第25話


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 露台の向こうでは、コウェルズがイリュエノッドの王と伝達鳥を通じての密談を行っている。
 その内容は、恐らくコウェルズが家臣や妹達に相談無く勝手に魔力増幅装置を自分に使用することを決定した事への改めての報告だろう。下手をすれば外交問題にも繋がる。
 イリュエノッド王はそれを承諾した上でコウェルズに、エル・フェアリアの次期国王に危険な宝具を譲り渡した。だがサリアの父としての意見はどうか。
 娘の夫となる若造が、自分の力を過信して周りへの相談無く勝手に命の危険を決断してしまった。それは民を統べる者として、あまりにも危うい。
 怒るのか呆れるのか、正直サリアにはわからない。気の強い母なら怒るだろうと思うが、父なら同じ男としてコウェルズの肩を持つのだろうか。
 対の指輪の件は、コウェルズへの戒めだった。コウェルズが指輪をはめると同時に発動するように仕向けていた。コウェルズがつけていなければ、対の指輪も反応しなかったのだ。
 自分が何をしたのか、なんて浅はかな行動に出たのか知らしめるために。そして、コウェルズを守る為に。

己の城は己で築き、己で守れ

 かつてイリュエノッドに君臨したサリアの祖父は、イリュエノッドの民全てにそう告げた。
 己の城。つまり、家庭を。
 サリアにとって家庭はエル・フェアリアになる。エル・フェアリアを守る為に何をすべきか。
 次代を生むことと、王を守り、良き道へのしるべとなること。王妃として決して邪魔にはならず、しかし無意味にもなってはいけない。良き王でいさせる為に、まず円満な関係を。
 サリアはそう考えている。
 気の強さとサリアの若さが、まだコウェルズを困らせてしまってはいるが。
 窓の向こうにいるコウェルズを思いながら、サリアはエル・フェアリアの現状を憂いた。
「…ファントムの狙いはコレーであるとお聞きしたのですが」
 突然流れたファントムの噂。エル・フェアリアに噂が流れた際、コウェルズはイリュエノッドに滞在していた。
 コウェルズはすぐにでもエル・フェアリアに戻りたかっただろう。だが当時のコウェルズは、出始めたばかりのイタズラかどうかもわからない噂などよりエル・フェアリアとイリュエノッドが抱える問題を優先した。
 コウェルズがエル・フェアリアに戻り、噂は次第に広がり続け。
 最新の噂に、姫の確定が近くなった。
「まだ確実ではないのですが、おそらくは…」
 ミモザは扉の向こうで騎士達と何やら話しており、サリアの問いに答えてくれたのはエルザだった。
「…コレーとクレアはどこに?」
「コレーは天空塔に隔離されています。クレアはずっとコレーの側に」
「…お会いすることは叶いますか?」
 天空塔。サリアも一度だけ行ったことのある不思議な生命体。そこに、コレーとクレアが。
「…私では何とも…お兄様に訊ねてみないと」
 エルザがちらりとコウェルズに目を向けるので、つられてサリアも視線を移して。
「私とオデットも、コレーに会えないままなのです」
「二人とも?どうして…」
 隣に座るフェントの悲しげな言葉に、サリアは驚いて目を丸くした。
 隔離とは言っていたが、姉妹で会うことも叶わないなど、なぜ。
「フェントとオデットの力では、万が一コレーの魔力が暴発した際に止めることが出来ませんから」
 説明してくれるエルザの声も沈む。
 フェントとオデットの魔力が少ないわけではない。単純に魔力を操作する訓練がまだ行き届いていないだけなのだ。
「…でも、あいたい…」
「もうずっと会えていませんもの」
 サリアの両横を取るオデットとフェントは、寂しさを紛らわせるようにサリアの腕にすがって。
「…オデットやフェントが会えないなら、私も駄目でしょうね」
 サリアの魔力量は申し訳程度にしか存在しない。
 イリュエノッドの人間は、元々魔力量が少ない。だからこそ、魔力増幅装置などという恐ろしい宝具が生まれたのだ。
 なのできっと、コウェルズはサリアが天空塔に上ることを許さないだろう。フェントとオデットが許されないならなおのこと。
「サリアお姉さまはいつまでここにいてくださるの?」
 コレーに会えないならすぐに帰ってしまうと思ったのか、帰っては嫌だと告げるようにオデットが身を乗り出してきた。
「魔力増幅装置をお渡しした時点で私の役目は終わりましたが…出来れば行く末をこの目で見守りたいと思っています。コウェルズ様が許してくださるなら、ですが」
 不安そうなオデットをあやすように頬に触れながら、サリアは自分の思いを口にする。対の指輪という勝手な行動に出たのもサリアなので、きちんとコウェルズの側にいたいのだが。
「イリュエノッドの成人は18歳ですものね…」
「はい。エル・フェアリアで考えるなら私は大人なのでしょうが、イリュエノッドではまだ子供扱いですから」
 サリアがエル・フェアリアに嫁ぐのは、イリュエノッドでの成人の歳である18歳を迎えてからだ。
「あと一年、ですか」
「…はい」
 小国の娘だと他国に侮られないように、血の滲むような勉強をしてきた。いつエル・フェアリアに嫁いでも胸を張れる自信がある。
 唯一不安なのは、コウェルズに妻として愛してもらえるのかという思いだけだ。
 一抹の不安が脳裏をよぎった時、ふと思い出したようにエルザが首をかしげた。
「…そういえば、ヴァルツ様が…」
「え?」
 ヴァルツ様?
 その名前には聞き覚えがある。確か、サリアがエル・フェアリアに移る来年に、同じくミモザの夫として訪れる大国ラムタルの王弟の名だが、なぜ今?
「やあ、話終えたよ。国王と王妃はしばらくサリアがこちらにいることを了承してくれているけど、どうする?」
 都合よく戻ったコウェルズは爽やかとも困ったともいえない妙な笑顔を浮かべている。いったいサリアの両親とどんな会話をしたのか。
「…ミモザは怒ったままだけど」
 同じく部屋の中央に戻るミモザに冷たい視線を送られて、コウェルズはわざとらしく寂しげに俯いた。
「…お兄様、ヴァルツ様は?」
 そこへ、エルザがヴァルツの件を訪ねる。ヴァルツがエル・フェアリアに訪れていることは一応極秘扱いなので、サリアは知らなくて当然なのだ。なのでアリアに会わせるついでにヴァルツとも会わせておこうと口にしたのはコウェルズだったのだ。
 だというのに。
「…お兄様?」
 完全に固まるコウェルズとは珍しい。
 石のようになった兄を娘達は一斉に見守り、ようやく我に返ったコウェルズの口から漏れたのは。
「…忘れてた!」
 この上なく素直で正直な理由だった。

「--酷いのだぞ!!ラムタル王弟であるこの私を忘れていたなど言語道断だ!!兄上に言いつけてやるからな!!コウェルズなど一日中説教されればよいのだ!!」
 ようやく呼び出されたヴァルツは、開口一番コウェルズに詰め寄り、胸ぐらを掴んで前に後ろにと揺すぶった。
「あはは、ごめんよ。悪気があったわけじゃないんだ」
「コウェルズなど知らぬ!」
 その様子に、サリアは単純に驚いていた。
 エル・フェアリアと並ぶ大国の王弟ヴァルツ。
 その肩書きだけで、噂に聞くやり手のバインド王のような堅物で落ち着いた雰囲気の若者を想像していたのだが、実際に目の当たりにしたヴァルツはなんというか、純粋をそのまま成長させたかのような少年だった。
 歳はサリアより一つ若いだけのはずだが、甘ったれた雰囲気というわけではないが、全体的にゆるい。
「悪かったよ。さあ、機嫌を直して私の未来の妻と挨拶をしてくれないか?」
 コウェルズとの仲は良いらしく、端から見れば完全に兄弟だ。そのコウェルズが、ヴァルツをあやしながら背中を押してサリアの元に連れてくる。
 サリアもヴァルツに会うということで、ベッドからは立ち上がり、姿勢を正して静かに待っていた。
 本来なら地位的にサリアからヴァルツの元にいくべきなのだろうが、その辺りは誰も全く気にしていない様子だ。
「…こんな愚か者を夫にするなど、先が思いやられるぞ」
 そしてヴァルツも、唇を尖らせたままサリアに訴えかける。
 その様子に少し我慢したが、サリアは堪えきれなくなってクスクスと少しだけ笑ってしまった。
 サリアが笑うのが珍しいのか、コウェルズはきょとんと見つめてくる。
「初めまして、サリア・イリュエノッドと申します。ヴァルツ殿下のお話はコウェルズ様からよく聞いておりますわ」
 ゆっくりと頭を下げれば、ヴァルツもしゃんと姿勢を正した。
「…わ、私はヴァルツ・ラムタル・テオノールだ。…お互い来年からエル・フェアリアに住むもの同士、仲良くしてほしい」
「勿論でございます」
 今はまだ同盟を結んでいない国同士だが、近い将来には義姉弟となる。
 互いにエル・フェアリアの次代の為に。
 ヴァルツとミモザにはラムタルの次代も課せられているが。
「…うむぅ」
「どうしたの?ヴァルツ」
 柔らかく微笑むサリアをじっと見つめるヴァルツに、コウェルズは不思議そうに訊ねた。
 どちらかといえば寒冷な土地であるラムタルの国民と違い肌の浅黒いサリアを凝視しているのか、それともサリアの印象を別のものと思っていたのか。
 その胸中は後者だったらしい。
「聞いていた話と違うではないか!サリア王女は我が兄上と同属性の口煩い説教魔と言っていたではないか!」
「わ、バカ!」
 くるりとコウェルズの方を向き直るヴァルツの発言に、コウェルズが慌ててヴァルツの口を手で塞ぐ。
 だが全てもう遅い。
「…ヴァルツ様、少し離れていましょう」
「っぷは!なぜだ?」
 ミモザに手を引かれて、コウェルズから解放されたヴァルツは首をかしげるが。
「…どういうご説明をされていたのか、教えていただけますね?」
「…いや、はは…」
 すでにコウェルズに冷めた眼差しを向けていたサリアに気付き、サッと身を翻した。
「--…よし!オデット、フェント、私が遊んでやるぞ!!」
 脱兎の如く逃げるヴァルツは放っておいて、サリアはそっと付き従うようにコウェルズの腕に自身の腕を絡める。
「…さあ、教えてくださいませ。あなた様?」
「…あはは」
 コウェルズが逃れようとする事は許されなかった。

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「…あたし達、いつまでここにいればいいの?」
 その間も、アリア達は別室の小部屋でひたすら待機を続ける。
「…忘れられたか」
 結局、治癒魔術師とその護衛部隊が再び呼び戻されたのは、とっぷりと日の暮れた時間帯だった。

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 時を知らせる声が聞こえる。
 苦しむような、憎しむような、悲しむような、つらそうに泣く声だ。
 それはとても身に覚えがあるのに、実際に体験したことなど無い。
「…目を閉じていて」
 耳に残る悲痛な叫びを思い出しながら、パージャは優しく呟いた。
 目を閉じていて。
 そして。
「俺の声だけ聞いて…」
 流れた過去。
 戻らない時間。
 あの時のパージャの姿が、彼女の頭の中から離れないのだ。
 それは酷すぎる現実。
 つらすぎた真実。
 彼女の苦しみを解放するには、こうするしかないのだ。
 こうするしか。
 ファントムに力を貸すしか。
--もうすぐ終わるから。
 天空塔を眺めながら、パージャは流れる時の早さと残酷さを思い知る。
 楽しかったなぁ。
 思った以上に。
 思った以上に騎士としての時間は楽しかった。
 それはなんて酷い現実なのだろう。
 エル・フェアリアに蔓延る憎しみを知らずに、彼らは毎日を謳歌して--
 世の中は、なんて不平等なのだろうか。
 そして世界は、なんて醜悪なのだろうか。

第25話 終
 
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