第10話


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 話す場所を中庭の一角に移したニコルとクルーガーの対話は、打開案が見つからずどこまでも平行線を辿っていた。
 妹の護衛に回りたいニコルと、エルザの王族付きから離すつもりのないクルーガーと。
 ファントムの件があるからこそ姫の安全を強固にする為に候補まで立てたことはわかっている。だがそれとこれとは話が別なのだ。
「--何度も言っただろう。お前を姫付きから外すつもりはない」
「なら誰が妹を守るのです?」
 何度となく繰り返された押し問答。
 クルーガーは治癒魔術師という重要な存在を神格化して、それに仇なす騎士などいるはずがないと思っているのだ。なんて高尚で愚かな思考だろうか。そんな頭の貴族ばかりだったなら、ニコルだってここまで噛みつきはしなかった。
 自分が今までされてきた嫌がらせの数々を覚えている。耐え抜いたのは、自分で決めた道だからだ。
「…正式に治癒魔術師として迎えたなら、妹君は魔術師団に委ねることになる。護衛は付けられるだろうが、騎士団が口を出す事は出来ん」
 そしてそれも、何度説明されてもニコルが納得出来ないもののひとつだった。
 魔術師団の魔力を侮るわけではないが、物理的な力の前では魔術師は騎士には敵わない。だからこそ王族の護衛は騎士の管轄なのだ。
 他国でも治癒魔術師を守る為に騎士や兵士が付けられているという。エル・フェアリアではそれをしないつもりなのか。
 同じところを何度となく回り続ける対話に、ニコルはようやく今朝の出来事を口にする決心がついた。それを口にすれば自分自身の怒りの歯止めが利かなくなるとわかっていたが、もう止められない。
「…今朝、妹から伝達鳥が届きました。私の名を使い呼び出したあげく、その後は干渉せずとは無責任ではありませんか?」
 ニコルの知らない中型の伝達鳥は、今までの妹からの手紙では有り得ないような上等な紙が使われていた。それは妹が兵士達に連れられていることを物語っており、文面には不安ばかりが最初から最期まで綴られていた。
「何と送り返したんだ?」
「…簡単な説明と…不安がっていましたので心配はないと嘘を付きましたよ!」
 説明を求めても“王城で”とはぐらかされ、何かにつけて“治癒魔術師様”などとわけのわからない名前で呼ばれたと。
 高価な紙の端には水に濡れて乾燥した跡があり、妹が泣いていたことにも気付いた。
 せめて時間さえあれば、せめてニコルから最初に説明する機会があれば、泣かせずに済んだのに。そしてその時間も機会もあったはずなのだ。
 勝手に急かして不安がらせて。
 泣かせる為に呼び寄せたというのか。
「それでいい」
 ニコルが今朝送り返した伝達鳥の手紙の内容に、クルーガーはそれだけを呟いた。
 あまりのことに言葉が出ない。
 それでいい?それ以外に何があったというのだ。
「っ…あなたは…国の為なら小さな犠牲など切り捨てられるのですね」
 尊敬していたはずの団長が、今はひどく憎かった。
 何もわかっていない、理解しようともしない目の前の男が憎い。
「…あなたには他人事なのでしょうが、私には大切な肉親の危機なのです!こればかりは他人に委ねることは出来ません」
 両親は死んだ。婚約者だったはずの男も消え去った。そんな妹に残されているのは、自分と--。
「…魔術師団長にお話しして参ります。…魔術師団長が認めて下さったなら、私をエルザ様付きから外していただけますね」
 出来るかぎり冷静でいられるよう静かに語り、クルーガーを睨み付けた。
 しかしクルーガーは何か語ろうとはしたが、はっと息を止めて、ニコルの後ろを凝視したまま動かなくなる。
 何なのだとニコルも振り向けば、護衛を連れたエルザが表情を強張らせながらニコルを見ていて。
「…すぐに決断は出せん。この話はもう終わりだ」
 取り繕うようなクルーガーの声は耳には入らなかった。
 あのエルザの表情を知っている。
 何度となく目にしてきた表情。
 泣く寸前の。昨日も見た表情。
 エルザは俯き、我慢する様子を見せたが、やはり無理だったようだ。
 頬にいく筋もの涙を流して、走り去っていく。
 だが追うという選択は頭にはなかった。今はそれよりも大切な事がある。
「--エルザ様を頼む」
 護衛の騎士の一人が魔術師に告げれば、三人の魔術師達は小さく頷いてエルザの後を追った。
 騎士は二人とも残り、射殺すような憤怒の目でニコルを睨み付けてくる。
「どういう事だ、ニコル!」
 血の気の多い一人が無遠慮に近付いて、ニコルの胸ぐらを掴んだ。
「やめろ、クラーク。セシルと共に護衛に戻れ」
 クルーガーに止められても、クラークは掴んだ手を離しはしなかった。ひたすらニコルを睨み付け、強く歯を軋ませている。
「エルザ様の御気持ちを汲むのも我々の仕事です。エルザ様の姫付きを外れたいなど…なんて愚かな」
 魔術師達に指示を出したセシルも静かではあるが怒りを隠さないまま近付いてきた。
 二人とも、ニコルと同隊の仲間だ。
 どちらもニコルより長くエルザの護衛として側にいた。
「理由は何だ!?何が不満なんだ!!」
 クラークに強く揺さぶられたが、ニコルはそれを止めはしなかった。二人が激しく怒るほどのことを言ったという自覚はある。
「不満などありません。…ただ、エルザ様以上に守るべき者がいるのです」
「そんな奴がいるか!!誰だ!!」
 王族付きにとって、最も守るべき存在は護衛対象の王族だ。
 特に、長く一人の姫に仕えれば、それだけ愛着に似た感情さえ湧く。
 それでもニコルには、エルザより大切な者がいるのだ。
「…妹、か」
「…はい」
 セシルの呟きは責めるよりも諦めの方が強く、わずかにニコルの気持ちを傾がせる。
「妹?」
「ニコルの妹君に治癒の力が備わっていることが知れた。すでに王城に呼び寄せている」
 クルーガーに説明されても、クラークには理解し難い様子だった。
「治癒魔術師…それがなぜニコルがエルザ様の姫付きから外れることになるのですか?」
 クラークが説明をもっと聞こうとクルーガーに向き直ると同時にわずかに緩んだ胸ぐらの手を掴んで離させる。
「妹に私と同じ思いをさせない為です」
「はぁ?」
 理解などされないとわかっている。
 ニコルは誰にも助けを求めなかった。それは誰もニコルの受けた苦しみを知らないのと同じだ。
 知らないことを理解しろと。
 今は自分にも、相手にも当てはまる。
 クラークの頭に血が上りきっていると見たのだろう、セシルがわずかにニコルとクラークの間に割って入った。
「昨日の騒ぎはイストワール隊長から聞いている。ニコルは妹の命も狙われるのではないかと心配のようだ」
「はあ!?命!?何だよそれ!!」
「王城の中には、平民を嫌う者がいるということだ」
 淡々と告げられる事実。平民騎士嫌いの貴族が多いことは皆充分に理解していた。ニコルを騎士団入りさせるか否かという議論だけで二年費やされたのだから。
「…だからって、平民だとしても治癒魔術師を狙うなんて馬鹿は」
「いないと言えますか?本当に…。たとえ命を狙うまでいかなくとも…平民だというだけで蔑む者も現れないと?」
「…貴族ばかりの王城に平民が来るんだ、それくらいの覚悟は出来ているだろう!お前だって昔そう言ってたはずだ!」
「私は覚悟を決め自ら選んで騎士となりました!!だが妹は違う!!未だに状況を説明されないまま、強制的にこちらに向かっているんです!!選ぶ道も時間も与えられないで!!」
「いい加減にしないか!!」
 ニコルとクラークの言い争いに、とうとうクルーガーが雷を落とした。
 訓練で扱かれた賜物か無意識にビクリと体を強張らせ、二人とも背筋を正してクルーガーに目を向ける。だがクルーガーの怒りはニコルだけに向けられていた。
「お前はエル・フェアリアに仕える騎士なのだ!!国を守ることが巡りめぐって家族を守ることに繋がるとなぜ思わん!?」
 頭上から叩き落とすような罵声に近い声量に唇を噛む。
 何の為に騎士になった?
 国の為に。
 そんなものの為に騎士になったわけではない。
 でも。
「…妹が、村で幸せに暮らせたならそう思えました。しかし現実は違う。国の平和が妹の犠牲の上に成り立つことになるなら…俺はこの国を憎みます」
 いつの間にか、頭は冷たすぎるほどに冴えわたっていて。
 自分の声が他人のものに思えるほど抑揚が無かった。
 ニコルが騎士団入りするきっかけとなった人はもうこの世にはいない。
 なぜ今までその事実に頭を使わなかったのか。ニコルはもはやいつでも騎士を辞められるのだ。
 意地汚く騎士団に居座り続ける理由など、もうどこにも。
 その程度の場所が妹を傷付けるなど、許さない。
「ニコル…」
 ニコルの冷めた表情に、クルーガーとセシルは背筋に悪寒を走らせた。
 今のニコルなら本当に国を憎めるのだと直感したのだろう。
 身を守るようにセシルは一歩下がって、ニコルの表情までは見られなかったクラークでさえ、緊張するクルーガーとセシルに気付いて警戒してみせる。
「…少し頭を冷やす時間が必要な様だな…フレイムローズの手助けに回れ。妹君が王城に到着する時まで、行動は全てフレイムローズと共にせよ」
 数秒沈黙が続き、ようやく口を開いたクルーガーの命令にセシルとクラークが目を見開いた。
 ニコルはただ静かに受け入れて頭を下げるだけだ。
 どのみち今日もエルザを傷付けて普段通り護衛に当たれるとも思えないので丁度いい。ニコルには出来ても、エルザには耐えられないだろう。
「団長、それはさすがに…」
 フレイムローズと行動を共にするということは、二日間連続してただじっと同じ場所にいるだけになる。
 セシルが命令に不満を告げてくれたが、余計な世話だ。ニコルは以後誰とも目を合わせずに静かにその場を後にした。

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