第12話


第12話

 騎士団、魔術師団、魔術兵団。
 遥かな昔から存在するこの三団は、共にエル・フェアリアを守る存在でありながら基本的には別動している。
 特に魔術兵団は王城内でも存在を疑う者すらいるほどに姿の見えない機関だった。
 騎士団と魔術師団は定期的に合同訓練や会議を行うが、魔術兵団にはそれがない。
 国を守る騎士団と魔術師団とは違い、魔術兵団が守り従うのは国王のみなのだ。

 魔眼蝶ごしの城内の監視中、フレイムローズは気になるものを見かけた。
 一人で散策するように歩いていたパージャが、新緑宮を少し離れた位置から眺めるように立ち止まったのだ。
 新緑宮は第四姫のリーンが不慮の事故で命を落とした場所だが、ガウェとは別に彼もよくこの場所を訪れていた。
 ガウェとの違いを上げるとすれば、パージャは絶体に一定の距離を保って新緑宮に近付こうとはしないという事だろうか。
 ニコルと同じ平民のパージャ。
 誰も彼もが、パージャの髪はエル・フェアリアによくある薄茶色だと告げる。
 だがやはりフレイムローズには、彼の髪は闇を交ぜたような緋色にしか見えない。そして瞳もだ。
 なぜ違って見えるのかはわからない。フレイムローズは魔眼を発動しないよう普段から瞼を閉じているが、見えていないわけではなく魔眼を使って辺りを見回すことが出来る。そして見え方は他の者達と何ら変わりはないはずなのに。
 気さくだし話すと面白いから仲良くしたいのに、唯一その部分が怖くてパージャを警戒してしまうのだ。
 フレイムローズが見ていると知っているのかいないのかはわからないが、静かに新緑宮を眺めていたパージャがふと拳を強く握りしめた。
 ギリギリと、爪が食い込むまで強く握りしめた手から血が滴る。
 だがその血は地面に落ちて吸収されるより早く、黒い霧に変わって彼の中に舞い戻った。
「!?」
 驚くフレイムローズだが、遠くにいるパージャには伝わらないだろう。
 パージャは無意識に手を握り締めていたらしく、手のひらを自分の胸の前辺りに持ってきて、俯きながら傷を確認していた。爪の食い込んだ傷も、数秒経たないうちに綺麗に元の状態に戻ってしまう。
 その不思議な力は。
--治癒魔術?
 フレイムローズは困惑するが、パージャの傷を癒した力が治癒魔術には見えなくて。
 まるで傷を許さないとでも告げるような様子だった。

「魔術…兵団」

 聴覚も働かせた瞬間に聞こえてきたのは、怒りを噛み殺すようなパージャの声で。
「--っ!!」
 遠く離れているはずなのに、魔眼蝶を通して、パージャの怒りがフレイムローズの体を苛んだ。震え始める体に、フレイムローズの側にいたニコルと魔術師が気付いて寄ってくる。
「フレイムローズ?」
 どうした?と。
 そんなこと聞かれてもフレイムローズにもわからない。
 パージャに合わせていた視界を別の場所に移し変えて、フレイムローズは震えながら浅い呼吸を繰り返した。
 とても怖かった。だが何をと訊ねられたら、どう伝えればいいのかわからないのだ。悲しみと怒りがごちゃ混ぜになって、フレイムローズの臓腑をえぐり回すような気分の悪さに吐き気が込み上げる。
 魔術師はフレイムローズの額に浮かぶ冷や汗を拭ってくれて、辛いなら早めに交代するかと提案してくれた。
 その提案には首を横に振って断り、少しだけ唇を噛んだ。フレイムローズの本能が、パージャは何かがおかしいと告げる。なのにそれを他の者達に伝える事が出来ない。
 まるで不思議な力に囚われたような感覚だった。
 だってパージャは、あまりにも彼女に似ているのだから。

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 その日は珍しく、ヴァルツは一番にコウェルズの部屋を訪れていた。
 いつもは自分に用意された部屋にいるかミモザの部屋に突撃するか書物庫で謎の読書家アピールをするかなのに、突然どうしたのだろうと首をかしげていれば、ヴァルツは難しそうな顔で何か策を廻らせている様子で。
「ふーむ…」
 16歳のヴァルツはエル・フェアリアでは成人扱いを受ける年齢だが、16歳などどれを見ても、大人ぶりはするがまだ頭の中は幼いものだ。
 それがわざとらしい真面目な顔で、こちらに気付いてほしそうに右へ左へうろつきながら考え事をして。
「…どうしたの?」
 見ていて面白かったので放置していたが、コウェルズが話しかけなければ延々と終りそうにない声かけてアピールに、笑いを堪えながら訊ねた。
 すると待ってましたと言わんばかりにヴァルツが寄ってきて、コウェルズの服の裾を掴む。
 シワになるとミモザが煩いのに、などと考えながら、ヴァルツの心配事に耳を傾ければ。
「兄上に、ファントムの件が解決するまで戻らんと伝えたのだがな」
「知っているよ。それで?」
 兄上とはつまり、エル・フェアリアに匹敵する力を持つ大国ラムタルの若き国王バインドの事で。
「勝手に持ち出したからくりを壊したら許さないと返事が来てな」
「うん」
「兄上には言えなかったのだが…既に一体壊した後だ」
「……」
 なんて間の悪い。というかなぜその会話をした時に壊したことを伝えていないのか。
 いや、伝えられない理由は身に染みるほどわかるが、なぜ巻き込むのか。
「…コウェルズから謝って」
「お断り」
「…少しくらいよいではないか。可愛い未来の弟の為に」
 いけしゃあしゃあとよく言うものだ。
 4、5歳の幼児でもあるまいに、肩をふりつつぐいぐいと裾を引っ張られても可愛いものか。
 どうやらヴァルツも七姫同様に自分がどのような仕草行動に出れば家臣達がハイハイとおねだりを訊いてくれるのか理解している様子だが、ラムタル国ではまだ子供扱いだろうがここはエル・フェアリアだ。
 15歳を過ぎれば立派な成人男性であり、それ以前に男にねだられて仕方ないなぁとほだされる性癖もコウェルズは持ち合わせてはいない。これが来年ミモザの夫になるのかと思うと情けなくなる。
「未来の弟の為に一肌脱ぐのは大歓迎だよ。だけどね、バインド国王からしたら私なんてまだまだお子様なんだよ。君の替わりに謝ろうものなら、なぜ替わりに謝ったのかを半日かけて説教されるからお断りだよ」
 同盟を結んでいないとはいえ、歩み寄る為にエル・フェアリアとラムタルはよく交流を持っていた。
 コウェルズや七姫も何度かラムタルに赴いたことはあるし、ラムタルからバインド王やヴァルツが来たこともある。
 大戦時代のわだかまりをぬぐい去る為にも新時代を生きる子供達の交流は必要で、その判断を下したのはコウェルズ達の父親であるエル・フェアリア王だ。
 凡庸ながらまだ政務に携わっていた時代。
 平和の為に走り回った父の姿はよく覚えている。
 交流が正常に始まったのはラムタルの国王がバインドに代わった後の話だが。
 争い事を好み国庫を食い潰した前王である父を討ち、若くして王座に就いたバインド。
 その手腕と人柄に多くの者が彼を賞賛したが、その性格が説教魔であるという事実ははたしてどれほどの人間が知っているというのだろうか。
「…私が素直に謝ったところで丸一日説教に潰されてしまう」
 特にやんちゃなヴァルツは事あるごとに兄に説教をかまされ、コウェルズも知恵を振り絞ったイタズラをその度に発見されて説教を受けていた。
 一度だけガウェに貶められて不実の罪で説教されたことについては一生涯忘れるつもりはない。
 あの説教は味わったものにしかわからない苦痛の時間だろう。
 とにかく長いのだ。
 バインドに初めて説教を受けた時、それまで簡単な注意ばかりで本腰据えた説教を受けたことのなかった若きコウェルズには相当なショックしか残らなかった。泣かなかったのは子供ながらの意地だ。
「…奥の手が無いわけではないよ」
「何だ!?」
 あの説教を回避する為なら…
 コウェルズの言葉に、ヴァルツは目を爛々と輝かせて見上げてきた。
 だが回避する為には、同じ質量の生け贄も必要なのだ。
「…ミモザに替わりに謝ってもらう。バインド国王もミモザには説教なんてしないから。まあその奥の手を選んだ時点で君の評価は“年下の夫”から“お子ちゃま王子”に逆戻りだけどね」
 コウェルズの提案に、ヴァルツの顔がみるみるうちに落胆の色に変わった。
 バインドが説教をかましたことがないのはミモザ、エルザ、フェントくらいだ。
 後はそろってイタズラが見つかり説教を受けている。
 勤勉で礼儀正しく、コウェルズの右腕として政務でも手腕を発揮するミモザのことはバインドもよく可愛がってくれており、彼女が代わりに謝罪してくれるならバインドも説教を飲み込んでくれることだろう。
 その代わりにミモザからの信用信頼は一気に失せるが。
 ヴァルツにとっては究極の選択だろう。
 兄の説教を受けるか、婚約者からの評価を下げるか。
 最初に絡繰りを壊したことを伝えていれば、一発の怒号を数秒受けるだけで済んだはずなのに。
「…やはりコウェルズが替わりに…」
「絶っっ対にお断りだよ。この歳で説教なんて御免だね」
「…優しい兄が欲しかった」
「諦めて怒られておいで。説教されていることがミモザにバレないように私の部屋を使ってかまわないから」
 冷たくあしらえば、頬を膨らませながら、まるで腹痛でも起こしたようにヴァルツはしゃがみこむ。
 不貞腐れて拗ねた顔を見せられてもコウェルズも我が身を守ることが一番大切なのだ。
「…一緒に謝ってくれれば、説教も三時間ほどで済むのではなかろうか!」
 何を名案が浮かんだかのように語るのか。
「三時間も説教を受けるなんて冗談じゃない。クルーガーやリナトに怒られる方がまだましだよ--」
 心底嫌そうにそっぽを向いたコウェルズは、目が合ったそれに血の気を引かせた。
 なぜ今まで気付かなかったのか。
「そんなもの兄上に怒られる恐怖に比べたら屁でもないわ…」
 ヴァルツは背中を向けているので完全に気付いていない。
 部屋の扉の前で、ミモザとフェントが静かに立っていたのだ。
 ミモザは冷めた笑顔を浮かべ、フェントは10歳も年の離れた兄に向けるものでは無いだろう呆れ顔で。
 しかもミモザの肩には、見慣れたオウムの伝達鳥が留まっている。
 妹姫二人の背後では、コウェルズの騎士達が「申し訳ございません!」と両手を合わせて拝んでいるのが見えた。
 いったいいつから二人はコウェルズの部屋に訪れていたというのか。
「一生のお願いだコウェルズ!私と共に謝ってくれ!!」
「…いや、やはり責任は自分で取らなきゃね。君の為にもならないし」
「兄上の恐ろしさを分かち合った仲ではないか!!」
 気付かないヴァルツは聞かれたらやばいことを臆面もなくコウェルズにぶつけてくる。
 その度に顔色を白くしていくコウェルズに頼むから気付いてくれないか。
「いや、何を言ってるんだ、バインド国王を恐ろしいなんて思ったことないよ。いつも手本にしたいと思っているんだから」
 取り合えずフォローを入れてみるが、きっと焼け石に水だろう。
「何を今更!説教が長すぎると不満を漏らし合ったではないか」
「必要で有り難い言葉だったよね!!だからいい加減黙ろうか!!」
 これ以上は説教どころじゃないとヴァルツの頭を掴んで容赦なく後ろを振り向かせる。
 途端にヴァルツの頭からも血の気が失せた。
「ラムタル王家の伝達鳥!?」
 ミモザの肩に留まるオウムに気付いた時が一番心臓が跳ねるか止まったかしたはずだ。
 虚弱体質なら絶体に意識を失っている。
「…だそうですわ、バインド陛下」
 冷たすぎるミモザの言葉が耳を凍らせる。
 冷や汗を浮かべながら固まるコウェルズとヴァルツを前に、オウムはゆっくりと口を開いた。
 その声は耳になじんだラムタル国王バインドの声で。
「何か隠し事をしているとは思っていたが…よかろう。有り難い言葉とやらをみっちりと叩き込んでやるとするか」
 兄と慕う人からの恐怖の宣言に、コウェルズはひくりと口元をひくつかせた。
「…私もでしょうか?」
「我等が愚弟の行いを最初にきちんと咎めなかった時点で同罪だ。仕事熱心なミモザとフェントに感謝しておけ。ファントムのせいで慌ただしいエル・フェアリアの為に二時間で済ませてやるからな」
 時間宣言までされて退路を断たれたコウェルズとヴァルツは、互いに顔を見合わせて静かに絶望を噛み締めることしかできなかった。

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