第6話
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深夜の新緑宮を前に、ニコルは見回りの足を無意識に止めてしまった。
王城警護は王城騎士の仕事であるが、ファントムの件が終わるまで警護を強化し、見回りも増やされることになったのだ。
王族付きにも稀にだが見回り任務が課せられ、ニコルはパージャと二人で夜の裏庭を回っていた。
二人の肩にはフレイムローズの魔眼蝶が乗っているが、それ以外にも王城のいくつかの場所を魔眼蝶はひらひらと飛んでいる。
場所が新緑宮のある裏庭なのでガウェは外したのだが、この時期なら焼け石に水だったろう。
「ここも異常は無いな。後は青天宮・勇藍宮・紫真宮を回ったら交代だ。気を抜くな」
「へーい」
「きちんと返事をしろ」
「…はーい」
「……」
「はい」
「よし」
裏庭の七色宮の見回りくらいなら何の苦でもないのだが、パージャといるとどうしてもペースが乱れる。
乱されないように意思を固められるよう、パージャとの会話も訓練のひとつと思い始めたのはつい最近だ。
「ほんっと、お堅いよなぁ?ニコルさんは~」
「喋る余裕があるなら特別に訓練してやろうか?」
「いやいや…もうクタクタだから許して…」
精神を落ち着かせるように気を付ければ、パージャとの会話も何とかうまくいく。元々短気な性格が今までは災いしていたのだ。
パージャの方もニコルが攻略法を編み出したことに気付いたらしく、それからはおちょくるのを控えている様子だった。
だがパージャだ。たった半月弱ほどしか行動を共にしていないが、彼が他人をわざとおちょくる姿は度々見ており、それは一種の癖であると思っているので気は抜かない。
「王族付きになれば深夜に突然訓練が始まる場合もあるから気を付けておけよ」
「…きっつー。なんで突然始めるの…」
「……さあな。団長の思いつきだろ」
「さっすがクルーガー団長」
誉めているのか呆れているのかわからない口調だが、実際に深夜の訓練を経験すれば軽口を叩けなくなることは目に見えていた。
以前一度だけ起きた深夜の訓練は、悪ふざけの過ぎたニコル達が悪いのだが。
若気の至りとは恐ろしいものなのだ。
「ほら、さっさと行くぞ」
警戒するように少し離れた位置からじっと新緑宮を観察するパージャを促すが、なぜかパージャは動く素振りを見せなかった。
「どうした?」
いつになく真面目くさった面持ちに首をかしげれば、まるで禁句でも訊ねるかのように重苦しく口を開く。
「…ここでリーン姫が死んだんっすよね?」
王城内ではあまり口にされないその過去に、静かに目を見張る。
悲惨な事故はこの中で起きた。
リーン姫の遺体は、見るも無惨な姿だったという。
「リーン姫の遺体ってここにあるの?」
「…そんなわけがあるか。王族の御遺体は全て幻泉宮に埋葬されるんだ」
幻泉宮は裏庭の七色宮のさらに奥にあり、場所によっては兵舎内周の渡り廊下からも確認することが出来る。
建物自体は七色宮と同じく低い作りだが、幻泉宮は地下宮殿だ。
地下に降りれば、王城で働く者達がすっぽりと収まるほどの広さを持っている。
だか王家の墓所である為に滅多に開放される事はない。
扉が開かれるのは、王族の埋葬の時と、一年にたった一度の掃除の時と、慰霊祭の数日だけだ。
掃除は魔術師団の担当で、魔力による特殊な清掃が行われるらしい。
「たしか新緑宮にかけられた結界とリーン姫の魔力が反発して起こった事故だったんでしょ?」
「…そうだが…何が知りたいんだ?」
含みのある言葉は、まるで何かを探っているようだったが、
「いや、あのあれ…だれ?何姫だったっけ?魔力異常量のお団子頭姫」
本気で姫の名前を忘れている様子を目の当たりにして、盛大にため息が出た。
「お前…コレー様のことを言っているなら今の発言は姫付きの前では絶対に言うなよ」
「あ、そうだコレー様だ」
まさかと思えばやはりか。
魔力異常量とお団子頭と言われれば、騎士なら誰でも第六姫を思い付くだろう。
孤独をとても怖れる11歳の姫は、七姫の中で一番の寂しがりだ。それ故に甘えられる騎士達も満更でもない様子で、姫を一番甘やかすのもコレー姫付きの騎士達だった。
オヤジ騎士とからかわれるスカイなどは暇さえあれば抱っこさせられていた。
このままじゃ俺一生嫁さん貰えねぇな
そう呟いた彼は、侍女達が自分に対する評価を「幼女趣味」と位置付けていることを知っている。
当の本人は美脚巨乳好きだが。
「コレー様ほどの魔力だったら結界壊せるんすかね?」
「どうだろうな…結界自体は古代の魔術師の力がまだ生きている状態らしいから、俺にはわからない」
結界を壊す。
そんなことは考えたこともなかった。
「うーん…人身事故起きるくらいなら結界なんて取っ払えばいいのにって思ったんだけどなあ」
「そんなことをしたらエル・フェアリア中の結界が弱まる事になる。七色宮は国の結界の要なんだからな」
パージャは死亡事故まで起きてしまった為にそう提案したのかもしれないが、国の結界を維持する為に最も重要な七色宮を壊すなど、実行しようものならただでは済まない。
「結界結界って、もう大きい戦争が終わってどんだけ経つよ?」
「そういう問題じゃないんだよ」
資源にも恵まれた大国が自らを維持するには、兵力は必要不可欠だ。
ただ大きいだけなら、すぐに侵略されて国は滅亡する。
結界も、国を守る以外に兵力と同じ抑止力としての意味を持つ。
目に見える力が兵士の数だとするなら、結界と、それを操る魔術師達は目に見えない力だ。
魔力を持たない者達にはただの空に見えても、魔力を持つ者達が見たエル・フェアリアの空にはまるで大量の虹が掛かるようにいくつもの結界が見えるだろう。
その結界があるだけで、エル・フェアリアを狙う他国への抑止力となるのだ。
「へー。…じゃあ何でガウェさんって新緑宮に来るんっすかね?」
「…何がだ?」
突然変わる会話に付いていけず、ニコルは眉間に皺を寄せた。
結界の話をしていたはずなのに、なぜガウェがここに来る話を繋げて語るのか。
その疑問はすぐに解消された。
「だってほら、ガウェさんってリーン姫大好きなんでしょ?ここじゃなくて幻泉宮?お墓に行けばいいのに」
リーンの傍にいたいなら遺体があるはずの場所に行けと。確かにそうかもしれないが。
「…幻泉宮は基本的に中には入れないからだろう。あそこも特殊な結界で守られているからな」
中に入れないのは新緑宮も同じだが。
「結界だらけだねぇ」
「それだけ守るものが多いんだよ」
国も、姫も、家族も。
全て守りたいからこそ。
そう信じたいニコルの言葉に、パージャは静かに鼻で笑った。
「…守るもの、ねぇ…」
「…何だよ」
何が面白いのか口元だけは笑っている。
「案外“隠し事”が多いのかもしれないよ?」
「何だそれ」
あれだけ新緑宮の前から離れようとしなかったのに、手のひらを返すようにパージャはさっさと歩き去ろうとする。
「べつにぃー?俺って人の嘘とか隠し事とか色々見分けられるタイプなんだよねー」
「…何が言いたい?」
まるでニコルが何かやましいものを隠しているとでも言いたげな言葉に、自然と声はきつくなった。
「何でもないと目を向けなかったものが大事件の根元だったりさ」
だがニコルの何かを責めているわけではないらしい。
意味があるのか適当に格好をつけているだけなのかわからない物言いは、いつもの言葉遊びなのだろうか。
「ニコルさんはあんまり隠し事できないタイプだよね。仕事に関しては真面目で正直。そして頭はカッチコチ」
「お前が俺を馬鹿にしてることはよくわかった」
「誉めてんじゃーん」
気付けばまたペースを崩されている。それはわかっているのだが、一度ペースが崩れれば後はパージャの独壇場だ。いや、諦めるな。そんなことになってたまるか。
「今のどこに誉め要素があった?明日覚えてろよ」
「うわイジメだ!イジメはカッコ悪いんだぞ!!」
「馬鹿言うな。躾だ躾」
「こわっ!エルザ様に言いつけてやる!」
「やってみろ“日々精進ですよ”で話しは終わりだ」
「鬼ー!!」
何とか上手く切り返せたかと思えば、突然パージャはダッシュで逃走を始めた。
「あ、待てコラ!!」
ここで追いかけてしまう辺りがパージャにおちょくられる所以なのだろうが、そういう性質なのだ。もう仕方ない。
次の青天宮が見え始めた頃に、ようやくパージャは走るスピードを緩め。
「待たないよ…インフィニートリベルタ」
「----」
その名前に、ただ瞠目した。
「…何だよ、それは…」
名前?なぜ名前だと思ったのかもわからない。
「さあ?忘れてるならそれでも良いんでない?」
クスクスと笑う姿は、ニコルの何かを知っているようで。
だが考えようとして、頭が軋んだ。
それを拒むように体が拒絶する。
何を拒む?
名前?
だから、なぜ名前だと思ったのか。
焦りにも似た苛立ちに苛まれ、ニコルは体が望む通りに、考えることを放棄して任務に戻るよう努めた。
第6話 終