第4話


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 妃樹の間の扉が開かれたのは皆が集まって二時間ほど経った頃だった。
 騎士団会議が終わるにしては早く、待たされている身としてはようやくかと固まった体を伸ばす程度の。
 妃樹の間に最初に姿を見せたのは団長であるクルーガーで、その後に副団長オーマが続き、七人の虹の都の領主達、そして各部隊長と副隊長が最後に入室を済ませた。
 物々しい空気を取り巻く隊長達の威圧に若騎士は圧倒され、王族付き達は無意識に背筋を伸ばして言葉を待つ。
 黄都領主バルナを始めとする貴族主義達は苦々しげに眉を寄せており、内容は分からなくても今回の会議では騎士団が主導権を握り続けたことが容易に理解出来た。
「--姫様方、大変お待たせいたしました。騎士達はそれぞれお守りする姫の近くへ。君達はこちらに来なさい」
 静まり返る妃樹の間にようやく響いたクルーガーの低い声に、呼ばれた若騎士達が互いに顔を見合わせながら不安げな様子で前に進み出る。
 今から告げられる内容を知っているのか何も考えていないのか、平静なのはパージャだけだ。
 騎士達の多くが元より護衛対象の姫の側にいたので移動自体はすぐに終わり、再び静まる妃樹の間を見渡してからクルーガーも口を開いた。
「突然の発表になって申し訳ないが、今ここにいる王城騎士達を“王族付き候補”として皆の下に就かせる事になった」
 目を見合わせたのは若騎士達で、王族付きは“やはりか”という反応が大多数を占める。
 ニコルも昨日パージャと会わされた事と、以前の必須訓練でクルーガー団長に気に入られた若騎士達が集められた時点で薄々は気付いていたが、その目的まではわからない。
 団長からの詳しい説明を待つ姿勢を見せる王族付き達とは裏腹に、若騎士達の混乱は最高潮にまで達した様子だった。
「あの…なぜ私達が?もっと力のある人達はいるのに…」
 許可を得ずに、若騎士達の一人が口を開いてしまう。
 一斉に集まる視線に耐えきれず俯く様子は、王族付きどころか王城騎士としても未熟であることが容易に理解出来たが、それでも彼も選ばれたのだ。
「確かに、君は考えるより先に口が出てしまう未熟な騎士だが」
「…す、すみませ…申し訳ございません」
 副団長オーマが、あやすように若騎士に笑顔を向ける。
「クルーガー団長と各隊長達とで話し合って選出した、将来必ず“王族付き”になれる騎士達だ」
 断言されて、若騎士達はただ目を丸くする。
 それもそのはずだ。彼らはまだ騎士団入りから一、二年程度しか経っていない新米ばかりなのだ。魔具も上手く操れず、身体も出来てはいない。中には一年にも満たない者すらいる。
 それでも、彼らには今の王族付き達が最初から持っていた素質を備えている。
「今の王族付き騎士の人数は多いように感じるかもしれんが、せいぜい一人の王族に騎士が十人前後。この数は、過去の王族付きの数に比べて非常に少ない。護衛時に一人から三人しか王族の側にいられない計算となるからな」
 かつてのエル・フェアリアの騎士達は戦の中で己を磨き、ひたすら強さを求めたと謳われている。
 エル・フェアリア騎士団が最強の名をほしいままにした数十年前での大戦では、単体の騎士が自ら好んで敵陣に突入し、小規模戦とはいえそのまま制圧したという文献も残されるほどに、本来エル・フェアリアの男達は好戦的で血の気が多い。
「理想としては、一人の王族に対して最低でも二十人は欲しいところだが…残念な事に現在の騎士達はあまりにも志の低い者ばかり」
 クルーガーは現騎士団の中で唯一、大戦を生き抜いた騎士だ。
「長く続いた戦も数十年前に終わり、国が平和に満ちたことは喜ばしいが、だからといって王家の皆様を最も近くでお守りする王族付き騎士まで気を緩ませるなど言語道断。二千以上いる王城騎士の中からたったこれだけしか候補の名が上がらなかったことが嘆かわしいが…現在の力量だけで言うならば確かに君達にはまだ王族付き騎士として力は足りん。しかし強くなるための、王族付き騎士としての志が確かに有る。だから君達を“候補”として選ばせてもらった」
 平和に馴れてしまった現状においては、クルーガーの頭は過去の栄光にすがる石頭なのかもしれない。それでもまだ騎士達の中には過去の大戦の最中でも勝ち残るだろう者達が存在している。今の王族付きとして。
 強さを求め、誇りを忘れずに。
「本来なら数年、私や各隊長の下で特別な訓練を積ませるのだが、ファントムの件がある以上、悠長な事は言っていられない」
 ファントム。
 ふいに聞かされた名前に、騎士達は眉根を寄せた。
「…クルーガー団長。発言をお許しください」
「どうした?」
 なぜここでファントムの名が?わずかに動揺を見せる王族付きを代表するように、フレイムローズが利き腕を上げた。
「ファントムの狙いは王家すら忘れるような古い宝具ばかりなのでしょう?急いで王族付きを増やすよりも宝物庫の護衛を強化した方がよいのでは…」
 フレイムローズの問いに何人の騎士達が頷いただろうか。
 王都にファントムの噂が流れてから、騎士達の多くが個々にファントムを調べ、話し合った。ファントムが今まで奪っていった宝具は、王家すら存在を忘れていたガラクタばかりだ。
「…ファントムの狙いが分かりつつあると、先に話しておこう」
 姿の見えない怪盗ファントム。彼が有名になった理由は、大々的に広まった噂と霞がかった謎の正体の所為だが。
「まだ確証は得られていない。しかしファントムの狙いが…七姫様のうちの誰かだと噂されている」
 一瞬にして、全ての空気が動きを止めた。
 クルーガーの告げた意味を理解できずに、だが頭の中で言葉を思い返そうとしても、思考回路が上手く働かずに白く塗り潰されていく。
 何も返せなくなった騎士達に、クルーガーは淡々と言葉を続けた。
「どなたが狙われているのかまではわからない。もし本当にファントムの仕業なら、最終的に狙われている姫様がわかるだろうが。…これが、我々が王族付き騎士を増やすことを急ぐ最大の理由だ」
「……そんな…」
 ようやく口を開いたのはエルザで。
 不安からか両の手を胸元で強く握り、華奢な肩を震わせて青ざめている。
 誰が狙われているのか、本当にそんな噂が流れているのか。
 訊ねたくとも、喉は凍りついて言葉にならない。
「候補の者達は一人ずつ、配属されている各部隊の職務以外に王族付き騎士の組の中に入って任務を覚えてもらう。任務以外の時間は心身を鍛える事に心血を注ぎなさい。教官の立場になった者は候補達の訓練にも目をかけること」
 そんな騎士達には目もくれずに、クルーガーは事務的なまでに会議で決まった内容を語っていく。
「たったこれだけしかいないから全ての王族付きに候補が付くわけではないが、付かなかった者も空いた時間があれば候補の訓練に当たるように。今回の候補で全てというわけではない。まだ王城騎士の中にも原石はいくつもある。見つけ次第候補の中に放り込んでいくから、そのつもりで頼みたい」
 何をそこまで急いでいるのかわからないほどにクルーガーは性急だった。
「全てが突然で困惑するだろうが、荒療治だと思って力を貸してほしい。質問があれば聞くが…」
 この状態で質問などあるはずがない。質問が無いわけではない。頭が回らないのだ。
 今までガラクタばかり奪っていたファントムが今回にかぎって“姫”を狙うなど、そんな馬鹿な話があってたまるか。
「…無いなら候補達の教官を発表する」
 殺気を帯び始める王族付き達を諫めるように、クルーガーは冷静でありつづけた。
 若騎士達は一人一人名前を呼ばれ、既存の王族付きの組の中に入れられていく。
 教官に選ばれている組は熟練の騎士達ばかりで、若騎士によっては親子ほどの年の差のある所も数組あった。
 ガウェの従兄弟であるルードヴィッヒは名前を呼ばれた時にソワソワとガウェの方を何度か見てはいたが、第六姫コレーの騎士であるスカイとトリックの組に入れられて肩を落とし、不満かと強くスカイに背中を叩かれていた。
 最後まで呼ばれずに残ったのはパージャで。
「…最後にパージャ。お前はエルザ姫付き、ガウェ・ヴェルドゥーラ・ロワイエット、並びにニコルの下に就く事を命じる」
 事情を知らない者達はこぞってパージャに視線を浴びせた。
 見たこともない騎士が、実力は最高クラスとはいえまだ若手の分類に入るニコルとガウェの組に入れられるなど。
 パージャの姫に対する砕けた物言いに不信感を持った王族付き達も多い中でだ。
「…数名は知っていると思うが…彼はニコルと同じく平民だ」
 クルーガーの説明に、騎士達の気配が一斉にざわついた。
 平民から騎士に。
 それがどれほど稀有なことか、ここにいる者達の中に知らない者はいない。
 ニコルが騎士になる為にどれほどの時間がかかり、そしてニコルにだけ重要な課題を出された事も。
 それも無く、彼は騎士団に入るというのか。
「つい先日まで王都の兵士であったが、私が彼の力量を買って騎士に任命した。まだ至らぬ部分が目立つが、そのつど教えてやってほしい--」
「--やはり納得がいかんな」
 団長が認めるほどの実力者だとしてもその力量がわからなければ困惑するしかないのは当然だが、異議を唱えた声の主は騎士達の代表にはなれない者だった。
「必要なお話は全て先ほどさせていただいたはずですが?ヴェルドゥーラ氏」
「我々に何の断りもなく勝手にな」
 黄都ヴェルドゥーラ領主、バルナ。実力主義の騎士団において貴族主義の彼は王族付き達からはあまり良く思われてはいない。それでも黄都領主として、最上位貴族当主として、彼は騎士団の多くの決め事に携わってきた。その彼が決まった案件に口を出すということは、団長達はどのような手段で会議中には彼らを黙らせたというのだろうか。
「ファントムの件も、それに準ずる王族付き騎士“候補”も必要な案件だろう。文句などない。だが昨日勝手に入団させたばかりの、それも下等な平民出の者をなぜ簡単に王城内に入れ、あげく七姫様達に近付かせる?その男が安全だと何故言えるのだ?先ほど少し話をしたが、まるで会話にならんほど愚かで下品な口調ではないか」
 バルナの言い分は尤もな箇所もあり、クルーガーはわずかに口を固めた。しかし次に言葉を発するより先に、当事者であるパージャが頭を掻きながら面倒臭そうに前に出て。
「もーめんどくさいなー。はっきり言いなよ。俺が目障りだって」
「やめないかパージャ!」
 バルナの目の前で喧嘩を売っているとしか思えない態度を見せるパージャをニコルは慌てて止めに入った。
 先ほどといい今といい、黄都領主に面と向かって不満を述べるなど、今後の彼の一生に関わりかねない。
 連れ戻そうと肩を引っ張るが、パージャの方も勝手な言い種に腹が立ったのか、動く気配を見せなかった。
「か、彼は少し親しすぎる性格なだけです!きっと素晴らしい騎士になれますわ!」
 動かないパージャを擁護したのはエルザだ。
 パージャとバルナの間に入り強い眼差しでバルナを見上げている姿は、普段の温厚な姿からはとても想像がつかない。
 さすがにバルナもエルザを前にしては頭を下げるが、それでも言い分を退けはしなかった。
「エルザ様、私はあなたの為を思って忠告しているのです。平民の世界では盗みや嘘が平気で横行しているのですよ。親しいふりをして簡単に寝首をかく。姫様方のように世間を知らないお優しい心の持ち主なら格好の餌食でしょう」
 諭すような言い方だが、完全に平民を馬鹿にした表現にニコルも顔をしかめた。
 盗みも嘘も、妬み嫉みも、悪意の全ては平民貴族関係なく等しく存在するではないか。
 言いたいことはいくらでも出てくる、しかしニコルにはそれらを全て飲み込むことしか出来ない。
 ただ苦々しげに表情を曇らせたニコルをどう見たのか、バルナは冷めた視線のままで嘲笑に口元を歪ませた。
「そこにいるもう一人の平民も、いつ王城の財宝を持って行方を眩ますか」
「その言葉は聞き捨てなりませんわ」
 完全にニコルを盗人として扱ったバルナに反論したのは第一姫のミモザだった。
 結わえた赤い髪を揺らしながら颯爽と歩み寄る姿は美しく、エルザと並ぶと一気に華が増す。だがエルザと違い、ミモザは己すら戒めるほどの棘を持つ。
「ミモザお姉様…」
 不安げなエルザの肩を抱き、代わるようにミモザがバルナに対峙して。
「そちらの新しい騎士に対しては、私も不安はあります。ですがニコルは長くこの城でエルザの為にとても尽くしてくれています。騎士団会議でしか騎士達を知らない、騎士の何たるかも知らないヴェルドゥーラ氏よりも、私達はニコルをよく見ていますからね」
 見てくれている。その言葉だけでもニコルの気分はいくらか晴れた。
 エルザの為に、この愛らしい姫の為に心血を注ぐ自分に気付いてくれている人物がいるということが、とても胸に染み渡る。
「恐れながらミモザ様、その過信こそが彼の思う壺かもしれませんよ」
 しかしその喜びすら、思い込みだけで語る者達はいとも簡単に踏みにじっていくのだ。
「出身の貧しい者は、それだけで得体が知れぬもの。眠っていた本性がいつ呼び起こされるとも限りません。私はいくつもある可能性のひとつを話しているのです」
 バルナの語るいくつもある可能性の中に、ニコルが素晴らしい功績をおさめるかもしれないという未来は含まれていないのだ。
 駄目だ、また視線が下を向く。
 ニコルの悪い癖だ。
 言葉が通じない相手を前にすると、話すことを諦めてしまう。
「へー、俺がいた地方では貴族がまだちっさい平民の子供を捕まえて強姦しまくって兵団に捕まってたけど?虫も殺さねーって感じのじいさん貴族でさ、その貴族の屋敷からゴロゴロ出てきた子供の遺体を見た時は俺も貴族怖いって思ったけど。実はあんたもそうなんじゃないの?」
「私をそんな汚らわしい者と一緒にするな!!」
 わずかに思考を喪失させていたニコルには、パージャがどうバルナに噛みついたのか、その最初の部分を聞き逃してしまった。
 ふと顔を上げればバルナが激しくパージャに怒りをぶちまけており、エルザとミモザがパージャの語った痛ましい事件の内容に驚いて口元を押さえて。
「いやいや、そのうちあんたの眠っていた本能が呼び起こされて酷い事件を起こすかも知んないじゃん。人間なんて結局似たようなもんなんだし」
「貴様っ!!この私をどこまでっ…」
「いやこれマジだって。正直平民とか貴族とか関係無いぜ?つか金持ってるぶん貴族の方がえげつない時も多いし。平民同士の殺しってさっぱりした内容多いけど、貴族になると金やら土地やら商売やら人脈やらいろんなもんが絡んでさ、子供からババアから巻き込んで死ねた方がマシってくらいエグいの何のって」
「や、やめろパージャ」
 さすがに強く止めたのは、パージャの語る内容が生々しくてエルザとミモザの耳には耐えられないものだったからだ。それでなくてもこの場には幼い姫達もいる。
 ニコルの言いたいことを理解した様子のパージャだが、口を止めるつもりは無い様子だった。
「何よニコルどん、俺これでもオブラートに包んでる方だぜ?がちで話したら姫様方卒倒しちゃうじゃん。ニコルどんだってわかってるでしょ?こんな底意地汚いオッサンに目ぇつけられてんならさ」
「パージャ!いいから黙れ!!」
「貴様…貧民ごときが」
 パージャの率直な物言いに、バルナの顔が怒りで赤く染まっていく。
 未だかつて、黄都領主をここまで虚仮にした者がいただろうか。それもバルナが最も嫌う人種である平民がだ。
「ニコルどんも言いたいこと言っちゃえば?腹に溜めまくってたら消化不慮で胃もたれからの下痢コースよ?こんなのに遠慮する必要無いって。相手の内面を決めてかかるのは、決めつけるやつの内面がそれだからって言うじゃん。オッサンそのうち王城の財宝持って行方眩ますんじゃねぇの?」
「お前まじで黙ってろ!!」
 おどけた言葉はどこまでもバルナを馬鹿にしており、怒りが勝り言葉にならない状況に陥った人間を久しぶりに目の当たりにしてしまう。
「っく、はは!」
 そこに響いた冷たい笑い声は、まるで聞いた者全てを骨の髄から凍らせるほどにおぞましい音をしていた。
 ニコルもパージャも、バルナすらも笑い声の主に視線を向ける。
「…確かにパージャの言う通りだ。ヴェルドゥーラでは酷い殺人事件が起きかねない状況が今もずっと続いているからな」
 静まり返る室内で、ガウェの言葉は異常に響いた。
「…よさないか、ガウェ」
 ガウェの語るヴェルドゥーラ家の内情に、バルナの表情は一気に白く冷えた。
「何故?言ってしまえばいいでしょう?『ヴェルドゥーラの喜劇』の全貌を。お陰で騎士になって以来一度も里帰り出来ずじまいですよ」
「…っ」
 これが本当に息子と父親の会話なのか。
 わざとらしく首をかしげたガウェの潰れた右目の穴が、バルナを飲み込もうとするように口を開けている。
 ヴェルドゥーラの喜劇。ガウェが黄都を出る決意をさせたその全貌を知る者は少ないが、知っている者は視線を反らすように静かに俯くことしか出来なかった。
「これ以上息子に色々と暴露される前に退散した方がよいのでは?後の件は我々騎士団が責任を持って治めていきますので。…聞かれたくない、やましい秘め事の多い家ですからね?ヴェルドゥーラは」
 ニコルやエルザ達の前を優雅に通りすぎて、ガウェは妃樹の間の扉を静かに開ける。
 暗に出ていけという仕種に、バルナは忌々しそうに踵を返した。
「…ふん、勝手にしろ!後でそいつらの化けの皮が剥がれたところで、私は何の尻拭いもせん!!」
 バルナが妃樹の間を出れば、慌てた様子で貴族主義の領主達がその後に続く。
 残った領主はフレイムローズの父親のアイリス氏とラシェルスコット氏の二人だが、アイリス氏はラシェルスコット氏に目礼をすると、息子であるフレイムローズに少し笑いかけてからバルナの後を追った。
「…ガウェ」
「大丈夫です」
 ラシェルスコット氏は扉の前に立つガウェの肩に手を置いて様子を窺うが、ニコル達の場所からは俯いたガウェの表情は見えない。
 ただ小さく呟いたガウェのかすれた声に、子供をあやすようにラシェルスコット氏は俯いた頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「ルードヴィッヒ、また後で話そう」
「は、はい…」
 ガウェの様子から無事だと確認したのだろう、ラシェルスコット氏も息子に笑いかけてから、静かに妃樹の間を後にした。
 嵐のような時間が過ぎて静けさが戻るが、それでも妃樹の間に浸透した後味の悪さは消え去らない。
「…お母さまの大切なお部屋なのに…」
 小さな涙声で訴えたのは末姫のオデットだった。薄紫と白の可愛らしいドレスを彼女なりの力で強く握りしめて肩を震わせている。
「…騎士団会議にどうしてこのお部屋を使うの?」
 オデットの涙声につられるように、第六姫のコレーも隣に立つスカイの手を掴んで訴える。
 母の愛した本を胸に抱いていた第五姫のフェントも俯いたまま涙を拭い、クレアがそっとフェントの肩を抱き寄せた。
 姫達にとって、辛すぎる時間だった。
 バルナとパージャの罵り合いが辛かったのではない。罵り合いに母との思い出に溢れた妃樹の間を使われたことがつらいのだ。
 四年前に静かに息を引き取った王妃と子供達との思い出は、その大半がこの妃樹の間にあった。
 美しい思い出ばかり残る優しい部屋であのような酷い言い争いを聞かされるなど、多感な子供には残酷すぎる仕打ちだ。
 自分が口論をしたわけではなくても、妃樹の間を使用した負い目に騎士達は姫を慰められずに唇を噛む。
「…この部屋の持ち主って、あの花が好きだったんだよね?」
 ふと、姫達の前に優しい声が響いた。
 いつの間に移動したのか、パージャがオデットと目線の合う位置までしゃがんで、妃樹の間に咲いた花を指さす。
「……」
 オデットの隣にいたコレーは涙目でパージャを睨み付け、スカイの手にさらにすがる。
「お母様の白ゆり?」
 話しかけられたオデットは困惑しながらも返答し、少し不安だったのかフェントに視線を向けた。
 白ゆりで正解なのだと頷いたフェントをパージャも確認して、
「なら、お詫びのしるしに俺からも花を贈るよ--」
 立ち上がったパージャの両の手から魔力が溢れ、それはすぐに白く形を成した。
 美しい妃樹の間を淡く彩るように白く細い木の枝がゆるやかに伸び育ち、そこから蕾が生まれ、可憐な花が部屋中に柔らかく咲き誇る。
「これは…」
「…魔具?」
 ただ美しい光景に姫達は声を詰まらせ、騎士達はその力に驚いた。
「魔具と同じ要領だが…」
「こんなものまで…」
 魔力を解放して魔具を発動させる要領だと騎士達は気付くが、あまりにも現実からかけ離れた魔力量だ。
 春に咲き誇るように芽吹いては雪のように舞い散る花は見た目も手触りも花そのもので、言われなければ魔具だとは気付かない。
 生体魔具。それは高度な技術が必要なはずで。
 これほど精巧な魔具を大量に操れる者が今までいただろうか。
「すごい…」
「わあ…きれい!!」
 部屋中に咲き誇り舞い散る小さな花に、涙を浮かべていたオデットとコレーは感嘆の声を上げた。まだ瞳に涙は溜まっているが、表情に暗さはもう無い。
「…少しだけ桃色…」
 手のひらにそっと舞い降りた花弁を見つめたフェントが、その花が純粋な白ではなく淡い桃色であることに気付く。
「桜っていう木の花だよ。俺のイチ推しの花」
 フェントの疑問に、膨大な魔具を操っているとは思えない余裕の様子でパージャが発動した魔具の花の名を告げる。
「これが桜…初めて見ました…」
 桜の木はエル・フェアリアには少なく、フェントも文献でしか読んだことのない花だ。
「ごめんな。大切な思い出の残る場所を荒らしちゃって。お詫びに…なるかな?」
 そして花弁が舞う中で、パージャは涙を浮かべていた三人の姫の前に膝をついた。
 先ほどバルナに対して使った相手を小馬鹿にした口調ではなく、本心から謝罪の気持ちを溢れさせた言葉を添えて頭を下げる。
 まだ成人前の三人の姫は互いに顔を見合わせると、少しだけパージャの様子を窺ってから、小さく頷いてくれた。
 その様子に、周りの騎士やエルザ達も安堵する。
「…よかった。ありがと、許してくれて」
 もう一度頭を下げてから、パージャが魔具の解放を止める。
 静かに消えていく魔具の桜を名残惜しむように伸ばされたエルザの指が触れる前に、最後のひとひらも儚く消えてしまった。

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