第4話


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 辿り着いたその室内庭園は、他の広間とは違って誰かの為に大切に造られたことがひと目でわかるほど素晴らしい場所だった。
「ここが妃樹の間…広い」
 感嘆の声をあげるパージャが、視界一杯にその美しい庭園を焼きつける。
 円形の室内庭園の窓は全てクリスタルで作られており、日の光が広間中を優しく照らし出す様子はまるで淡い絵画の世界だ。
 クリスタルは場所によって厚みが異なり、それが光を屈折させて床一面にいくつもの虹が広がっていた。
 小さめの噴水からも虹がかかり、水の流れる音が果てなく優しい。
 幾つかの本棚と、多くの植木。
 咲いている花はどれも白く美しく、細やかな手入れが隅々まで行き届いている。
「元々は妃殿下が休まれる為に作られた場所だ」
「普段は私たちには使えないが、…妃殿下が亡くなられてからは会議の時などの控え室に使わせて頂ける事になったんだ。すぐ近くに会議用の広間があるからね」
 ニコルとレイトルの説明だけでもとても王妃が愛されていたかがわかるほどに、この妃樹の間は素晴らしかった。
 作らせたのは国王で、彼がどれほど妻を愛していたか理解出来る。
「それで何か…自然がいっぱい…なんですね?」
「…難しそうだな」
「敬語なんて普段使わないって」
 妃樹の間に到着したのはニコル達が一番の様で、まだ中には誰もいない。
 レイトルからは砕けた言葉遣いを許されたとしてもパージャは一応口調を改めようと努力している様子だが、なかなか上手くいかないらしく少し辛そうだ。
「おい、また緩んだぞ」
 セクトルのツッコミに完全に言葉遣いが砕けたので一応注意をしたのは、妃樹の間に近付く騎士達の気配を察したからだ。
 同じように、レイトルも気配に気付いたらしい。
「もうそろそろ他の騎士達が来るから気を付けてね。王城騎士と王族付き騎士だと階級が離れるから、すぐに目の敵にして絡んでくる融通のきかない頭固い騎士もいるから」
「--それは俺の事か?」
 タイミング良く妃樹の間に現れてレイトルの言葉に返答したのは、第一姫ミモザの王族付きであるニコラだった。
 夏の似合うカラッとした笑顔だが、レイトルに対してどこか挑発するような上から目線だ。そしてレイトルも負けてはいなかった。
「これはこれはニコラ殿、名前を語ってはいないのによくお気付きで」
「お前の嫌みは昔からわかりやすいからな」
 互いに穏やかなまま火花を散らす二人を、パージャが少し離れた場所から眺める。
「…あの二人って仲悪いんっすか?」
「いや…」
「親戚なんだがよく似た性格してるから気が合わないんだ。昔は兄貴面してウザかったし。むしろ仲悪いのはあいつとニコル」
 少し話し辛そうなニコルを制して、セクトルが面白おかしく説明してくれる。
 いつもは無表情無関心のセクトルがニヤリと笑うのは、大概面白がっている時だ。
「別に仲が悪いわけじゃない…」
「じゃあ何で?…ですか」
 ニコルは一応否定して見せるが、知りたがるパージャと面白がっているセクトルがいるのに言葉を濁したまま終われるはずがなかった。
 だがどう説明すればと頭を抱えれば、仕方無いとでも言わんばかりにセクトルが口を開いてくれた。
「あの人、第一姫のミモザ様付きなんだよ。で、ミモザ様がけっこうニコルの事を気に入ってんだ。よくできた騎士だって」
 簡単に、だがパージャにはそれだけで理解出来る説明をしてくれる。
「…つまり嫉妬」
「ああ。で、名前が似てるもんだからよく聞き間違えるらしい」
「自分のことを言ってくれてる!って思ってドキドキワクワクキャッキャウフフってときめいてたらニコルさんだった…的な?」
「そうだ」
「…聞こえているぞ」
 レイトルの親戚であるニコラは同時にセクトルとも昔馴染みである為に、セクトルの言葉も容赦が無い。
 げんなりと注意するニコラに、またもレイトルが黄色い声を上げた。
「わぁさすがニコラ殿!素敵な地獄耳をお持ちでいらっしゃる!」
「明らかに聞かせるつもりだったろ!」
 昔はニコラの方が年上風を吹かせてレイトルとセクトルを一応は可愛がっていたらしいが、どう育て方を間違えたのか今では完全に舐められている。
 いがみ合っているわけではなく、ニコラが単純に遊ばれているのだ。
『親愛なるニコラお兄ちゃん。あなたの愛した可愛い天使達は今じゃすっかり腹黒です』
 酒の席で盛大に酔っ払ったレイトルとセクトルがニコラにそう言い放ったのは何年前だったか。
「お、一番乗りだと思ってたが違ったか」
 ニコラに次いで妃樹の間に到着したのはオヤジ騎士と名高いスカイだった。
「見ない顔だな?お前もクルーガー団長に呼ばれたのか?」
「え、まあ」
 スカイが早速見知らぬパージャを見つけて遠慮もへったくれもない距離まで近付いてくる。パージャの方も引き気味だが、ニコルはそこではなく別の場所に引っ掛かった。
「…も?」
 スカイはパージャだけに、「お前も呼ばれたのか」と訊ねていた。
 首をかしげたのはニコルだけではなかったが、答えはすぐに知れた。
「あの…」
「ああ、悪かった。入れ」
 扉から困惑した表情を見せるのは若騎士のヒルベルトだ。
 スカイに促されて迷子の子猫のように不安そうな表情を浮かべて入ってくるのは、ヒルベルトを先頭にちょうど十人のまだ若い騎士達だった。
 何人かには見覚えがあり、いずれも目覚ましい訓練を見せてくれている騎士達だと気付く。
「…あれ、パージャ殿?」
「わーヒルベルト、マウロ。朝ぶりー。ガウェさん、ほら、あそこの子っすよ!俺のこと気にしないって言った格好いいやつ!背は小さいけど」
 十人とも成人を迎えて数年程度の若さで、まだ幼さが目立っている。
 その中でも特に背の低い騎士を指さして、パージャは先ほど話していた“チビだけどカッコイイ”同室を紹介した。
「ルードヴィッヒか。久しぶりだな」
 その彼をガウェは知っていた様子で気安そうに話しかければ、名を呼ばれた彼は恥ずかしそうに少し俯いて耳を赤くした。
「お久しぶりです、ガウェ兄さ…ガウェ殿」
 そして緊張の色をありありと見せる声で挨拶を交わす。
 声変わりは済んでいる様子で声は少し高い程度の男のもので、それがなければ完全に女の子にしか見えない容姿だ。
「あ?お前弟なんていたか?」
 わずかに言い間違えたルードヴィッヒの言葉に、スカイはガウェに顔を向ける。ヴェルドゥーラはたしかガウェしか子供がいないはずだと暗に訊ねれば、ルードヴィッヒが慌てて言葉を付け足した。
「違うんです!私の父上とヴェルドゥーラ夫人が兄妹なので…その…」
「へえ、ガウェの従兄弟か。君は確か紫都ラシェルスコットの」
 ガウェの従兄弟関係に興味を持ったのはレイトルだ。
 貴族第三位の令嬢と最上位の嫡子の結婚ということは、ガウェの両親は高確率で政略結婚だったのだろう。
「はい。ルードヴィッヒ・ラシェルスコット・サードと申します。ラシェルスコット家の三男に当たります--」
 ルードヴィッヒのしっかりとした自己紹介だったが。
「--なに扉の前でつっ立っているんですか!奥に行きなさい!」
 妃樹の間に集まり始めた騎士達の苦情に見事に打ち消されてしまった。
 若騎士達が慌てて扉の前から離れると、王族付き騎士達のほとんどが示し会わせたかのように入室し、その奥からエル・フェアリアの姫達も現れた。
「エルザ様!?」
「クレア様!!」
 護衛対象が突然現れた事実にニコルは驚き、レイトルとセクトルはすかさず第三姫クレアの元に駆け寄る。
「スカイー!」
 六人の姫達も少し困惑した様子だったが、見知った顔ばかりなので不安ではないらしい。
 スカイの護衛対象である第六姫のコレーが無邪気に近付いて、スカイの前で手を上につき出してぴょこぴょこと飛び跳ねた。抱き上げろという合図に、スカイは勝手知ったるで11歳の姫君を片腕だけで抱き上げる。
「コレー様、どうしてまた皆さんと?」
 コレーは軽々と抱き上げられて満足したようにキャッキャと笑っているが、他のコレー姫付きの騎士達は動き回るコレーが落ちないかと心配顔だ。
「せっかくのお休みは書物庫で過ごしたかったのに…」
 六人の姫達の中で唯一表情を暗くしているのは、第五姫のフェントだった。
 今日は多忙の姫達にとって貴重な一日丸々の休みであったのに、好きな書物庫に居られなくて不満なのだろう。
 唇を尖らせたフェントの肩を抱いたのは第一姫のミモザだ。
「妃樹の間にはお母様の愛読書が沢山置いていますよ。たまにはこちらでゆっくりなさい」
 一番年上のミモザは長女故の責任感からか年齢よりも少し大人びて見え、洗練された美しさは姫達の中でもずば抜けていた。
「でも異国の文字はまだ全て読めなくて…」
「わからない文字があれば言いなさい。教えてあげますから」
 妹達にはとても優しく良き姉であり、フェントはミモザからの嬉しい申し出に満面の笑顔になる。
「はい!ミモザお姉さま!」
 早速本棚に向かったフェントの後ろについて回る十人弱の大男達という絵は見ているだけなら面白い。
「ミモザ様!」
「私達も突然呼ばれたの。しばらくご一緒させてもらいますね」
 ニコラもすぐに護衛対象であるミモザの側に向かい、嬉しそうに緩む顔を何とか冷静に保とうとしていた。
「ご用があれば何でもおっしゃってください」
「あら、あなた達は体を休める時でしょう?何かあれば護衛の二人に言いますから、私達のことは気にせずにゆっくりなさい」
 何とかしてミモザの役に立ちたい騎士達だが、本人に言われてしまえばどうすることも出来ない。
 この時間の護衛任務の騎士二人がミモザの後ろから他のミモザ姫付き達に“羨ましいだろう”と舌を出して挑発している辺り、七姫の護衛部隊で最も規律と品位に厳しいとされるミモザ姫付き達も中身は子供だ。
 七姫も集まる中で若騎士は困惑しながら、何故かぽつぽつとガウェとフレイムローズ、パージャの元へ集まり始めた。
 姫達の側にいるよりもいくらか気持ちは落ち着くからだろうが、遠巻きにその姿を見たニコルにはその図がガウェとパージャを保護者に見立てた託児所に見えたところだった。

「王族付きの皆さんがほぼ全員と…七姫様まで…何があるんでしょう…」
 ガウェの側で、動揺を隠せないままマウロが呟く。
 隊長副隊長以外の王族付きに姫達に若騎士数名。
 さすがにこれだけ集まれば、妃樹の間が広いといっても騒がしくなる。
「いいなあ…俺もコウェルズ様といたかった」
「本当ならお前はここにいないからな」
 ぼやくフレイムローズの言葉には、茶化しているのか注意しているのか端からは判断出来ない口調でガウェも返して。
「言わないでよ~…泣けてくるから…」
 ガクリと肩を落としたフレイムローズに、パージャは「なになに」と興味を持った。
「…俺はコウェルズ王子付きなんだけどね、王子は今は他国に政務中なの」
「じゃあなんでフレイムローズさ…殿はここに?」
「置いていかれたんだ」
「言わないでよーっ!!」
 自分の護衛対象だけいない理由をさらりと言われて、フレイムローズはその場にしゃがみこむ。
 いじけた姿は来年20歳の大人の見せる行動では無いが、フレイムローズだからという理由でいつも許されていた。
「ガウェー!」
「…オデット様。お元気そうで何よりです」
 そこに、七姫の中で最も幼い第七姫のオデットの弾んだ声が入り込んだ。
 オデットは一直線に抱きついてガウェを見上げ、ガウェも馴れた様子で笑いかけて。
 まるで兄妹のようなやり取りに、パージャはただ目を見開いた。
「優しく笑っている…だと?」
「ガウェはオデット様には特別優しいから」
 信じられないものを見たようにパージャは言うが、口調はどこかわざとらしい。
 それを流すように答えながら、フレイムローズも姫の前なので立ち上がった。
「ガウェ、髪を結ってくださいな。エルザお姉さまは不器用で上手く出来ませんの」
 オデットは小さな手のひらから一対の髪飾りをガウェに差し出してお願いを始める。
 エメラルドの宝玉が美しく散りばめられた髪飾りにガウェは一瞬表情を無くしたが、すぐに手に取って馴れた手付きでオデットの輝く薄紫の髪を結い始めた。
「オデットったら…私だって頑張ってるんですのよ?」
「でも上手くならないままよ」
 どうやら先ほどまで頑張ってオデットの髪を結おうとしていたらしいエルザが、しょんぼりと近付きながら項垂れる。
「オデット~…」
 姫達はそれぞれ気に入りの髪型があるのだが、エルザだけは髪を結わずに風になびくままにしている。
 各々虹の色を身に宿している七姫達の髪は、妃樹の間の中でキラキラと光輝いて。
 ガウェは手先が器用な事もあり、よく姫達から髪のセットを頼まれていた。
「綺麗な髪飾りだね」
 若騎士達はオデットとエルザが近くに来てしまったので軽く挙動不審に陥ってしまったが、パージャが気安くオデットに話しかけた事実に完全に固まってしまった。
 ガウェはいとも簡単に片側の髪を結い終え、その終わったばかりの髪を飾る美しい宝玉に触れながらパージャはオデットを見下ろして。
 突然話しかけられてオデットも固まるが、
「…リーンお姉さまからいただきましたの」
 何故か少し泣き出しそうな表情で、パージャに髪飾りの本来の持ち主の名を告げた。
「…へー、…だからエメラルドの石か」
 リーンお姉さま。
 リーン姫が亡くなった第四姫の名前であることくらいはパージャも知っているはずだ。
 それぞれ美しい虹の一色を持って生まれた七姫の中で、唯一闇色の緑を宿して生まれた悲劇の姫。
 9歳になるオデットは、亡くなった大好きな姉姫と来年同い年になってしまう。
「…願いを籠めた細工だね」
「ねがい?お願い?」
「そ。彫刻で願いが刻まれてる」
 触らないでとは言われなかったのでそのまま宝玉を眺めていたパージャは、あることに気付いてそれを解読した。
 エメラルドの宝玉にうっすらと刻まれた古代文字。
「どんな願いですの?」
 悲劇の姫を大切に思う心で満ちたような。
「…ラムタルの古代語だね…『あなたが幸せに満たされますように』『永遠の愛をあなたに』」
 宝玉の数はいくつかあり、その全てに異なる願いや思いが刻まれている。
 どれほど大切か、どれほど守りたいか、どれほど愛しいか。
 まだ幼かったはずの姫をこれほどまでに愛している存在にパージャは興味を持つが、オデットは涙を堪えるようにキュッと唇を噛んでしまった。
「…お姫様?」
 さすがに泣かれると困るので慌てて髪飾りから手を離したパージャに、エルザが隣から悲しげに髪飾りの所以を話してくれる。
「…この髪飾りは、リーンの婚約者であったラムタル国の国王陛下が贈ってくださったものなのです」
 そしてそれは、驚愕させるには充分な内容で。
「--…エル・フェアリアと並ぶ大国の王が婚約者?…聞いてない…」
 ラムタル国の規模を知らない人間などいない。
 エル・フェアリアと共に二大大国として名を馳せるラムタルの国王が、亡くなった姫の婚約者であるなど。
「ええ。大々的には宣言していませんでしたから、知らないのも無理はありません。…もしリーンが生きていたら、今年は盛大な結婚式が両国で行われた事でしょう」
 エル・フェアリアの成人年齢は15歳なので、リーン姫が健やかに育っていたなら今ごろは大国の王妃として崇められていたはずだった。
「…まだ同盟は結ばれてない国だよね?」
「はい。リーンとラムタル国王であるバインド様の結婚を期に同盟が結ばれるはずでしたから」
「…じゃあ今は?同盟を結ばないまま?」
 数十年前の大戦ではエル・フェアリアと同じように次々に領土を拡大し、最終的にはどちらかが滅ぶだろうとされた。しかしその前に大戦は終結し、以来エル・フェアリアとラムタルは互いに干渉せずにいたはずだ。
「ミモザお姉様の婚約者がバインド様の弟君なので、お二人の結婚まで伸ばされたのです。王弟殿下の成人は来年になりますので、結婚も来年になりますが」
「なんか難しいね…ラムタルって大国でしょ?第一姫が国王とかと結婚するんじゃないの?リーン姫って第四姫だよね?年齢だって第一姫の方が近いのに。ラムタル王ってもうじき30じゃん」
「第一姫だから、ですよ。エル・フェアリアには王子が一人しかいませんので、ミモザお姉様はこの国を出て他国に嫁ぐことは出来ないので、王弟殿下がこちらに来られて結婚することになりますの」
「そんなこと言ったら、ラムタルだって現王とその弟の二人だけみたいなもんじゃん…ますます難しい」
 矛盾する王家間の婚姻関係にひたすら頭をひねるパージャに、エルザはただ苦笑いしか返さなかった。
「王家の結婚とはそういうものですから」
 何を優先しているのか、どんな基準があるのか。それは当事者にならなければわからないのだろう。
「じゃああんた…じゃないや、エルザ様は?」
「…私はまだ婚約者が決まらないのです」
 10歳当時のリーン姫でも婚約者がいたなら19歳のエルザはとうに嫁いでいてもおかしくない。だが未だに王城にいるエルザに首をかしげれば、また困ったような表情で返されてしまった。
「エルザお姉さまはとっても美人だから、他の国から沢山求婚されて大変ですの!」
「オデットったら…」
 そしてこちらにもどうしようもない理由が存在するらしい。
 他の国ということはそれぞれが王家からの求婚のはずだ。小国であろうとも重要な王家からの要望を無下には出来ないし、求婚が殺到しているならなおさら選ぶのに時間がかかるのだろう。
 一の国にエルザを嫁がせるとして、二、三の国が納得出来る理由を提示しなければ下手をすれば小国同士の国際問題に発展しかねない。
「おお…美人も楽じゃないね」
 エルザの美貌は国内外全てで謳われている。それ故の苦悩というものか。
「じゃあオデット姫は?」
「私はアークエズメル国のナノア様と結婚しますの」
「おおお。もう決まってるんだ」
 さらりと教えてくれる声には何の感慨も見えず、オデットがまだ色恋にあまり興味を持っていないことが知れる。オデットは数年後に結婚する相手よりも、大好きな姉姫の髪飾りの方が大切なのだ。
「…髪飾り、意味のある物だなんて知りませんでしたわ。リーンお姉さまにお返ししなければ…」
「そんなことなさらなくて大丈夫ですよ。バインド陛下も形見としてオデット様に渡されたのですから」
 髪飾りに触れながら姉を思うオデットに、ガウェは抑揚を無くした言葉を上から落とした。
 まるでリーンにその髪飾りを戻したくないような。
「…でも…リーンお姉さまもバインド様のこと」
「リーン様には必要ありません」
 オデットの言葉を途切れさせてでも、ガウェはその続きを語らせなかった。
 完全に表情を無くしたガウェに、その様子を見ていた全員がゾクリと背筋を粟立たせる。
「…オデット、あちらでお母様の愛した花が咲いていましたよ。見に行きましょうか」
「ほんと!?」
 話を変えたエルザの配慮はオデットだけではなく凍り付いた全員を安堵させてくれた。
 オデットは今までの会話など忘れたかのようにエルザと手を繋ぎ、咲いた花を見に移動して。
 姫二人の騎士達も必然のようにそれに付き従って行く。
「…ガウェ」
「煩い」
 ニコルは唯一エルザの後を追わず咎めるようにガウェを睨むが、ガウェは小さく吐き捨てるとエルザ達とは逆方向に去ってしまった。
「…ガウェ殿はまだリーン様のこと…忘れられないのですね」
「…もう五年経つんだがな…」
 ガウェがかつてリーン姫付きであった事実は全員知っている。そしてガウェがどれほどリーン姫に執着していたか。それもガウェを知る人物なら周知の事実だ。
 悲劇の姫は、亡くなった今でもガウェの忠誠心を手放してはいないのだ。

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