第1話


第1話

 夏の陽射しが窓から入り込むのを、寝起きの目を細めながらぼんやりと眺めていた。
 視界の端で揺らめく自分の髪は瞳と共に銀色で、光に照らされてチカリと目に染みる。朝には強い方だが、起き抜けはさすがに体がだるい。
 ゆっくりと休めていた体を伸ばしながら、ニコルは今日の任務を思い出す為に微睡もうとする頭を働かせた。
 今日は昼から大切な護衛の任務がある。
 王城で働く騎士達の栄誉とまでいわれる、王族の警護だ。
 この国には現在、国王と六人の姫、そして一人の王子がいる。
 王族の警護を任される者は王族付きと呼ばれ、騎士達にとって何よりも誇らしい任務だった。
 二千を軽く超す数の騎士達がいる中で、王族付き騎士の数は百に満たない。
 そこには実力を認められた騎士だけが存在し、ニコルは王城で唯一の平民でありながら若くして王族付きの栄誉を手に入れていた。
 騎士達が住む兵舎は王城を取り囲むように存在し、二重に建てられた兵舎の内周側で王族付き達は生活している。
 貧しかった子供の頃、家族四人で身を寄せ合うように暮らしていたニコルにとって兵舎の一室はとても広いものだった。同年齢の騎士と相部屋ではあるがそれでも勿体無いほどに。
 正方形の部屋を縦に割るようにして、ニコルと同室の騎士は上手く部屋を分けていた。
 中央には二脚の椅子と丸テーブル、そこからニコル側にはあらかじめ設置されていた簡素なタンスとベッドしかなく、タンスの中に収納されているものも必要最低限の荷物だけだ。
 かわって反対側の騎士が使うテリトリーには豪華な装飾の施された調度品が並び、服から本から絵画から、ニコルにとっては贅沢としか言えないような物がこれ見よがしに立ち並んでいた。
「……」
 そしてもう起きる時間だというのに、同室の騎士は豪華な寝具にくるまって穏やかに眠り続けている。
 ため息がひとつこぼれる。
 彼の寝起きの悪さは折り紙付きだ。
 ガウェ・ヴェルドゥーラ・ロワイエット。
 この国で王家の次に力を持つ最上位貴族、黄都領主ヴェルドゥーラの嫡子。
 本来なら平民ごときが相部屋など畏れ多い尊き人物だが。
「……」
 首をコキリと軽く鳴らし、ニコルは片手で自分の枕を手に持った。
 目標はガウェの後頭部。
 こちらに背中を見せながら眠っているとは、なんて優しい標的だろうか。
 どう起こそうが不機嫌にしかならない同室の為に、ニコルは遠慮の欠片もない強烈な勢いで枕を叩き付けた。そして
「起きろぐうたら!!」
 ほんとうに枕かと訊ねたくなるような音をたてて見事に命中した標的を睨み付けながら、ニコルは鬼の形相で叫んだ。
 標的となった後頭部は動かないが、枕を投げつけられたせいですでに目覚めていることは察している。
「お前な、一回くらい俺より先に起きろよ」
 毎度毎度被害を被るのは俺なんだぞとため息をつけば、ガウェは額に青筋を立てながら静かに上半身を起こした。
 黄都に生まれ育った者特有の黄色い髪色だが、毛先は微かに緑を宿している。眠たそうな目が開いているのは片側だけ。そしてその瞳も我の強そうな黄色をしていた。中性的に整った顔の右側には額から頬下にかけて酷い傷が流れており、眼球はえぐられて存在しない。
「今日こそは逃げるなよ」
 初見なら息を飲むほどの傷も、見慣れていれば何も動じない。
 投げ返された枕を自分のベッドに放りながら、ニコルは無理矢理起こされて不貞腐れているガウェを睨んだ。
 今日こそは逃げるな。
 毎回飽きずに告げている台詞だ。
「聞こえてんだろ…」
 いつも返事などないので小言のように一応呟いただけだが、珍しく今日は返答があった。
「…今日は城下に降りるから無理だな」
 だがそれは朝からニコルの血圧を上げる爆弾でしかなかった。
「っっっはあ!?ふざけんなお前っ!!自分の仕事わかってんのか!?俺達はエルザ様に仕える“王族付き”騎士なんだぞ!!」
 一気に近付いてガウェの首元を掴みあげ、ガクガクと揺さぶる。すると当然のようにガウェの起きたばかりの頭がつられて揺れた。
「…離せ。俺の分も守ってこい」
 ニコルの暴挙に軽くむせながら、ガウェがだるそうに腕を払いのける。
 平民のニコルが“実力を認められた”から騎士になれた事実は貴族達の間で衝撃が走ったそうだが、ニコルからすれば何故ガウェのようにやる気の無い騎士が“王族付き”でいられるのかが不思議でならなかった。
 確かに産まれは上等で実力もあるが。
「遊びじゃない。任務で城下に行くんだ。嘘だと思うなら団長に聞け。直々の命令だからな」
 騎士団長からの命令と言われれば、ニコルに文句を言う権利は無くなる。だがそれだと姫の護衛がニコルだけになるのだが。
 そこまで考えて、ニコルは何度目かのため息をついた。
 ニコルが一人でエルザ姫の護衛に立つことは、城内でもはや噂にならないほどよく見る光景だったからだ。
 ガウェが毎回逃亡するお陰で。
 これが数十年前の大戦の最中なら話は変わってきただろうが、残念ながら現在エル・フェアリアを取り巻く情勢はすこぶる平和だ。平民が騎士になれるほどに。
「…なんでまた城下なんだよ」
「知るか。行けばわかるとしか聞いてない」
「何だそれ…お前だけでか?」
 いずれは国政の一端を担う黄都領主嫡子をいとも簡単にお前呼ばわりするが、ガウェは気になどしておらず。
「置き去り食らったバカと一緒だ」
 それが誰の事なのか頭を巡らせ、ニコルはようやく一人思い出した。
 まだ十代である仲の良い騎士に一人、バカ呼ばわりせずにはいられない失態をやらかした者がいる。
 単純というか、純粋というか。
 とにかく憎めない性格の。
「ああ…あいつか」
 人懐っこい彼は普通なら誰からも好かれる可愛い弟のようなタイプなのだろうが、訳あって多くの騎士から敬遠されていた。
「そういうわけだ。せっかく城下に降りるんだから土産でも買ってきてやろうか?お前の大好きなエルザ様の春画でも」
「そんなもん描いたやつ見つけて殺してこい!!」
 冗談なのか本気なのかわからない単調な話口調だが、ニコルにはわかる。ガウェなら買ってくる。
 守るべき姫のあられもない姿を想像してしまい顔が熱くなるが、運良くガウェは着替える為に背中を向けてくれた所だった。
 そのガウェが吊るされた自身の服を何着か見てから手を止める。
 考え事でもしているそぶりだが、ニコルは気にせずに寝巻きにしている兵装の腰紐をほどいた。
「…春画買ってきてやるから、お前の私服貸せ」
「……はぁ?」
「平民っぽいやつ冬服で。持ってるだろ」
「喧嘩売ってんのか」
 見下されているわけではないとわかっているが、上から物を言われて良い気はしない。
「…なんで私服なんだ?任務なら城下に降りる時でもせめて王都の兵装が義務付けられてるだろ」
 オブラートに包んでいるが、ニコルが本当に聞きたいことは、豪華な服を何着も持っているガウェが何故わざわざ平民の服を借りたがるのかという事だった。
 しばらく返事を待ってみるが、数秒間ガウェが口を開かなかったのでそのまま諦める。
 話す必要がないと決断したガウェが理由を語ることは滅多に無いのだ。

--結局
 ニコルが貸した冬服は、背丈や体格がよく似ているガウェには普通に着られるものだった。
 だが自分で思うのも歯痒いが、家一軒建つほどの値段の服を平気で何着も持つガウェが継ぎ接ぎだらけのくたびれた服を着ているのは物凄い違和感がある。
 ニコルの私服とはいっても元々は地方の兵装なのだが、皮膚すら上等な物質で出来ていそうなガウェには似合わないことこの上無い。
 当の本人は気にする素振りもなく、顔の傷が隠れるように髪留めを使って上手く前髪や横の髪で隠しているが、日焼けの少ない小綺麗な肌はやはり貧しい服から浮いていた。
 ニコルはいつも通り騎士兵装に着替えて、ガウェと連れ立って兵舎外周の食堂に向かう。
 内周棟では仲間の騎士に会わなかったが、外周棟に踏み込んだとたんに騎士達からの唖然とした視線を浴びた。
 いや、浴びているのはガウェのはずだが、隣を歩けば否応なく視線の流れ弾に当たる。
 ニコルが汚い服を着ていれば嘲笑の的になっただろうが、今汚い服を着ているのはガウェだ。
 最上位貴族として生まれたガウェを面と向かって笑える者は、兵舎外周で暮らす騎士の中にはいない。
 内周棟の仲間なら話は別だが。
 食堂に入り、いつものようにガウェに席取りを任せて二人分の朝食を取りに行こうとした所で、ガウェから待ったがかかった。
「今日は俺が取りに行く」
 無表情ながらどこか嬉しそうな顔に、今の状況をガウェが面白がっていることにようやく気付いた。
 ガウェのひねくれた性格は、長く同室であるが故に地味に理解している。
 ニコルの返答を待たず朝食を取りに向かったガウェを眺めていると、ちょうど通りかかった侍女がガウェの姿に驚愕の表情を浮かべている所だった。
 王城にいる侍女の大半は未婚の若い令嬢だ。
 少しでも貴族階級の良い者との結婚を望んでいるので独身のガウェは侍女達の憧れの的だが、そのガウェが小汚ない服を着ているのは夢見がちな乙女達には衝撃だろう。
--騎士じゃなく、本命はこっちか。
 ニコルの服を着たガウェの嫌がらせの対象が騎士ではなく侍女達だと理解してから、苦笑いを浮かべながら近くの席を取った。
 だがしばらく待ってもガウェが戻らないので確認の為に後ろを振り向けば、二人分の盆を両手に持ったガウェが何故か固まったまま苛立ちの形相で盆を睨み付けていて。
「…おい、何だよ」
 ガウェの苛立ちに、周りの騎士達が困惑した様子で遠巻きから見守っている。
 近付いたニコルに気付いたガウェは、強くニコルを睨み付けながらふて腐れた声で小さく呟いた。
「…こぼれる」
「………は?」
 その言葉に盆を覗けば、二人分の朝食は無事だが、水の入ったコップがびちゃびちゃに溢れていた。
「……どう歩いてもこぼれる…なんでお前はこぼさず運べてたんだ?」
 眉を顰めて苛立ちながら困惑しているガウェを見ながら、やはり彼は人に仕えられる側の人間であることを痛感した。
 上手く盆を運べなかったことに完全にへそを曲げてしまったガウェにかわって運んでやり、ようやく食事にあり付く。
 隣に座るガウェは水の少なくなったコップを覗き込みながら不満顔だ。
 使用人やニコルが平気で溢さずに持ってくるので、まさか溢れるとは考えもしなかったのだろう。普段から周りの騎士や侍女に運ばせていたツケだ。
「--おはよう」
 黙々と食べ始めると、ふいに向かいから耳に馴染んだ声が聞こえてきた。
「二人とも今日は昼番なんだ?」
 ニコルの向かいに一人分の食事が置かれ、見上げればニコルよりまだ少し若い、薄茶の髪をした騎士が柔らかな笑顔で訊ねてくるところだった。
「おう。昼番は俺だけだ」
 ニコルと同じく王族付きの騎士で、ニコルが護衛する第二姫エルザの妹にあたる第三姫クレアが彼の護衛対象だ。
 レイトル、その名前も騎士達の間では有名だった。
 ただしこちらはガウェのように単品ではなく、もう一人とセットで有名なのだが。
「…セクトルは?」
「え?いない?一緒に来たんだけど」
 相方の不在を告げられてレイトルがキョロキョロと辺りを見回せば、少し離れた場所から空色の髪の小柄な騎士がだるそうに目を擦りながら近付いてくるところだった。その姿を見てレイトルが大声を出す。
「セクトル!食事は!?」
 ふらふらと歩く騎士は名前を呼ばれてから自分の両手を見て、まただるそうに来た道を引き返していった。
 どうやら朝食を持ってくるのを忘れたらしい。
 レイトルとセクトル。
 似た名前ではあるが二人は兄弟ではない。
 中位貴族の出自である二人の両親が互いに仲が良く、両家同じ時期に子供が産まれたので似た名前をつけられたらしい。
「…なんであいつ眠そうなんだ?」
 よくよく見てみればレイトルはニコルと同様に兵装だけだが、セクトルはご丁寧に装備まで身に付けている。
「ああ、訓練ごっこでクレア様に投げ倒されて変に身体をひねった夜番の変わりに、昨日から護衛で立ってたんだよ」
 レイトル達が守るクレア姫は武術を得意としており、一部では筋肉姫などと呼ばれているとても可愛らしい姫君だ。
 セクトルが眠たそうな理由がわかったところで、レイトルが朝食に手を伸ばしながらため息をつく。
「あいつも替わってもらえばいいのに、律儀に今日の昼番も出るって聞かないんだ。何の為の輪番制だと思ってるんだか」
 現在、各王族には十人前後の王族付き騎士が存在する。騎士達は二人一組となり、一日三交代で姫達の護衛につくのだが、護衛時間外も休養だけでなく訓練などで忙しい。なのにセクトルは夜に交代した騎士からの時間帯交換を拒否したらしい。
 だがニコルからすれば、セクトルのその判断はとても好印象だった。
「いや、それでこそ王族付き騎士だ。少しはこいつにも見習わせたいな」
 話の後半はガウェにわざと聞かせるようにぼやくが、レイトルの笑い声が響いただけでガウェには無視された。
「で、ガウェのそれ何?服?斬新なデザインだね?…デザインだよね?」
「--最上位貴族にあるまじきボロだな」
 最初から気にはなっていたのだろう、レイトルがガウェの着ている服に疑問を投げかければ、朝食と共に戻ってきたセクトルが乗っかるように言い放った。
 いくらボロくてもニコルには思い入れのある服なのだが、貴族達には単なるボロきれなのだろう。
 少し文句でも言ってやろうかと思ったが、どうせ無駄なので諦めた。
 セクトルがレイトルの隣、ガウェの向かい側に座り、慣れた空気で食事が始まる。
 食べ初めで皆おだやかに無言になったが、突然の乱入に再び全員の手が止まった。
「おは あぁぁぁーーっ!!」
 おはよう。そう言おうとした何者かの声が、何を発見したのか食堂中に響くほどの大声を出す。
 方向はガウェの座る通路、バタバタと走り寄る赤い髪の騎士がガウェの隣に自分の食事を滑らせるように置いて、そのままの勢いでガウェに詰め寄った。
「ガウェ何このカッコ!!何でこんなに汚いの着てるの!?こんなカッコで一緒に行くつもり!?」
 食事の手を止められたガウェだが、相手が相手なのでされるがままだ。
「煩いぞフレイムローズ」
 冬服を容赦なく引っ張っている若い騎士、フレイムローズにニコルは注意をして。
 先ほど着替えている最中にも話に上がった「バカ」である彼は、どんな行動をしても許されてきた奇異な存在だ。
 それはフレイムローズがガウェの家に次ぐ上位貴族の出自であることも理由のひとつだろうが、最大の理由はフレイムローズの糸のように閉じたままの瞳にある。
「ニコルに借りた。お前も安っぽい服を借りろ」
 だんまりを続けてきたガウェがフレイムローズの手を払いのけながら呟けば、レイトルとセクトルが「あー」と言葉を続けた。
「「やっぱりニコルのか」」
 本当は兄弟じゃないのかと疑いたくなるほどに同時に出た言葉に「お前ら…」とさすがにキレそうになる。
「見たことあると思ったんだよね。フレイムローズもそれ着るの?」
 レイトルが疑問を口にするが、訊ねられたガウェは食事を再開したままプイッとそっぽを向いた。
 その姿にレイトルは苦笑いを浮かべた。
 ガウェがレイトルを嫌っているというわけではない。
 単純にガウェが空腹を満たすことを優先しただけの話だ。
「お腹すいてるんだね。ニコル、翻訳して」
 それを理解しているレイトルも気分を害する事なく事情をニコルに訊ねてくるので、当事者はガウェとフレイムローズだろと二人を睨み付ければ、ガウェはともかくフレイムローズもガウェの服に興味を無くして食事を楽しもうとしているところだった。
 どこまでも自由すぎる上位貴族二人に、ため息しか出てこない。
「…よくは知らないが、任務で城下町に行くらしい。内容は行けばわかるとか」
「任務で城下に降りるの!?」
 自分が知る限りで説明しようとして、訊ねてきた本人に言葉を遮られた。
「うわ、任務でってところがすっごい羨ましい!!頼むクレア様の春画あったら買ってきて!!」
「俺もほしい!!」
 先ほどまでの穏やかさはどこへ消えたのか、ガタリと音を立てて強く立ち上がったレイトルとセクトルがガウェに懇願する。
 ニコルはビクリと驚いたが、ガウェはいつものペースを崩さなかった。
 無言のまま親指を立てて「任せろ」と合図を送るガウェに、二人がガッツポーズを取る。
「あはは!!」
「…お前ら…」
 横目で見ていたフレイムローズが笑い、ニコルは諦め口調ながら一応咎めておいた。
 体力をもて余している健康男児にはそういう娯楽も必要なのだ。
「まあ、でも城下に降りるんなら、あれで決まりだろ」
 ようやく落ち着いたところで、口を開いたのはセクトルだった。
「あれ?」
「ファントム」
 聞いたことのある名前。
 というより、世界的に有名な“噂”の名前だ。
「聞いてない?ファントムの噂が城下に流れ始めてるよ」
「行けばわかるって、たぶんそれだろ」
 どうせイタズラだと言いたげな口調のまま、ファントムの件はそこで途切れる。
 その後は何事も無くいつもの日常風景のまま食事が終わり、五人連れ立って兵舎内周へと戻った。他愛ない話をしながら、レイトルとセクトルは同室なので自分達の部屋に戻り、フレイムローズは服を借りるためにニコルとガウェの部屋までついてきて。
 一着しかない夏服を貸し出して、ニコルも昼からの護衛の為に用意を始める。
 ガウェとフレイムローズが城下に降りるため先に出ていく頃には、ニコルの準備も終わる所だった。

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