第13話
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--どうして泣いているの?
先日エルザと話していた時にふと思い出した幼い頃の自分の声が頭を離れない。
まだ声変わりもしていないくらい幼い時のはずだ。
どうして泣いているの?
誰に訊ねた言葉か思い出せない。
アリアではないはずだ。年上の女性が泣いていて、その人に話しかけたのを覚えているから。
雰囲気だけでも、 とても美しい人だったはずだと思い出す。だが特定までにはいたらない。
母ではなかった。
村の人間でもない。
誰だったのか。
夢だったかとも思ったが、それにしてはリアルすぎる。
泣いている女性に近付いて、訊ねて、それから--
「っ…」
ふと息苦しさを覚えた。
首を絞められるような感覚に苛まれて、落ち着くようにゆっくりと深呼吸をする。
「何かあった?ニコル」
「…いえ」
ニコルの異変に気付いたコウェルズが面白そうに訊ねてくるのを、わずかに不機嫌な色を含ませた声でそっけなく返す。
「そんなに拗ねない。大切なことなんだから」
「…面白がっている方に言われても説得力がありませんよ」
ニコルはコウェルズと共に王城の医師団の元を訪れていた。
特殊な事情がある為にコウェルズに護衛はおらず、ニコルが護衛を兼ねる形だ。実際は医師団に用事があるのはニコルの方で、付き添いにコウェルズがいるのだが。
事の発端は先日ニコルがエルザに約束した言葉だった。
エルザがニコルを思う間は、ニコルはエルザ以外に靡かない。
そう告げたニコルに、エルザと離れてからフレイムローズが告げたのは「言質は取った」だった。
その時は流して忘れていたが、翌日の昼間にコウェルズが医師団を引き連れてやって来たのだ。
「今から君の性感染の検査を行う」
と。
耳を疑った。
困惑するニコルに対し、コウェルズはまるで脅すようにエルザとの会話が筒抜けであることを語ってくれた。
「君が度々城下に降りては不特定多数の女性と一夜限りの関係を持っているのは知っているよ。まあ男としては必要な事だろうから仕方ないけど、問題は君が関係を持っているのが王城御用達の妓楼の娘達でない点でね。御用達なのにはそれなりに理由があるんだ。彼女達には定期的に検査を受ける義務があってね、それを行うことによって、王城で働く野郎共に性病が蔓延しないようにしているんだけど、ニコル、君は違うよね?高い給金支払ってるのにケチって適当な女の子に声かけてるよね?それがどれだけ怖いことかわかるかな?いや、君一人の問題なら一向に構わないんだ。人それぞれ考え方は違うからね。でも君はエルザに約束したよね?フレイムローズに言質取らせてるから言ってないなんて嘘は通用しないよ。君はエルザのものになると言ったようなものだよね?それで万が一の事が起きないとは考えられないよね?だって男と女の事だから、今はどうであれこの先の事なんかわかりっこないよね?そこで恐ろしい出来事が浮かぶわけだ。考えてごらん?君が今まで関係を持った女性達は性病を持ってない子ばかりと言えるかな?言えないよね?わからないもんねそんなこと。それでもし君が性病を患っていたらコトだよね。エルザに移ったら大変なんだから。だから君がこれから検査を受けるのは義務になるわけだ。ここまで言って拒むなんてことしないよね?だって君からエルザに伝えたんだよね?エルザ以外抱かないってそう言ったようなものだよ。まぁそれは物理的に辛いだろうから妓楼については信頼があるから仕方なく許すけど、とりあえず今後は不特定多数の女性となんて極刑モノだから覚悟していてね。あ、用意できた?さすが医師団だね仕事が早くて助かるよ。じゃあ行こうか。大丈夫大丈夫怖くないよ性病検査のスペシャリストを集めたから君は何も怖がる必要は無いからね大丈夫怖くない怖くない安心してじゃあ行こうか何やってるんだい駄々っ子でもあるまいしとっとと立ちなさいさくさく行くよ私は暇じゃないんだ」
強制だった。
愕然としているニコルを強引に医師団に預け渡し、そこで今まで受けたことも無いような屈辱的な検査を受けて。
結果は後日と告げられ、
それが今日わかるのだ。
性病だなどと、今まで考えたこともなかった。
地方兵時代は竿が痒いやら膿が出たやら聞いてきたが、それが自分に向かってくるとは。
今まで違和感など感じたこともないが、無理矢理とはいえいざ検査を受けると結果までの時間がひどく恐ろしくて。
というか医師団がそこまで管理しているなど知らなかった。
たまにあるらしい。竿に違和感を覚えて訪れる騎士を見るということが。
「--全く問題ありませんでしたよ。ついでに調べた検査の方も問題無しです。生殖異常も見当たりませんし、元気な子種を残せるでしょう。懸念するとすれば、避妊していましたか?いないなら一応子供云々を確認しておいた方がよろしいでしょう」
入室してすぐにそう告げられて、安心と同時に顔面から火を吹くかと思った。
王子がいるのになんてことを言うのだ。
「全て確認済みだよ。隠し子はいないから安心して」
何だと?
再度愕然とするニコルを前に、医師団長とコウェルズはまるでよくある事を話すように自然体でいる。
避妊についての明言は避けるが、なぜ子供の可能性を確信を持って否定できるのだ。
どこまで知られているのかわからず、ニコルはただ悪寒を走らせた。今まで監視されていたとなると恐ろしいとしか言えないではないか。
これが大国の力なのかと今更ながらエル・フェアリアの規模に驚くが、いや待て驚く方向がおかしいだろうと思い悩む。
ニコルが何も言えずに固まっていると、察したらしいコウェルズが爽やかな笑顔を浮かべてみせた。
「全員を監視している訳じゃないよ。魔力の質が高いものに絞っている。君の魔力は質も量も魅力的だからね、監視レベルはガウェとフレイムローズに次ぐのさ」
さらりと告げられ続ける現実の爆弾にそろそろ命を落としそうだ。
まさかそこまで。
王子とはいえ年下に主導権を握られ、あらゆる制約を課せられ。
女なんか一生抱くものか。
なおも続くコウェルズと医師団長のぶっちゃけを聞き流しながら、ニコルは守れもしないその時限りの誓いを胸に深く刻み込んだ。
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