第10話


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 夕方になり、普段なら多くの騎士達が出迎えるコウェルズ王子の帰還は異様なほど静かに行われ、王子も休む事なくファントムの噂と城内での対応を知るために政務棟に入った。
 ファントムの噂は相も変わらず、七姫の誰が狙われているのか知れず。
 そして昨日見つかった治癒魔術師の件が報告されることになった。
 治癒魔術師についてどのような話し合いが行われているのか、ニコルには知るよしもない。王城上階の露台を訪れてフレイムローズと監視の魔術師達に簡単な説明をし、自分もフレイムローズの隣に立って。
 これといってすることは無いと思われたが、フレイムローズは一日を過ぎるとひどく消耗するらしく、万が一倒れかけた時に支える為に近くにいた。
 魔術師なら二、三人はフレイムローズを支えるのに必要になるかもしれないが、ニコルなら一人で充分だ。
「--ニコルの良いようにしてくれるみたいだよ」
 太陽が完全に沈みきった時に、ふいにフレイムローズは小さく呟いた。最初は何の事だかわからず、だがすぐに妹の件だと気付く。
「…わかるのか?」
「うん…魔眼蝶は声も俺に通すから。…俺の知らない情報が多すぎてちょっと気持ち悪いけど…」
 驚いたのは、魔眼蝶は視覚しかないと思っていたからだ。
 声まで。それはいったい、フレイムローズがどれほど訓練した結果だというのか。
「…大変だな」
「全部盗み聞きしてるわけじゃないよ。…そんなことしてたら、すぐに倒れる」
 ニコルの労いをどう解釈したのかフレイムローズは誤解を解くように慌てる。
 それでも、その気になれば王城中の秘め事が全てフレイムローズの手中に集まるのだろう。
 そしてふと脳裏に浮かんだ姫を思い返す。
「…エルザ様がどうしてるか、わかるか?」
 エルザの姫付きから外れたいと告げた場面に彼女は遭遇していたのだ。妹の方が優先順位が高いとしても、長く仕えた姫の涙は心臓に悪い。
「わかるけど…聞いてどうするの?」
 フレイムローズの返答はどこか冷たくて、それが未だにエルザが泣いているのだという事実を伝えた。
 酔った勢いとはいえ、ニコルに己の将来を告げてくれたエルザ。長く姿を見ていない妹と同じ歳だからか、よく存在が被った。
 無言になるニコルに、ねえ、とフレイムローズが気遣わしげに話しかけて。
「今の王城内で、ニコルの気持ちを汲んでくれる人は少ないよ。主要な人達はみんな治癒魔術師を心待ちにしていたし…正直言ってほとんどみんなニコルの不安なんて気にも留めてない」
 そんなこと、言われなくても気付いている。杞憂だ有り得ないと、意識の高い者達は一笑する。
 彼らは気付いていないのだ。自分達のように人の上に立つ存在が、下にいる者達よりどれほど少ないか。
 全員が全員誇り高い意識を持っていたなら…それこそ民を束ねる王家すら必要は無くなる。フレイムローズの言葉はそのまま聞き流そうとして、だが引っ掛かりを見つけて静かに問うた。
「…少しはいるのか」
 ほとんどみんなニコルの不安なんて気にも留めてない。フレイムローズの言葉は、全員とは言わなかった。
 心当たりはある。昨日の荒れたニコルに付き合ってくれたイストワール隊長に、エルザもそうだろう。
 知っておきたかったのは、無意識に心の支えを探したからだ。
 誰が?
 すがるようにフレイムローズの横顔を見つめれば、出された名前は予想外の人物で。
「…セクトルが一番気にしてる。どうしてだろ…」
 セクトル。
 昨日、団長にニコルの妹の存在を明かした親しい友。
 レイトルと共にニコルの腕を引っ張って、ニコルが妹を呼びたくない理由を理解しながら、団長に告げてしまった。
“すまん。だがこればかりは黙っていられない”
 感情の探しづらいセクトルは、ニコルよりもガウェよりも冷徹に国に従うだろう。
「ああ…妹のことを団長に話したのはセクトルなんだ」
 どうなるかはニコルよりもわかっていたはずだ。なのに、団長に話しておきながら、現在の王城でニコル以外で一番妹を思ってくれるのがセクトルだとは。
 それ以上は聞きたくないと口を閉じれば、フレイムローズも同じように静かになった。
 やがて月が顔を出して夜空がほのかに明るくなった時に、フレイムローズはまた静かに口を開いた。
「…ねえ、俺いま、いろんな情報がわかるよ。…ニコルが知りたいなら、教えてあげられる」
 いろんな情報とは。
 団長達の話し合いのことなのか、それとも。
「…今はいい」
 聞きたくなかったのはなぜだろう。
 知ればアリアをより守れるかもしれないのに。
「そう。聞きたいことがあったら言ってね。話せる範囲なら、力になれるから」
「お前に心配されると不安になるな…何が見えてんだ」
 普段は心配させる側のフレイムローズに心配されて、思わず笑ってしまった。だが。
「…ニコルの不安、的中しそうだから」
 なんて爆弾を告げるのだ。
「俺が聞いた中には命の危険まではないけど。…今のところはだけど」
「…そうか」
 それはつまり、ニコルを蔑むようにアリアを蔑むということか。
 平民というだけで。貧しいというだけで。
 この世界にどれほどの貧困層がいるのかも知らずに、生まれだけで自分達は美しいとのたまうのか。
「こうやって王城中を監視してたら…見たくないものも見えちゃうんだね」
 怯えるような、笑うしかないとでも言うような。
「人って怖いね」
「…魔眼持ちもつらいな」
 いったいフレイムローズにはどこまで見えているというのだ。魔眼蝶は人の内面までもフレイムローズに見せるというのか。
「でもこの目のおかげでコウェルズ様達を守れてるんだって感じるから」
 健気に笑うフレイムローズは、汚れを知っても綺麗なままでいられるのだろう。純粋無垢なままで。
「さっき、エルザ様がどうしてるか聞いたよね?…部屋で泣いてるよ。ずっと泣いてる」
 純粋な姿は、眩しすぎてニコルには耐えられない。今ここでエルザの現在を告げるのも、他意など無いのだ。
 それはフレイムローズも、見たこともないアリアよりエルザを心配している証拠だ。
 唇を噛んだニコルに、フレイムローズは言葉を止めはしなかった。
「…ねえ、ニコルが望むなら」
「やめてくれ…お前まで…」
 なんてことを言おうとするのだ。
 昨夜のガウェのように、フレイムローズまで。
「自分の立場はわきまえている」
「…わかってないよ…ニコルは…」
 エルザを思うなら、エルザを選べと。
「…俺がどれだけ妹を守りたいか…お前らもわからないだろ…」
 それ以上に妹を思っているというのに。
 吐き捨てるように静かに当たって、それ以降は互いに口を開かなかった。

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