第8話
第8話
エル・フェアリアが大戦を終結させて数十年が経ち、王城を守る騎士達の士気が微睡んでいたこの時に、ファントムの噂は痛いほどの刺激を与えてくれた。
大国の姫が狙われているという噂は近隣諸国、特にいずれ七姫を妻に迎える国々からは安全が確立されるまで保護したいとの申し出まで届けられた。
だがこの国はエル・フェアリアだ。
エル・フェアリアは虹と“鉄”の国。
大量の鉄を産出・保有し、さらにその鉄をありとあらゆるものに加工する技術も持つ。鉄に関してエル・フェアリアの右に出る国は無いのだ。
だからこそエル・フェアリアは数十年前の大戦の中で多くの領土を勝ち取り、更なる大国に上り詰めたのだ。
エル・フェアリアより安全な国など有り得ない。
ただ一つの例外を上げるならば、エル・フェアリアと同等の力を保有する大国ラムタルだろう。
ラムタル国王バインドの弟であるヴァルツとエル・フェアリア第一姫ミモザはすでに婚約した身ではあるが、大戦自体は終わったとはいえ国と国の関係は今だ同盟も停戦協定も結んでいない“敵国”
今回のファントムの件でも、ラムタル側からは唯一何の申し出もないままだ。
「あっても困る」とはミモザの言葉だが、それが本心なのかまでは誰にもわからなかった。
公務に無関心な国王に代わる兄のサポートとして政務に積極的に携わってきたミモザを、多くの騎士と政務官が「あのような冷たい国の者と結婚するとは」と憐れむ中で、彼女は気丈だった。
「--ようやく辿り着いたか…エル・フェアリア」
それは、遊郭街で起きた虐殺事件の日の朝の事だった。
雲ひとつない青空の下で、彼は王城を守るようにそびえる正門前のど真ん中に立っていた。
成人したばかりであろう年齢で堂々とした姿は自信に満ちているが、通行人達には邪魔で仕方無い。
正門を守る騎士達はいつも不審者に目を光らせるが、正門前に仁王立ちでいる幼い不審者など初めてらしく、わずかに困惑した様子で彼を注意深く監視していた。
日焼けの少ない肌に、エル・フェアリアの民にしては濃い色合いの長い紺の髪。ファントムの件もある為に警戒は平時より厳しいものに変わっているが、目立ちすぎる不審者というのも対応に困る。
ニコルという平民の騎士がいるために、たまに勘違いした平民が騎士団入りしようと正門の扉を叩くこともあったので、今回もその類いではないかという話で落ち着きそうになっていた所で、仁王立ちの彼が動いた。
エル・フェアリアでは見慣れない特殊な構造の服の袖をめくり、手の甲から肘上まで絡み付くように装着された金の腕輪を露出させ、魔力を込めるところまでを騎士達は目の当たりにして。
「--今すぐここを開けろ!」
彼が叫んだ瞬間に金の腕輪は形を変えて一本の細長い杖となり、その柄を持って地面に強く打ち付ける。
キン、と鈴の割れるような高い音が響き渡り、辺りが騒然となった。
緊張が走る正門前で、警備の騎士達は各々が得意とする魔具を発動させて戦闘体制に入っていた。
だが彼は胸を張って堂々とした状態のままだ。
一秒、二秒、三秒。
彼は全く動かない。
こいつは何がしたいのだ。
「何者だ!!」
「怪しい者は全て取り押さえよとの命令だ!」
テンポを乱され情けない動きを見せながらも騎士達は彼を取り押さえにかかった。
「わ、離せ!何をする!!」
「煩い!まさかファントムの仲間か!?」
間抜けたスタートとはいえ訓練された騎士達の動きは迅速で、三人の騎士が一気に間合いを詰めて陣形を取り、長剣型の魔具を使用して彼の動きを封じ込めた。だが彼は驚きこそしたが、畏縮する様子は見せない。
「その件でミモザに話があると言っているのだ!!早くミモザに会わせろ!!」
それどころか不躾に第一姫を指名し、取り押さえに動いた三人と、それ以外の騎士達の怒りも買った。
「ミモザ様を呼び捨てにするとは!!」
「何て奴だ!!牢にぶちこめ!!尋問はその後だ!!クルーガー団長を呼ぶんだ!!」
騎士達の前でエル・フェアリアの宝である姫を呼び捨てるなど、自殺行為にもほどがある。
一連の騒ぎには正門近くにいた民達も集まってきていた。
「はーなーせー!!私を誰だと思っているのだ!!」
「煩い怪しい子供め!いい加減大人しくしろ!!」
「何だと!!国際問題だ!!私にこんなことをして許されると思うな!!」
「何を!!」
取り押さえられてもがく彼はどこまでも横柄で、その分騎士達の血圧も上がっていく。このままでは埒が明かないと騎士の一人が魔具を消し、籠手の装備された拳を彼に目掛けて容赦なく一撃放った。気絶させる為の一撃はしかし、彼に当たる直前に突如出現した魔具の盾に阻まれてしまった。
「--その御方を離せ」
そして、正門上部の窓から飛び降りた新たな騎士によって、彼は騎士達から引き剥がされた。
「なっ!?」
「ガウェ殿!?」
ガウェは重い装備を纏っているはずなのに軽やかに着地し、騎士達から守るように彼の襟首をつかんで自分の後ろへ引く。
「いたた…」
情けない声で首の痛みを訴える彼に、ガウェは呆れたようにため息をついた。
「…まさかお一人で来られたのですか?」
「当然だ!あそこは頭の固い奴ばかりだからな!」
ガウェの言葉遣いに、未だ構えを崩さない騎士達が眉間に皺を寄せる。
「…ガウェ殿…そちらの者とお知り合いなのですか?」
黄都領主嫡子であるガウェの地位がエル・フェアリアにおいてどれほど高いものか、騎士達の中で知らない者はいない。だというのにガウェの言葉遣いはまるで目上の者に対するものだった。
ガウェより若いはずの、下手をすればまだ未成年だろう彼に、なぜそんなかしこまった態度なのか。
困惑する騎士達に向かって彼は強く指を差しながらガウェを睨み付けた。
「ガウェ!今すぐこいつらに懲罰ムグッ」
すぐに口元を押さえられてしまい、じたばたと暴れる姿は我が儘を通そうとする子供だ。
「こんな時期にお一人で来られるあなたが悪いのです」
彼の耳元でガウェが囁いた言葉は騎士達には聞こえず、だが敵ではない様子に騎士達も手にしていた魔具を消してガウェからの説明を待つ。辺りには騒動を見守る平民達で溢れ、その目から隠す為に扉を開けるよう指示を出した。
正門は巨大な門だが、その隣には騎士達が出入りする為の扉が備え付けられているのだ。そこに彼を押し込もうとして、彼自身が不満そうにまたガウェを睨み付けた。
なぜ自分が正門ではなくこんな小さな扉を使用しないといけないのか。そんな不満を抱いているのだろう彼の背中を押して、とっとと王城の敷地内へと入れてしまい。
「…ラムタル国バインド陛下の弟君で、ミモザ様の婚約者でもあるヴァルツ王弟殿下だ」
正門の外にいる騎士達に小声で説明をした。
エル・フェアリアに唯一匹敵する大国、ラムタル。その国の、たった二人しかいない王族直系のうちの一人だと。
「ら…ラムタル!?」
「まさか…」
騎士達の困惑はもっともだろう。
ラムタルからヴァルツが訪れるなどという知らせは受けていないのだから。ガウェもヴァルツが来るなど知らなかった。だがヴァルツが発動した腕輪の絡繰りの鳴る音を聞いて、まさかと思い正門に訪れたのだ。
「私の言葉が信じられないか?」
「いえ!…そういうわけでは…」
「殿下の後の事は私が責任を持つ。お前達は職務に戻れ」
「は…了解しました」
王城騎士ならヴァルツを見たことがないのは当たり前だろう。
ガウェがヴァルツに最後に合ったのは数年前だが、ラムタル王家だけが操る特殊な絡繰りの音は忘れてはいない。敬礼する騎士達に背を向け、ガウェも敷地内へと戻った。
扉は分厚い塀の通路に通じ、その先の王城敷地内でヴァルツが手を振ってガウェを呼んでおり。
「…なぜここに?」
通路を歩き王城敷地内に戻ったガウェは、何よりもまずなぜヴァルツがエル・フェアリアにいるのかを訊ねた。
いくらミモザと婚約しているとはいえ、大国ラムタルの王族が共も付けずにまだ同盟を結んでいない国に勝手に足を踏み込むなど。
「決まっているだろう!ミモザを守る為だ!!」
胸を張って自信たっぷりに宣言するヴァルツに、周りの騎士達が呆れている。城内も突然のヴァルツの来訪に驚いており、ヴァルツの顔を知らない者は困惑しているが、知る者の困惑の方がひどい。
「何に乗ってここまで?」
「兄上のからくり兵馬だ!途中で壊れたのでバレないよう燃やしたがな」
王城まで案内する為に敷地内を進めば、見慣れぬヴァルツに眉を顰める者と驚いて二度見する者に分かれて面白い。だがヴァルツとの会話は昔からあまり好きではなかった。
「…いつ国を出たのですか」
「ひと月ほど前だ!姫が狙われていると聞いてな!」
嫌いという訳ではないのだが、近すぎる距離感がどうしてもガウェには馴染めないのだ。
年下とはいえラムタル王家の血を引くので無下にも出来ず、仕方無く相手をする内に必然的に苦手意識が芽生えていく。ガウェの思いを知らないだろうヴァルツはバンバンと強くガウェの二の腕を叩いて無邪気なものだ。
「今はコウェルズもいないのだろう?男手を貸してやるぞ!ありがたく思え!!」
エル・フェアリアでなら成人を一年前に果たしているが、ヴァルツはラムタルではまだ保護されるべき子供だ。そのお子様がエル・フェアリア唯一の王子の不在に、王子の代わりを務められるとでも言いたいのか。
鼻で笑いそうになるのを何とか堪えたところで、ニコルがガウェ達に駆け寄るのが見えた。
「ガウェ、お前また逃げ--ヴァルツ殿下!?」
「おお!この私を覚えておったか!元気そうで何よりだぞ平民騎士!」
ヴァルツの絡繰りが鳴り響いた音を聞きつけ、共に見回りをしていたニコルを放置して来たのを忘れていた。置いていかれたニコルは怒りを露にしていたが、ヴァルツの姿を目に留めて素っ頓狂な声を上げる。
「なぜここに!?何の連絡も受けておりませんよ!?」
「当然だ!お忍びだからな!」
何を自慢気に。
「…団長に伝えてくれ。ヴァルツ殿下はこのまま政務棟のミモザ様の元へ連れていく」
「あ、ああ…」
戸惑うニコルに指示を出せば、噛みついてきたのはヴァルツだった。
「政務棟だと!?ミモザはこの状況でも政務に携わっているのか?デルグ王はまだ引き込もっておるのか!?」
現在エル・フェアリアの王は政務を放棄しており、コウェルズ王子も不在の為に第一姫であるミモザが政務を指揮しているのだが、コウェルズ王子不在ならさすがに王も出てくるだろうとヴァルツは考えていたらしい。
エル・フェアリアのデルグ王が政務に携わらなくなって四年。国民達は王に対する希望などすでに消滅してしまっているが、長くエル・フェアリアに遊びに来なかったヴァルツはまだ希望を持っていたようだ。
政務に携わらなくなる前は、凡庸ながら王としての務めを懸命に頑張っていたのだが。
「…早く行きますよ」
それでもガウェにとってのデルグ王は、まだ生きている事すら許せない男だった。知らず冷たくなる声色に、ヴァルツが耳聡く見返してくる。
「あいつがいなくて良かった…」
「何だ?誰かといたのか」
しかしニコルの呟きに、すぐに興味をニコルに移し替えた様子だった。
「あ、いえ。殿下が気にするような者ではございませんので」
ニコルのぼやく「あいつ」とはパージャで決まりだろう。確かにパージャの性格とヴァルツの性格が合わさると完全に誰の手にも負えなくなることは明白だった。
それこそ息が揃ってしまったら目も当てられない。
「そうか。では後でな!」
不幸中の幸いとでもいうべきか、あまり気にする様子を見せず気楽に手を降り、ニコルから離れてくれた。
ニコルに背を向けて政務棟に向かう中で、ニコルが疲れたようにため息を漏らすのをガウェは聞き逃さなかった。
-----