第10話


第10話

 フレイムローズが操る魔眼蝶は王城敷地内から外には出られないはずだった。
 それは数千の魔眼蝶を操るフレイムローズに負担がかからないように魔術師団側が制限をつけた為だ。
 だがたった一匹程度なら、広大な王都内でも移動させられる。
 そのたった一匹の魔眼蝶は、王都を走るシンプルだが品の良い琥珀色の馬車に侵入し、その中で足を組み優雅にくつろいでいた金の髪の青年の前を羽ばたいた。
 青年は魔眼蝶に気付いて指先を差し出してくれる。 その指先に留まって、魔眼蝶は嬉しそうにじっと青年を見上げた。
「--迎えに来てくれると思っていたけど…それどころではないみたいだね」
 穏やかな口調で、青年は魔眼蝶に語りかけて。
「置いていってすまなかったね。引き続き頼むよ、フレイムローズ」
 労るように笑いかければ、魔眼蝶は青年の頬にすり寄り、ふわりと黒い魔力の霧を残して消え去った。
「ここまで魔眼を飛ばすなんて…」
「元気な証拠だよ。よかった」
 馬車に同乗した護衛部隊長があきれたように呟いて、青年はクスクスと品良く笑う。
 出発の時は風邪を引いてつらそうだったけど、体調が戻ったなら何よりだ。
 窓の外に見えるまだ遠い王城を見つめながら、青年・コウェルズは留守を任せた妹達に思いを馳せた。

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 王城上部、その露台で魔眼蝶による監視を続けるフレイムローズの少し後ろで、クルーガーは腕を組みながら虹色の結界のかかる王都を眺めていた。
 露台には他に魔術師達がフレイムローズのサポートに付いており、あまり深く関わりのないクルーガーの存在に少し戸惑っている様子だ。
「どうだ?」
「怪しい者はいません」
 普段の頼りないフレイムローズとは違い、感情の見えない冷めた声だった。
 魔眼を持つからこそ騎士団入りを果たしたフレイムローズ。本来なら魔術師団に入るところを騎士団に任されたのは、エル・フェアリア唯一の王子であるコウェルズの側にフレイムローズがいたがったせいだ。
 魔眼を持つが故に閉じ込められて育ったフレイムローズを、コウェルズは外の世界に連れ出した。
 幼少時、エル・フェアリアという概念すら持たなかったフレイムローズ。幼い彼が王城に訪れた時、フレイムローズの中には“家族”と“目を被う布を取ると怒られる”という概念しかなかった。
 コウェルズ王子はそこからフレイムローズに世界の広さと魔眼の操り方を教え、見事に魔眼の忠誠心を手に入れたのだ。
 当時14歳だったコウェルズ王子の手腕に、大戦時代にクルーガーが忠誠を誓ったロスト・ロード王子を重ねたのは言うまでもなかった。
「そうか。引き続き監視を頼む」
 魔眼は本来、他人の意志を自在に操る力だ。だというのにフレイムローズはコウェルズから出される課題を死に物狂いでこなし、それ以外の多くの力も手に入れた。
 魔眼を実体化させた魔眼蝶もその一つだ。
 おそらくフレイムローズは、過去にも存在したどの魔眼持ちよりも特殊なはずだ。
「了解しました…団長、後ろに」
 淡々としたフレイムローズの声が、わずかに不愉快そうに揺れる。
 装備の鎖を揺らしながら後ろに顔を向ければ、魔術師団のゆったりとしたローブとは異なる、動きやすさを重視したかのようなローブを纏った老いた男が薄ら笑いを浮かべながら近付いてくる所だった。
「よくお気付きで」
 拍手を送りかねない様子の男に、フレイムローズは嫌そうに無視を決め込んで。
「何用ですかな?ヨーシュカ魔術兵団長殿」
 エル・フェアリアを守る三団の一角を担う魔術兵団の長に、クルーガーはフレイムローズと彼の間に割り入るように体ごと向き直した。
「いやいや、フレイムローズ殿の働きっぷりを見ていただけですよ。実に素晴らしい」
「勧誘なら後日にしていただきたい。今は些末な事に時間を取られたくないのでな」
 物欲しそうな目でフレイムローズを見るヨーシュカを、フレイムローズは昔から嫌っている。
 ただでさえ今は王城敷地内の監視を頼んでいる最中なのだ。ヨーシュカの存在だけでフレイムローズの注意力を削ぎたくなかった。
「このような時に勧誘などと。それに今はもう諦めていますよ。コウェルズ王子が王子である限り魔眼は王族付きのまま。…しかし王子が国王になれば魔眼もこちら側に来るでしょうし、それまで待ちますとも」
「魔術兵団長ともあろう人が、物騒な事を言われる」
「言いたくなる気持ちも理解して頂きたい」
 三団である騎士団、魔術師団、魔術兵団にはそれぞれ異なる任務が任されている。
 騎士団は戦闘部隊として王家・王城・国土の警護を、魔術師団は結界による国の保護を、そして魔術兵団はたった一人を。
「それで、何の用事ですかな?」
 ファントムの件に魔術兵団は動かないとミモザが告げたのはつい最近の事だ。
 魔術兵団が特殊な部隊である以上それも仕方無い事だが、それならそれで現状を揺さぶってほしくはなかった。だがヨーシュカは静かに笑う。
「我々も動くことになりそうなのでな」
 フレイムローズがわずかに揺らいで、魔術師達の数名がヨーシュカを睨み付けた。
「決まり次第改めて話しに伺いましょう」
 その怒りの視線を軽く受け流して去ろうとして、歩みが止まる。
「ああ、そうだ…フレイムローズ殿。どさくさに紛れて我々を覗くのはやめておきなさい。いつかあなたが魔術兵団入りする時にしこりになってはいけない」
 ヨーシュカの言葉に、フレイムローズは何も返さない。
 覗くなとはやはり、監視のことを告げているのだろう。
「--団長、お話が…」
 不穏な空気が流れ始めた所で、クルーガーを目当てにニコルが露台に現れた。
 他者が来たことでヨーシュカは今度こそ去ろうとして。
「----!」
 ニコルを見て、薄ら笑いしか浮かべなかった顔に我が目を疑うような動揺を走らせた。だが隠すように俯いて今度こそ去っていく。
「…今のは?」
 初対面の相手の顔を見て驚くなど失礼だろうと不満げにヨーシュカの背中を見るニコルに、クルーガーは静かにその存在を明かす。
「…魔術兵団長ヨーシュカ殿だ」
「魔術兵団!?」
 まるで幽鬼を見つけたかのように、ニコルは驚いて目を見開かせ、去っていくヨーシュカの背中に視線を向けた。

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 ヴァルツが今日も朝から王城の書物庫に入り浸り本を読むふりをするのは、婚約者であるミモザに知的アピールをしたいというだけで。
 それに朝から付き合わされるガウェにすれば不本意もいいところで。
「今日コウェルズは戻ってくるのだったな」
 慣れないことをして疲れたのかエル・フェアリアの文字で書かれた歴史文献をわずか数ページで諦めたヴァルツが、話題を作るために後ろに立つガウェに話しかけた。
「夕方には」
 ラムタル国王弟とはいえ、年上であるエル・フェアリア次期王を呼び捨てにするヴァルツにため息まじりの返答をすれば、何を深く考えているのか眉をひそめて俯いてしまった。
「…よくよく考えたら、コウェルズが戻ってきたらミモザは私に甘えなくなるのではないか?」
 そしてわけのわからない不安を告げてくる。
「今までご自身が甘えてばかりでミモザ様に甘えられた事など無いでしょう」
「う…私はもう大人だ!!背だって伸びた!!」
「ミモザ様も少し身長が高くなられましたよ」
「まだ成長しているのか!?」
 ミモザの伸びた身長とはヒールの高さの分だが、ガウェはその事実を静かに隠した。
 ヴァルツはまだまだ成長期なので、兄のバインド王を見てもそこそこ背は高くなるはずだ。だが先の見えない未来より今が大切なのだろう。
 何やらぶつぶつと考え事をしている姿は、まだ幼さが色濃く残る。
「…こうなったら私自らファントムを捕らえて」
 いかにミモザに好印象を与えるか考えているらしく、その素直さには好感が持てた。
 ルードヴィッヒと同い年だが、性格は全く正反対だ。
「ガウェーィさぁーん、少しよろしいかしら…って、どなた?」
 ヴァルツがそろそろ一つ処に飽き始めるだろう時に都合良く現れたパージャはふらふらと眠たそうで、昨夜遅くまで起きていたことを知らせるように目の下に隈が出来ている。
「おお、ようやく来たな、平民騎士二号。そこに座るがよい」
「…アタクシやっぱりおいとまチョウダイしますわ~」
「待たぬか貴様…」
 早速興味津々で手招きするヴァルツから逃げるようにパージャは華麗なUターンを決めて。
「…どこかで会ったか?」
「さあ?聞かれても困りますーでは」
 首を傾げたヴァルツにしゃなりと侍女のようなお辞儀をしてまた去ろうとした。
「止まれ、パージャ。こちらはラムタル国王バイント陛下の弟君ヴァルツ殿下だ」
 用があるとすれば平民騎士狙いの件以外に無いはずなので、それならヴァルツに隠す必要も無い。
 ヴァルツはパージャによく似た人物でも知っているのか未だに不思議そうにしているが、紹介をすればいつも通りの遠慮の欠片もない態度で胸を張っていた。
「…お目にかかれて光栄です。パージャと申します」
「うむ!昨日から貴様に興味が尽きぬのだ!今日一日よろしく頼むぞ!」
 パージャの方はそこはかとなく嫌そうだ。
 パージャとヴァルツが意気投合したらと気を揉んでいたが、その心配は無さそうだった。
 同族嫌悪というやつかなどと考えていれば、パージャはヴァルツを放置するかのようにガウェに向き直る。
「…まあそんなことより、ニコルさんは?聞きたいことがあったんすけど」
 大国の王弟を放って話しかけてくる辺り、パージャの肝の座り方はガウェの上を行くかも知れない。
「今日一日は団長と話し合いだ。お前は私達と行動する」
 こっちに来いと合図を送れば渋々足を運び、一応とでも言わんばかりに顔を隠すようにヴァルツに頭を下げる。
「遊郭街の大量殺人、犯人はお前なのだろう?」
 ヴァルツの方は距離を取ろうとするパージャに遠慮など一切見せないいつも通りの様子で昨日の事件を訊ねて。
「案ずるな、私は平民騎士の味方だ。今日は忙しくなるな?遊郭街調査にコウェルズの出迎えか」
 ヴァルツが情報に通じていると理解したからか、パージャはようやく諦めたように真っ直ぐヴァルツを見据えた。
「まあ調査つっても死体は王都兵士が片付けてくれましたし、第四部隊が全体の指揮をやってくれるみたいなんで俺達はそんなに出番無いっすよ」
 王城騎士と呼ばれる騎士団の王城警護部隊は十三隊に別れており、その一部隊が出ることがどれほど物騒な事なのか知らない者はいないはずだ。
 昨日の殺人現場はそれほど異常だったのだ。
「第四部隊か…事情を知っているのか?」
「第四部隊長は魔力より武術や剣の技量を重んじる実力主義の集まりですからね。ニコルの数少ない理解者でもありますから、平民騎士狙いの犯行を匂わせました」
 貴族主義の汚れた部分を隠す為に、第四部隊長は骨を折ってくれるはずだ。
「そーそー。俺のことも可愛がってくれんの。超良い人。訓練中は鬼だけど…って、ニコルさんの鬼っぷりは第四部隊長ゆずりか?」
 王族付き候補に選ばれているといってもパージャの階級は王城騎士だ。候補達は候補となった時から所属する王城警護部隊にあまり顔を出さずに教官の指示を優先して仰ぐことにはなっているが、まだ各々は部隊に身を置いている。パージャも一応第四部隊に籍を置いており、ルードヴィッヒも同じ部隊に配属されている。
 部隊訓練には顔を出しているはずなので、部隊長の扱きにはニコルと似たものを感じている様子だ。
「ふむ…まあ大事にならずに済むならそれが一番だ。ただでさえファントムの噂に重なって治癒魔術師の件も増えたからな」
「…治癒魔術師?何すかそれ?」
 耳慣れないらしい単語にパージャが首を傾げる。
「…知らないのか?」
 ガウェは思わず聞き返して、肩をすかされた。
「ニコルといい、平民の中ではあまり重要視されていない様子だな」
 ガウェやヴァルツには信じられない事だが、パージャも知らないというなら、昨日ニコルがあれほど治癒魔術師の重要さより妹の安全を優先したことも当然なのかもしれないとようやく思えた。
 ニコルはエルザよりも妹を選んだのだ。
 それは家族愛など知らないガウェには奇異な感情だった。
「あ、そういえばルードヴィッヒなんすけど、朝から吐いてたんで今日も一日ゆっくりするみたいですよ。たぶん」
「…そうか」
 昨日酷い目に合った従兄弟。昨夜は強がって見せたが、そう簡単に吹っ切ることなど出来るはずがないだろう。姿の見えない影に怯えなくなるまでに、ガウェは周りに恵まれた環境でも数ヵ月を費やしたのだから。
「ルードヴィッヒ、ルードヴィッヒ…ルードヴィッヒ・ラシェルスコット・サードか?」
「はい」
「紫都の末っ子がどうかしたのか?」
 他国の情勢は逐一把握している様子で、エル・フェアリア貴族第三位のルードヴィッヒのことも、ヴァルツは顔は知らずとも興味を持っていたらしい。
「ちょーっとストレスでやられたみたいです。デリケートなお年頃なん痛って!」
 茶化すパージャの横っ腹を殴って黙らせて。
「ヴァルツ殿下が気になさるほどの事ではありません」
「その言い方だと、気にしろと言われているみたいなのだがな?」
 ルードヴィッヒの件については出来ればヴァルツに嗅ぎ回られたくないので誤魔化そうとしてみても、知りたがりの性格は空気を読むことをしてくれない。
「…パージャ、ニコルに話しとは何だったんだ?」
「え、急に話ふる?」
 パージャの方も横っ腹を殴られたことを根に持っているのか、ガウェに味方するつもりはないようだ。話を合わせないパージャを睨めば、ヴァルツが面白そうに小さく笑った。
「まぁまぁ、冗談はさておいてっと…出来ればガウェさんだけに話したいんすけど?」
 ようやく本題に入ろうとはするが、どこまで事情を知るかわからないヴァルツの前ではパージャも話しにくい様子だった。
「案ずるな。私は口が固い」
「いやいやいやいや、ね?…そーいう問題じゃないんですけど」
 まだ少し警戒しているパージャに、構わないと合図を送って。
「ヴェルドゥーラ家の事ならヴァルツ殿下には筒抜けだからな」
「あ、そう。なら話しまっせ」
 ガウェがそう言うならと、パージャは昨日の事件について追加の情報を開示した。
「クルーガー団長からは単純にニコルさんを狙う騎士を探せって言われてましたけど、昨日俺を襲った連中は明らかに騎士じゃなかった。ただのゴロツキから魔具を操る奴等までイロイロいたけど、ありゃ半分は私兵だね」
「…父上が内密に雇った者達だろうな」
 黄都領主ならやりかねないと、実の父親の愚行にため息を漏らす。
「で、ニコルさんに親戚やら身内が王都内か、黄都領内にいるかどうか聞いておきたくて」
 それは、パージャを狙った事件とは別に、昨日王城内で発覚したもう一つの重要な事実と今後を暗礁に乗り上げさせるということを示していた。
「身内を人質にするつもり、か」
「昨日は俺の家族が危ない目にあったんで、無いとは言い切れなくて」
 パージャだけを狙うならまだしも、バルナに雇われた者達はパージャの家族である少女を捕らえ、パージャへの見せしめに使おうとした。
 しかも、ルードヴィッヒがバルナと通じていることも知っていた。
 知った上で、裏切ったルードヴィッヒも手にかけようとしたのだ。
「なぜお前がそこまでニコルを気にするのだ?自分のことで手一杯だろう」
 まるで事件を追う側であるようなパージャに、ヴァルツは純粋な疑問をぶつけて。
「あー、俺が騎士になる条件の一つっていうか、そもそも騎士団入りしたホントの理由っつーか、騎士団長に言われてニコルさんの命を狙ってるやつらを見つける仕事があるんすよ。ニコルさんには内緒で」
 ヴァルツの驚いた顔は、大国の騎士団長が平民騎士一人の為に動いている事に対するもので間違いないだろう。
 いくら有能な騎士とはいえガウェやフレイムローズのように地位があるわけでもなく、それ以前に単なる平民狩りに団長クラスが動くなど。
「さすがに家族を人質にとられたら、ニコルさんならぶち切れて辺り一帯焦土にしそうでしょ?」
 幼い頃はラムタルの権力争いの中で育ったヴァルツの驚きなど知るよしもないだろうパージャは、マイペースに首を掻き切る仕草すら見せる始末だ。
 首を切る。それがヴァルツが父を見た最期の光景であることは、情報のひとつとしてエル・フェアリアに流されている。
「…ニコルの身内は妹が一人だけだ」
 わずかに体を強張らせたヴァルツを労るように、ガウェは会話を先へと進ませた。
「いるの地元っすかね?俺の仲間に言えばわからないように護衛くらい出来るっすよ」
「いや…近く王城に来る」
 まさかこんな時期に、治癒魔術師として召喚されるなどとは。
「厄介だな…ニコルの不安的中率が高まった」
 すぐに普段通りに戻ったヴァルツが、昨日のニコルを思い出して頭を掻く。
「何すか…」
 遊郭街での事件は当事者だったので知っているパージャも、もうひとつの方はまだ知らされていないらしく少し構えるような姿勢になった。
「ニコルの妹が治癒魔術を持つことがわかった…治癒魔術師がどれほど特殊かわかるか?」
「…いえ?」
 わざとらしく首を傾げるパージャに、ガウェより先にヴァルツが口を開いた。
「治癒の力を持つ者はどこの国でも治癒魔術師としてもれなく重宝される。稀少価値が高く、戦の勝敗の要ともなるからな」
「その重要な治癒魔術師が、ニコルさんの妹さん?王城に来るんだ。ていうかニコルさんもそんな大事なこと今まで黙ってるなんてやるね」
 パズルのピースを繋ぎ合わせたパージャがからかうようにニコルを茶化す。
「あいつも知らなかった様子だ。治癒魔術師がどういうものか」
「それが昨日知れ渡り、ニコルが止めるのも構わず王城に召喚されることになったのだ。凄かったぞ、昨日のニコルの暴れっぷりは」
 仕事に関して生真面目すぎるほどのニコルが任務中にガウェと殴り合いの喧嘩すれすれまで引き起こし、さらにエルザを放置して団長に直談判に向かったのだから。
「想像つかないんすけど」
「あれは冷静に見せかけた短気だからな。妹が自分と同じように嫌がらせを受けるのは兄として我慢ならんらしい。まあ命の危険もあるのだから当然と言えよう」
 訓練中ならともかく、と任務中に暴れるニコルを想像しても、パージャには難しい様子だ。
「まぁ…そういうことなら…いや、王城に来てもらった方が楽っすよ。下手に遠くにいたら、どうすることも出来ないんすから」
「城内にいれば、我々が守れる…だが安全なわけではない」
 これでニコルの妹が黄都に住んでいたら、すでに目も当てられない結果になっていたことだろう。王都から最も離れた土地に住んでいた事実が、妹を守っていたはずだ。
 だが妹が王城に付けばそうもいかなくなる。目の届く場所にいるなら守ってやれる。しかしまだどれほどバルナの手中の者がいるのかわからない。
「いっそニコルに言って、エルザを連れて駆け落ちでもさせたらどうだ?ラムタルは歓迎するぞ。エルザがいなくなれば奴も諦めるだろうて」
 治癒魔術師の護衛の件は、本気で考えなければならないだろう。そこに出したヴァルツの提案にパージャはきょとんと一瞬固まり、ガウェは呆れた。
「…何ですそれ?」
「無駄ですよ…奴の中では、エルザ様より妹を守る方が大事ですから、妹から離れるはずがありません」
「しかし治癒魔術師はエル・フェアリアの悲願だったのだし、ヴェルドゥーラも手は出さぬだろう」
 パージャを放置して進める話は、突拍子もない方向に向かおうとする。
「あのぅ…お話が見えないんすけど?」
「父を甘く見ないで下さい。黄都の繁栄の為なら、何でもする愚かな男ですよ」
 エルザがニコルと駆け落ちなど、それこそ堂々と平民騎士を狩る大義名分を与えるようなものだ。エルザが拐われたことにでもすれば、国民が手ずからニコルを引き裂きにかかるだろう。
「…さっきの駆け落ちといい、ガウェパパさんの平民嫌いってエルザ様がニコルさんに恋しちゃってるから?」
 話しに加われなかったパージャも、これまでの出来事と今の会話の内容から、バルナがニコルを狙う理由を理解したらしい。
「何だ、お前も気付いておったのか」
「エルザ様の乙女心なら気づかない方がおかしいでしょ…ニコルさんは気付いてないっすけど」
 そしてワシャワシャと自分の頭を掻いて。
「一気にややこしくなってんじゃーん…俺だけじゃ無理だってこれ…」
バルナがニコルを狙う理由に一国の姫が絡むとなれば、話は一気に難しくなる。そしてそこにはバルナの一人息子であるガウェも関与しているのだ。
「…コウェルズ様にも話しておくか」
 もう無責任ではいられない。ここまで父親を放置してきたことを、ガウェは今更悔やんだ。
「王子様に?聞いてくれる人なの?」
「優秀な方だ」
 腹を据える時が来た。
 王子を知らないパージャに単純かつわかりやすい説明だけを与えれば、呻いたのはヴァルツだった。
「それが問題なのだ…おかげでミモザが私を頼らないのだからな!夫として歯痒いところだ」
 優秀なコウェルズ王子に、男として嫉妬する面は多々あるらしい。
「えー、ミモザ様が頼らないのは単にヴァルツ殿下が年下だからじゃないんすか?」
「…年など気にしていたら、私は何も出来ぬではないか…」
「あなたの不満は今どうでもいいのです」
「…ガウェなんか嫌いだ」
 真剣に考え事を始めていたので無駄な会話で思考を邪魔するヴァルツを窘めれば、拗ねて机に伏せられた。
「団長には詳しく言わないんすか?」
「後回しだ」
「えー?」
 パージャからすれば雇い主は一応クルーガーなので、黙っておくのは気が引けるのだろう。だがクルーガーにだけは関わられたくない。
「…なぜそこまでクルーガーを嫌うのだ、お前は…」
 顔を上げたヴァルツが不貞腐れながらも疑問を口にするが、ガウェはその件には一切耳を貸さなかった。

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