第27話
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アリアの手を引いて、天空塔から離れる。
離れながらレイトルは強く歯を食い縛った。
なぜ自分はここにいる?なぜあの場から逃げなければならない?
決まっている。アリアを守る為だ。
だが、天空塔にはまだ…
20歳で王族付きに任命されてから三年間、クレアを守ることだけに心血を注いできた。
アリアの護衛に回ると決めたのは自分自身だ。
だが長年従え続けたクレアを置いて天空塔を後にする行為が、それが任務であろうが、アリアに思いを抱いていようが、胸を掻きむしるように苛んだ。裏切り行為であるかのように、全身が叫びそうになる。
「レイトルさん!!」
「走って!!」
それでもレイトルは走った。胸に抱く思いはいくつもある。その中で今最も重要なのは、アリアを守り抜く事だ。
安全な場所へ。たとえ、仲間が--
「でもっ、兄さんが!!」
アリアの声が涙に滲む。
焦るように甲高くなる声は、レイトルの腕を拒絶しようとする。
アリアにとって唯一の肉親がまだ天空塔にいる。それはアリアにはどれほど悲しい思いなのだろうか。
戦闘が始まっているかもしれない。誰かが傷付いたかもしれない。
アリアは治癒魔術師だ。怪我人を癒すことがアリアの任務なのだ。だがアリアはエル・フェアリアの現存唯一だ。
場合によっては、怪我人を放置してでも生き長らえさせなければならない。たとえクレアが、ニコルが死んでしまっても。
「兄さんに何かあったら!!」
「君に何かあったらどうする!!」
足をその場に踏み留めたアリアを、レイトルは強く引き寄せる。
アリアに何かあれば。
ようやくエル・フェアリアが手に入れた治癒魔術師だ。
失うわけにはいかない。なのに。
「兄さんに何かあったら!?あたしがそばにいればすぐに傷を治せる!!」
レイトルの手を払おうと、アリアはがむしゃらに腕を振るう。レイトルが知る女の子の弱さはそこにはない。
王城に来るまでは一人で生きてきた貧しい平民の娘だ。力仕事も何もかも、全て自分でやってきたのだろう。何もかもがレイトルの知るようなか弱い女の子とは異なる。それでも。
「頼むから言うことを聞いてくれ!!」
「っ…」
恫喝に近い強い声で、アリアを黙らせる。
掴んだ手首は絶対に離さない。
アリアを天空塔に戻さない。
そんなことは許されないのだ。
「…君を失う訳にはいかないんだ」
レイトルだけではない。エル・フェアリア全土の為にも。
莫大な国土を誇るというのに、エル・フェアリアにはアリアしか治癒魔術師がいない。
今まで二度、アリアの力が必要になる場面があった。それらの全てで、アリアは倒れるまで力を使い続けた。
アリア以外にも治癒魔術師がいたなら。だが現実には、アリアしかいない。
「君にもしもの事があったら、国がまた危うくなる…君という存在があるだけで、エル・フェアリアは平和を更に維持できるんだ!」
大袈裟なほどに説得してみても、未だに治癒魔術師の重要性をあまり理解していないアリアに全ては伝わらない。
なぜメディウム家は城を離れたのだ。かつてエル・フェアリアに存在した、治癒魔術を操る一族の女性達。
離れさえしなければ、アリアは生まれつき王城で育っただろうに。そうすれば、自身の重要性を理解しただろうに。
「…でも…」
「アリア…私だって、天空塔に留まりたかった…」
なおも天空塔に目を向けるアリアに、レイトルも己が内を呟いた。
天空塔に留まりたかった。クレアを、姫達を、コウェルズを守りたかった。
セクトルを、ニコルを、仲間達を残したくなかった。
--自分も戦いたかった。
全てがごちゃ混ぜになって、頭が白く染まろうとして酷く苛立つ。
アリアを愛している自覚がある。自分の手で守りたいと切に願う。だがそれ以上に、天空塔で仲間達と共に戦いたかった。
アリアへの思いが仲間達より少ない訳ではない。レイトルの騎士としての本能がそうさせるのだ。
女を求めることが男の本能であるとするなら、エル・フェアリアに生まれた騎士の本能は戦闘にこそある。
戦って、挑み続けて、勝ち進む。
それこそが騎士の、王族付き達精鋭の本質なのだ。
なのになぜ自分は、愛してくれるかもわからない女を連れて逃げるのか。混乱する頭が、普段なら考えない方向へと思考を捩れさせていく。
アリア。
もしニコルばかりでなく、アリアを連れて逃げるしか出来ないレイトルにも気を回してくれたなら、ここまで思わなかった。
愛しい。
だが苦しい。
せめてほんのひと欠片でもレイトルを案じてくれたなら、レイトルの腕を振りほどこうとせずにいてくれたなら。
--こんなに脳内で、君を襲うことなんてなかった--
天空塔から凄まじい爆発音が轟いたのは、苛立ちからアリアの手首をつかむ力が強くなった頃だった。
コレーが魔力を暴発させた時に見せた閃光とは規模の違う、まるで破壊しつくされたかのような爆音。
「きゃあ!!」
「アリア!!」
あまりの衝撃波に、レイトルはアリアの体を抱き締めて地に伏せた。アリアを下に庇えば、大小幾つもの破片がレイトルに降り注ぐ。
幸い酷い痛みを伴うような破片にはぶつからない。それでも強くアリアを抱き締めて、彼女に傷が付かないように懸命に守った。
轟音が静まり始めてようやく身を起こせば、天空塔が大破していて。
人の姿で表すならば、肩から上をえぐり取られたかのような痛ましさ。
「…天空塔が…」
そんな。
天空塔は生きているのに。
きっと痛いはずだ。
なのに、あれほど大破してしまったら…天空塔はどうなるというのだ。
それに天空塔の中にはまだ…
「…兄さん…兄さん!!」
「駄目だアリア!!」
「いやぁ!!」
先に上体を起こしていたレイトルを押しどかそうと、アリアは躍起になる。
天空塔にはニコルがいる。
レイトルにとっては多くの仲間があの中にいるが、アリアにとってはただ一人の大切な兄が。
「離してぇ!!兄さん!!にいさんっ!!」
そんなことをしても意味がないのに、アリアは天空塔に腕を伸ばす。
ただ一人の兄だけを心配して、涙を浮かべて、錯乱して。
「アリアっ!!」
何とかアリアを落ち着かせたくて強く抱き締める。もしこれがニコルなら、アリアを抱き締めたのが頼りがいのある兄だったのなら、アリアは落ち着いて冷静さを取り戻したのだろう。
だがレイトルはニコルではない。どれほど抱き締めても、アリアを落ち着かせる事など出来なかった。
悲しい。悔しい。
そう思うと同時に、知らぬ声に語りかけられた。
「--ここにいなさい」
突然語りかけられて、レイトルもアリアも呆然とその声の主を仰ぎ見る。
それはとても美しい女だった。
見た目は20代後半ほどの、女の色気を大輪に咲かせたかのような香り立つ女。
闇色の藍の髪と瞳、極上の肢体、エル・フェアリアでは珍しい長身の美しい女。
「だ…誰だ?」
あまりに突然すぎる出現に、レイトルは困惑した声しか出せなかった。
その女が悠然と微笑み、ふわりと癖のある闇色の髪を揺らしながら天空塔を見上げる。
誰かに似ている?
レイトルがそう気付いたと同時に、爆発音は地上からも響き渡った。
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