第11話
第11話
平民であれ貴族であれ王族であれ、平等なものはあると教えてくれた人がいる。
それは流れる時の速度。
命の長さは関係などなく、ただ時の速度だけは等しく一定を保つのだそうだ。
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太陽が地上を照らし始めて数時間が経っただろうか。
ニコルが王城最上階の露台でフレイムローズや魔術師達と共に簡単な食事を済ませ終えた頃に、コウェルズ王子はやって来た。
両サイドには騎士団長クルーガーと魔術師団長リナトがおり、その数歩後ろにコウェルズ王子付きが二人。
物々しい雰囲気を醸し出す周りとは裏腹に中央のコウェルズは涼しげだ。見た目こそ優男だが、王族でありながら剣武に精通しており実力もある。同じく武術を好む第三姫クレアとの違いは、コウェルズは趣味の範囲などでなく実戦を想定して騎士達と同じ訓練を受けている所だろう。
ニコルも何度か手合わせしたことがあるが、なかなか楽しませてくれた実力者だった。
「やあ、フレイムローズ、ニコル」
「コウェルズ様ぁ!!」
フレイムローズは元々コウェルズ王子の王族付きである為に、ようやく会えて落涙しそうになっている。
今にも動き出しそうな勢いに慌てたのは魔術師達だ。魔眼蝶での王城監視がある為に動けないが、それが無ければ確実に抱きついていただろう。
昨日の昼から今まで微動だにせず立ち続けているのでふらふらのはずだが、コウェルズが来てくれたお陰で疲れも吹き飛んだ様子だった。
ニコルも静かに頭を下げる。昨夜のエルザとの件もあり、クルーガーには目を向けられなかった。
ニコルがエルザの王族付きである証の手袋を勝手に返した件は伝えられているはずだ。コウェルズの合図を待ってから頭を上げても、視線は落としたままにした。
コウェルズが隣のクルーガーとリナトに待つよう指示して、優雅な足取りでフレイムローズの元まで歩み寄る。
「昨日会いに来れなくて悪かったね。君の休憩の時に私も時間を取るから、積もる話はお互い少しお預けにしようね」
「うぅ…はい」
フレイムローズの肩にそっと手を置いて、申し訳なさそうに眉尻を下げて。
フレイムローズは口をへの字に曲げて少し不服そうな様子を見せるが、ぺこ、と頭を下げて一応了承してみせた。
「ありがとう。ニコルは一緒に来てくれるかな?」
「はい」
用件を済ませたコウェルズはニコルについてくるよう促して露台を後にしようと歩き始め、数歩進んだ先で思い出したように足を止める。
「フレイムローズ、聞き耳を立ててはいけないよ」
「…はい」
釘を刺したのは、これから話される内容について隠しておきたいということだろうか。
フレイムローズの魔眼蝶が聴覚も働かせると知っているということは、やはりフレイムローズに訓練を課したのはコウェルズか。
いずれエル・フェアリアを背負い立つコウェルズは父親のデルグ王に似ず聡明で、七姫達と同じように美しい。
国内外でも人気は高く、すぐにでも王位に就くべきだとの声はどこにいても耳にするほどだ。
小さな頃から他国王家と上手い付き合い方をしているので他国からの信頼も厚い。人当たりも良く、疎まれることなどまず無いはずだ。
そんな王子と露台から王城内に入り、開けた踊り場で足を止める。
「エルザに姫付きの手袋を返したそうだね」
単刀直入に言われて、一瞬動揺してしまった。
コウェルズは穏やかな笑顔のままで、ニコルより年下だとは思えないほど落ち着いている。だが折れる事は出来ない。昨夜のエルザの告白を聞いてしまったから、尚更。
「勝手なことをして申し訳なく思っております」
守るべき国の宝を手前勝手に突き放した。それほどの理由がニコルの中にはある。
「しかし意志は揺るがないか」
「はい」
訊ねられても、譲れない意志で決めたことだ。騎士団を、王城を追放されようとも構わないほどの意志で。
コウェルズはどういう判断を下すのか。
静かに待った返答は、昨日のフレイムローズから聞いていたというのに驚いてしまった。
「妹君の護衛の件だが、私は構わないと考えているんだよ」
にっこりと微笑んで、親指を立てそうな勢いで。
「コウェルズ様!」
「魔術師団長のリナトも同じ考えの様だしね」
咎めるようなクルーガーの強い声もいとも簡単に受け流して、呆然としているニコルには苦笑してみせて。
勝手に手袋まで返して、もはや誰からの理解も得られないと思っていたのに。
何と言葉を返せばいいのかもわからず呆けていれば、熱くなっているクルーガーとは正反対の落ち着いた様子を見せる魔術師団長のリナトが口を開いた。
「治癒魔術師に護衛を付けるのはどこの国でもしていることです。我々魔術師団も、最低三人は騎士団から融通していただきたいと考えておりました」
「それがニコルである必要はありません。ニコルには既にエルザ様をお守りする役目があるのです」
すぐに噛み付くクルーガーをリナトは睨みつけて、年を感じさせぬ喧嘩を始めそうな雰囲気が漂い始める。
この老兵二人が喧嘩を始めたら城が壊れる。慌てたのはニコルと、コウェルズ王子付きの二人の騎士だ。
「クルーガー、君がニコルを心配していることはわかっている」
不穏な空気の間に挟まれているというのに涼しげなコウェルズが、クルーガーの心情を言い当てた。
眉根を寄せたのはニコルだ。
心配?俺を?
どうしてそうなるのかわからないニコルに、コウェルズは説明を付け足してくれる。
「王族付きであるということは、それだけで騎士の誇りだからね。実力が無ければ選ばれない。王城騎士が何を言おうが、実力も階級も上の王族付き騎士には戯れ言だ」
それはニコルもよく理解しているが。
「王族付き騎士であるということが、ニコルを守る最大の盾だった。しかし治癒魔術師の護衛に回れば…階級上は降格だ」
「そんなもの、私は一向に構いません」
その程度で折れるような柔な根性ではない。だがクルーガーは心配してくれていたというのか。
「…わかっているよ。私だって、妹達には笑っていてほしい」
「--っ…」
妹。
ニコルに妹がいるように。
「エルザから話は聞いた。…君の選択を否定はしないよ」
いったいどこまで話を聞いたのだろうか。
まさか告白をしたことまで話してしまったのかとも考えて、クルーガーや他の騎士がいる手前、聞くわけにもいかなかった。
「…肯定もされないのですね」
エルザではなく妹の安全を選んだニコルを、コウェルズは否定も肯定もしない。してくれないと言うべきなのだろうか。
「言っただろう。私も妹達には笑っていてほしいと。…正直なところ、何が正しいのかは私にもわからないのだけれど」
少し困り顔になるコウェルズは、その表情のままクルーガーに向き直った。
「クルーガー、ニコルの意志を尊重してやってほしい。我々の勝手で時間も与えず無理矢理妹君を巻き込んだんだ。それくらいの譲歩はしなければ」
王子に言われてしまえば、クルーガーも否とは言えなくなるだろう。案の定仏頂面で口を閉じたクルーガーに、コウェルズはまた苦笑いを浮かべて。
「そうしないと、ニコルは妹君を連れて城を後にするだろうからね」
「…そんな」
万が一の結論には、さすがに驚きを隠せないように声を漏らした。
そんなこと有り得ないとでも言いたそうに。だがニコルはそれを選べる。考えていたことなのだから。
動揺した眼差しでニコルをちらりと見やったクルーガーは、その選択については考えもしなかったのだろう。
「私ならするよ。恐ろしいと思う場所に大切な妹を一人にはさせられない。君だって愛する妻や子供、孫達が虐げられるとわかったら救い出すだろ?それとも国の為ならと見殺しにするのかい?」
クルーガーは言葉にならない様子だった。
そこまで考えていなかったのは、やはり治癒魔術師という希少価値の高さ故か。
狼狽えているわけではないが目に見えて消沈してしまったクルーガーに、怒りではないもどかしさを感じる。
騎士達の頂点に立つクルーガーが、たかが一人の騎士にここまで心を割いてくれていたのかと、ようやく。
静かになってしまったクルーガーから目を離して、コウェルズはもう一度ニコルを見据えた。
「だがニコル…もし君が、妹君は王城でも安全だと思えたら…再びエルザの元に戻ってほしい」
返事ができなかったのは、コウェルズがどういう意味でエルザの元に戻れと告げたのかがわからなかったからで。
「騎士として、ね」
ゆっくりと付け足された言葉に、コウェルズは全て知っていると気付いた。
「…はい」
短い返事だけをして、再び視線を落とす。婚約者がいないとはいえ、大国の姫が平民に愛を告げた事実をどう受け取っているのか。それだけ見ても、ニコルは王城を追放されてしまう可能性があるというのに。
クルーガーが静かになった所で、またリナトが口を開いた。
「ニコル殿、君の推薦があるならあと数名、治癒魔術師を護衛する騎士の名を挙げてほしいのですが」
さすがに考えてもいなかった提案に首をかしげてしまう。
治癒魔術師、妹の護衛を任せられる騎士と急に言われても。
「すぐにとは言いません。こちらでも話し合いは続きますし、推薦はいるならの話です。ゆっくり考えておいてください」
「…はい」
返答を急がない旨を伝えられて、ようやく肩の力を抜く。今ニコルに告げておきたい内容はそれで全てだった様子で、後は小さな件を二つ三つ話してから、コウェルズは政務へと戻っていった。
まだ実感は湧かない。
だがアリアの護衛に付けるという事実が、ようやく凝り固まった胸の内をほどいていった。
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