第3話
そこは、ガウェが姿を眩ませた兵舎の屋上だった。
兵舎の屋上には大きな砲台が設置され、その隣で静かに王都を眺めていたガウェに、パージャは気配も無く近付いて。
「…俺って、けっこう誰が嘘ついてるとかわかっちゃう人間なんですよねー」
話しかけられても驚きはしない。
パージャと話す為にここにいたのだから。
「あと、なかなか特殊な体してて、めったな事じゃ死なないようになってんですよねー」
ゆっくりと振り返れば、パージャの薄茶色の髪を高い位置で束ねていた髪紐がほどけて風にさらされていた。
その長い髪は、どこか奇妙な違和感がある。
「クルーガー団長にはそこに目をつけられたって言うかー、一応交換条件があったんすよねー」
パージャの存在は突然すぎて、だが今までを考えれば遅すぎる行動だった。
「って言っても無関心かー…」
何も話さないガウェの隣に移動して、パージャが王都の眺めに「すげえ」と小さく呟いた。
「…あんたのお家騒動に巻き込まれた俺としては、作戦くらい立てて教えてほしいんだけど」
クルーガーは言った。
ニコルを守る為だと。
パージャはその為に選ばれたというのだろうか?
「……」
知らず知らずのうちに笑っている自分がいる。
「お家騒動か」
ヴェルドゥーラの盛大な親子喧嘩。いや、喧嘩なんてしたこともない。
父と面と向かって喧嘩をしたことなど今まで一度も無かった。
ヴェルドゥーラの喜劇と笑われる事件以来、父とまともな会話も無かったのだから。
「上位貴族も大変なんすね」
「…ヴェルドゥーラには俺しか次代がいないからな」
「まあ、唯一の息子が黄都の政務に興味ないんだから、焦るは焦るよね」
黄都ヴェルドゥーラの現領主は、ガウェが生まれた時点で妻を抱かなくなった。
男が一人産まれたならそれでいい。
もし次も男が産まれて後継者争いになどなれば、それこそヴェルドゥーラの恥を晒すからだそうで。
万が一ガウェに弟か妹が産まれる時、それは何かしらの事故でガウェが死ぬか使い物にならなくなった後の話になるのだろう。
「…興味が無いわけではない。…それで、どこまで知っている?」
ガウェは自分なりに今後の事を考えてはいる。動かなかったのは、決心が固まらないほど王城に思い入れが多すぎるからで。
「えーと…ニコルさんの命を狙う、あんたの父親の息のかかった騎士と侍女を見つけろ…くらいしか知らされてないわ」
「…見付けたら騎士団長には伝えるな。俺に言え」
「なんで?」
パージャは言葉を吟味しない。それは単純だからというわけではなく、頭の回転が早いからだろう。馬鹿みたいな会話だが、口を滑らせている気配が無い。
「“お家騒動”なんだろう?騎士団長は部外者だ。入らなくていい」
「あんたがそれでいいならそうするけど…でもまあ、上位貴族って言うから頭の良い人間かと思ってたんすけど、息子が言う事聞かないのを平民のせいにしてる辺りただの馬鹿ですよね」
「っくははははは!!」
ざくりと切り捨てるような物言いに、久し振りにお腹を抱えて笑った。
それにはさすがにパージャも驚いた様子だ。
「…あんたも笑うんだ」
「これでも人間だからな。だが言うじゃないか。王家の次に力を持つヴェルドゥーラの当主の悪口を、その息子の前で!ははは!」
「…あんたもそうとう歪んでますよね」
ヴェルドゥーラというだけで他国王家すら身を強張らせるというのに、パージャは遠慮の欠片も見せはしない。
「ふ…それで、どうやって馬鹿の子飼いを見つけ出せる?」
「その辺りも全部明日わかりますよ」
ひとしきり笑った後で、ガウェは口元を歪ませたままパージャに向き直った。可笑しさは当分消えそうにない。
「明日、俺はあんたとニコルさんの部下になる。あんたはうんと俺を可愛がってくれたらいい。それだけでヴェルドゥーラの目はニコルさんから俺に早変わりだ。そうなったら俺の出番。企業秘密でやり方は教えないけど、子飼いがわかったらあんたに知らせるよ」
「…六回」
ヴェルドゥーラ領主を陥れるということをいとも簡単な作業のように語るパージャに、ある数字を教えてやる。
「この三年ほどで俺が把握する、ヴェルドゥーラ当主のせいでニコルが死にかけた回数だ。まあアイツは余裕でかわしたが…実際の暗殺未遂回数は二桁を軽く越すはずだ」
なぜニコルが狙われているのか、その本当の理由を知っているのはガウェを含めごく僅かだ。そしてその中にクルーガーは含まれてはいない。
「下手をすれば死ぬぞ?ヴェルドゥーラ当主は馬鹿だが“ただの馬鹿”じゃない。金と地位に物を言わせた“面倒臭い馬鹿”だ。ニコルも馬鹿で、命を狙われたってのに、王城貴族の嫉妬程度で済ませているがな…あいつは天才だ。武術、剣術も高等、魔力も貴族を差し置いて膨大に持っている…お前はニコルよりも魔力が高いみたいだが…達者な口以外で他に何がある?」
饒舌になるのは、それだけニコルを買っている証拠だ。パージャにはガウェから評価を受けるほどのものを持っているというのだろうか?
「…言ったでしょー?普通にやったくらいじゃ俺は死なない。生まれつきそういう特殊な体なのよー」
ガウェの分かりづらい心配も、パージャには無用な様で。
「世界は広いんだぜ?オニイサーン。あんたの憎しみがさらに増すほどにねー」
それどころか、まるでガウェの胸の奥に沈んだ黒い感情を知っているかのようにパージャは笑う。
「…まあ、明日からよろしくねー」
ガウェの肩に軽く手を置いたパージャが、そのまま屋上から飛び降りて。
下からすぐに魔力の発動を感じて見てみれば、パージャはすでに地上を歩いているところだった。
予感、というにはあまりにも漠然としたものだった。
何かが起こる予感
何かが始まる予感
何かが終わる予感
--いったい何が?
第3話 終