第5話

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「やる~と言いつつ逃亡逃亡~」
 レイトル達から逃げ出したパージャがフラフラと辿り着いたのは、兵舎内周のさらに内側にある王城の裏庭だった。
 裏庭といっても規模は広く、深く生えた樹木のせいで森の中にいると勘違いしてしまいそうなほどだ。
 この場所に来たことに他意は無くただ足が動くままに任せていたのだが、それを見つけた時にはぞわりと全身を悪寒が舐めた。
 王城敷地内においてはとても規模の小さな古い建物。
 木々の高さより低いそれは異様な雰囲気を醸し出して、まるで手招くようにパージャを誘おうとしている。
「…どこに連れてく気よ~、エッチ」
 ひょうきんな口調だが、脂汗が浮かぶのを止められない。この建物の近くにいては危険だと全身が逃走するよう警告する。
 それでも、確認せずにはいられなかった。
 これに、恐らくこの中に…
「…ガウェさん?」
 建物からわずかに離れた位置からぐるりと様子を探っていたパージャは、その正面口の扉の前に立つガウェを見つけて驚いた。
「……」
 無言のまま、ガウェが虚ろな瞳を向けてくる。
 辺りの暗さとガウェの右顔の傷が相俟って、まるで幽鬼のような姿だった。
「こんなトコで何を?」
 話しかけたのは、彼がガウェであると確認したかったからだ。
 表情に乏しいとはいえ、不機嫌な顔、嘲りの顔、穏やかな笑顔、それらは昨日までに見られた。だが今のガウェには何も無い。
 薄暗いとはいえ目鼻は確認できるはずなのに、パージャから見た今のガウェには、顔に何も無かった。
「…消えろ」
 小さく呟かれたぞんざいな言葉がこれほど嬉しいと感じるなど。
「うわ酷い。…ここって新緑宮?」
 目の前のガウェがガウェ本人であると理解出来て安堵したところで、パージャは建物には近付きすぎない程度にガウェに歩み寄った。
 新緑宮などと明るいイメージの名とは程遠いほど暗く古ぼけた御殿は、エル・フェアリア王城敷地内で最も古いといわれる建造物のひとつだ。
 エル・フェアリア創始から存在すると聞いたことがあるが、確かに古く、今にも崩れてしまいそうなほど。
「この王城ってホントに面白いよね~。どこもかしこも虹がモチーフで」
「七色宮が気になるなら他に行け。ここに来るな」
 半円形をベースにした作りの新緑宮を眺めればガウェから耳慣れない単語を聞かされて、パージャは素で首をかしげた。
「…七色宮?」
 目の前に建つのは新緑宮のはずだ。パージャはそれしか聞かされていない。
「えー何それ」
 七色ということは他にもあるのだろうか。新緑宮を緑と例えるなら、それは。
「--七色宮は虹の色をひとつずつ分けて建てた七つの小宮のことだ。この新緑宮も七色宮のひとつで、七色宮の中心にあたる」
 頭の中で繰り広げた推理は当たりだったらしいが。
「…うーわー」
 パージャの背後から説明をくれたニコルの怒気を含んだ声に、しまったと顔をしかめる。
 新緑宮が発する禍々しい気にあてられて、ニコルの気配に気付けなかった。
「で、言うことは?」
「ごめんなさい」
 背中越しにポンと肩を捕まれ、そのままギリギリと力をかけられる。
「次逃げようとしたら容赦しないぞ」
 一応謝罪をしてみれば、先ほどレイトルに言われたと同じ言葉で注意されてしまった。
「肝に命じまーす」
「…反省してないな」
 肩が軽くなったので背後のニコルに体を向ければ、見覚えのある呆れ顔が目に入る。
「…ガウェ、ヴェルドゥーラ氏と話があったんじゃないのか?」
「もう終わった」
「じゃあ帰ってこいよ…探させるな」
 ニコルはパージャを通りすぎてガウェに歩み寄り、新緑宮の影の一歩手前で足を止める。そこはパージャが新緑宮に近付けるギリギリのラインだろうと見定めた位置だ。ニコルも無意識に新緑宮の威圧に気付いているという事だろうか。しかしガウェは何の苦もなく新緑宮の閉ざされた扉に背中を預けている。
「えー、俺のこと探してくれてたんじゃないのー?ガウェさんと俺とどっちが大事なのよこの浮気者ー。そんなだからうちのミュズちゃんに“童貞”呼ばわりされんのよー?」
「違ぇ!!ってか気持ち悪いこと言うな!」
 威圧感から解放されたくて気休めにおどけた言葉に、ニコルが本気で嫌そうに返してくれた。
 ガウェの様子はおかしいままだが、ニコルが普段通りならまだ救いがある。
「だよねー。童貞とかありえないよねー。あんたみたいなのが女をキャンキャン鳴かせたりするんだよねーこのキチクー」
「何バカなこと言ってんだ。いいからさっさと訓練を始めるぞ!早くこい!」
「めんどくさい、ここでいいじゃん」
 ここで訓練になどなるはずがないと理解しながらも聞いてみたのは、ニコルがどこまで理解しているのか知りたかったからだ。
「七色宮には結界が施されている。宮の近くで魔力を発動させようとすれば、暴発して酷い怪我を負いかねないんだ」
 ガウェにも行くぞと合図を見せて新緑宮を離れる先頭に立つニコルが、聞きかじりのような説明をしてくれる。
 新緑宮に近付かなかったのは、本当に無意識の拒絶だったらしい。
「…ふーん。ガウェさんは何であんなとこに?」
「…お前には関係無い」
 付いて来てはいたが途中でニコルに気付かれないようにUターンして戻ってしまったガウェを見送りながら、彼が新緑宮に執着する理由を訊ねる。
「えー…じゃあニコルさんは何で来たの?ガウェさんがあそこにいるって知ってたんならその理由を教えてちょうだいな」
「…さあな」
「隠し事は良くないよ?さあ、何でも話してごらん、さあ」
 ニコルは知っている。だが教えてくれそうにないということは、それほどガウェにとってあの場所は重要なのだろう。
 あの場所にガウェがよく居るという事実は、正直パージャには好ましくない。
「お前な…とにかく、七色宮は王城内でも最古の建物だ。迂闊に近付いて壊したら極刑ものだぞ」
「こわっ!」
「だから…ってガウェはどこに行った…」
「ついさっきUターンしてました」
「止めろよ!」
 ようやくガウェが居ないことに気付き、ニコルは声を上げる。
「いやいや、部下としては上官の行く手を阻むことなんて出来ませんよ」
「こんな時だけ都合よく…よしわかった…特別訓練メニューだ。お前は非常に優秀だから“俺達”が味わった“団長式強化訓練”を早速試してやろう」
 口を開けばおちょくるパージャに、ニコルも我慢の限界が来たらしい。
「…へ?」
「楽しみにしてろよ。最ッ高にハイになる時間だぜ?」
 爽やかな満面の笑顔は、先ほどレイトルの元に逃げると告げた時に向けられた笑顔と全く同じ表情だった。

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「--へばってんじゃねぇぞ飯抜くぞゴラァ!」
「いやいや無理無理!!死ぬ!死ぬって!!俺殺される誰か助けろやド畜生がぁっ!!」
「そんだけ喋れてんだまだいけんだろ!!」
「ぎゃああっっ!!もう無理だって!!」
「うるせぇ!無理かどうか決めんのは俺だ楽に死ねると思うなぁ!!」
「ぃ痛ってー!!聞いてねーしこんなの!!ってかサラっと殺害予告してんじゃねーよこの鬼悪魔人でなしカス糞野郎っざけんな死にさらせぇっ!!」

 魔具訓練によく使われる訓練場の一角で繰り広げられる凄まじい攻防に、訓練場を使用していた王城騎士達は唖然とした様子で口を開けて二人の訓練を眺めていた。
 ニコルもパージャも己が所有する魔具の剣を二、三十本ほど発動させ、決められた枠の中で縦横無尽にそれらを相手めがけて飛ばしている。
 向かい来る剣を避けながら自身の魔具をコントロールして相手を狙うという、単純にして最悪の訓練だ。
 気を抜けば容赦なく切り刻まれ、最悪の結果すら生み出しかねない。
 パージャにとっては初めての経験なのだろう。ニコルを含め王族付き騎士には馴染み深い訓練なので、ニコルの方が遥かに優勢だった。
 剣を避け、あるいは蹴り飛ばし殴り落としながら攻撃も繰り出すその訓練方法の名前は。
「懐かしいね~“団長式強化訓練”だね~」
「…出来れば二度と見たくなかったな」
 二人の凄まじい訓練を見守りながら、フレイムローズとセクトルは遠い目で過去を思い返していた。
 ルードヴィッヒの魔具訓練の為に訓練場を移動していたのだが、まさか途中でニコルとパージャがやって来てそれをするとは夢にも思わなかった。
「れ、レイトル殿…あれは?」
「よそ見しない。さくさく続けて」
「は、はい!」
 突然始まった『団長式強化訓練』に目を奪われたルードヴィッヒも唖然とその様子を眺めるが、レイトルは見慣れているかのように注意を戻すよう促した。
 だがレイトルも内心驚いているのが事実だ。
 初めてあの強化訓練を行った時、レイトルもセクトルもフレイムローズですらも、十秒持たずにくずおれたというのに。
 それをパージャは初っぱなからニコルについて動けている。圧されているとはいってもすでに一分は経ったし、以後も諦める様子は見えない。どころかニコルに苛立ってわずかに圧し返す時もあった。
「そうそう、今はまだ無理だけど君も最終的にあの中での訓練になるから」
 正直羨ましい。その思いは口にせず強化訓練が気になる様子のルードヴィッヒにさらりと告げれば、まだまだ青臭い若騎士は驚愕の表情をレイトルに向けて固まってしまった。

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 パージャにとって待ちに待った時間がようやく訪れたのは、ニコルから強制的に強化訓練をさせられてから一時間後の事だった。
 数十分休まず行われた訓練はパージャとニコルを情け容赦なく全身傷だらけにしてくれた。パージャの方が傷が多いのは、慣れの差だ。
 終わってすぐに医師団の元に向かい、苦笑いを浮かべた医師達に全身の手当てをされて軟膏と痛み止めの薬を渡された。
「メディウム様がいらっしゃればな」
 医師がそう呟いた意味は、ニコルに訊ねても知らない様子だった。
「お前の新しい訓練着頼んどいたぞ。すぐ用意できるらしいから夜にでも貰ってこい」
「…へーい」
 兵舎内の食堂で、精根尽き果てた様子でテーブルに伏したパージャの頭上からまだまだ元気そうな声が下りてくる。
 どんな体力してるんだと呆れるが、目の前に置かれた食事にすぐさま姿勢を正した。
 昼食の時間だ。
「俺もう、この為だけに生きてる気がする」
「大袈裟だな…まぁわかるが」
 魔力の消費はひどく腹を空かせる。数十分間大量の魔具を操り続けた二人は、もはや餓鬼に近いほどの飢えを感じていた。
 ガウェは結局合流せず、同じ訓練場にいたルードヴィッヒはニコルとはまた違うレイトルからのスパルタ訓練に励んでいた為に声をかけられなかった。
「昼飯何すか?」
「見りゃわかるだろ、鶏肉だ」
「いや鶏肉て…もっとこう、貴族的な小洒落たこっぱずかしいネーミングがあるでしょうに」
 ニコルが持ってきてくれた食事は香草と共に焼かれた鶏肉を中心にスープとサラダというメニューで、見た目は及第点だ。
「味はどうかしらね~」
「さあな。侍女の腕次第だ」
 王城に勤める者達の食事番は侍女の仕事であるため手慣れた侍女の作る食事は逸品だが、王城に来たての不馴れな侍女に当たると泣きそうになるという博打がある。
 エル・フェアリア貴族の娘が侍女として王城に仕える際の習慣らしく、料理の腕が高ければ高いほど騎士や魔術師達に見初められる可能性も高くなり、試験を通れば王家の方々に料理を振る舞えるほどになる。
「…あ、当たりだラッキー」
 焼かれた鶏肉をひと口食べたパージャは、力無い声で調理した侍女を褒めた。
 焼き加減も調味料の量も文句無しだ。
 隣でニコルも同じように肉に齧りついている辺りだいぶ腹が減っているのだろう。
「おかわり自由ってのがまたいいよねぇ~。兵士時代じゃ考えられない」
「ああ、奪い合いだったからな」
「…あれ、ニコルさんも兵士経験有り?」
 意外だと首を捻れば「俺も平民出だぞ」と眉をひそめられた。
「地方兵団で魔力乱用しまくってたからクルーガー団長の目に留まったんだ」
「そうなんだ。…地方だったらまだ小競り合い多いか。俺も何回か戦ったわ」
 いくら大戦が数十年前に終わったといっても、土地を奪われた者達の怨恨も無くなる訳ではない。
 平和を完全に謳歌出来ているのは最初からエル・フェアリア国土であった土地だけて、勝ち取った土地では今も奪われた者達との戦闘がちらついている。
「ニコルさんの出身ってどこっすか?」
「カリューシャ地方だ」
「うーわ、一番遠いトコじゃないっすか。そこって確か大戦の時に国が滅亡してますよね」
「よく知ってるな」
 カリューシャ地方はエル・フェアリア王都から最も離れた場所にあり、名ばかりのエル・フェアリアと有名な土地だ。
 無謀な策略でエル・フェアリアに挑み滅亡した国土は、そのまま勝者であるエル・フェアリアの領土になった。だがそこに住んでいる者の多くは元々滅国の人間で、未だに国の復活を謳って賊まがいの略奪を行う者達も多く残る。
「え、じゃあニコルさんって元は滅国の人?」
「いや、母親はエル・フェアリアだ。中央から移動したらしい」
「親父さんは?」
 そこでニコルは固まった。
 父親は?
 何気ないはずの言葉は、ニコルには重いらしい。
「…“父さん”もエル・フェアリアだ」
「…ふーん?」
 含みのある言い方だが、それ以上深くは訊ねなかった。
「じゃあ騎士になる前はその辺りの兵士?」
「そうだ。戦闘が多い分給金も多かったからな」
「ヤダお金目当てぇ?」
「ああ」
 話題を逸らし茶化すパージャの言葉を、ニコルは否定しなかった。
「…金が必要だった」
 まるで金の為なら何でもしたような言い方で、初めて影のさすニコルの表情を見る。
「…あー、一緒一緒。まぁ俺は金じゃなくて生活スペースの確保目的だったけど、何でもやったわ」
 パージャがそれを告げたのは、案外似た境遇にいたという事実が少しこそばゆく感じたからだ。
「御貴族様には理解出来ないんだろうなぁ。平和ボケしまくってるの多いし」
「それ他の騎士の前では言うなよ?」
「わかってるって。そんなわざわざ喧嘩売らないから安心してよ」
 ぼろ雑巾と化した訓練着を纏った二人は、平民であることも相俟って食堂で完全に浮いていた。
 わざとらしい嘲笑を向けてくる者が後を絶たず、空腹という最高の調味料を以てしても飯が不味くなる。
 さっさと食べて休みたい。
 痛みで軋む体を撫でさすりながら食事を続けていたパージャは、隣のニコルのスープだけが一切手をつけられていないことに気付いた。
「…飲まないんすか?」
 飲まないのではなく、飲めないのだろうが。
「…ああ、俺の口には合わない」
 それだけを告げるが、その理由は明白だ。
 パージャのスープには何の細工もされていなかったので、最初からニコルを狙っていたのか、持ってきた途中でニコルが気付いて自分の側に置いたのか。
 それは毒入りだった。
 無臭ではあるが、猛毒の類いだ。口にすれば数時間もがいた挙げ句に死ぬだろう。
 ニコルがそれにどうやって気付いたかは知らないが、完全に慣れている。
「安心してよ。俺も気付いてるから」
 毒に。
 少し手をつけたが自分の前に置かれた安全なスープをニコルに譲れば、苦笑された。
 「けっこう旨かった。鶏ガラっぽいかんじ」
「…貰おう」
 貴族ならひとつの皿を二人で回した挙げ句に直接口をつけるなど有り得ないのだろう。だがニコルとパージャは縛りの多い貴族ではない。
「平民ってだけで毒盛るんだもんね~気を付けよっと」
「手にするものや着る物にも気を付けろよ」
「はぁい」
 毒を盛られる側の先輩として忠告してくれているが、ニコルはパージャがクルーガー団長から受けた任務を知らない。
 そして毒を盛る大元が誰であるかも。
 ニコルはそこまでは興味が無い様子で、ある意味では動きやすくて有りがたかった。
 もしニコルが命を狙われる理由と、その相手が誰であるのか知れば、騎士団を辞めかねない。
 それだけは避けたい理由がパージャにはある。
 ニコルにはまだ王城にいてもらわないと困るのだから。

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