第5話


 ファントムはとても不思議な存在だ
 突然城下町に怪盗ファントムが出現するという噂が流れ、日を追うごとに何が狙われているのかが発覚していく。
 大抵は王城宝物庫に古くから眠るガラクタのような宝具が狙われ、奪われたところで負う痛手は宝具を守れなかったという軽い屈辱のみ。
 そして一番不思議なのは、誰一人としてファントムの姿を見た者がいないということだ。
 枯れ木のような老人から、熊のような大男、妖艶な美女から幼い子供まで。
 語る人物の数だけファントムの姿は変化していった。
 ファントムの噂が流れ始めてから具体的に何が狙われているのかが発覚するまでの日数も定まり無く、最短で季節ひとつ分、最長で一年の間があるのも特徴だろうか。
 だが。
 エル・フェアリアに流れる現在の噂は、七姫の誰かが狙われているという、今までに無いものだった。
「うーん…ファントムは七姫様の誰かを好きになっちゃったのかな?」
 訓練場の隅の木陰で涼を取りながら、フレイムローズは首をかしげながら小さく呟いた。
 場所は王城正門に一番近い訓練場で、レイトルとセクトルの三人で剣術訓練の為に来ていた。
 普段は一部の王城騎士からの不満の瞳を回避する為に秘密の訓練場で腕を磨くが、昨日の騎士団会議の件もあり、当分は普通の訓練場を使うことに皆で決めたのだ。その皆の中にはニコルとガウェも含まれているが、二人はパージャの訓練の為に別の場所を使うらしく合流する予定は無い。
 訓練場は四ヵ所あるが、決まっているというわけではないが各々剣術訓練場、武術訓練場、魔具訓練場、総合訓練場と暗黙の了解で分けられている。
 剣術はフレイムローズとセクトルが苦手とする所があったのでレイトル相手に稽古を就けていたのが数分前の話で、今は小休止といったところか。
「城下でもそんな話で持ちきりみたいだね。まだ誰が狙われているのかわからないけど、エルザ様なんじゃないかって言われてるみたいだよ」
 昨日告げられたファントムの噂。姫の一人を狙っているという思考回路をぶっとばす衝撃的な内容も、一夜明ければ冷静な判断力は戻る。レイトルはフレイムローズの問いに、自分が今朝までに調べた話を聞かせた。
「まぁエルザ様の件は噂は噂でもファントムというより人々の願望みたいだね」
 調べたといっても、その内容はたかが知れている。どれほど調べようが、ファントムの噂は時が来なければ狙いはわからないのだ。
「願望か」
「色恋ねぇ…」
 呟いたセクトルの声と重なるいないはずの人物の声に、三人は一瞬固まった。
 いつからいたのか、レイトルを中央に三人ならんで休憩していた右側セクトルのさらに隣に、パージャが胡座をかいて気怠そうに休んでいた。
 いつの間に。脳裏にまず浮かんだのはその言葉だった。
 気配など一切しなかった。パージャが言葉を発するまで。
 それにパージャはニコルとガウェの二人と共に武術訓練場に行くと聞いていたのに、なぜ一人でここにいるというのか。訊ねたのはレイトルだった。
「…こら。こんなところで何をしてる?訓練のはずだよね?」
 フレイムローズはやや怯えた様子でレイトルの背中越しにパージャを覗き、セクトルは眉根を寄せて黙りこくる。
 突然湧いた理由を知ることを諦めれば、次に頭に浮かぶ疑問はただひとつだけだ。
 重要な訓練時間に何をしているのか。
 注意をこえて叱責に近い口調で咎めれば、パージャは肩をすかしてみせる。
「それが、ガウェさんをガウェパパに取られちゃいましてね。ニコルさんとサシだと血を吐いても訓練続ける勢いなんで逃げてきました。レイトルさん辺りだったら訓練優しそうだからレイトルさんに相手してもらうって言ったら超笑顔でオッケーくれたんで」
 どうせ訓練するなら優しそうな人物がいいという甘えを堂々と見せるパージャを鼻で笑ったのはセクトルだ。
「残念だったな。こいつも鬼だぞ」
 嫌がらせのような笑みを浮かべて、セクトルは親指でレイトルを指す。
 王族付きにしては温厚な雰囲気のレイトルだが、訓練では自分にも他人にも甘えを許さない事で有名だった。
 王族付きの中で最も話しかけやすい雰囲気を持つので最初こそレイトルとの訓練を望む若騎士は多かったらしいが、王族付き候補に選ばれたマウロが以前レイトルに訓練を申し込み、問答無用の地味系スパルタ訓練を見せつけてからはすぐにレイトル人気は落ちてしまったと聞く。
「…うっそーん…だからニコルどん簡単に許したのか…迂闊だった…あの見たもの全てを癒すかのようなすこぶる爽やかな笑顔にこんな裏があるなんて…」
「今はみんな緊張している時だからね、甘えは許さないよ。それと血を吐いたら舐めて綺麗にしてもらうけど、私でいいのかい?」
 ファントムの噂と王族付き“候補”の件は昨日のうちに騎士団全体に伝えられている。
 にっこり人好きの良い笑みを浮かべるレイトルに、パージャは静かに腰を上げた。
「…ニコルさんのトコに戻りまーす…」
「次さぼろうとしたら容赦しないよ。肝に命じてね」
「はーい」
 ほてほてとやる気の無い駆け足で去るパージャに訓練場にいる多くの騎士が視線を向ける。
 平民騎士が新たに入団した事実も昨日伝えられており、顔の知られていないパージャはすぐにそれだと気付かれた。
 パージャが暮らすことになる六人部屋では、二人の王城騎士が部屋を移動したらしい。
 平民と一緒の部屋には居たくないという建て前らしいが、本音は同室のマウロ、ヒルベルト、そしてルードヴィッヒも王族付き候補に選ばれたという居た堪れなさからだろう。
 元々はルードヴィッヒとヒルベルトが最初からいた部屋だが、以前の魔具必須訓練の折りに騎士団長命令でヒルベルトと新たにパートナーになったマウロが部屋を移動して来たらしい。
 抜けた二人の騎士は彼らより数年長く騎士として生活していたというのに、まさか若騎士三人に足して平民のパージャまでもが候補に選ばれた事実がプライドをひどく傷つけたのだろう。
 そこで傷付いたプライドを士気として昇華出来ない辺りが、逃げた二人が王城騎士止まりである所以だ。
 去ったパージャからわずかに視線を逸らしてからもう一度目を向ければ、すでにその姿は見えなくなっていた。
「彼の適当だけは何をしても治らないだろうね…フレイムローズはいつまでそうしてるつもり?」
「…だって、彼、何か変なんだもん」
 もうパージャはいないというのに、フレイムローズは警戒を解くことなくレイトルの腕にすがり付いている。
 昨日の最初のうちは周りが驚くほどにパージャに対する警戒など一切無かったというのに。
「また髪の色?」
 フレイムローズがパージャを警戒したのは、彼が見えているパージャの髪の色が皆と異なることがわかってからだ。
 パージャのよくある薄茶の髪を、フレイムローズは暗い緋色だと告げた。
 亡くなった第四姫リーンとよく似た髪だと。
「それもあるけど…何か…上手く言えないけど…」
 フレイムローズが口ごもるのは、自分の考えに自信が無い時だ。
「…君がそこまで怯えるなんてね」
 困惑したままのフレイムローズを不思議そうに眺めれば、視界の端で誰かが近付いてくるのが見えた。
「皆さん!」
 魔眼持ちと怯えられるフレイムローズがいるのに珍しいと顔を向ければ、近付いてくるのはルードヴィッヒだった。
 訓練の邪魔になるからか伸ばした紫の髪を高い位置で結わえているが、線の細さも相俟ってどう見ても少女にしか見えない。これで声変わりが済んでいなければ、誰もルードヴィッヒを男だとは認めなかっただろう。
「どうしました?」
「お話し中に申し訳ございません。あの…ガウェ殿を見ませんでしたか?」
 彼はオヤジ騎士のスカイと魔術騎士のトリックの下についたはずだがと首をかしげれば、急いだ様子でガウェの行方を訊ねられた。
 ルードヴィッヒがガウェと従兄弟関係にあることは昨日知らされているので違和感などは無いが。
「ガウェなら黄都領主と会っているらしいよ」
「…そうですか」
 先ほどパージャから聞いた話をそのまま伝えたレイトルの前で、ルードヴィッヒは目に見えて消沈してしまう。
「どうかしたの?」
 心配したのはフレイムローズだ。
「あの…稽古をつけていただきたくて…私は魔具の発動が苦手で…ガウェ殿はいくつもの魔具を簡単に発動させることが出来るので、コツを教えてもらえたらと」
 その生真面目な姿勢は、ガウェとは似ても似つかない。むしろニコルのような固さがあった。
「魔具の具現化は王族付き騎士に必須だしね。トリック殿に聞けばいいのに」
 トリックの魔具の扱いはトップレベルだ。せっかく教官がエル・フェアリア唯一の魔術騎士であるトリック・ブラックドラッグであるというのになぜ頼らないのかと首をかしげたフレイムローズに、ルードヴィッヒは苦笑いを見せた。
「トリック殿とスカイ殿はコレー様の魔術訓練に手一杯で、私がいると気が散るから一人で訓練してこいと」
 ようするに、投げ出されたわけだ。
 だがそれも仕方無いことだろう。スカイとトリックの護衛対象である第六姫のコレーは、膨大な魔力量とは裏腹に魔力を操る術をあまり知らない。
 そのせいでよく魔力の暴発が起き、怪我人まで出ている。
 なので他の姫達の王族付きは騎士だけだが、コレーにだけは魔術師も付けられていた。
 コレーの魔力操作訓練はコレー姫付きの騎士と魔術師には最重要項目であり、トリックはコレー姫付きの隊長でもある為に責任が伴ってくる。そこにまだ不馴れなルードヴィッヒがいれば、万が一の時に目も当てられないことになるだろう。
 いくら騎士団入りした若騎士とはいえルードヴィッヒは貴族第三位ラシェルスコット家の子息だ。有事でも無いのに馴れない任務で傷は付けられない。
「ガウェが見つかるまで、私でよければ相手になるが?」
 訓練相手に名乗り出たレイトルに、しかしルードヴィッヒはやや不満げだ。
「レイトル殿が、ですか?」
 レイトルの魔力量は騎士としては壊滅的なので、そこが心配なのだろう。
「あー、それいいかも!」
「魔力量歴代最少護衛騎士だからな」
 しかしフレイムローズとセクトルは名案だと言うようにルードヴィッヒに笑顔を向けた。
「…ケンカ売ってる?」
 セクトルの言い種が気に入らないが仕方無い。
「まあまあ。レイトルなら効率的な発動方法を知ってるし、天才肌のガウェよりも分かりやすく教えてくれるよ」
 魔力量は皆無だが、その中からいかに上手く魔具を発動させるかをレイトルは血の滲む努力で会得したのだ。
 魔力量は少なくても、コントロール術はガウェやニコルでも舌を巻く。
「本当ですか!?是非よろしくお願いします!」
 フレイムローズの説明に驚いたルードヴィッヒはすがりつくようにレイトルに願い出た。
 訓練に対する上昇志向は高いらしい。
「…そうか。天才、だからか」
 鼻息荒く前のめる勢いですがるルードヴィッヒにやや引いたレイトルの隣で、セクトルは静かに呟いた。
「何が?」
 問うてくるフレイムローズに顔を向けて、セクトルは昨日からずっと気になっていて、そして今気付いたそれを淡々と説明する。
「何故他の階級の高い王族付きを差し置いてガウェとニコルにパージャをつけたのか…パージャが平民だからだと思ってたが」
 ニコルとガウェ以外の教官に選ばれた騎士は皆、階級の高い者ばかりだった。なのにまだまだいる階級の高い騎士を差し置いて、ニコルとガウェがパージャの教官に選ばれたのだ。その理由がようやく知れたと。
「天才の事は天才に任せる、か」
 セクトルの言わんとしている所を悟ったレイトルが、物思いにふけるように呟く。
「パージャのあの魔力は…魔術師でも持たない」
「確かにね。…ガウェとニコルでも、生体の具現化はひとつだけしか出せない。それを、花とはいえまさかあれほど」
 ニコルとガウェは天才だと誰もが口を揃える。優れた魔力、他を圧倒する剣術と武術。
 騎士である為の力を全て兼ね揃えた天才二人に引けを取らないほど、昨日パージャが見せた力は凄いものだった。
 花の乱舞。一見しただけなら、優雅なだけだ。
 だがそのひとつひとつは本物の花と見分けがつかず、広い妃樹の間を豪華に彩った。
 武具と生体では、魔力の消費量は圧倒的に異なるのだ。花びらたった一枚をリアルに再現する為にどれほどの魔力を消費するだろうか。
 しかも魔具を体から離す技術はさらに難易度が増すのだ。
 魔力だけなら、パージャはニコルとガウェを軽々と超しているだろう。
「少しだけね、どうしてだかわからないけど、パージャが魔術を使った時にとても懐かしく感じたんだ」
 昨日の美しい光景を思い出しながら、フレイムローズの声が懐かしむように掠れた。
「たぶんだけど…俺達はパージャとどこかで会ってる…と思う」
 ひどく曖昧なのに頑として譲らないような矛盾。
「…何だそれ」
「だからたぶんだって~!!」
 パージャの力は凄まじかったがフレイムローズの言いたい所は理解できないと、セクトルはごねるフレイムローズの耳を軽く引っ張った。
「はいはい、じゃあフレイムローズの疑問は後回しにして、ルードヴィッヒ殿、今すぐ訓練をしたい?後日がいい?どちらでもかまわないよ」
 パージャに関する話を黙って聞いていたルードヴィッヒは一瞬何の事だかわからないといったような表情をしてから、先の訓練の件を思い出して慌てた。
「あ、…い、今すぐにお願いします!」
 何を焦っているのかと訊ねたくなるような姿に、三人で小さく笑ってしまった。

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