第1話
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ファントム
その名前が噂されるようになったのは、四十年前のことだ。
世界各国の王家の宝を狙う怪盗。
王城を囲む城下町に流れる噂から始まり、次第に狙いが定まり、最終的に王家の宝が奪われていく。
正体は熊のような大男からミイラのような老婆まで様々な姿で語られるが、姿を見た者はいない。
ファントムが狙い奪う宝もすべて古代のガラクタである為に、被害を受けたとしても大々的に捜索をしない国も多いと聞く。
「--ニコル?」
噂を調べる為に城下に降りたのであろうガウェとフレイムローズを思い出しながらファントムについて考えていたニコルは、ふと聞こえた声にハッと顔を上げた。
「…エルザ様…申し訳ございません。少し考え事を」
王城の中庭を、護衛対象である姫と歩く。
エルザ姫はエル・フェアリアの姫達の中でも一番の美貌を持つと人気が高く、その人気に違わず本当に美しい姫だった。虹の緋色をその身に宿し、表情豊かにコロコロと笑うのでとても無邪気で愛らしい。
19歳にはなるが、あまりの美しさに他国王家からの求婚が凄まじく、六人の姫の中で未だに婚約者が決まっていないのも有名な話だった。
「構いませんよ。ニコルでもボーッとする時があるなんて新鮮ですわ!」
光を浴びた清流の輝きを交ぜたように美しい緋色の髪と瞳がニコルの目に映る。
エルザは他意無くそう告げたのだろうが、ニコルは深く頭を下げた。
「申し訳ございませんでした」
「そんな、謝らないで…そんなつもりで言ったのでは…」
深く謝罪するニコルに、エルザの方が申し訳なさそうに見上げてくる。
「いえ、いかなる場合であろうとエルザ様をお守りせねばならないのです。こんな事では王族付きとして失格です」
真面目な台詞はうそ偽り無い本心だが、それを聞いたエルザはきょとんと呆けてから、やがてクスクス小さく笑った。
「そう固いから、ミモザお姉様があなたを“自分の王族付きに”と欲しがるのですよ」
「それは…」
政務にも深く従事する堅物で有名な第一姫ミモザは、自分の王族付きにも洗練されていることを望んでおり、その姫に名指しで欲しがられることはとても名誉な事ではあるが。
「光栄と言いますか、恐ろしいと言いますか…」
いくらニコルが仕事には真面目であるといっても、できれば護衛対象は堅苦しくない方がいい。
そんな思いをモゴモゴと口にすれば、聞き取れなかったのかエルザが小さく首をかしげた。
その姿があまりにも可憐で、思わず顔を背けてしまう。
--クッソ可愛いな、ちくしょう…
平民出のニコルは実は騎士団で一番口が悪いのだが、それをエルザに知られたくはなかった。
ほのかに抱いた思いがあるので尚更だ。
「…私が思うに、ニコルは周囲の目を気にしすぎですわ!!」
目を背けたニコルをどう思ったのか、突然エルザが自信に満ちた表情になった。両手を強く握りしめて胸の近くでガッツポーズを取るが、それだとエルザの大きな胸の谷間が激しく強調されるので目のやり場に困ってしまう。
ただでさえ夏のドレスは生地が薄いというのに。
「平民でありながら騎士になり、さらに騎士達にとって最大の栄誉である“王族付き”へ!!周りが出自を気にしてあなたを見下そうとも、あなたの実力には遠く及ばないのです!!」
どうやら第一姫ミモザに認められたくだりでニコルが言葉を濁したことを勘違いしている様子だ。
エルザはニコルを勇気付けたいのだろう。それに気付いたから、あえて否定はしなかった。
「ありがとうございます。ですがご安心を。何かあれば私の“実力”で黙らせてみせますよ」
「あら、ふふ」
互いに笑い合ってから、中庭の散歩を再開する。日除けのある通路のお陰で暑さはましだが、たまに吹く風が生暖かい穏やかな時間。
だからこそ遠くから聞こえてきた足音は、騒音以外の何ものでもなかった。
「エルザ姉様ーっ!!」
およそ姫が立てる足音には聞こえないほどのバタバタとした足音を響かせながら、美しい黄の髪をなびかせた姫が猛烈な勢いで近付いてくる。
「うわっ!!」
エルザ姉様と叫びながら、辿るルートはニコル一直線だ。
ギリギリでぶち当たるという一歩手前で先ほどまでのやかましい足音が一転して無音になり、ダンスのステップを踏むように軽やかに姫が体をくるりとターンさせ、受け止めようとしていたニコルをよけた。
そしてそのままエルザに抱きつく。
第三姫クレアの襲来だった。
筋肉姫とも呼ばれるクレアは武術が好きなのでそう呼ばれるだけであって、実際の彼女はエルザ同様華奢だ。出る所はエルザより出ているが。
武術の実力はそこそこあるが、女の身である為か筋肉には恵まれていない。だが訓練の賜物なのか、17歳のクレアは七姫達の中で一番背が高かった。
「クレア、また兵装を?ミモザお姉様に見つかったら叱られますわよ」
「いいの!ドレスだと動きにくいもの!それに上は一応ドレスだし」
「また改造しましたの?」
武術好きのクレアはあまり知られていないが手先も器用で、今着ている服も上半身はドレスの名残を見せながら、下半身は完全に騎士と同じ兵装だった。
だが違和感はなく上手く作られており、それがクレアのセンスの良さを主張している。
「やあ、ニコル殿」
「朝ぶり…」
猛ダッシュで近付いてきたクレアの後をまったりと追いかけてきたのは、レイトルとセクトルだ。
今はレイトルも装備を身に付けているので、クレアの護衛任務の只中なのだとすぐに理解できた。
朝はセクトルも眠たそうではあったが、さすがに目は覚めた様子だ。
「クレア様の動き、猫化してきてないか?」
小声で純粋に訊ねた質問に、レイトルとセクトルはただ苦笑いだけを返してきた。
「姉様、聞いたよー!!」
騎士達には目もくれずエルザに抱きついていたクレアが少しだけ体を離し、困惑しているエルザにレイトル達から聞いたのであろう情報を伝える。
「ガウェ、今日は任務で城下町に行ってるんでしょ?いいなぁ、私も行きたいな」
そして言葉の後半は明らかにレイトルとセクトルに向けて話していた。
「クレア様…城下に行きたいのですね」
「…お忍びなら」
「いいわけないだろ!!」
王族付きは何故か無条件に護衛対象に甘くなってしまう節があり、レイトルとセクトルも例外無くクレアには甘かった。
甘えられるとハイハイと甘やかすし、おねだりされれば叶えたくなってしまう。
それを理解しているのか、姫達も上手く騎士達を転がしているところがある。
もしニコルがいなければ、二人はお忍びを実行に移しただろう。クレア姫は特に常習犯だから。
「…だめ?」
「駄目です」
潤ませた瞳でクレアが最後の砦であるニコルを見上げてくるが、残念ながらニコルにその手は通用しない。
即答すれば、唇を尖らせて不満顔になった。
「…エルザ様?」
そのクレアを放置してエルザの方を見れば、クレアのインパクトのお陰で気付かなかったが様子がおかしい。
いつも通りの白い肌、その顔色を青くしながら、俯いて少しふるえているのだ。
「エルザ姉様?どうしたの?」
「…本当なのですか?」
すがるような瞳で、エルザがクレアに訊ねる。
全員が何の事だと頭を巡らせていると、答えが出るより先にエルザがまた訊ねてきた。
「ガウェが城下に向かったというのは…」
ひどく心配している時に見せる表情。
エルザがガウェを心配する様子に、ニコルはちくりと胸を痛めた。
「…任務内容は知りませんが、恐らくはファントムの噂に対する調査かと。…フレイムローズ殿と共に先ほど向かいましたが」
「そんな…」
さらに青くなったエルザの悲しげな目がニコルを捕らえる。
「そんな、いけません!!」
まるでニコルの言葉を拒絶するように、エルザの声は中庭に響き渡った。
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