第26話





「---!!」
「っく…うええぇん…」
 気付いた時には、既に現実世界に引き戻されていた。
 何の脈絡もなく、突然。あらゆる色と光の戻った世界に軽い目眩を感じた。
 あまりに突然すぎて何もかもがわからなくなる。
 それすらも魔力増幅装置の力なのか。それともクレアという岸に手をかけていたコレーのおかげなのか。
「コレー!兄様!」
「成功だ!」
 目覚めて赤子のように泣き出すコレーと意識を取り戻したコウェルズに、クレアが安堵に声を震わせてコレーを抱き締め、リナトが鬨の声を上げるように叫んだ。
 同時に歓声が上がり、コウェルズはようやく自分がコレーの中にいたのだと思い出して。
「コレー、大丈夫よ」
 コレーは訳もわからない様子でクレアに泣きすがり、クレアは喜びに涙しながら何度も何度もコレーを撫でさする。
「よくご無事で!コウェルズ様!」
「あ、ああ…」
 コウェルズの元にはリナトが訪れて、先ほどまでの指輪の件の怒りも忘れて笑いかけてくれる。
 しかしコウェルズの気分は晴れない。
 それはコレーの意識下での出来事を全て思い出したからで。
「…どうされましたか?…まさか指輪に異常が!?」
「いや…これは素晴らしい宝具だよ…だが…」
 全て思い出した。
 コレーが抱いていた謎の記憶も、そこに現れた男も。
「…魔術兵団長を呼び出せるか?」
 自分でも恐ろしいと思えるほどに低い声だった。
 様子がおかしいことに気付いたのはリナトだけではないが、命じられたのはリナトなので、彼が代表するように静かに問うてくる。
「…いったい何が…」
 何が?
 それはコウェルズにだってわからない。だから奴を呼ぶのだ。
「至急だ。今すぐヨーシュカを私の元へ連れてくるんだ」
 魔術兵団長ヨーシュカ。
 奴に聞かねばならない事がある。
「…兄様?どうしたの?」
「けほ、けほっ…お兄さま?」
 リナトはすぐに魔術による交信を始めてくれ、その間にコウェルズは頑張ってくれたクレアと目覚めたコレーに優しく微笑みかけた。
「助かったよ、ありがとうクレア。…おはよう、コレー」
 笑ってしまいそうなほど頬がひきつっているのがわかる。今の笑顔は妹達に安心感を与えられているだろうか?
 心を殺した笑顔なら得意中の得意なのに。
「…お兄さま?」
 頭を撫でられて、藍の髪をいじられて、コレーはきょとんと首をかしげる。まだ状況が理解できていないのだろう。
「--天空塔正門に来ると」
 そしてリナトからの伝言に、静かに立ち上がる。この場はリナト達に任せて、自分は。
「…私についてくるな」
 コウェルズの後に続こうとしたアドルフを止めて、睨み据えるように正門の方向へと目を向ける。
「コウェルズ様?」
「ヨーシュカと二人で話したい」
 立ち去るコウェルズは、周りには異様な雰囲気に映っただろう。それでも構わない。
 一人で歩き始める様子を見守られながら、コウェルズは天空塔正門に向かった。
 広間からはすぐの位置だが、異常に遠く感じられたのはそれだけ気持ちが逸ったからだろう。
 早足のまま広い通路を抜けて、風が強く吹き荒ぶ外へと。
 室内と屋外の明るさの違いにわずかに目が眩むが、すぐに慣れた視界にヨーシュカを見つける。
 天空塔正門からまるで世界を眺めるように背中を向ける魔術兵団長、ヨーシュカ。こんなにも早く天空塔に訪れるとは、いったいどこで何をしていたのだ。
「…お呼びでしょうか?コウェルズ様」
 コウェルズに気付いたヨーシュカが、静かに振り向いてくる。
 クルーガーやリナトと同様に、大戦時代を生きた老兵。その実力は、今も確かだ。
 大戦時代はクルーガーと同じく騎士だったと聞くが、全ては知らない。
「…何をするつもりだ」
「はて…何の事でしょうか?」
 ヨーシュカを睨み付けたまま、コウェルズは何とか落ち着こうと穏やかに話しかける。だがヨーシュカはさらりと流して。
「とぼけるな…コレーが意識の奥深くで抱いていた記憶…あれは何だ!コレーに何をした!!」
 軽く流されたことに腹が立ち、コウェルズは激昂する。
「なぜコレーが自分以外の者の記憶を持っている!?」
 コレーの中で見た他人の記憶。それに深く関わるであろうヨーシュカを糾弾する。
「…不思議なこともあるものですねぇ?」
「その記憶に、お前の姿があった…あれは誰の記憶だ!?お前は何を知っている!!」
 あまりに悲しい記憶の欠片だった。
 救いを求めた手はまだ幼さを残すように柔らかく小さくて、それだけで庇護欲を掻き立てるような。
「…私にわかることは一つだけですよ。コレー様が持っていたという他者の記憶…それをコレー様に持たせたのは私ではありません」
「…記憶の中のお前が…その記憶の持ち主を深い奈落に突き落とした」
「--…」
 そこまで説明して、ようやくヨーシュカは目を見開いた。
 コレーが抱いて守るほどの記憶の欠片だ。重要な記憶に違いないのだ。ヨーシュカはその記憶の持ち主を。
「…魔術兵団が静かに動き回っていることは気付いている。今回のファントムの件に関係があるのか?」
 魔術兵団は国王の命令にのみ動く。だが今回の密かな動きが父である国王の命だとはどうしても思えなかった。
 ファントムの件に関して、魔術兵団が勝手に動いているとしか。
「…知りたいのであれば」
 静かに口を開くヨーシュカの声に、聞き入るように身構える。だが。
「この国の王にならねばなりませんよ」
「…何だと?」
 ヨーシュカの答えは、答えにならないもので。
「エル・フェアリアの真実が知りたければ、王になる以外に道はありません」
「…何を言っている…」
 エル・フェアリアの真実?
 そんなことを聞いているわけではない。いや、そもそも真実とは何だ。
 困惑するコウェルズを尻目に、ヨーシュカは静かに背中を向けて。
「しかしお気をつけなさい。王になれるのは貴方だけではありません」
「……」
「貴方より王にふさわしい御方がいらっしゃるはずなのです」
「--何?」
 意味が理解できずに眉間に深く皺が刻まれる。
 しかしヨーシュカは、コウェルズに多くの謎を残したまま天空塔から飛び降りた。
 ふわりと浮かぶように降りていくヨーシュカを、もはや追うことはせずに。
「…どういう事だ…」
 謎を解くために呼びつけたというのに、新たな謎を残されて。
 コウェルズはただ唇を噛むことしか出来なかった。

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「ぅぉぉお終わったああぁぁぁぁぁっっ!!」
 書物庫内にてユナディクス国の古代文字の解読作業を行っていたパージャ達がようやく作業から解放されたのは、ガウェが去ってしばらくした時だった。
 パージャが人生を謳歌するようにわざとらしく両手を天高くかざしてからペタリと机に突っ伏する。
「お疲れ様です。おかげで助かりましたわ」
 突っ伏されてせっかく書き上げた文献に皺がいく前に、フェントは広げた書物や用紙を集めて胸に抱いていた。
 間一髪だった。
「針飲まなくてすむぅっふー!!」
 顔を伏せたままパージャは物騒な言葉を口走るが、パージャがオデットと交わした約束を知らないフェントは首をかしげるばかりだ。
 パージャはもうフェントの手伝いから逃げない。嘘ついたら針千本飲ます。
 その約束を、優しいオデット姫はたった一本飲むだけにおまけしてくれたのだから。言葉のあやがわからない子供ほど恐ろしいものはないだろう。
「…針?」
「こっちの話。気にしたら負けだよ」
 へらへらと力無く手を振るパージャの代わりにフェントは側にいる騎士達に針の件を訊ねるように目を向けているが、そもそもエル・フェアリアに馴染みのない約束の交わし方なので誰にもわかるはずがなかった。
「それより今からどうすんの?ユナディクスの古代文字は訳し終えたけど、その後は?」
 重そうにようやく頭を上げながら、パージャはフェントと同じ目線の高さに上る。中腰の方が体には負担がかかるだろうにとフェントにはため息をつかれたが、目線が近いのが何故か嬉しいようで青い瞳は温かい。
「これまでの宝具の使用者や操作方法についても詳しく書かれていましたので、こちらの文献と照らし合わせていきます。なぜファントムが宝具を奪ったのか、そしてなぜエル・フェアリアの姫を狙うのか」
 こちらの文献とは、エル・フェアリアの歴史文献の事だろう。そんなものを探ったってどうにもならないことをパージャは知っている。
「もしファントムの狙いが宝具を操れるエル・フェアリア王家の血なら、コレーよりお兄様を狙うはずですもの…」
「なんで?」
「…現存するエル・フェアリア王族の中で最も魔力を持つのはお兄様ですもの」
 さらりと返される理由に「ふーん」と聞いているのかいないのかわからない相槌を打って。
 鋭さは七姫の中で一番だろう。だが、根本が間違っている。
 ごめんね。こんなに一生懸命に頑張ってるのに。
 心の中で呟く言葉は当然のようにフェントには届かないはずだ。
 肘から先をテーブルに預けて、物思いにふけるように焦点をどこにも合わさずにぼうっとする。ふと視線を感じてフェントを見れば、真剣な眼差しの彼女と目があった。
「誰一人姿を見たことのないファントム。ですが繋がりは見つかりましたもの。…コレーを奪われる前に、必ず」
「--その必要はありませんよ、フェント様」
 突然降って沸いた声に、後ろに控えていたフェントの騎士二名が無意識に臨戦体勢に入る。
 パージャもちらりと目を向けて、不愉快を隠さぬまま目を細めた。代わりに瞳孔が開くのが自分でもわかる。
「…魔術兵団?」
 呟いたのは騎士の一人で、衣服から魔術兵団であると気付いたらしい。
「…ナイナーダ」
 男の名を口にしたのはフェントだった。緊張した面持ちで、そっとパージャの背中に隠れながら。
「あなたが幼い頃に一度しかお会いしていませんのに、よく覚えてくださいましたね。流石はミモザ姫の妹君だ」
「…何の用ですの?…ユナディクスの文献は…」
 男、ナイナーダの優しげな微笑みに、しかしフェントは警戒心を露にしながら胸に抱いたユナディクスの解読文を強く守るように抱き締める。
 解読してすぐに現れたので警戒して当然だろう。
「御安心下さい。文献に興味はありません。私が話したいのは…そちらの男です」
 爽やかというにはあまりにも澱んだ笑顔を向けられて、パージャも冷や汗を浮かべる。
「…何か用?」
 ナイナーダの指定する男とはパージャの事だった。
 フェントと騎士達から怪訝そうな視線を向けられて、だがパージャにはそれをかわすほどの余裕が持てない。
「すまなかったよ。何せ“皮付き”の状態ではあまり覚えていなくてね--捕らえなさい」
 ナイナーダの命令に、まるで彼の影から出現するかのように突然数人の魔術兵団が現れた。
「きゃあ!」
「フェント様!!」
 魔術兵団は各々が捕獲用の魔具を発動させてパージャに放つ。パージャの背後に隠れていたフェントはそれに巻き込まれそうになり、間一髪のところで騎士達がフェントをかばい守った。
「魔術兵団!フェント様に何かあれば大罪ですぞ!!」
 騎士達は強くナイナーダを睨み付けるがどこ吹く風で。
「…俺のこの状況は無視なわけ?」
 捕らえられているパージャは首から胴から鎖に絡め捕られているというのに声にはまだ余裕がある。
「どうしてパージャを…?」
 フェントの疑問は至極当然のものだった。なぜパージャを?彼は騎士団とはいえ、仲間ではないのか。
 何も知らないからこその疑問が、なぜかパージャの胸にチクリと刺さった。
「…彼はファントムの仲間ですよ」
 そしてナイナーダが、パージャの正体を明かす。
 一瞬の静寂は、フェント達が思考を停止させたからだろう。
「なっ…」
 騎士二人は驚愕の視線を向けてきて、フェントは信じないとでも言ってくれるかのように首を横に振る。
 パージャは無言のまま捕らえられ続けていた。
 自分が死なないことはわかっている。だが、それを楽しむのがこいつらだ。
「“あれ”の封印が弱まる時期を狙っていたのだろうが…お前がここにいることは好都合だ。封印が二つになれば、半世紀は猶予が出来るだろう」
「またワケわかんないこと言って…そんで、どーするわけ?また“皮を剥く”か?」
「ふ…口の減らん餓鬼だ」
 パージャがナイナーダの言葉を理解できたのは半分ほどだ。
 半世紀の猶予?
 そんなものはファントムから聞いていない。
 そして、パージャを餓鬼、と。
 かつてナイナーダと対峙した時、確かにパージャは子供だった。
 だが目の前の男は、ナイナーダは変わらない。あの時のように、パージャで遊ぼうとしているかのようで。
--そんなこと、させるか。
 全身から一気に魔力を放出して、黒い霧状の力を固める。
 以前フェント達の為に王妃の愛した妃樹の間を桜の花びらで満たした。
 今は、闇色の花びらを書物庫中に乱れ狂わせる。
 パージャから放出される花びらに魔術兵団達は一瞬怯み、その隙をついてパージャは捕縛を逃れた。
 逃れる方法など簡単だ。全身を八つ裂きにすればいい。自ら。
「きゃああ!!」
 バラバラに千切れ落ちるパージャの体に、間近でそれを見たフェントが恐怖に怯えて騎士に強くすがる。
 騎士達もフェントを庇いながら、パージャの崩れた体を凝視して。
「…パージャ」
 八つ裂きとなった体が闇色の花びら達に拐われて、書物庫の窓辺に集まる。
 そこで再生していく様子に、ナイナーダが感嘆の吐息をこぼした。
「…流石だ。素晴らしい」
 完全に体が元に戻ったパージャを、フェントはすがるように見つめてくれる。表情は恐怖に彩られているが、まだ信じられないとでも言うように。
「私達を騙していたの?…パージャ!!」
「…ごめんね。でもそうしないと…彼女を救えないんだ。緊急事態だから、許してね」
「パージャ!!貴様ぁ!!」
 花びらを足下にふわりと宙に浮かぶパージャ目掛けて、騎士達が怒りの形相で魔具のナイフや矢を放った。
 魔術兵団と違い完全に殺す気で、それはフェントを怯えさせたせいなのか、それとも彼らを裏切ったせいなのかまではわからない。
「うわ!…魔術兵団より厄介だな…」
 パージャの役目は、その厄介な騎士達を--
 書物庫の大きな窓ガラスを遠慮の欠片もなくぶち破り、外へと逃げる。
「まだ時じゃないけど…仕方無い!!」
 見上げる先にある天空塔。そこに向かうことが、パージャの役目だ。
 闇色の花びらを纏い、空を駆ける。落ちるなど考えてはいない。パージャの魔力は、あれに通じるのだから。

「…パージャ」
 残された書物庫内では、消え去る花びらの合間からフェントが悲しげに眉をひそめて空を行くパージャを見上げていた。
「悪あがきか…」
 ナイナーダは魔術兵団を連れて後を追い、
「全団員に通達せよ!!ファントムの仲間が侵入した!!パージャを捕らえよ!!」
 騎士団も彼を捕らえるために動き始めた。

第26話 終
 
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