいません。いるのは病人ばかりです」
「病人?」
 アリアの治癒魔術は病人には通用しない。言葉にならず首を横に振ったアリアに隊長は短く「わかっています」と告げた。
「たとえ怪我人であったとしても、街の住民達の希望には添えませんよ」
 その中に他国の刺客がいないとも限らない。
 アリアには想像もつかない現実を聞かせてから、また腕を引かれそうになって。
「ま、待ってください!部屋に本と木箱が!」
 あまりに突然すぎた為に大切な両親の遺品である本と首飾りの入った木箱を置きっぱなしにしてしまっていたことに気付いて、アリアは腰を落とす勢いでその場に強く足を踏ん張った。
「--私が!」
 様子を見ていた領兵の一人が踵を返して走り行き、アリアは急げとまた隊長に腕を引かれる。
 隊長の後を走りながら聞かされたのは、この地域に小規模発生した伝染病のことだった。
 死ぬまでは至らないが、患うと半月ほど下痢や嘔吐、発熱に苦しめられるらしい。恐らくアリアに傷を癒された子供の母親が誇張して話を広げたのだろうと。
「あの、説明すればいいんじゃないですか?私が治せるのは怪我だけだって、それなら」
「…この街の兵が最初の対応を間違えた様です。今の市民達は皆、殺気立って会話が成立しません」
 たかが数十人規模でも、この街は兵の数も少ない。
 伝染病は兵達にも襲いかかっており、兵舎にいる兵の数も半分以下にまで減っているのだと。
 護衛対象がアリアただ一人だとしても、籠城状態では手も足も出せない。
 これが敵襲だったなら。そう呟いた若い領兵を隊長が強く睨み付けた。
 敵襲だったなら戦闘で相手の戦力を削げる。だが相手は一般市民だ。許されているのは守ることであり、刀を向ける相手ではない。
「--アリアさん!」
 そこに、アリアの使っていた部屋に走ってくれていた領兵が駆け寄ってきた。
 彼の手の中には大切な本と木箱が握られ、小脇に抱えるように靴も持って来てくれていた。
「ありがとうございます!!」
 大切な二つを受け取って、我が子を守るように強く胸に抱き締める。これだけはアリアが守らなければならないものだ。
 抱き締めて気付いたのは、木箱に入った首飾りがわずかに震えている様子だった。今のアリアに反応しているのか、木箱ごしに首飾りが熱くなっている事にも気付く。
 もし兄が首飾りを付けていたら、今のアリアの現状にすぐに気付いてくれていたのだろうか。
「隊長!王城へ伝達鳥を飛ばしました!」
「よし!全員二階の露台前に集まるよう伝えろ!人数分の馬の確保もだ!」
 隊長の命令と共に、外から酷い喧騒が響き渡った。それだけで、とうとう市民と兵達との衝突が始まったのだと気付く。
--あたしが勝手な事をしたから…
 アリアが最初の言い付けを守っていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。子供の声につられていなければ。
 俯きそうになるアリアの腕を、また隊長が強く引いた。
「今は無事にここから出ることを考えてください」
 アリアの考えていることを言い当てるように強い声だが、それでもアリアの表情は晴れない。
「アリアさん、馬には乗れますね?」
 俯きそうになるのを何度も堪え、せめて邪魔になるまいと隊長に従っていたアリアに隊長は確認する為に訊ねてきた。
 馬に乗れることは伝えているはずだが、何をさせるつもりなのか。困惑しながらも頷いたアリアに、隊長は「よし」と短く告げる。
 乗馬は村ではよくあることだった。村にわずかに二頭しかいなかったが、村の者は女であれ子供であれ乗りこなせるよう村長から手解きを受けている。
 そしてまた移動が始まり、連れていかれたのは先ほど隊長が通達していた二階で、廊下には領兵達が興奮しかけている馬達を落ち着かせながら隊長の指示を待っていた。
 見知った馬達ばかりだが、馬車の馬は一頭もいない。そして邪魔になる荷物は全て取り外されていた。アリアの家から持ってきたわずかばかりの全財産も。
「荷物に関しては後日必ずお届けします。今はお許しください」
「…はい」
 まだ何をするのかは聞かされていない。だが理解は出来た。
 露台から馬を使って飛び下り、そのまま街を後にする算段だろう。
 馬の負担にならないように荷物は最小限に抑えたのが証拠だ。
 夕食の席で、この兵舎の出入りは正面からしか出来ないと聞かされている。奥側には底の深い泉があり、両サイドも鬱蒼と茂る木々に隔てられて逃れることはできない。正面突破しか退路は無いのだ。
 空も明るみ始めているので森の中でも何とか切り抜けられるはずだ。
「これからこの場を切り抜ける為の最終説明を行う!」
 隊長の声に領兵達が一斉に静かになる。アリアも真剣に隊長を見つめた。
 切り抜ける方法はやはり露台から飛び降りる方法だった。
 廊下から助走を付けて、露台に出たら一気に飛び降りる。真下は正面玄関口からは少し離れているので市民を傷付けることは無いはずだ。
 アリアの順番は先頭から三番目だった。
「出来ますか?」
 隊長の説明が終り、最後にアリアだけそう訊ねられる。
 アリアが乗ることになった馬は一番落ち着いた様子を見せる従順な馬で、アリアを嫌がる素振りは見せない。この子なら。
「大丈夫です!」
 乗馬は男顔負けだと村長にも言われたことがあるのだ。ここでアリアが出来ないなど言えない。
 アリアの強い返事に、隊長を含め領兵達が数人笑った。
 下からは喧騒がどんどん酷くなっていく。
 露台への扉は全て取り外され、時が来た。
「絶対に止まるな、前の者に続け!」
 隊長はアリアより少し後に出発する様子だった。
 馬に乗り、全員わずかに頭を下げて時を待って。
 アリアの騎乗した馬はどこまでも従順に従ってくれた。戦闘用に訓練されているらしく、村で慣れ親しんだ馬よりも筋肉質で非常に大きいが、村の馬よりも頼もしく大人しい。
 本とペンダントの入った木箱を胸元に隠して、早く脈打つ鼓動を整えようと深呼吸をして。
 最後尾の領兵が地上を確認し、隊長に合図を送ると同時に、隊長も先頭の領兵に合図を送った。
 そこからは、全員止まらずに。
 先頭の領兵が見事に馬を乗りこなして露台を抜け、吸い込まれるように滑らかに地上へと飛び降りるのを眺めながら、アリアも手綱をしごいて馬を走らせた。
 アリアが怖がれば馬も動けなくなる。前に続いて一気に。
 廊下を抜けて、露台を抜けて、飛び降りて地面へ。
 飛び降りる間、体内の臓腑が全て持ち上がるような独特の感覚を体に刻んでから急激に落下する衝撃と共に着地する。
--上手くいった
 馬もよろける様子もなく先頭に続こうと走り出して。
「--逃がすか!!」
 右側から野太い声と共に熱い光を持った何かを投げつけられて。

そこでアリアは意識を手放してしまった。

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