第26話


第26話

 妹のコレーが今までで最大規模の魔力の暴発を起こしてからこちら、クレアは一度も天空塔から下りられないでいた。
 理由はコレーだ。
 魔力の暴発を起こし、錯乱状態に陥ったコレーの意識を取り戻す為に自らの腕が折れ曲がろうとも構わずに力を使った。
 そして一度はコレーは目覚めたものの、なぜか再び意識を深く潜らせてしまったのだ。
 錯乱状態であるなら何とかできた。だが今の状況ではクレアにはもはやお手上げで。
 しかしコレーは、潜らせた意識を再び岸に上げる為にクレアの意識の欠片を掴んでいた。
 その為にクレアはコレーから離れられないでいるのだが、代わりに水面に触れるように、コレーの意識の一部を感じ取る事が出来た。
 悲しみに暮れる感情と、決意。
 その決意が何を表すかはわからない。だが漠然と、コレーが何かを守っていることはわかった。
 何かはわからないが、クレアにとっても大切なものだと直感が告げる。
 クレアとコレーが天空塔に居座る事になった為に、同じく王族付き達や魔術師達もよく天空塔を行き来する事になった。
 生命体である天空塔は賑やかな様子が嬉しいらしく、自由に動く太い蔓を騎士達や魔術師達に伸ばしてちょっかいをかけて遊ぶ姿がよく見られた。
 恐らく天空塔なりにクレアを楽しませているつもりなのだろう。時おり心配そうに蔓を伸ばしてきては、クレアに触れ、眠り続けるコレーを撫でている。
 ファントムの噂さえ無ければこんなことにはならなかったはずなのに。悔しくて、もどかしい。
 そしてクレアが兄の暴挙を聞いたのは、昨日の事だった。
 島国イリュエノッドの恐ろしい宝具を自らに装着したとか。詳しくはまだ聞かされてはいない。だが昨日共にいた魔術師団長のリナトが、部下からの報告に怒りを露にして天空塔を後にしたことは今でも鮮明に覚えている。
 普段は剽軽なおじいちゃんであるリナトの怒りの表情など、滅多に見られるものではない。
 その理由も正確に聞かされた訳ではないが、周りの話の端々から知り得る事は出来た。
 どうなっているのか気になるが、誰に聞いても天空塔にいるメンバーである為に詳しくはわからない。
 もどかしさが胸にくすぶるクレアにようやく情報が届いたのが、兄の暴挙から一日経った翌日、つまり今日の昼過ぎの事だった。
「--うそ、サリアも来てるの!?」
 同い年のイリュエノッドの王女。サリアはコウェルズの婚約者で、気は強いがあまり自分の気持ちに素直に慣れない娘だ。
「みたいですよ。我々も今朝聞いた話ですけどね」
 その情報を持ってきてくれたのは、昼からコレーの護衛に立つスカイだった。オヤジ騎士などと呼ばれて周りから遊ばれる彼だが、若くして王族付きに選ばれた実力者だ。そしてコレーに最もなつかれている騎士でもある。
 本来ならコレー付き騎士達の隊長であるトリックと組むスカイだが、今はトリックの姿は見えない。
 恐らくは魔力増幅装置を指にはめたコウェルズへの対応に回されているのだろう。説明ではトリックの祖父である魔術師団長リナトが手にする予定だったのだから。
 サリアはコウェルズがそう動くことに気付いていたか、知っていたのだ。だからサリアがこちらに来た。
「そっか。でもまあ、当分は会えないだろうね」
「申し訳ございません」
「気にしないで」
 エル・フェアリアにいるなら会いたいが、サリアが天空塔に登ることは今は不可能だ。
 コレーがどうなるかもわからないのに、あまり魔力を持たないサリアが訪れて、万が一の事があったら。
 ちらりとクレアの腕の中で丸くなっているコレーに目を移せば、スカイも同じように視線をコレーに向けた。眠っているとは形容しているが、瞳は虚ろに少し開き、赤ちゃんのように親指をくわえている。まるでコレーを抱くクレアが母親であるかのように。
「…コレー様も魔力暴発以来このままで…よほど恐ろしかったのでしょうか…」
 恐ろしかった。スカイの言うそれは幽棲の間の件を指すのだろうが、クレアは静かに首を横に振る。
「幽棲の間に移される恐怖とは別の理由よ」
 コレーがこうなってしまった理由。幽棲の間がどれほど恐ろしい場所か、コレーは知らないはずだ。それなのに魔力の暴発を起こすほど恐怖心に苛まれたのは、クレア達兄姉が幽棲の間を恐れているからだ。
 だがそれ以上の何かを胸に大切に抱きしめて、コレーは未だに目覚めない。
「え…なぜ?」
「…わからないわ。…でも…こうして抱っこしてるからかな…コレーの恐怖と決意が伝わってくるの」
 何かを恐れている。そして何かを抱き締めて、それを必死に守ろうとしている。
 何を守ろうとしているのか、それはクレアにもわからない。
 だがコレーが守りたいと抱くものだ。若干11歳の、甘えん坊の幼い妹が。
 何から守りたい?
「…“何か”が近付いてる?」
「まさかファントムが…」
 ポツリと呟くクレアに、スカイは緊張してみせる。
「わからないわ…でも、可能性はあるのかも…」
 ファントムの噂などなければ、こんなことにはならなかったはずなのに。
 まだファントムが狙う姫の名前は上がってはいないが、最新の噂は、誰が聞いたとしてもコレーを。
 七姫の中で最も魔力を持つ者はコレーなのだから。
「…誰だ?」
 二人わずかに黙り込んでしまった時、ふと騎士にしては軽い足音が近づいてくることに気付いた。
「--スカイ殿!」
 そして息も荒く急いだ様子で姿を見せるルードヴィッヒに、スカイがやや呆れたような表情になる。急ぐにはそれなりの理由があるからなのだろうが、姫の前だというのに、と。
「どうした」
「トリック殿から伝言を預かりました。コウェルズ様がコレー様の魂を呼び戻す為にもうじきこちらに来られるそうです」
 「…それだけか?」
「それが…魔力増幅装置を持ってきて…使われるそうで…」
 持ってくるも何も、魔力増幅装置は一度指にはめ込むと、指ごと装置を潰さない限り外れない。コウェルズが来るということは、今後もずっと魔力増幅装置がついて回るのだ。
「…昨日聞いたわ。装着したの、お兄様なんでしょ?」
「魔術師団長の激怒っぷりは凄まじかったですからね」
 さらりと流すクレアとスカイに、ルードヴィッヒはやや慌てたように身動いでいる。
「私たちにも怒られたいのかしらね」
「魔術師団長がつけられるとばかり思っていましたからね。しかも、サリア様まで対の指輪をはめたとか」
 コウェルズの先手を打つように、サリアは対の指輪を指に添えた。
 コウェルズに万が一の事が無いように。そしてコウェルズをいましめ、不用意に力を使わせない為に。
「まったく…未来の王と王妃は怖いもの知らずですね」
 呆れたように溜め息をつくスカイは、きっとサリアの気持ちはわからない。
 悲しいことに、コウェルズもサリアの気持ちの全てを汲むことは出来ないのだ。
 それは男と女の決定的な違い。
「…お兄様の独断は許せませんが…サリアの気持ちは…わかります」
 もしクレアの婚約者がコウェルズと同じような勝手をしたら。クレアもサリアと同じ道に進む。というよりも、既に進んでいる途中だ。
 クレアの婚約者は、王族間の争いに巻き込まれて呪いを受けた。それからずっと、婚約者はクレアに自分を忘れろと格好つけて告げてくる。
 ふざけるな。そんなことが出来るか。
 愛しているのに。
「…でも、怖くないのでしょうか…使い方を誤れば命を削る指輪なのですよね?」
 ルードヴィッヒの言葉は、そのどちらにも属さない第三者の視点からだった。
 知らぬ間に命を削られ、気付いた時には手遅れという恐ろしい宝具。
 大半の者が手に触れることも恐れるはずの代物で、ルードヴィッヒの反応こそ当然なのだろう。
 それでも。
「…好きな人を失う方がよっぽど怖いわ」
 わずかに寂しく微笑むクレアに、ルードヴィッヒは言葉を詰まらせた。
 大半の女の子が憧れるような綺麗な容姿である彼にも、守りたい女の子はいるのだろうか。
「まあ、コウェルズ様は当分どこに行っても怒られる立場でしょうね。そのうちラムタル王にも怒られるでしょう」
 話題を逸らすようにこの場にいないコウェルズを冷やかすスカイに、ルードヴィッヒが突然目を開いてそわそわと落ち着きを無くす。
 その様子に、スカイが何やら気付いてニヤリと笑って。
「どうしたの?」
「あ、いえ…何も…」
 胸の内を隠そうとしている様子だが、隠しきれずにだだ漏れだ。
「ルードヴィッヒはラムタルの絡繰りと手合わせしたくて仕方無いんですよ。ラムタルからはヴァルツ様の持ってきた絡繰りの使用許可を正式に頂けたので」
「へぇ」
 ヴァルツは自国にも内緒でエル・フェアリアに訪れる際に、ラムタルの誇る絡繰りを幾つか持ち出していた。その一つはエル・フェアリアに訪れる途中で壊してしまい、焼き消したそうだが。
「わ、私は別に…ただ、どのような技術で動くのか気になるだけで…」
 慌てながらスカイの言葉を否定するルードヴィッヒだが、目が泳ぎすぎて言葉に力が宿らない。
 しかしその意志だけは、汲み取るに充分なものだった。
「良い兆候ね」
「でしょう?」
 面白そうに笑う二人にルードヴィッヒが首をかしげる。
 胸の内を言い当てられただけでなく、何が良い兆候なのか。まだまだルードヴィッヒには悟れない。
「エル・フェアリアの王族付きは血の気が多くなきゃなれないんだ。だからお前は絶対になれるぞ。今の調子で訓練に励めば、ガウェやニコルみたいに10代で王族付きになれるかもな」
 そんなルードヴィッヒに説明をくれるのはスカイで。
「だいたい20代後半で王族付きに任命される騎士が大半だから、すごい出世ね」
 乗っかるようなクレアの言葉に、ルードヴィッヒは慌てて両手を振った。
「そんな…私などまだまだ…」
「当たり前だ!まだまだ身体は出来てないんだからな!」
 自分から煽っておいて、スカイはルードヴィッヒの頭を調子に乗るなとばかりにひっぱたいた。クレアの目前であることは完全に頭から飛んでいるらしい。
 あまりにも遠慮のない力にルードヴィッヒはムッと唇を尖らせるが、気付いてはいない様子でスカイは何度もバシバシと遠慮無く小柄な背中を叩く。
「ガンガン強い奴に勝負挑んで、バシバシ負けてこい!ちょうど治癒魔術師もいることだし瀕死になっても大丈夫だ!」
「は、はい!」
 そしてそれがスカイらしい激だと気付き、彼に似てきたのか大きな声で返事をする。その後で二人同時に眠るコレーを思い出して、慌てて口を閉じて。
「もう…ほんとにスカイに似てきてるよ?ルードヴィッヒ」
 まるで父子のような息の揃い具合に、クレアは楽しげに笑い続けた。

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