第9話
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エルザと別れて、王城を出る。向かうのは自室のある兵舎内周だが、その途中で腕を組んで壁にもたれ掛かるガウェを見つけて、ふんと鼻を鳴らした。
「お前、エルザ様を逃しただろ」
いくらエルザが魔力で気配を部屋に残して飛び出したとしても、今はファントムを懸念して普段より護衛は強化されている。その中でエルザが抜け出せるとすれば、魔力の高い共犯者がいるとしか考えられず、そして今日の一件から見ても共犯者にはガウェ以外にあり得なかった。
不貞腐れるような声で問うても返事はないが、肯定である証だ。
「…お前とエルザ様の話を聞いた…なぜお前が護衛をまともにしないのかをな」
ガウェが護衛任務を怠ることに理由があるなど知らなかった。
王家にも影響力を持つ黄都領主が黒幕ならガウェがニコルに護衛を任せてすっぽかす理由も、真面目に護衛任務につかないガウェが王族付き騎士でいられる理由も説明がつく。
「…治癒魔術師の件は?」
「…それも聞いた」
どうせ帰る部屋は一緒だ。連れ立って歩けば、少し躊躇う様子を見せながらもガウェはエルザの未来について訊ねてきた。
治癒魔術師がどれほど重要なものなのかはクルーガーからきっちりと説明を受けた。
エルザはそれを目指すという。王位継承権を返上してでも。
「お前はどうするつもりだ?」
次に問われた内容に、ただ首を傾げた。どうするとはいったい。
「…何がだ?」
「治癒魔術を操れない者が治癒魔術を操れるようになるには、相当の時間と修行が必要になる」
そういえば、エルザも修行の為にイリュエノッド国に向かうと言っていなかったか。
「お前は王城に来る妹を心配するだろうが…いばらの道を選ぶエルザ様の力になろうとは思わないか?」
ガウェが何を言いたいのか、ニコルに何をさせたいのかがわからなかった。
「…まだ時間はある。お前の妹への心配が杞憂に終わる可能性もある。お前が望むなら、エルザ様は共に」
昼間に一触即発の状況になりながら、まだそれを言うのか。
ニコルが望むなら何だというのだ。ニコルの望みは妹の安全だ。エルザが治癒魔術師になるなら妹はいらないだろうとさえ思ったのだ。
「何が言いたい。そこまで言うならお前がエルザ様の傍にいればいいだろう」
今は違うとエルザは言った。だが愛されていたのは事実のくせに。
幼いエルザはガウェが好きだった。未だにガウェへの片想いを噂されるほど。
黄都ヴェルドゥーラなら小国に嫁ぐよりも姫の地位は下がらない。
年齢からしてもガウェとエルザなら似合いの二人になるだろう。
今日だけで三度、エルザに密着する機会があった。
華奢ながら女性の丸みを帯びた体を覚えている。豊かな胸の柔らかさもだ。
ニコルには手の届かない女性。ガウェなら簡単に手に入れることが出来る。
「…エルザ様を愛しているのだろう」
そのガウェに自分の胸の内を言い当てられて、瞬時に頭に血が上った。
「敬愛ではなく、一人の女性として愛しているはずだ」
「俺に…何が出来る」
怒りを圧し殺すように呟いて、やはり爆発する。
「お前とは違うんだよ!俺は!…運良く騎士になれた、ただの平民だ…なるべくして騎士になったわけじゃない!」
本来ならエルザの姿も見ることなど出来なかったはずだ。ニコルはそれほどの貧困階級に生まれた。
王都から最も離れた土地で、略奪者にいつ寝首を掻かれてもおかしくない場所で。
「この場に意地汚くしがみ付いてるだけの貧しい村の平民なんだよ!!」
「運だけでここにいられると本当に思っているのか?騎士になることが貴族にとってどれだけ狭き門か」
「平民ほどじゃないだろ」
不服そうなガウェの言葉を嘲笑った。何が狭き門だ。
「貴族にとって騎士になることは現実に有り得る事だ。だか平民が目指す場所じゃない」
平民が目指すのは兵士だ。騎士なんて高尚なもの、現実に叶えようとする者はまずいない。
ニコルが騎士になったことで腕自慢が正門を叩くことがたまにあるらしいが、隊長クラスに現実を見せ付けられて帰っていくのが関の山だ。
「兵士時代、高い魔力と優れた剣と武の腕があれば平民でも騎士になれると夢を語ったさ。だがそれは絵空事だ」
「ならお前とパージャは何だ?現実に平民が騎士になってここにいるだろ」
「ああ、なれたさ。それでどうなった?…お前とパージャが加わる遊郭街の殺人事件…あれはパージャが狙われたんだろう?だから騎士団が動いた」
イストワール隊長から聞かされた今日の城下での事件。
パージャが狙われたことを指摘すれば、案の定ガウェはだんまりを決め込んだ。
「ファントムの件で王城内が揺れようが、目障りな平民騎士を狙う貴族主義の連中はお構い無しだ」
姫が狙われているというのに、平民とはいえ貴重な戦力を、平民というだけど削ごうとする。
「そんな中に…たった一人の家族を入れるのか?それでたった一人の家族を見捨てて、王城を出るエルザ様に付いていけと?アリアは俺やパージャみたいに力で身を守る術を知らないんだぞ!!」
妹は、アリアは、ニコルのように魔力を攻撃には使えない。
魔術師のように結界を張ることも出来ないだろう。
現にクルーガーからも、各国の治癒魔術師でも多くが自らを守る術は持たないと聞かされた。
なのに、大切なアリアを殺されるかもしれないとわかっていながら、エルザの為に見捨てろというのか。国の為に大切な家族を見殺しにしろとでも。
「…エルザ様を愛しているさ。初めて目にした時から心を奪われた。エルザ様の姫付きに選ばれて俺がどれだけ舞い上がったと思う?だが俺に何が出来る!?」
恋い慕おうが、愛を捧げようが、ニコルはただの貧民だ。
「貴族ならまだしも…平民ごときが、大国の姫に愛を語れるか?そんなことを実行してもエルザ様を困らせるだけだ」
現実は残酷だ。
「有り得ないんだよ。そんなおとぎ話は」
子供に読み聞かせるような絵本の世界など有り得ない。
「……エルザ様がお前を愛しているとしたら?」
ガウェの消えそうな言葉に、今までで一番強く自棄に笑った。
「…世界がひっくり返ろうが、有り得ないだろ」
エルザは優しい。慈愛に満ちた心で接してくれる。だがそれはニコルだけにではないと。
「…妹の件は団長と何度も話した」
平行線のまま終わった話し合い。アリアを王城に呼ぶなら叶えてほしいとニコルが願ったのはひとつだけだ。
「妹が王城に着いて、正式に治癒魔術師として魔術師団に入団することになったら…俺はエルザ様の姫付きから外れる」
ニコルの決意に、ガウェが傷の無い左目を見開かせた。
「団長はまだ了承してくれていないが、治癒魔術師の…妹の護衛に回してもらう」
「待て、なぜ」
肩を掴まれて、歩みを止められた。
「言ったろ…妹には騎士のように身を守るための力はない。あるのは癒しの力だけだ」
どこの国でも、治癒魔術師には護衛が付くという。
「俺が村を出て数年で…妹は酷く傷付けられた。…妹が王城に着いたら、俺が受けたような仕打ちは許さない。もう誰にも傷付けさせない」
平穏無事に暮らしてほしかった妹は、将来を誓い合った男に裏切られ、居心地の悪い故郷に一人でいたのだ。
今度は誰もが憧れる王城に来て、酷い目に合うかもしれないなど、許さない。
「誰にもだ…」
ガウェに掴まれた肩を前に振って、手を離させる。そのまま動こうとしないガウェを放って、ニコルは先に歩みを進めた。
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「--眠れませんか?」
今まで見たこともないような豪華な馬車に乗せられて窓から夜空を眺めていたアリアに向かって、外から馬に乗った兵士が静かに訊ねてきた。
「突然連れ出すような真似をして申し訳無く思っております。ですがどうかお許しを」
説明など何もされずに強引に乗せられた馬車は、居心地が悪くなるほど豪華すぎて。
月明かりと松明に照らされた淡い銀の髪が窓から垂れて、すぐに中に引っ込める。
アリアは兵士を警戒するように言葉を返さなかった。
「御自宅の荷物は後続の者達が全て大切に包んで持ってきておりますので、どうか御安心下さい」
何を安心しろというのか。
「王城まで、治癒魔術師様に不快な思いはさせません」
--まただ。
「もういいです…。少し考え事をさせてください」
「…これは、大変失礼いたしました」
ようやく口を開いたアリアの言葉に、兵士は素直に従ってくれる。
治癒魔術師様。最初に兵士達が村に訪れた時も、アリアをそう呼んだ。
…兄さん
怖い。でも守ってくれる人がいないから。
馬車には窓に戸とカーテンがつけられていたが、万が一に逃げられるように、外の景色をひたすら眺め続けていた。
村で村長の手伝いをしていたのだ。
訳あって自宅に一人ではいられず、ずっと村長と奥さんの家で世話になっていた。
畑で村長と収穫の時期を向かえた豆を摘んでいる最中に突如村の中央が騒がしくなり、慌てた様子の村長の奥さんに呼ばれてついていけば、何人もの領兵達がアリアを待っていた。
村人達はざわつきながらアリアと領兵を眺め、村長と奥さんだけがアリアを庇うように側にいてくれた。
「突然の訪問をお許しください。エル・フェアリア騎士団・第二姫護衛部隊に籍を置くニコル殿の妹君、アリア嬢でございますね?」
ニコルの名前を出されて、村人達がざわついた。村人達にはニコルの現在を教えてはいない。
地方で兵士として働いている程度にしか思っていなかったニコルが騎士だと告げられて、何人がすぐに信じただろうか。
「…そうですけど…あなた達、誰ですか?」
アリアが肯定すると、領兵達は一気に膝をつき、アリアに頭を垂れた。
「エル・フェアリア騎士団長クルーガー・ファタリテート・デスティーノ殿、並びに魔術師団長リナト・ブラックドラッグ殿の命により、貴女様を王城までお連れします。すぐに馬車にお乗りください」
「え…待ってください、突然何なんですか?」
「詳しいことは王城に付いてから伝えられます。どうかお急ぎを、治癒魔術師様」
困惑するアリアを、騎士達は強引に馬車に乗せてしまった。
最初は抵抗してくれた村長と奥さんも、何かを領兵に耳打ちされて、静かに見送る体勢になって。
領兵はアリアの家に続々と入っていき、勝手に荷造りする様子を見せて、止めようと足掻いたが元々身の回りの物など申し訳程度にしかなかったので荷造りはすぐに済んでしまった。
「大丈夫だから、大丈夫だから」
「もう心配はないから、もう怖い思いはしないから」
アリアよりも先に状況を把握した村長と奥さんは、窓から顔を出したアリアの手を握って宥めてくれて、荷造りが終わるとすぐに、馬車は出発してしまった。
「何なの?兄さん…」
呟きは闇夜に紛れて兄には届かない。
怖いよ…
何の説明もされないままアリアは心細さに涙を浮かべ、それでも窓の外の景色から目を離すことはしなかった。
第9話 終