第5話


第5話

 キイ、と、扉の軋む音が響いて、遮光されていたその部屋に薄く光がさした。
 昼前だというのに窓は締め切られたままだが、手入れはされている様子で籠るような匂いはしない。
 従者に魔力で明かりを灯させれば、部屋中に集められた収集品達が照らされて一斉に華やいだ。
 二人の従者は唖然とその収集品を眺め、黄都領主バルナは眉間に深く皺を刻む。
--こんなゴミを…
 後生大事に集め続けて何になる。
 男に生まれたなら必要無いはずの豪華なそれらは、色合いといい大きさといい、誰の為に集められたものかがすぐにわかった。
 そして部屋の際奥の壁に飾られた一枚の絵画。
「……」
 それを見た時は、さすがのバルナも息を飲んだ。
 認めたくはないが、とても素晴らしい出来栄えの絵画だ。だがよく似てはいるが“彼女”ではない。
 バルナの知る“彼女”は、ここまで成長しなかった。
「--全て処分しろ」
 絵画も、部屋を埋め尽くす収集品も、全て無用の長物だ。
 吐き捨てるように従者に命じれば、二人は戸惑いを露にする。
「しかし…」
「ロワイエット様の屋敷で勝手な事は…」
 ロワイエット。
 ガウェ・ヴェルドゥーラ・ロワイエット。
 この部屋は、この部屋の存在する屋敷は、バルナのたった一人の息子が王都に建てた小さな邸宅だ。
 小さいといっても最上位貴族の名に恥じぬほどには規模があるが、それでもバルナから見れば馬小屋だった。
「最上位貴族であるヴェルドゥーラの嫡子だというのに、こんな愚かな収集品が許されると思っているのか!!」
 八つ当たりだとわかっているが、苛立ちを抑えられなかった。
 怒声を浴びた二人の従者がビクリと肩を震わせ、困惑したまま言われた通りに動き始める。
 その見事な収集品は手を触れることすら許されないと思わせるほど美しいものばかりで躊躇うが、従者の一人が思いきって手を伸ばして。
「--私の家で勝手な真似はしないでいただきたい」
 その手が収集品に触れる前に、持ち主の声が止める。
 触れようとしていた従者は、主君ではないその声の主が止めてくれた事にとても安堵した。
 彼の主はバルナではあるが、この部屋の主は別人だ。
「…ロワイエット様」
 感謝ともとれる声色に、ガウェは小さくため息をついた。
「外してくれ。父と二人で話したい」
 ガウェの大切な収集品に触れようとしていたことは多目に見て、なるべく穏やかに退出を促せば、従者の二人はすぐに頭を下げて静かに部屋を出た。
 扉を閉めたのは、ガウェとバルナの会話は聞かないという配慮だろうか。
「ようやく来たか、ガウェ」
 ガウェが父親に呼び出されたのは今朝の事だ。騎士団会議から一夜明け、朝は気が向いたので久しぶりに訓練にでも励もうかと思っていた矢先に伝達鳥で呼び出されたので、現在身に纏っている服は騎士に支給される訓練用の兵装だ。
 ガウェからすればまだ黄都に帰っていなかったのかと落胆するばかりだが。
「ガウェ、私の言いたいことはわかっているな?」
 高圧的な態度で接するこの父親がガウェに強要している件はひとつだけだ。
 うんともすんとも返さずにいれば、盛大にため息をつかれた。
「いいかガウェ、必ず姫を手に入れろ。嫡子に生まれたからにはそれくらいのことはしてもらう。これはヴェルドゥーラを更に繁栄させる為に必要なのだからな…」
 どうせいつもと同じ内容の話だと思っていれば、案の定。
「どこまでも愚かな方だ。息子として恥ずかしいですよ」
「黙れ、この親不孝者」
 ガウェがバルナに親不孝をかけるほど、バルナは父親だっただろうか。
「私は両親に恵まれなかったもので」
「減らず口を叩くな。いいか、お前はいずれ黄都を背負う立場にあることを忘れるな」
 それは生まれてからずっと言われ続けてきた言葉だ。
 黄都を背負う。次期黄都領主として恥じぬよう。
 考えていないわけではない。だがここまで反発している息子に後を継がせるなど正気なのだろうか。
「そこまで後継ぎが心配なら母を抱いてやればいいでしょう。私も弟妹なら歓迎しますよ」
 たった一人の息子に執着せずとも、気に入った子供が生まれるまで跡継ぎを生ませればいいのにと本気で思うが、強く睨まれてしまった。
「いい加減にしなさい。本来ならお前にはもう息子がいていい年なんだぞ」
「お知りでしょう?姫付き騎士は婚期が遅れがちだと」
「だから早くその姫を手に入れろと言っているのだ!!」
 姫。
 虹の七姫の一人を。
 誰を?
 エルザを。
 初めてそれを言われたのは九年前。ガウェが16歳で、エルザが10歳の時だった。
 訳あって婚約が破談になったエルザを妻に迎えろと、バルナは本気で命じた。
 それこそ本当に正気を疑うしかなかった。
 あれから九年経った今でもバルナは諦めておらず、その為に邪魔な者を始末しようと企んでいるのだ。
 愚かな企みにはとうに気付いていると告げればこの男は諦めてくれるだろうかと考えて、腹の中だけで笑った。
 その程度で諦めるような男ではない。
 なら何と返して追い払おうか。静かに言葉を選ぶガウェを同じく黙って見ていたバルナが先に口を開いた。
「緑の汚物姫が死んでくれて先が明るくなったというのに…これでは--」
 ただしその言葉はガウェにとって最も火力の強い爆弾だった。
「--貴様ごときが…リーン様を汚すな」
 瞬時に間合いを詰めて、バルナの首に不気味な形の魔具を突き付ける。
 怒りで声が低く潰れた。
 息を飲んだバルナの顔に脂汗が浮かび、
「…やめなさい…」
 なだめるような声に、ガウェは刃物を突き付けた相手が父であることに気付く。
 一瞬ではあったが、目の前の男が父ではなく、殺したいほど憎い相手に本気で見えたのだ。
 亡くなった第四姫を冒涜した吟遊詩人を半殺しにした挙げ句、友の魔眼を使って詩人の孫娘達とその仲間を廃人にしたのは、ひと月ほど前の事だ。
 ガウェにとってリーン姫は神聖な存在であり、彼女への悪意は全て排除すべき対象なのだ。
「…そろそろ出ていっていただけませんか?」
 だがここで実父を潰すわけにはいかない。
「父といえども、無駄な会話は御免です。あなたの言うことを素直に聞く息子ではない事など既に承知のはずです」
 魔具をバルナの首から離して消滅させ、外へ向かうための通路を示せば、バルナはすぐに扉へと向かった。
「…お前のような息子が生まれたことが、私には最大の不幸だ」
 一瞬立ち止まり、ガウェを見ずに告げてからまた歩みを再開して出て行く。
 そんな言葉に今更傷付くような親子関係ではない事実が、ひどく滑稽だった。

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