第3話


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 団長に話があると抜けたガウェは意外なほど早く戻り、ニコルは窓から外を眺めているエルザには聞こえない程度の小声でガウェに訊ねた。
「…何を話してたんだ?明日の会議の件か?」
 くだけた口調は本来は王族の前ではあまり許されないが、気を抜くとどうしても口調が戻ってしまう。
「…また得意の黙秘権か」
 だがガウェは少し不機嫌そうに黙り込んだままだ。
「--まあまあ、そんなことより俺は何したらいいのさ?」
「うわぁ!何でお前がここにいる!?」
 そこに乱入してきた声と気配に、ニコルは素で驚いてしまった。
「お話が終わったからに決まってるでしょーがー」
 気配など完全に無かったし扉が開いた様子も無かったというのに、パージャはニコルのすぐ近くにいる。
「ミュズさんはどうされたのですか?」
「帰ったよ」
「…いつ帰ったんだよ」
 パージャの姿に寄ってくるエルザにいとも簡単にタメ口で話すのを聞いて、止めるより先にため息が出た。
「あ、そうだ伝言伝言。あんたに“童貞のバーカ”だってさ」
 最後まで謝罪せず喧嘩を売るのかあの少女は。
 久し振りに遠慮もへったくれもない口喧嘩をしたミュズを思い返し、ずしりと肩が重くなった気分だ。
「どうていって何ですの?」
「産まれてから一回も」
「それ以上続けるなよ」
 聞きなれない言葉に首をかしげるエルザにわざわさ説明しようとするパージャをひと睨みで黙らせるが、エルザがきょとんとしながら視線をニコルに向けてくるのが痛い。
「…今日は君がこれから暮らす兵舎と城内を案内する。案内しながらここでの規則を話すから、質問はその都度聞いてくれてかまわない」
「そんなに畏まらなくていいのにぃ」
「規則そのいち!仕事や任務中、王族の皆様の前や来賓の方々がいらっしゃる際は相手に敬意を持って話す事!砕けた話し方をしたいなら早々に友人を作り、友人しかいない時に話せ!!」
 こんなものは規則でも何でもない常識だが、パージャにはわざわざ全て知らせなければならない気がした。クスクスとエルザに笑われてしまったことが恥ずかしくて悔しい。
「じゃあお二人はご友人?」
 黙る気がないのか不必要な事ばかり口にするが、エルザがわくわくと気にするので怒るに怒れない。口調は荒らげているが。
「彼は仕事仲間だ!」
「へぇ?ガウェさんも同じ考え?」
「…口煩いやつ」
「お前が口煩くさせるんだろうが!」
 何故かパージャの会話に乗っかるガウェにも噛み付くが、どこまでもエルザはわくわくと楽しげだ。
「ぅ…失礼いたしました、エルザ様」
「いいえ!いつもなら見られないニコルの一面が見られて新鮮ですもの!」
「あんた可愛いね」
 さらりと誉めるパージャに「あら…」とエルザが頬を染めた。
「何て口のきき方を!!」
 そこにキレたのは、単に嫉妬心が芽生えたからだ。
「…まずは兵舎の案内からだが--」
 このままでは最後までペースを乱されて終わる。エルザのいる前で転がされ続けてたまるか。なんとしてもそんな事態を避けるために、ニコルは深呼吸をしてから改まるようにゆっくりと話し始めた。

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 正門から最も近い外周第一棟に入れば、普段なら兵舎にいるはずのないエルザ姫の姿に王城騎士達が困惑しながらも見入ってくる。
 遠巻きの者達はざわつき、近くを通れば頭は下げるものも数秒呆けるものもいた。
 エルザはそれほど美しい。
 虹の緋の色をした髪と瞳は朝日を浴びたようにキラキラと輝き、華奢だが細すぎず、胸が大きいので体型だけでもエル・フェアリアの男達には理想の女性だ。
 そのエルザを中心にしてガウェが前、ニコルとパージャは後ろに立っている。
「--このように、王家の方を護衛する際は、騎士が二人の時は二人共守護対象の後ろへ。三人いる場合は一人が前に立つ。立つ際は自分の利き腕とは逆の方に立つように。あと前に立つ騎士は三人の中で一番王族付きの経験が長い者だ」
 堅苦しい説明をするニコルに、ふーんと気の無い返事をするパージャは私服の為に別の意味で注目を浴びている。
 ニコルとガウェは元々エルザの護衛だが、パージャを知っている者などいないはずだ。
 平民にしては良い服を着ているので言わないと平民とは気付かれないだろう。
「みんな同じ経験の長さだったら?」
 奇妙な視線を簡単に受け流す態度だけ見れば、どうやら奇異の視線には慣れた様子が窺える。
「…年齢の高い者が立つ」
「じゃあ年齢も同じだったら?双子とかさ」
 その質問にはニコルだけでなくガウェもエルザも一瞬息を潜めた。
「…場合に合わせて決める」
「…ふーん?」
 わずかに間が空いてしまったが、パージャは深く訊ねずにいてくれた。
「…兵舎外周は一階に馬小屋、風呂場、武器庫がある。馬小屋は他にもあるが、外周の馬は基本的に移動用だ。戦闘用には訓練されていない」
 一階を周りながら説明をすれば、馬小屋の掃除番らしい若騎士が悪ふざけをしていたらしく、エルザの姿に驚いて馬から落ちた。
 隊長には言わないでおくから掃除を優先しろと注意すれば、若騎士達は恥ずかしそうに頭を下げて離れていく。
 エルザは普段見ることのない場所に興味が尽きないらしく、パージャにばかりかまけているとどこかに行こうとするので、パージャとは別の意味で目が離せなかった。
 ひとつひとつ説明して二階に上がれば、昼近くなので食堂には人が多い。
「二階は食堂と騎士達の部屋。三階からは完全に部屋だけになる。食堂ではいつでも食事を取ることが出来るから、空いた時間に勝手に食べてかまわない。兵装やらは食堂の侍女に言えば用意してくれるが、できるだけ三日以上前には申請してくれ。洗濯も頼むことは出来るが…」
 そこで言葉を途切れさせたのは、過去に洗濯関係で嫌がらせを受けたからだ。
「…なるべく自分で洗った方がいいだろう」
 パージャも平民だとバレれば嫌がらせは免れない。
 なるべくなら自分の事は自分でさせたいところだが、そんな事情などまだ知らないパージャは首をかしげるだけだ。
 そこに、食堂に入ってから少し離れていたガウェが静かに戻ってくる。
 ガウェと話していた侍女は可愛らしく頬を染めて、ガウェと話せた事が嬉しい様子だった。
「用意出来そうか?」
「夜までにはな」
「何を?…ですか?」
 ガウェがわざわざ侍女に話しに行ったのは別に色恋でも何でもない。
 一応口調を正し始めたパージャの言葉になぜか笑いそうになった。
「君のこれからの服飾一式だ。急だからどうなるかと思ったが、よかったな」
「わあー。ありがとうございます」
 そこに、積極的な声が突然割り込んでくる。
「きゃあ、ガウェ様!」
「ニコル様も!こちらにいらっしゃるなんて珍しいですわね!!」
 まとわりつくという言葉がピッタリの行為にガウェが嫌そうに顔をしかめるが、侍女達は気付いてはいない。
 王城で働く侍女達の大半が夫探しに余念がなく、第一棟にはあまり足を運ばないガウェとニコルの存在は侍女達からすれば自分をアピールできる絶好のチャンスだろう。
 ニコルはともかく、ガウェに見初められれば最上位の女になれるのだから。
 ふらりと少し離れた場所にいたエルザが戻ってきたのは、侍女の一人が馴れ馴れしくガウェの袖を引っ張った時だ。もう一人の侍女はどちらかというとニコルに近い。
「--エルザ様!?し、失礼いたしました!!」
 頬を膨らませて眉をひそめているエルザは、誰がどう見ても不機嫌そうで。
「わー、お姫様はどうして怒ってるのでしょうか?」
「怒ってませんわ!」
 侍女達が慌てて離れた後にパージャが面白がるように訊ねて、エルザは口を尖らせてそっぽを向いてしまった。
「…行きましょうか」
 拗ねてしまったエルザを促しながら食堂を出て、三階に向かう先の階段で運良く見知った若騎士を見付けて、ニコルはその二人を呼び止める。
 以前の魔具訓練でニコルに立ち向かってきたヒルベルトとマウロだ。
 ニコルとガウェの姿を見て嬉しそうに駆け寄ってきてくれるが、一緒にいるエルザの姿に驚いてマウロが足をもつれさせ、三段ほど階段から落ちた。
 以前の訓練でもマウロが足をもつれさせたせいで戦闘の邪魔になり、普段なら負けるはずのない相手にニコルとガウェは負けてしまっている。
 その時は自害する勢いで謝られたが。
「…驚かせてすまない」
 マウロに手を貸したのはガウェで、そのせいでマウロがさらに恐縮してしまう。
 上昇思考の強い二人だが、予期せぬ出来事にはまだ弱いらしい。
「一人分の空きのある部屋はあるか?」
「…私達の部屋は一人分の空きがありますが?」
 パージャの部屋を探しておきたかったので訊ねれば、ヒルベルトが不思議そうな顔で返してきた。
「…お前達、同室なのか?」
「あ、はい。チームワークを養いたくて最近部屋を交換して同室になったんです」
「…ちょうどよかった。君達が同室ならまだ安心だ」
「へ?」
「え?」
 二人の若騎士が平民騎士相手にも礼儀を忘れずいてくれる事はすでに理解しているが、突然すぎて頭がついてこないらしい。説明も無しでは仕方ないが。
「今日からよろしくねー!」
「へ!?」
「え!?」
 見ず知らずのパージャに馴れ馴れしくされて更に困惑する二人に詳しく説明したい気持ちはあるが、まだまだパージャに教えなければいけない場所の方が多い。
「…突然ですまないが、今日から彼が同室になる。名前はパージャ。本日騎士団入りしたばかりの者だ」
 簡単な説明だけで理解させる事はさすがに難しい。
「君達の部屋は?」
「さ、三階の第十四間です」
「ありがとう。詳しいことは今晩にでも彼自身からきいてくれ」
 どうせ同室になるなら自分で説明させようとパージャに丸投げにして、ニコルは先を急いだ。
「じゃあね~」
「あなた方の事はクルーガーから聞いておりますわ!パージャの事をよろしくお願いしますね!」
「は…はい!!」
 友達感覚のパージャと何故か自慢気なエルザに挟まれたが、ヒルベルトとマウロは元気な返事をくれた。
 幅の広い階段を上れば広い廊下と等間隔に設置された扉と窓が見えてくる。
 万が一占拠されても敵を攪乱させられるように作られた棟内は、慣れなければ何度でも迷う。見分けのつけ方は窓の外の景色以外には無い。
「部屋は間違えやすいから気を付けてくれ。三階は王城が見える方向を内側と考えて、外側の端から壁にそって部屋がある。一部屋に六名、第十四間は外側端から数えて」
「あ!あそこ!」
 ニコルが示すより先に見つけ出したパージャが大声を上げる。
 当然のように先に進もうとするパージャとエルザを、何の合図もなくニコルとガウェは息を合わせて同時に止めた。
「中は…後で確認するように」
「え、何で!?」
「…私も見たいです」
 わざとらしく驚くパージャと不満顔のエルザに、ニコルは重い口をゆっくりと開く。
「…勘弁してあげてください。エルザ様に見られたとなると、室内の者が騎士を辞めかねません」
 エルザは首をかしげたが、パージャはすぐに理解を見せた。
「あー…わかる。女の子には見られたくない秘密がわんさかあるもんね」
 普通なら女の子など来ない場所だ。若い盛りの男達の部屋の状況は見ずとも知れる。
「秘密?お二人の部屋にもあるのですか?」
 エルザの問いかけにニコルとガウェは黙るしかなかった。
 二人の部屋の中央に置かれたテーブルには、以前ガウェとフレイムローズが悪ノリで大量に購入した春画が未だに散らばっている。
 しかも似ていないとはいえエルザを題材にしたものばかりだ。
「お姫様、それは健康男子には酷な質問だよ」
 状況を知らないはずのパージャのフォローが的を射すぎてつらくなった。
「…いらんことを言うな」
 今までの発言の責任を全てパージャに押し付けるように告げれば、パージャは不満そうに口元をへの字に曲げて。
「兵舎内はそれくらいだ。外周兵舎は東西南北に一棟ずつ、正門以外の棟と棟の間には中間棟がある。そこは魔術師団の棟になるが、行き来は自由だ。気が向いたときにでも見ておいたらいい」
「…外周兵舎だけでこの広さ…」
「王城を守るように建てられたものだからな。下の馬は急ぎ用でもある」
 およそ平民には縁などない王城内は、兵舎の一棟だけでも迷うほどに広い。
 その広さと造りは全て中央にある王城を守る為のものだが、慣れるまでは地獄だ。
「外周と内周の違いって何すか?」
「外周には王城騎士と魔術師が、内周には騎士団長、副団長、各部隊長、王族付きの騎士達が生活している」
「じゃあ二人の他の同室の騎士は?」
 そこまで訊ねられて、ニコルはわずかに首をかしげた。
 パージャの言いたい意味がわからなかったのだが、すぐに思い出した。
「ん?…ああ、内周兵舎では六人部屋ではなく二人部屋なんだ。一人の騎士もいるが、基本的に二人部屋だな」
「ええ!?それってずるくないっすかー!?」
「羨ましいと思うなら早く王族付きになるか王都に家を建てるんだな」
「へーまあどうでもいいんですけどガウェさんいませんよ?」
「さん付けじゃなくガウェ“殿”と…はあ!?」
 慌てて前を向けばガウェはおらず、申し訳なさそうにエルザが両手を胸元で合わせて見上げてくるところだった。
「…ごめんなさいニコル、私も気付いてはいたのですが…止められなくて」
 パージャとの会話でニコルだけが気付かなかったらしい。だがガウェは護衛任務放棄の常習だ。よく考えればここまで一緒にいたことの方が奇跡だろう。
「…王城に向かいます。今の時間ならちょうど王城の案内の終わりに夜番の者と交替できますので」
「うわめっちゃ青筋」
「ご、ごめんなさいニコル…」
「エルザ様の責任ではありませんからご安心ください!!」
 諦めてため息をついただけなのにエルザに勘違いをされて、ニコルは必死で取り繕った。
 それでもしょげそうなエルザをなだめて、三人は王城へと向かった。
 渡り廊下を抜けて兵舎内周に入り、そのまま王城に入れば。
「王城は--」
「あー平気。クルーガー団長におおまかには教えてもらったんで王城はいいっすよ」
 突然パージャは足を止めてニコルとエルザから後ろへと離れた。
「…先に言ってくれ…」
 その態度に何ら不信感を抱かなかったのは、すでにパージャという変人に慣れてしまったという事なのだろうか。
「まぁまぁ。じゃあ俺…私はここでサヨナラしますね~」
「あ、おい!」
 エルザがいた為に走り去るパージャを止められず、結局あっという間にニコルとエルザの二人といういつも通りの護衛状態に戻ってしまう。
「…少し変わった方でしたわね」
「…あれが平民だと思わないでくださいね。あの性格はだいぶ特殊です」
 パージャが去った先に目を向けるが、すでに姿は見えなかった。剣術や武術は並みより少し上だと聞いたが、足の早さは騎士達の中でも上位に入るかも知れない。
 とりあえず同じ平民であるので誤解の無いようにエルザにパージャの特殊性を伝えておくが、エルザはいつも通りクスクスと笑顔だ。
「あら、私の中の平民のイメージはニコルなのですよ。誠実で頼りになる存在です!」
「…ありがとうございます」
 ニコルに向けられるエルザの言葉はどれも信頼を示してくれて、嬉しくもあるが恥ずかしい。
「ではこのまま部屋まで案内させていただきます。少し早いですが、交代の者が来ているでしょうし」
 照れ隠しのように俯いて先を促そうとすれば、エルザはニコルの腕を取り、くるりと進行方向を他方に変えた。
「…エルザ様?」
「夕食にはまだ少し早いのでしょう?少しだけ遠回りしましょう!」
 言うが早いか、エルザはぐいぐいとニコルを引っ張り始めた。
 エルザの力ではニコルを動かすことなど出来ないのだが、そこは姫に合わせて動くのが騎士だ。
 わかりました、と呟こうとして、また突然エルザの動きが固まる。
「…どうされましたか?」
「…正門の休憩室に、本を忘れてしまいました…」
 それはニコルがいない間に書物庫から借りてきた三冊の書籍だ。そういえば大切そうに胸に抱いていたエルザを思い出す。
「部屋に戻って次の騎士と護衛を交代しましたら、私が取りに行きますよ」
「いえ、いいえ!今から参りましょう!」
「…ですが遠いですよ?」
「いいのです!行きましょう!」
 書物を忘れて泣きそうになっていたはずの顔が、何故かすこし嬉しそうに変わっていて。
 ニコルの腕を離さずに元気に歩き出したエルザの胸中を測れるほど、ニコルは乙女心に聡くはなかった。

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