第11話


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 領兵達に彼は信頼できる知り合いだと告げ、場所を街の外れに移動したのが少し前だ。
 石畳ではなく青々と茂った芝生の上に二人並んで腰を下ろした。領兵達は少し離れたところから、護衛の為に散らばって待機してくれている。
 アリアが大丈夫と言ったが、完全には信用していないのだろう。警戒の視線が無遠慮に彼に向けられていた。
 ととさん。
 アリアはそう呼んだが、彼の名前は知らない。恐らく兄も知らないはずだ。
 背は高く、程よく筋肉質で、さらりと長い髪は銀に輝いて美しいが、アリアとは少し色合いが違う。今は仮面をつけているが、顔立ちも美しかった記憶がある。
 二人で並んですぐに聞かされたのは、今のアリアの現状だった。
 兄からの手紙でわずかに説明されただけでほとんど何も知らされていないアリアを安心させる為か、治癒魔術師という存在の重要さを教えられた。
 兄も知らなかった、国に保護されるべき魔力。それが知れた為に、アリアは王城に召喚されることになったのだと。
 どうして彼がそんなことを知っているのかは不思議には思わなかった。
 彼はいつだって何でも知っているのだ。
 アリアと彼の交流は6歳の時に止まってしまったが、不思議な魅力を持つ彼なら何だって知っているし、何だって出来るのだと当時から今まで変わらず思っていた。
 年齢もわからないが、両親より少し若い程度のはずだと勝手に想像している。だが仮面でくぐもっているとはいえ、彼の声は昔と変わらない響きをしていた。
 ずっと会っていない兄も、成長した今は彼のようになっているのだろうか。
「なんで今まで連絡くれなかったの?兄さんにも会ってないんでしょ?」
 彼からひと通りの自分を取り巻く現状を伝えられて、頭の中で何とか整理をつけてから、ようやくアリアも訊ねたいことを口にした。
 拗ねるような声になってしまったのが自分でもわかる。手持ち無沙汰になった利き手を芝生に滑らせているとチクリと手のひらがわずかに痛み、枝で少し切ったのだと気付いた。そして何の気もなく自身の治癒魔術で薄い傷を癒して。
 この力が国を動かすほど重要なものだなんて知らなかった。父親を救えないような無意味な力なのに。
「…会ってはいない。だが居場所は知っている」
 やはり、彼は何でも知っているのだ。
「騎士になったと聞いた。父として誇らしいかぎりだ」
 父として。
 兄は、ニコルは、彼の子供だった。
 アリアは違う。
 彼とは血は繋がってない。
 昔から違和感などなかった二人の父と一人の母親。しかし村では異質扱いを受け、父親違いと兄妹揃って苛められてきた。
 夫婦だったのは母親と、アリアの父親だ。
 彼はいつだってふらりと現れて、息子を眺めてからまた消えていくのだ。
 アリアは実父をお父さんと呼び、彼をととさんと呼んだ。兄は彼を親父と呼び、アリアの父を父さんと呼んだ。
 彼とアリアの父は確執など見せなかったこともあり、昔から家族を取り巻く環境に違和感を感じなかったのだろう。
 他者からすれば複雑な家庭環境だったのかもしれないが、母も父も彼も仲が良かったのでアリアからすれば父が二人もいると優越感ばかりだった。
 父が二人いるという事実がどういう事なのか理解した時も、きっと色々な状況があったんだと思えた。
 そしてもっと大切で重要な事実を知らされた時には、数日間悩まされたが、最終的にはただ受け入れるしかないのだと静かに胸にそれを抱き締めたのだ。
「…ととさん…どうしてお面を?」
 気になるといえば、やはり仮面だろう。顔全てを被い隠すような鉄の仮面。唯一瞳の部分だけが切れ長の形で開いているが。こんな仮面をつけているから領兵達が警戒するのだと思わせるほど違和感しかない。
「…酷い火傷を負ってしまったんだ。だから隠している」
 仮面の下を見せずに告げられて、思わず口元を手で被った。
 酷い火傷だなんて。あんなに綺麗な顔をしていたのに。
「ならあたしが治すよ!お母さんの遺してくれた本でずっと勉強してたから!!」
 アリアの魔力は病気には弱い。だが怪我や傷には広範囲に対応できた。身を乗り出しながら任せてほしいと願い出るが、彼は頭を撫でて「構わない」と告げるだけだ。
 アリアの力では不安だと暗に言われた気がして悲しかったが、彼はそれ以上の深入りは許さないとでも言うように仮面の奥で光る視線だけでアリアを止めた。
「それよりも首飾りだが」
 彼の方に傾けていた体を戻せば、手を優しく掴まれて開けられ、二つの首飾りがアリアの手元に戻る。
「ニコルは持って行かなかったのだな」
 寂しさの欠片も見せないいつも通りの声で。
 二つの首飾りは彼がくれたものだ。木箱は父親が作ってくれた。
「…家を出る時にお父さんが一つ持たせようとしたんだけど、兄さんがあたしに…」
 兄の出立の日の事だ。
 遠くの地方兵団に入ることになった兄に、アリアは行かないでと泣きすがった。
 その頃の兄は12歳という微妙な年頃だったせいか実父である彼を嫌っており、父が持っていけと渡した首飾りの片方を、いらないとアリアに投げつけたのだ。
 頭に血が上った様子だった。
 幼かったアリアはそんな兄の姿が怖くて余計に泣いてしまい、いたたまれなくなったのだろう、兄は逃げるように家を出てしまった。
 それ以降、手紙のやり取りだけは欠かさなかったが、会えない時間ばかり流れて。
 父が亡くなった時も、兄は戻らなかった。
「…これは共鳴石だ」
「共鳴石?」
 聞き慣れない単語に首をかしげる。
 深紅の石をつまんで光に透かしてみても、何の変哲もないただの色付きの古い石に見えるのに。
「そうだな…例えばニコルとアリアが互いにこれを首にかけたとして、ニコルの身に危険が訪れると、アリアの石に反応が現れる。その逆も。そして石に神経を集中させれば、互いの居場所も知れる」
 アリアの分かりやすいように説明してくれる彼が、石を右手と左手につまんで離し。
「二つともつけてしまったら、共鳴石が反応しすぎてしまう。だから気持ち悪くなる」
 二つを合わせた瞬間に、よく見れば石同士が小刻みに震えるのがわかった。
「そうだったんだ…どうりで付けにくいと思ってたの」
 今まで気付かなかった。まさか石そのものが震えていたなんて。
 だから二つ存在して、アリアと兄に持たせようとしてくれたのか。互いが安全でいることを知らせる為に。
「一つはニコルに渡してやってくれ。…母親が守護の祈りを籠めたものだ」
 彼の含みのある言い方に、アリアはただ静かに頷いた。
 守護の祈りを籠めた母親は、アリアの母親ではない。
「…やはり聞いたのだな」
「お父さんが話してくれた…死んじゃう前に…ほんとの兄妹じゃないって」
 三年前、父が亡くなる前に教えてくれた、重要な事実。
 アリアとニコルは兄妹ではないと。
 二人とも銀の髪だったから母に似たのだと、異父兄妹と信じていたアリアにとっては衝撃的すぎる事実で。
 幼い頃に母は死に、父親も長い闘病の末に命の灯火を消そうとしていた時に。もう家族は兄だけになるんだと思っていた矢先に。
 告げられた事実は重すぎた。
 ニコルは何らかの事情で彼からアリアの両親に託された子供だった。
 今ならそれでも兄妹だと思えるが、当時はそこまで視野を広げられるほどの余裕など心になくて、受け入れるのに時間がかかった。
 父が亡くなり、どれほど婚約者の胸で泣いたか。その婚約者も、もういなくなった。
 もし婚約者に捨てられたのが父が亡くなった時と被ってしまっていたら、今頃どうなっていたのだろうか。考えるだけ無駄だとわかりつつ、考えてしまうのは性分のようなもので。
「小さな時はよく父親違いって苛められたけど…ちっとも悔しくなんかなかったよ」
 村や街の子供達に追い立てられて、いつも守ってくれたのはニコルだった。
 喧嘩っ早くて、しかも負け無しで。
 それでも両親はニコルを叱った。怪我をさせるのはいけないことだと、我が子としてしっかり注意したのだ。
「お父さんは二人とも、私達を愛してくれたもの。お母さんだって。きっと兄さんのほんとのお母さんも…」
 どんな事情があってニコルを手放したのかは知らない。でも共鳴石に祈りを籠めてくれたのだ。きっとニコルを手放したくなかったはずだ。
 大切に育てたかったはずなのだ。
「ととさん…一緒に王都に来てほしい…」
 恐らくニコルは兄妹ではないことを知らない。知ったらどう思うのか、今のニコルを知らないからアリアにもわからない。ただわかるのは、彼はニコルの父親であるという事実だけだ。
「…すまない」
 決心するように告げた願いだったが、受け入れてはもらえず。仮面越しの顔を見上げても、表情は見えなくて。
「あたしのお父さんとお母さんは死んじゃったけど…ととさんは兄さんと血が繋がった家族なんだよ。親子なのに…」
「お前も私の娘だ。お前の父の今際に頼まれたよ。娘を頼むとな」
 頷いてくれるまで離さないつもりだったのに、すがる前にそんなことを言われたら、もう。
「…村に来てたなら…あたしのところにも来てよぉっ」
 ボロボロと溢れ出る涙が止まらない。散々放ったらかしにしておいて、こんなところで村に来ていた事実を告げるなど。
 それも、亡くなった父と話していたなんて。
「…つらい思いを沢山味わったな」
 きっと彼には全てお見通しなのだ。
 父の死後、村の決まりでほとんどの家財を奪われたアリアの悲しみを。
 婚約者に裏切られてから次々に巻き起こる地獄の日々を。
 どれほど苦しかったことか。
 どれほど泣いたことか。
「…もう一人は嫌だよ…」
 彼の袖を掴んで、何度も何度も目元をこする。涙は止まらない。ここまで泣くなんて。一生分の涙はとうの昔に出尽くしたと思っていたのに。
「王城についても…また違う苦しみを味わうことになる。…私と来るか?」
 彼はいつだって何でも知っていた。
 違う苦しみ?
 今まで散々苦しかったのに、それとはまた別の苦しみとはどれほどのものだというのだ。今まで以上の苦しみがあるというのか。
 考えて、少し怖くなって。
「あの場所は平民を嫌う。良い扱いは受けないだろう。ニコルも同じだ」
 平民というだけで虐げられてきたニコル。きっとアリアにも同じことが起きる。しかし平民というだけで虐げられる程度なら、もはや気にもならないはずだ。
「…その苦しみの中で兄さんは頑張ってきたんでしょう?」
 落涙は量を減らしていた。もうじき涙は止まるのだろう。
「ニコルはそれを承諾の上で騎士となった。お前とは違う」
「…ううん。兄さんといる」
 それは強く芽生えた決意だった。
 兄と、ニコルといたい。
「ととさんがあたしのことも気にかけてくれたので充分」
 彼が一緒に来てくれないだろうことはわかった。なら、娘だと言ってくれただけで充分だ。
 家族はまだいる。兄と、彼が。
「…王都でも会える?」
「ああ。必ず」
 最後の涙を拭ってくれた大きな手に両手を添える。
 いつだってアリアやニコルからは会いにいけない人だったが、この不思議な人は、きっとアリアとニコルを影で見ていてくれるはずだ。
「…行ってきます」
 ようやく笑えて。
 最後の言葉はさよならじゃなくて。
 別れのプレゼントのように強めに頭を撫でられて。手が離れて顔を上げた時にはもう、彼の姿は見えなかった。

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 王城のエルザの部屋の前に集まっていたエルザの護衛達は、ガウェから説明された頼み事に、口元を引きつらせた。
 こんな時にそれを決めるなんてと誰もが思った。だが決めなければ、事態は近く収拾がつかなくなる。
「…正気かよ」
「勿論」
 疑うように呟いたクラークに言葉を被せれば、隊長のイストワールにもどこか納得のいかないような視線を向けられて。
「…お前はそれでいいのか?」
 そんなことを聞いて何になるのだ。ガウェだって、このままでいられるならと何度も考えたのに。
「…いつまでもこのままではいられない。早く決断しなかった私の責任です」
 決心は砕けさせてはならない。
 ファントムの噂でただでさえ動揺する王城。その裏側から別の形でさらに揺るがせるなど。
「…わかった」
 静かに頷いたイストワールに、いつまでもこのままではいられない現実に、唇を噛みながら未来を案じることしか出来なかった。

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 領兵達に守られながらアリアが馬車に乗り込み出発するのを、木の幹に背を預けながら眺めていた。
 領兵達は未だに仮面の男を探している。
 実力も実績も申し分無い地方領兵達。だが彼から見れば滑稽な存在でしかない。
「フラれてんじゃんか」
 彼の背後から姿を見せるのは、闇色の青い髪と瞳を持ったウインドだ。
 恋人のエレッテから離されて不満げなウインドは八つ当たりをするように、アリアに共に来ることを断られた彼に挑発してみせる。
「目的はそれではない。これでいい」
「…ふーん?つまんねぇの…」
 だが彼が欲しかった答えがそれでないことに気付いて、むくれてそっぽを向く。
 アリアを乗せた一団が去るのを眺めてから顔を被っていた鉄の仮面を外し、彼は自分の髪にかけていた魔力を解いた。
 銀の髪が魔力の風にさらされ、闇色の赤に色付いていく。
 まるで夜の闇に流れる血のように禍々しい闇色に変わった髪の方が、ウインドの目には慣れ親しんでいるだろう。
 仮面の下の瞳も闇色の赤に変わり、アリアには酷い火傷だと告げた顔には傷など一つも見当たらない。どころか、年齢もニコルより数歳年上なだけに見えた。
 この上なく美しい容姿。
 だが闇夜の血溜まりのような禍々しい赤が彼を恐ろしく彩る。
「王城の結界が緩まる時期がわかったって連絡来たぜ。まだしばらく先だとよ」
 ウインドの報告を聞いているのかいないのか、彼は静かに過ぎ去ったアリアを眺めて。
「もういいだろ?行こうぜ、ファントム」
 少しもじっとしていられないウインドにせっつかれて、ファントムはようやく木の幹から体を離した。

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 平民であれ貴族であれ王族であれ、平等なものはあると教えてくれた人がいる。
 それは流れる時の速度。
 幸せや不幸せは関係などなく、ただ時の速度だけは等しく一定を保つのだそうだ。
 どれだけ苦しくても。
 どれだけ心待ちにしても。
 流れる時の速度だけは誰にも操れない。

 夕食にも顔を見せなかったエルザを心配して部屋を訪れたコウェルズが見たものは、明かりも付けずにベッドに伏せる、失恋した妹の姿だった。
「玉砕覚悟じゃなかったのかい?」
 己の魔力で部屋に明かりを灯し、薄闇の中を進む。
 まるで遺品にすがる幼子のようにニコルの手袋を胸に抱いて、背中を丸めて横になっている姿に呆れるようにため息をつきながらエルザのベッドに腰を下ろした。
「…愛は素晴らしいものだとしか…聞いていませんでしたわ」
「…母上の言葉だね」
 王家の娘として大切に育ったエルザは、この世界に失恋などという悲しいものが存在するなど思ってもみなかったのだろう。
 愛の告白をして、見事に玉砕した。
「…こんなにも苦しいものだなんて…教えてくださらなかった」
 拗ねるように更に体を丸めて、抱き締めたニコルの手袋に唇を寄せて。
 王族の求愛を断るなど、世が世ならニコルは断頭台の主賓となっただろう。
 現代のエル・フェアリアに生まれたことを感謝するべきだ。そのお陰でニコルの罰は王族付きの仲間達からの愛に溢れた制裁だけで済むのだから。
「…それで、もういいの?」
 失恋したといっても、どうせニコルがエルザを拒んだ理由は知れている。
 エルザが治癒魔術師となる為に訓練に励んでいることは知っているし、ニコルの方も特定の女性がいないことは調べてある。ニコルの魔力の質は魅力的なので、王家の特殊な魔力を保存する為に使えたなら万々歳なのだ。ニコルの妹が治癒魔術師であるなら尚更。
 それを念頭にはさみつつ、一番はやはり妹に笑っていてほしいということで。
「もう諦められるの?」
 幼い頃にガウェを慕っていたものとは違う、本物の恋だったはずだ。簡単に諦めが付くような気持ちのはずがない。
「だって…嫌われていたなんて…」
 涙声になった為に聞き取り辛く、思わず考え込んでしまった。
「え…嫌われてたって…ニコルに?」
「っ…何度も言わせないで下さいませぇっ!!」
「うわ!そんなつもりで言ったわけじゃないから!ごめんね!!」
 今度こそエルザが完全に泣く。
 背中を向けて薄い布団にくるまるエルザの肩を揺さぶっても、何か言っているが泣きすぎて何と言っているのかわからない。
 とりあえずちぐはぐながら聞き取れたエルザの言葉をパズルのように組み立てて、嫌われてることがわかったのに今更顔を合わせられない、という内容だと理解できた。
「断られたからって“嫌い”ってことにはならないよ」
 子供のようにつっかえつっかえ泣きじゃくるエルザの背中を撫でさすりながら、誤解を解くために奔走する。
 大国の王子にここまでフォローさせるなんてと少しニコルを恨みつつ、単純故に顔をこちらに向けたエルザに笑顔を向けて。
「ニコルがエルザの思いに答えられないのも当然だろう?君はお姫様で、ニコルは騎士といえど平民なんだから」
「…でも…治癒魔術師を、目指すって…王位継承権を返上しますって…ニコルに伝えましたのにっ…」
「先のわからない未来の話だよね?君はまだお姫様なんだよ。真面目なニコルがそれを頭から離すはずが無いだろう?」
 嫌われてなんかないんだよと伝えれば、そう信じたいのかそう気付いたのか、エルザはモソモソと体を起こしてコウェルズに向き直る。
「色々調べたけど、今のニコルに恋仲の娘はいないみたいだし」
 更にコウェルズを見上げてくる辺り、エルザは妹達の中でも一番わかりやすい性格だ。
「エル・フェアリアの王族がこんなに早く諦めるなんて、歴代の陛下達に顔向け出来ないよ?もっといっぱい計算して、ニコルが断りきれない状況を作ってから告白しないと」
 自分で言っておいてなかなか最低な発言だなぁと思ってしまったことは心の隅にでも置いておく。
「…でも、どうすればいいのかなんて…」
 また少し俯いたエルザに、持ってきていた書物を渡す。
 分厚いその書物は、エル・フェアリアの文字ではなくイリュエノッドの文字が刻まれている。
「…これは」
 内容に気付いたエルザが驚きの声を上げた。
「イリュエノッドの治癒魔術師達がエルザの訓練の為に書き記してくれたものだよ」
 治癒魔術を会得する為の大切な教本。中身は全て手書きの、この世に一冊だけの書物だ。
「みんな動き始めてる。自分のできることをする為に。…大切な人の幸せの為に。エルザの恋は本当に終わったの?報われないから終わらせられるの?」
 まだ戸惑うように視線を泳がせてはいるが、もう先程までのようにただ伏せるだけのエルザはいない。
「昔、ガウェの為に行動した事があるよね。ガウェはそれを覚えてくれていたよ。今度はガウェがエルザの為に…そして仲間のニコルの為に動こうとしてる」
 五年前、リーンを亡くして狂ったガウェを、エルザは力になろうと手を尽くした。
「手伝ってくれないかい?ニコルの為に。これはエルザにしか頼めないことなんだ」
 にっこり微笑めば、エルザは戸惑いを隠さず不安そうに見上げて。
 しかしやがて決心したように強く頷いた。
 それでいい。
 それでこそ、エル・フェアリアの王族だ。
 姿勢を整えるエルザに、コウェルズは静かな口調で今後の動きを語って聞かせた。

第11話 終
 
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