第8話


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 ラムタル国のヴァルツが訪れたことを騎士団長クルーガーに伝えたニコルは、まだエルザの護衛時間には早いので先に用を済ませる為に兵舎外周の一角に足を運んでいた。
 兵舎外周の七棟をつなぐ渡り廊下は王城を守る砦の役目も果たしており、その渡り廊下の一区画には王城で働く者達用の配達所が設けられている。
 運営するのは政務官だが実際に働いているのは厳選された平民達で、貴族ばかりの王城敷地内で平民がいるわずかな場所のひとつになっている。平民なら誰でも入れるわけではないが。
 今日は給金が支払われる日である為、ニコルはクルーガーへの報告が終わった足で政務棟に向かって給金を手に入れ、そのまま配達所に向かっていた。
 途中でレイトルとセクトルに出会い一緒に配達所に足を踏み入れれば、見知った配達員がいたので迷わずその青年の元に近付いて。ニコルと同じ歳くらいであろう青年は第三姫クレアが運営する国立児童保護施設の出自で、成人を迎えてすぐにこの配達所に雇われたと聞いている。
 歳が近い為か打ち解けるのも早く、ニコルは給金を村へ送る配達を必ずこの青年に任せていた。
 馬の足でひと月はかかる距離にあるニコルの故郷だが、彼はどうこなしているのか十日ほどでエル・フェアリア王都から最も離れた土地まで進んでしまうのだ。
 ニコルほどではないが武術に長けた面があり、小規模の山賊程度なら逃げ切れるのだから実力も確かだ。
 第三姫であるクレアが武術にはまるきっかけが、クレアが運営する児童保護施設内で武術が流行ったからという一説があるほどに、青年は幼い頃から施設を訪れる王都兵に願って他の孤児達と一緒に武術を習っていたらしい。
 軽い挨拶と近況報告を互いに交わし、給金を送るための手続きを取る。配達所を使用する者達は大半が王都で購入した土産を家に送ったりするので、給金そのものを送るのはニコルの他にあまり裕福でない下位貴族の一部くらいだ。
「--ちょ、やめろって!怒られんの俺なんだから!!」
 たわいない話をしながら手続きをしている途中で、青年がふとニコルの後ろに視線を向けて慌てた様子で叫んだ。
 何だとニコルも振り返れば、レイトルとセクトルが所内の掃除用具から勝手に箒を取り出し、穂先を上に向けて人差し指の腹だけで箒を立ててバランス対決で遊んでいる所だった。
「待って少し待って!今良いところだから!」
「これだけやらせろ!」
「今日は所長がいるんだって!!頼むからやめてくれ!!」
 やれやれと呆れるニコルとは対照的に青年の慌てっぷりは凄い。
 そんなに所長が怖いのだろうかと考えて、ニコルもクルーガーの激怒はなるべく避けたいので気持ちはわかった。
 だが青年の為にレイトルとセクトルを注意しない程度にはニコルも現状を楽しんでいた。
「諦めろ。そいつらに何言っても聞かねえよ」
「いや諦めるなよ止めろよ!!」
「あー無理無理。手続き忙しい」
 ひらひらと空いた手を振りながら手続きを済ませていけば、その間に青年は自力で二人から箒を没収したらしく、背後から抗議の声が聞こえてきた。
「終わったぞ。これでいいか確認してくれ」
「終わったぞじゃねぇよ…」
 ぶつくさ呟きながらもニコルの書いた用紙を確認して、青年は取り上げた箒を壁に立て掛けた。
 その箒をまた二人が奪おうとしたのでさすがにそれは止めておいたが、諦めた二人が新しい箒を取りに向かったのは放っておいた。
「うわだから止めろよ!!」
 慌てて止めに行く青年の背中を笑いながら見守り、とうとう怖い所長が出動した所でレイトルとセクトルの挑戦という名のイタズラは終わりを迎えた。
「あれは無理だ。倒せねえ」
 セクトルがそう断言した配達所の所長は元々兵士でもしていたのか体格が素晴らしいほどに良く、確かに怖い分類だ。
 ようやくまともに手続きを確認出来た青年が、書類を確認し終えて人の良い笑みを浮かべた。
「よし、大丈夫だよ。大事な給金だし特急で渡しに行くわ」
「頼む。いつも助かってる」
「丁寧な仕事だってアリアちゃんにも誉められんのよなー。あーあ、あんな気立て良くて美人な子、他にいないよなー。婚約者さえいなけりゃなー」
 給金と共に妹への手紙も一緒に渡すので青年はニコルの妹とも面識があったが、他意はないとはわかりつつも婚約者という発言に深く眉をひそめてしまう。
「…その話は妹の前ではしないでくれるか?」
 冷え込む声色に、青年はわずかに身構える姿勢をとる。
「どうしたんだよ?」
「白紙になったんだ」
 さらりと教えるが、耳にした者達はさらりとは流してくれず。
「「「はあー!?」」」
 三人分の声は、青年の他にもレイトルとセクトルが後ろで話を聞いていたことを告げていた。
 一瞬とはいえ二人がいたことを忘れてしまっていたが、妹の話はよくしていたのでいつかわかることだったろう。
「え、何でだよ?もうじきだって指折り数えてたぞ!?」
 困惑した様子で青年がニコルに詰め寄り、事情を察したのか遠巻きに立っていた所長が席を外してくれる。
「前に伝達鳥が手紙を持ってきて、そう書いてあった。相手に別の女が出来たらしい」
 別の女という発言に、三人が同時にひどく眉根を寄せた。
「だって…アリアちゃんもう19だろ?」
 青年の問いに返事はしなかった。
 貧しい村に生まれた貧しい娘にとって、19という年齢は婚期を完全に逃したも同然なのだから。
「君が騎士として働いてることを、その元婚約者は知らないのかい?」
 レイトルは妹が貧困階級といえニコルの現在の地位があればと言いたいのだろうが、それだと妹が本当に幸せにはなれない。
「俺の金目当てでアリアを選ぶような男だと危険だからな…アリアには俺の職業に関しては伏せさせてる…村で俺のことを知ってるのは村長とその奥さんくらいだ」
「給金送っているのにバレないの?」
「村長から村を管理する領主に渡して分けてもらってる」
 給金を送ることがどれほどややこしいか、詳しく説明しようとすれば半日は費やすだろう。
「…にしたって、何年も婚約状態だったんだろ?おかしいって普通気付かねぇ?」
「相手の男の事なんて俺が知るかよ。俺が村を出てから出会った村の外の男だし、俺自体が村に帰ってないんだからな」
 ストレートに物を言うセクトルの指摘に少し棘を付けて返したのは、ニコルもそれをずっと懸念していたからだ。
 相手の都合で結婚は遅くなると、妹が婚約した当時に伝えられた。妹はそれで構わないと夢心地だった様子だが、ニコルはずっと気にしていた。当時病気を患いながらも生きていた父親も、妹には言わなかったらしいが心配していた事は父との手紙のやり取りでわかっている。
 結局父は、娘の花嫁姿を見ることも叶わずに逝ってしまった。
 妹の婚約者を恨んだのはその時が初めてでその時限りだと思いたかったが、現実は残酷だった。
「…ファントムの件が落ち着いたら、一度村に帰ってあげなよ」
 無意識に力をこめた拳は、レイトルの中指でぴんと弾かれた。
「「で、一緒に連れていけ」」
 そしてレイトルとセクトルの息の合った言葉に思わず笑ってしまう。
「なんでだよ」
 騎士として働く以上、ファントムの件が解決するまでは王城を離れられないが、それが終わったとして、どうして二人を故郷に連れていかなければならないのか。笑いながらも首をかしげるしかなかったが。
「王族付きの婚期が遅れ気味になるのは君も知っているだろう?」
「ニコルの妹なら美人で決まりだろ。話を聞く限り性格も最高」
「両親が持ってくる縁談は微妙なのばっかりだし」
「城内で出会うのも地位目当ての侍女ばっかだし」
 なんだその理由は。
「ふざけんな、平民と貴族が一緒になれるわけねぇだろ」
「はいはーい!じゃあ俺が立候補!俺なら平民だし、貴族と仕事してるからそこそこ金は貯めてるし、親いないから煩わしい関係は無いし、何より大事にする!アリアちゃんなら一生大切に出来る!泣かせることなんて確実に無い!!」
 青年の申し出には少し傾いだあたり、ニコルも真剣に妹の今後が不安なのだ。
「ちょっと!否定しなよニコル!」
「貴族と平民の婚姻は無いわけではないんだぞ?」
 慌てるのは中位貴族の二人だが、彼らとのやり取りはニコルの沈んだ気分を浮上させてくれた。その場のノリとはいえ、将来も安泰な立候補者が三人いるなど妹が知ったらどう思うだろうか。
「…まあお前らの冗談は置いとくが、少し気が楽になった。ありがとな」
 素直に礼を伝えれば、三人は気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「今はファントムの件で手一杯だが、落ち着いたら妹に城下町に来るよう話そうかとは考えていたところだ」
 それは妹から婚約破棄を伝えられてからずっと考えていたことだ。
「育った村を捨てる訳じゃないが、アリアが一人になるのは避けたい」
 両親と一人の男の事情で、故郷はニコルと妹にとってあまり居心地の良い村ではなかった。村長達には世話になったが、婚約者という繋がりが無くなった今、妹をたった一人で村に残しておくのは不安だ。
「…いい考えかもね」
「仕事はどうするんだ?」
 王都に呼ぶならニコルの給金だけで妹一人くらい余裕すぎる生活が出来るが、妹はおそらくそれは望まない。何かしらの仕事を探すだろうが、それについても当てはある。
「俺ほどじゃないが魔力持ちなんだ。簡単な怪我の治癒が出来るから商売になるだろ」
「あ、俺も何度かお世話になったよ。気持ちいーんだよなー」
 妹の魔力を何の気もなしに教えて、青年も治癒を受けたことがあるらしく嬉しそうに思い出語りを披露する。
 固まっているレイトルとセクトルに気付いたのは、青年と治癒についてあれだこれだと軽く話をした後だった。
「…何だよ」
 言葉を無くしたようなニ人に、眉根を寄せて訊ねる。
 今日は久しぶりにはしゃいでいたが、元々は温厚なレイトルと寡黙なセクトルだ。静かにいること自体には何ら違和感は感じないが、今の二人は普段の静かさとは訳が違った。
 絶句したような、声を失ったような。先に口を開いたのは、寡黙なセクトルの方で、
「お前…なんでそれを先に…」
「確実にそれ治癒魔術でしょ!?治癒魔法は高度な力だよ!!並の魔術師でも使えないんだから!!」
 後に続いたレイトルはニコルが説明した妹の魔力にさらに追加の説明を付け足した。
 治癒魔術という言葉は何度か聞いたことはあったが、それが高度な魔力だなどと突然言われてもニコルは知らない。
「…そうなのか?」
「へー?」
 切羽詰まるかの様子を見せられてもニコルには意味がわからない。治癒魔術はニコルにとって昔から馴染み深い力だったのだから。
「真面目な話だよ!それが本当なら魔術師団入りものだから!!」
「は!?」
 だがさすがに魔術師団と肩を並べられてしまえば、ニコルには事の重大さが見えてくる。
「すごいのか?」
 話に入れないのは王城内部を詳しく知らない青年一人だけで、治癒魔術に関して性急な様子を見せるのは真面目なレイトルよりも、魔術師団入りを切望されたことのあるセクトルの方だった。
「現在治癒魔術師はエル・フェアリアに一人もいない。早くクルーガー団長に話そう。リナト団長にもだ。治癒魔術が本物なら、王城に治癒魔術師が戻ることになる!」
 突然の言葉に、今度はニコルが絶句した。
「君はニコルの配送を少し待ってくれ!行くよニコル!!」
 ニコルが頼んだ給金の配達をレイトルが止めて、セクトルと二人がかりでニコルの腕を引っ張り始める。
「おい、そんな急に…」
「…いってら~」
 配達所から強引に引き出されて、背後から青年の間の抜けた声が聞こえた。
 妹を王都に呼ぶつもりだとは伝えたが、こんなに急には無理だ。まだ妹にも王都に来るかどうか聞いてもいないのに。それに二人が言っているのは城下町ではなく王城だ。
「急ぐ必要は無いだろ?…少し考えさせてくれ」
 だが二人はお構い無しで、ニコルを引っ張る力を緩めようとはしなかった。渡り廊下を進む中で、他の騎士達の不思議そうな視線が痛い。
「何言ってるんだ!王城で働ける以上に名誉な事があると思っているのかい?」
「もし魔術師団に入団できれば、それこそ結婚相手だって引く手あまただろ。19ならこっちでは丁度いいくらいだぜ」
 レイトルとセクトルはそれ以外に道など無いとでも言いそうな様子で、時間が経つごとに色々な考えが巡り始めるニコルを待ってはくれない。それに、今のニコルには。
「俺の一存じゃ決められない。アリアに意志がないと。それに…」
 アリア。大切な妹。もしアリアに何かあったら。
「治癒魔術師の存在は国にとっても重要な問題なんだ!今後何かしらの戦があるとしたら、勝利の鍵を握るのは治癒魔術師の有無なんだから!」
 未だ困惑の方が強いニコルの言葉を切って、レイトルが彼らしからぬ強制的な言葉で説得を図る。
「俺はアリアに俺と同じような思いをさせたくない!!」
 捕まれた腕を強く振り払うニコルに、二人は頬を打たれたような顔をした。
 ニコルが騎士として王城に来てから今まで、平民という理由だけでどのような嫌がらせをどれほど受けてきたか、知らない二人ではない。
 それに、昔と違い今は嫌がらせだけでは済まない事態になっている。以前パージャと二人でとった昼食のスープに混入された毒は、パージャを狙ったものだった。
 犯人はわかっている。
 二人分の食事を取りに行ったニコルに、食事番の侍女はスープに関してだけ、どっちがどっちの椀なのかを聞いてきたのだから。
「…悪い」
 ニコルの謝罪は、腕を容赦なく振り払ったことに対してだ。レイトルは申し訳なさそうに俯いて、セクトルはそれでもニコルから視線を逸らさなかった。
「騒がしいな。喧嘩か?」
 クルーガー団長が現れたのは、今のニコルには不幸中の幸いとはいえなかった。牽制するようにレイトルとセクトルを睨みつけてから、クルーガーに小さく頭を下げる。
「いえ、喧嘩という訳では…」
「まあいい。ヴァルツ様の突然の訪問でこちらも騒がしくなってな。暇なら手伝ってくれるか?」
 喧嘩ではないと思ってくれたのか、クルーガーはヴァルツが突撃してきたせいで混乱する城内に手を貸すよう願い出て、レイトルとセクトルが目を丸くした。
「ヴァルツ様が?なぜ…」
「ニコルから聞いていないのか?ヴァルツ様が来訪された知らせを持ってきたのはニコルなんだが」
 すぐに二人から視線が送られ、ニコルは明後日の方向を見た。
 忘れていたわけではない。言うタイミングを逃しただけだと頭の中で弁解をする。
「お前にしては珍しいな。まあ、給金を早く村に届けたいという思いの方が勝ったんだろう」
「いえ…言うつもりではいたのですが…」
 ニコルが毎回給金を送っていることを知っているクルーガーはおかしそうに笑い、恥ずかしさからニコルは少し俯いた。
 セクトルが言葉を発したのは、ニコルの警戒が緩んだ時だ。
「ニコルの妹が治癒魔術の使い手だという事が発覚しました」
 短く、だがクルーガーにはすぐに理解できる言葉で。
「セクトル!」
 責めるようにセクトルの名を呼んだレイトルが顔色を覗うようにニコルを見て、すぐに逸らした。
 その視線に気付く事も出来ないほどニコルはセクトルを睨み付けていたからだ。
「…悪い。だがこればかりは黙ってはいられない。治癒魔術師の獲得は国の悲願だ」
 いつも通りの冷めた調子で、いつも通りの冷めた言葉で、セクトルは切実な国の現状を訴える。
「…ニコル、少し話せるな?」
 クルーガーの命令に背けるはずがなかった。
「…はい」
 短く返事をして、場所を変える為に移動するクルーガーの後に続く。
 なぜこうなるのだ。
 痛ましいほどの視線には気付いていたが、ニコルはレイトルとセクトルの方にはわざと振り向かなかった。
 今はそこまでの心の余裕があるはずもなかったのだ。

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