第8話


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 政務棟は兵舎内周第一棟と第二棟に近い内側に建てられた棟で、王城と共に中心棟のひとつに数えられている。王城とは中庭を通じて繋がっているが、行き来しているのは主に王族とその護衛くらいだ。
 ガウェは兵舎内周側から政務棟に入り、慣れた足取りで最上階に向かっていく。政務棟はエル・フェアリア全土を管理する為の政務官ばかりが職務に勤しみ、騎士の姿はあまり見かけない。魔術師の姿はちらほらとは見えるが。
 政務官達はやはりヴァルツを知っており、ガウェの後ろを歩くヴァルツの姿を見かけては目を丸くしていた。そして辿り着く最上階、政務の全てが集まる会議室の扉を、ガウェはノック直後に開け放った。
「失礼します」
 返答を待つまでもなく入室し、ガウェの登場に驚くミモザと大臣達、政務官達を見つける。壁際に立つミモザの王族付き達はさすがと言うべきか、ガウェと、その背後にいるヴァルツに眉ひとつ動かさなかった。ガウェが最上階の床を踏んだ時点で騎士達は気付いていたはずだ。
「…ガウェ?……あなたは本当に、どこにでも我が物顔で入ってきますね」
「急用でしたので」
 現れたのがガウェだと気付いたミモザが呆れた様子で顔を上げて、ため息をついた。そして。
「…あなたがそう言うのなら、本当に急用なのでしょうが--」
「--ミモザ!!来てやったぞ!!」
 ガウェの背後からひょこりと顔を出したヴァルツに、ミモザを含め大臣達も政務官達も目玉がこぼれ落ちる勢いで驚きを見せた。
「ヴァルツ様!?」
 ヴァルツはバタバタとミモザの元に駆け寄り、驚きすぎて引いているミモザの両の手を遠慮なく握りしめた。
「なぜここに…」
「兄上は大馬鹿者だからな!ミモザの危機だというのに何の手助けもしないなんて!!」
 完全に困惑しているミモザだが、ヴァルツがエル・フェアリアに来た理由を聞いてさらに困り果てた表情をする。
 大国ラムタルがファントムの件には関与しないという宣言は、実は表向きだけのものだ。だがヴァルツは兄王の言葉を鵜呑みにしてしまったらしい。
「…ヴァルツ様、それは」
「ファントムなどに絶対にミモザは渡さないから安心しろ!!」
 久しぶりの再会に興奮した様子で、ヴァルツがさらに半歩間合いを詰める。
「…ヴァルツ様、聞いてくださいませ。ファントムの狙いはまだ」
「私がいれば何も怖くないぞミモザ!!お化けでも兄上でも何でも来いだ!!」
 ミモザの言葉をここまで聞かないとは。
 齢16のヴァルツは年上の婚約者に良いところを見せたいのだろうが、空回りすぎて壁際に立つ騎士達に笑われている。
 一人はなんとか堪えているが、もう一人は困るミモザが珍しいのか完全に顔を背けていた。
「…どうしたのだミモザ?…もしかして…怖かったのだな!?私の胸を貸してやムグッ」
 困りきっているミモザの様子をどう都合良く勘違いしたのか腕を広げたヴァルツの口元を、ガウェは背後から容赦なく押さえつけた。
 今は失笑しているが、じきにミモザの護衛もキレる。
「…ガウェ、そのまま新しく改装したヴァルツ様の部屋まで案内してさしあげて」
 やれやれと頭を押さえて、ミモザはすがるようにガウェを見上げた。婚約者とはいえ年下に振り回されるミモザというのも珍しい。
 頭を下げて去ろうとしたガウェを、ミモザは「あ」と何かに気付いた様子で止めた。
「それと簡単に現状説明を…その後はどこでも好きなように動いてくれても構いません。…ラムタル国には私から連絡しておきますから、宜しくお願いしますね」
 ガウェがエルザの護衛任務までまだ時間があることを思い出したのだろう、暗にヴァルツと一緒にいろと言われてガウェの片頬がひくりと不愉快に跳ねた。再度頭を下げて、ヴァルツの口を押さえたまま退室する。
「ぷはっ!…ミモザはいつも忙しそうだな?」
 苦しくなったのか途中でヴァルツはガウェの手を力一杯引きはがし、まるで他人事のように訊ねて。
 王族が勝手に他国に渡るなど、下手をすれば開戦に発展する恐れには気付いていない様子だ。ラムタル国がエル・フェアリアに戦を仕掛けたい場合、ヴァルツを拐われたという大義名分が使われるというのに。
 幸い現在のラムタルは穏やかな国なのでそこまでの心配は無いだろうが、多忙のミモザの仕事を増やしたことは事実だ。
 ヴァルツを連れて会議室を出る瞬間に聞いたミモザのため息は、先ほどのニコルのため息より切実だったろう。

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 城内の一角が慌ただしくなったのは、確実にヴァルツの責任だ。
 突然の来訪に、何の用意もされていない状況から迎えの準備をするのだから、侍女達の慌てっぷりは凄まじい。
 それでも見た目には慌てた様子を見せる素振りなど一切なく優雅なもので、ガウェは侍女達の背景を知るので不憫に思うが、ヴァルツは気付かずどこまでも自由だ。
 侍女にも階級は勿論ある。
 兵舎外周や内周にいる侍女の大半は将来の夫探しに来た程度のなあなあ状態の侍女ばかりだが、王城仕えの侍女ともなれば立ち振舞いは洗練され、王族付き騎士のように王家の姫達の身の回りの世話もこなすまでになる。
 数年前までは事勿れ主義の侍女長のせいで王城仕えの侍女達の中にも裏のある者が多かったが、今は仕事の出来る侍女が侍女長の座に付き、それからは目覚ましく王城仕えの侍女達の質が良くなったと騎士達にも評判だ。
 そのどこに出しても恥ずかしくない侍女達を慌てさせるのだから、ヴァルツがどれほど勝手な行動を取ったかがよくわかる。
 ラムタル国では子供が成人を迎える年は17歳であり、ヴァルツは来年の成人を目処にエル・フェアリアでミモザと婚礼を執り行い、エル・フェアリア王家入りする予定である。二人が夫婦になってからの部屋は既に作られてはいたが、生活する為の用意など成されているはずもなく、ガウェは部屋までの案内を、部屋の用意をする侍女達の為にわざわざ遠回りをして時間を作った。
 突然来ても用意なんて出来てないから少し待ってろ。そう言えたらどれだけ楽だろうか。だがそんな理由を、ヴァルツは受け入れようが侍女達は許さない。
 王族付き騎士達に王族付きたる誇りがあるように、王城仕えの侍女達にも王家に直接仕えるという誇りがあるのだ。その誇りを汚す行為は、最上位貴族として産まれたガウェであれ許されないのだ。だからガウェはヴァルツには何も告げず、ただ時間を少し伸ばすという形で侍女達に手を貸した。
「--ここが未来の私とミモザの部屋か。大きなベッドだ!」
 ヴァルツを部屋へ案内した時には室内の用意は完璧に終わっており、二人用のベッドに元気よく飛び込んだヴァルツを尻目にガウェはまだ若いがやり手の侍女長と侍女達に黙礼をした。
 静かに退出する侍女達を見送ってから、ガウェはヴァルツが転がるベッドに近付く。
「で、どうなっているのだ?誰が狙われている?」
 それを見計らったかのようにヴァルツが上体を起こしてガウェを見上げてきた。あれだけミモザミモザと連呼していたので何か勘違いしていると思っていたが、一応状況は理解しているらしい。
「誰が狙われているかまでは…フェント様のおかげでファントムがなぜ今回は宝具ではなく姫を狙っているのかがわかり始めたところです」
 ガウェの説明にヴァルツは驚いて目を丸くする。
「…本の虫の第五姫が?」
「フェント様の知識量はエル・フェアリア随一です。一度でも書物に目を通せば内容をほぼ忘れません」
 表立つことを嫌う姫である為に知識をひけらかす事もなかったので、ただの読書好きと思っていた者も多いが、フェント姫付き達は気付いていたことだろう。
「うぅむ…私は好んで本など読まんからな」
「それは残念です。ミモザ様の好みは読書を嗜む男性ですから」
「言い間違えた!本は大好きだ!!毎日百冊は読むぞ!!」
 慌てて前言撤回するヴァルツを冷めた目で見る。ヴァルツの方も視線を逸らしたので、自分が恥ずかしいことを口走ったと理解している様子だ。
「……それで、何がわかったのだ?」
 気まずい沈黙を破るように、口ごもりながら訊ねてきた。
「はい。ファントムが今まで奪った宝具の全てが太古にエル・フェアリアで製造された兵器であることと、それを操る為に必要なものがエル・フェアリア王家の魔力だということが」
 フェントが以前の集会で説明した内容を簡単に伝えれば、眉根を寄せられた。
「恐らくは、ファントムは奪った宝具を操る為に王家の姫を狙っているのでしょう」
「いや、待て待て…なぜそうなる…?」
「何がです?」
 ヴァルツの言いたいことならわかっていたが、ガウェはあえて知らぬ様子を貫いた。
「大昔の兵器だの王家の魔力だの、そんなにわか仕込みのような話を完全に信用するのか?」
 やはり。
 フェントの説明は突拍子すぎて、受け入れられるような代物ではない。
 元々騎士達の士気を高める為の前座的な意味合いが強かった説明だ。なぜファントムが姫を狙うのか、漠然としてしまってはファントムの存在も霞む。ファントムの存在が霞んでしまっては今の緩んだ騎士団では有事に支障を来す。
 フェントの健気に説明する姿を見た後でのミモザの激励は、さぞ王城騎士達を励ましたことだろう。
 いくら王族付き騎士達が有能でも、それを上回る無能の数が多ければ多いほど足を引っ張られてしまうのだから。
「誰も完全に信用した訳ではありませんよ」
 ヴァルツの首がわずかに傾ぎ、聞き入る体勢を静かに改めた。どうやら無駄に歳を重ねた訳ではないことに、少しだけ感心する。
「ファントムが姫を狙う理由などは正直どうでもよいものです。単純に七姫様の誰かに恋い焦がれたのか、それとも悪質な嫌がらせか」
 フェントは自ら動いてファントムとの繋がりを探し出したが、そんなものはガウェ達護衛側には正直なところあまり感心がない。
 理由と声援を差し出さなければ士気を引き出せない者達と、姫を守ることに理由を必要としない者達とでは根本が違うのだ。
「全て、どうでもよいことです。我々騎士は姫を守るのみ」
 ただ、そう思っているのはやはり騎士団側だけで。
「ですがミモザ様達はフェント様の見つけられた“繋がり”を元にファントムへの対応をしていく様子ですよ」
 集会が終わった後でミモザがフェントに、以後も調査を続けるよう指示したことは知っている。
「…フェントが見つけたからか?」
「そこまでは。…ただ、“王家の魔力”が絡みますから。王家の魔力はエル・フェアリアで最も保護すべき力ですからね」
 エル・フェアリアには国を上げて保護するべき対象が二つある。
 一つはどこの国でも同じく保護対象に上げられる、特殊な魔力を持つ者の保護だ。
 フレイムローズの魔眼もそれに当たり、エルザが隠れて独学で学ぼうとしている治癒魔術も。
 そしてもう一つ。
 エル・フェアリア王家の魔力だ。
 こればかりはガウェ達にはさっぱりと理解できないもので、姫達いわく、エル・フェアリア王族達の生まれ持つ魔力と、ガウェ達の魔力は質が違うのだとか。
 ガウェ達には何が違うのか理解できないが、保護の順位は一番手だ。確かに特殊な魔力の流れなので王家の血筋と言われればまだ納得がいく。
 他国の者はエル・フェアリア王家の魔力に触れた際、そのあまりの違いに驚くとは聞くが。
「…虹の女神エル・フェアリア…」
 思い出したように呟いたヴァルツに、今度はガウェが首をかしげた。
 虹の女神エル・フェアリアは、大国エル・フェアリアの初代国王ロードの妻の名前だ。
 エル・フェアリアに住む民なら全員が子供の頃に聞かされるお伽噺。
 この国は、女神の名前から付けられた。
「兄上が以前おっしゃっていたのだ。エル・フェアリア王家の魔力は、何かが他と違う、と。兄上も“どう説明すればよいものか”と困惑していたほどにな」
 王家の魔力は確かに質も良く、量も多い。だが魔眼のように相手の脳に直接作用するものでなければ、治癒魔術のように癒す力でもない。強い魔力で王国に結界を張る魔術師達と何ら違いはないはずだが。
「…では、我々には理解しがたい何かが姫達の神経を撫でたのでしょうね」
「…難しくてよくわからん!」
 次第に難解になっていく会話に、とうとうヴァルツが折れた。少しは大人に成長したかと思ったが、やはり幼い部分はしっかり残っている。
 ベッドに上半身を再び預けたヴァルツに背中を向けながら、ガウェは窓の向こうに見える陽炎のような一つの塔を見上げた。空に浮かび空に擬態するその塔は、王族達の魔力に反応を見せる仕草をする。
「なら我々のように、単純に姫を守ることだけ考えていればいいのですよ。思考は七姫様や魔術師団に任せて」
「…それはそれで、筋肉馬鹿のようで嫌だな…」
 考える暇があるなら訓練を。
 迷う暇があるなら直感を。
 王族付きの大半は確かに筋肉馬鹿だ。ガウェはヴァルツのぼやきに、静かに笑みを浮かべた。
「ところでガウェ、お前はエルザの護衛に行かなくてよいのか?」
「本日は昼からの護衛ですから、もうじきですね」
 ふと話題を変えられて護衛の時間を教えたが、ガウェはミモザからヴァルツの側にいるように言われている。ガウェが組むのは強さにかけては信頼できるニコルで、今は魔術師達も姫の護衛に立つのでわざわざガウェがエルザの護衛に戻る必要は無いだろうが。
「なら今日はお前について行くとするか。エルザに話したい事もあるしな」
 ヴァルツの言いたいところに気付いて、ただ口を閉じる。ヴァルツが、ラムタル国がエルザに話したい事など一つだけだ。
「兄上とエルザにはやはり結婚を考えてもらわねば。私とミモザの子をラムタルの次期王に据えると言っているが、やはりそれだけでは心許ない…ただでさえラムタルの王族直系は兄上と私を残すのみになっているのだから」
 エルザにはかつて婚約者がいた。当時はラムタル国第一王子であったバインドと。
 だが当時の王をバインドが討ち、エルザは新たなラムタル王となったバインドから婚約破棄を言い渡された。
「バインド陛下にお話は?」
 現在ラムタルを統べるバインド王がエルザとの婚約を破棄した理由は、当時の堕落したラムタルにエルザを迎える事がどれほど恐ろしいかバインドが気付いたからだ。
 エルザを思っての事ではない。
 エルザが幼い頃から傾国を謳われるほどの美貌を持っていた為だ。
 バインドは絶世の美女と名高い第二姫エルザとの婚約を破棄し、醜女と蔑まれた第四姫リーンを新たな婚約者に据えた。
「私も臣下も毎日言っている。今は昔とは違い、ラムタルも落ち着いた国になったと。しかし聞く耳を持たぬ…亡くなった婚約者を思うのは良いが、だからといって妃を娶らぬなど、大国の王にあってはならん。…リーンも浮かばれぬわ」
 婚約者であるリーンが五年前に亡くなったというのにバインド王はリーンを偲び、他の妃を迎える様子を見せない。
 ラムタルの次期王はヴァルツとミモザの子供から。それで構わないと。
「…お前といい、兄上といい…リーンは面倒臭い男によく好かれるな」
 まるで全て理解しているとでも言いたげな含みのある笑顔を向けるヴァルツに、ガウェは冷めた視線だけを返した。

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