第12話


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「--反応が遅い!!数日休んで体調は万全のはずだろ!!ダラダラ動いてんじゃねーぞ!!」
「ぐっっ、はい!!」
 訓練所の中央を堂々と確保し、第六姫コレー付きのスカイが王族付き候補のルードヴィッヒに遠慮無い叱責を飛ばす。
 この数日体調を崩して伏せていたルードヴィッヒがようやく回復したらしく、教官であるスカイとトリックから訓練を受けている最中なのだ。
 ルードヴィッヒが苦手とする魔具操作の訓練で、発動した二本の短剣を操りながらスカイに攻め続ける。
 スカイの方はただの支給品であるドレスソードを片手に動きの鈍いルードヴィッヒに余裕綽々の様子だ。躱し、いなし、背後ががら空きのルードヴィッヒに容赦なく肘討ちをかまして地に落とす。
 ルードヴィッヒはすぐに立ち上がり、消えた魔具をもう一度発動させ、土に汚れた訓練着や頬をはたく暇もなく再びスカイに挑んで。
 こんな痛々しい気分にさせる訓練を見たのは初めてで、二人から少し離れた位置にいたトリックは小さなため息をついた。
「ルードヴィッヒ殿の体調が戻ったのですね。訓練で見かけなかったので少し心配していたのですが安心しました」
 静かに見守るトリックの隣にレイトルが現れる。そのさらに隣にはセクトルの姿があり、こちらは口も開かずにスカイの素早い動きだけを自身に取り入れようと目を凝らしていた。
「なら良いんだがね」
「…何か?」
 まだ若いレイトルには、端から見たルードヴィッヒは元気そのものに映るらしい。
「何を思い詰めているのか…行動が荒々しくてね。見ているのが痛ましいほどに」
「え…」
「…いつも通りに見えますが」
 セクトルもわずかに驚いた様子だ。
「こればかりは年の功だ」
 動きが俊敏なら万全だなどという考えはまだまだ幼稚だ。
 ルードヴィッヒは必死だった。
 まるでこの訓練でスカイに勝てなければ一家全員で腹を切れとでも宣言されているかのような様子で、あまりにも乱雑なのだ。
「訓練が終わったら…よければ話し相手になってやってくれないか?私やスカイや同期には話しにくいだろうし、ガウェはしばらくこちらには来ないからね」
「…私達が力になれるなら」
「ありがとう。頼むよ」
 まだルードヴィッヒの以前との違いがわからない様子だが、レイトルとセクトルの年齢を考えれば仕方無いだろう。
 大人に見えて成りきれていないのが20代だ。
 責任感はしっかり持つが、トリックとは人生の長さが違いすぎる。
「ああ、それとレイトル。治癒魔術師の護衛候補に名を挙げたそうだね」
 トリックの質問にレイトルは一瞬固まってから、強く頷いた。
「はい」
「本当にいいのか?」
「もちろんです。…そうならない方が…私達は後悔しますから」
 私達。レイトルだけでなく、セクトルも。
 エル・フェアリア唯一の魔術騎士は騎士団に籍を置きながらも魔術師団の情報もしっかり握っている。
 いずれ訪れるアリアという治癒魔術師の情報も、恐らく兄のニコルより持っているだろう。
「…わかった。その言葉を聞きたかったよ。…近々正式に任命されるだろうが、護衛の一人に君は選ばれる。どうか宜しく頼むよ」
 穏やかな笑顔を浮かべれば、レイトルは驚きを隠せない様子で目を見開いて。
 それとは真逆に、セクトルは静かに目を伏せた。ニコルの妹の力を騎士団長クルーガーに告げたセクトルは、負い目もあって誰よりもニコルとアリアを心配している。
 口数が少ない為に冷たい人間に見られがちだが、内面はとても人情的だ。仕事と私事をはっきりと線引くだけで。
「そして君もな。セクトル」
 トリックの視線が真正面から注がれて、セクトルは意味もわからずにキョトンと首をかしげた。
「…え?」
「事情がころころと替わってね。…君は立候補していないから断ることも勿論できるが」
 治癒魔術師の護衛に。
 トリックの言葉を理解した瞬間に、セクトルは強く片足を出して力むように頷いた。
「是非っ!!…私でよろしいなら…是非お願いします!!」
 彼が声を荒らげて後先考えずに結論を出すことがどれほど珍しいことか。
「…伝えておくよ」
 嬉しそうに頬を紅潮させて泣き出しそうになっているセクトルに笑いかける。感情表現の乏しい彼が喧嘩以外でここまで自分の気持ちをさらけ出す姿などそうそう見られないだろう。
 その隣では、あることに気付いたレイトルが表情を曇らせていたが。
「…しかし一度に二人も姫付きが外れるとなると…クレア様はどうなるのですか?」
「--…」
 レイトルもセクトルも、第三姫クレアの騎士だ。いくら二人が王族付きとしては若手だとはいえ、この時期に同時に抜けるなど手痛いはずだが。
 レイトルの言葉にセクトルもハッと表情を強張らせて。
 その件についても、トリックは聞かされている。
「…皆、自分達に出来ることをする為に動き始めている。クレア様も、決心されたようだ」
 トリックのオブラートに包んだ説明に、二人がまるで失恋でも経験するかのように悲しげに瞳を曇らせた。
 クレアの決心など、一つしかないとわかっているのだ。
「安心しろ。今すぐではないから」
 二人の若者を慰めるように肩を軽く叩いて、それ以上の説明はわざと省いて。
 いずれ必ず訪れる別れをはっきりと口にしなかったのは、言うまでもなく理解していることがわかったからだ。
 一から十まで説明が必要なほど愚かな二人ではない。
 だからこそ、トリックはもうその話を続けはしなかった。

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 新緑宮はいつだってガウェを呼んでいた。
 実際に声をかけられているという訳ではなく、無意識に足が運ばれるという意味で。
 ここはガウェにとって至福の時間を過ごした場所であり、同時に絶望を味わった場所だ。
 絶望が強すぎて普通なら直視も出来ないだろう。だが同量の喜びがここにはあった。
 新緑宮はガウェとリーンの秘密基地で、いつだってこの場所だけはリーンを優しく包んでくれて。
 なのに、ここで、この場所で。
 新緑宮で、リーンは命を落としたのだ。
 憩いの場所だったはずの場所で。幼い命は奪われた。
 まだ10歳だった。
 ようやく10歳だった。
 ガウェの唯一無二の姫。
 ガウェが全てを捧げられるほど愛しい姫。
 この場所に留まることが出来るなら、未来なんてものは簡単に捨てられる。
 しかしガウェは立場のある存在として生まれた。次期黄都領主として。最上位貴族嫡子として。
 本来ならリーンの傍にいることなどなかった。運命が悪戯に回り、ガウェとリーンを、ガウェと王城を繋ぎ会わせただけなのだ。
 現実を見なければならない時が来た。
 名残惜しい。
 きっと振り返らずにはいられない。
 だがガウェは未来を生きなければならない。
 リーンを失って、いつ死んだって構わないと何度も思った。
 でも死ねなかった。
 死ねなかったのは、その道を選ばなかったのは、心残りがあったからだ。
--申し訳ございません、リーン様
 もう暫くだけお待ちください。
 己が全うすべきことを成し遂げれば、必ずお傍に向かいますので。
 一人ぼっちになどさせません。
--必ず
 心から愛した唯一の姫にそう誓い、ガウェは新緑宮に背を向ける。
 王城へ、今守るべき姫の元へ向かおうとした所で、ガウェは前方から現れた少女に気付いて足を止めた。
 リーンとよく似た姿の、ガウェと同じくリーンを慕っていた末の姫、オデット。
「…ガウェ」
「オデット様」
 オデットの後ろにいる騎士達は、神妙な顔付きでガウェを見つめてくる。
 共に姫達を守ってきた仲間達は、ガウェが歩まなければならない道を知っている。ガウェがようやく決意した事も。
「…決めてしまったのですね」
「…はい」
 オデットも知らされたらしい。
 寂しげな声がガウェを呼ぶ。
 そっと近付き、オデットの前に片膝をついた。
 俯いたオデットは堪えるように唇を窄め、やがて無理矢理の笑顔を見せた。
「…新しい髪型を考えてくださいな!」
 今にも泣き出しそうなのに泣かないのは、彼女も幼いなりに理解しているから。
 まだ9歳の若さで、彼女は王族の姫としての立場を理解しているのだ。
「私にぴったりの…可愛いのがいいです!!」
 オデットはいつだって、リーンと同じ髪型を望んだ。
 侍女が可愛らしい髪型を伝えても、オデットが運営を指揮する国立演劇場で流行の髪型を見かけても、頑として髪型を変えようとはしなかった。
 それはオデットなりにリーンを偲ぶ姿であり、それを変えるということは、つまり。
「…編み込みを試してみましょうか」
「あみこみ?」
「はい。三つ編みを応用したもので、可愛らしくも綺麗にもなれますよ」
 ガウェが選んだから、オデットも選んだ。
 忘れるわけではない。ただ、前に進むだけなのだ。
「わあ!是非お願いしますわ!!」
 健気に笑うオデット。
 だがやはり、ぽろりと涙が落ちて、笑顔は固まった。
 どれほど堪えていたのか。
 どれほど涙を押さえ込んでいたのか。
 まだ幼いこの姫は。
「っ…ガウェぇ…」
 ひと粒落ちれば後は止まらない。
 オデットが泣きすがるのを、ガウェは静かに迎え入れた。今まで何度もそうやってオデットの涙を受け入れてきたのだ。
 かがんだガウェにすがって、肩に頭を置いて咽び泣く。そっと抱き寄せる体は幼すぎて、この小さな体のどこにこれほどの感情を隠していたのかと不思議に思えるほどだ。
 オデットの気がすむまで、ガウェは静かに肩を貸し続けた。悲しみの感情の捌け口にしてくれて構わない。
 何度もオデットの頭を優しく撫でて、ガウェは彼女の悲しみを受け止め続けた。

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「…クレアお姉さま、何か良いことがありましたの?」
 書物庫の一角、おとぎ話ばかりを集めた書棚の前で一冊の書物を探していた姉のクレアに、コレーはポツリと訊ねた。
 今日は未成年の姫達には珍しく丸一日の休みで、コレーはクレアに読み聞かせをねだったのだ。
 コウェルズは今日も政務で忙しく、ミモザはヴァルツとどこかに行ってしまい、エルザは部屋から出てきてくれない。
 ようやく捕まえたクレアは、ご機嫌というわけではないが、さっぱりとした様子で。
 その理由は耳にしているが。
「…え、どうして?」
 コレーのねだった本が書棚の高い位置にあったので取るのは騎士に任せたクレアが、少し焦った様子で訊ね返してきた。
 取り繕ったって、姫達全員に通達が回っていることくらい知っているはずなのに。
「何だか…とても可愛らしいので」
「!?!?なっっ、何言ってるの!!」
 案の定、というべきなのだろうか。
 慌てて声が裏返っている。
 クレアはエルザと同じで、恋する乙女で、好きな人と結ばれることが許された数少ない人。羨ましくて、悲しい。
「どうしたの?コレーは元気が無いみたい」
「突然、みんなが決心されて…」
 どうして突然、みんなで一斉に決めてしまうのか。
 少しずつ、一人ずつではいけないのだろうか。
 決める立場の人間はいいじゃないか。残される立場の人間は心の準備も中途半端にただ見送ることしか出来ないというのに。
「今のままじゃいられないのが…とても寂しいです」
「…私だってそうだよ」
「でも決められたのでしょう?お姉さまだけじゃない…みんな…」
 クレアも、エルザも、ガウェも、みんな。
「私だけが置いていかれたみたいで…」
「コレーったら」
「だって…私に出来ることなんてありませんもの…私だって…お役に立ちたいです」
 コレーには何もない。
 己自身ですら操りきれないほどの魔力以外、何も。
 姫として皆が国立事業に従事する中で、コレーだけが魔力の暴発を懸念して何も任されなかった。妹のオデットですら国立演劇場の運営を任されているというのに。
 役に立ちたい。
 なのに何もさせてもらえない。
 悔しくて、卑屈になりそうになる。
 役に立ちたいだけなのに。
「…でも何が出来るのか…」
「…あるよ」
 静かに頭を撫でてくれた姉を、コレーはすがるように見上げた。
「出来ることなんて探せば沢山あるものよ。まずは身近なところから攻めていきましょ!」
 何を思い付いたのか、パチリとウインクを決めて笑顔を見せてくれる。
 本はやっぱり書棚に直してと告げたクレアは、別の騎士に別の本を持ってくるように命じる。
 騎士達が向かった書棚は、コレーが今まであまり気にしなかった場所だった。
「何をすればいいの?」
「お姉様に任せなさい!」
 朗らかに笑う姉は、いったいどこまで精通しているというのだろうか。
 説明された内容は、今までコレーが試してみたことのない分野だった。

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