第25話


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 イリュエノッドの王女が突然訪れたことは既に王城中に知れ渡っており、パージャも一人、書物庫内で手持ち無沙汰にふらふらと適当に歩き回っていた。
 出来ればどこかに行ってしまいたいが、オデットとの指切りの約束がある為に早くフェントの手伝いを済ませてしまいたいのだ。だが肝心のフェントがいなくては全く先に進まない。
 こんなことなら古代文字を解読できるなど教えなければよかったと思うが後の祭りだ。
「…さてさて…暇すぎるからお姫様がいない間に勝手に解読のお手伝いをしててあげましょうかね…」
 とっとと終わらせたいので勝手にさせてもらおうかとペンを手に取るが、
「……」
 書き込んでやる寸前で思いとどまる。
「…勝手に書き込んだら、それはそれで怒りそうだな…」
 フェントは記憶力が良い。その為にパージャに解読の手伝いをさせながらも自分でも解読出来るように覚え始めており、今ではパージャほどではないにしてもなかなか解読出来るようにはなってきていた。
 フェントは元々頭を使うことが楽しい性格なのだろう。
 パージャが勝手に解読を進めてしまったら、フェントの楽しみを奪うはめになりかねない。
 それに解読しつつ文献の内容も頭に叩き込んでいるだろうから、勝手をして間を開けることになればそちらの方が怒られそうだと。
「…やめとこ」
 ペンを置いて、ひとりぼっちの書物庫内の当て処ない散策を再開する。ひと通りの場所は覚えてしまったので、今さら真新しいものなど発見しないが。
 二階に上がって背表紙に刻まれた異国の文字を指でなぞりながら歩いていると、ふと何者かが書物庫内に訪れたことに気付いた。
 足音は静かで、気配もわずかだ。
 訓練された王族付き騎士達でも気付けるかどうか。そんな特殊な存在の来訪に興味を持って手摺りに身体を預けて来訪者を眺めたパージャは。
「----」
 その男の姿に、目を見開いた。
 ドクンと心臓が痛いほど跳ね上がり、異常なほどに血が騒ぎ始める。
 身に纏うのは魔術師のローブだが、魔術師団のようにズルズルと動きにくいものではない。
 騎士達でも、実際に目にしたものは少ないだろう。
 男が纏う衣服は、魔術兵団の戦闘に特化したローブだった。
「…ん?」
 パージャの異常な視線に気付き、男が顔を上げる。
 冷たい印象の表情は、男の冷酷さを隠すことなく堂々と見せつけて。
「…どもー」
「…ああ、新米平民騎士か」
「そーっすよ」
 目が合ったから、パージャもなるべく普段通りに振る舞うが。
 腕の震えは隠しきれているだろうか?
 瞳の奥に宿る怒りは見えていないだろうか?
「…どこかで会ったか?」
「…いえ?」
 射竦めるような男の視線からふいと逸らして、パージャは心臓を掴まれるような感覚を必死にほぐそうと深く呼吸を繰り返した。
「…まあいい」
 男はパージャへの興味をすぐに無くした様子で、予め見繕っていたのだろう、迷うことなく数冊の本を棚から抜く。
 男が手にしたものは全て、男の性格を如実に表すようなものばかりで。
 変わらない。そう思いながらも、パージャは知らぬふりを続けた。
 「何読むんすか?」
 興味があるフリをしてみせれば、男は底冷えするような微笑みを浮かべる。
「…お前程度には一生知る必要のないものだ」
 小バカにするというよりも、完全にパージャを人として認識していないかのような声色だった。
 家畜なら家畜らしく大人しく目の前の草でも食べていろ、と。
 貴族だから、平民だからとは関係無く。男はパージャという存在そのものに興味が無いらしい。
「あらそう」
 さらりと返せば、男はもはやパージャを見てはおらず、最初と同じように足音を消しながら書物庫を去っていった。
「--…」
 去った男をまだ目で追うように扉を凝視して、やがてパージャは口元を静かに押さえる。
 単に押さえるだけでなく、頬に爪を立てて。
 頬に食い込む爪は肉を裂き、じわりと血が滲み始める。しかしパージャの特別な身体はその傷すらもすぐに治してしまう。
「ふ、くく」
 漏れた笑いは自分の中に宿る恐怖と怒りを沈める緩和材だ。
 やはりいたのか。
“ここ”に
 魔術兵団。
 パージャにとって、切り離せない存在。
--じきに終わる
 その暁には…

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 しんと静まり返っているのは、アリア達の待機する小部屋だった。
 サリアの件があるのでどこにも行けず、かといって何か暇潰しを用意していたわけでもないので、一度口を閉じると空を行く鳥の鳴き声に耳を傾けるくらいしかすることがない。
 ヴァルツとアリアは椅子に座り、ニコル達護衛部隊は立った状態だ。
 誰もあまり身動きを取らないが、トリッシュだけは斜め前にいるアクセルのフードの中に、小部屋に用意されていた塵紙を気付かれないよう少しずつ千切り丸めて投入していくという遊びを実行していた。
 レイトルとセクトルは面白がって見守るが、モーティシアは気付いていないので二重の意味のある遊びなのだろう。
「…暇だな」
 静けさに耐えきれなくなったのか、口を開いたのはヴァルツだった。
 ヴァルツの人懐っこい性格がそうさせるのか、王族であるというのにヴァルツの前では気が緩む者が多く、アリア達も例外ではなかった。
 それでも振る舞いには気を付けているが、ミモザを前にした時とでは背筋の反り具合がまず違うだろう。
「ヴァルツ殿下はサリア王女に会わないのですか?」
 誰かからの返答を待つヴァルツの様子に、まず口を開いたのはレイトルだった。
「…コウェルズに呼ぶまで待っていろと止められた」
「それで大人しく待っているなど、貴方らしくありませんね」
 素朴な疑問を口にするのはセクトルだ。
 そしてセクトルの疑問に、全員が深く頷く。
 少しもじっとしていられないのがヴァルツだというイメージが全員の中にあるのだが、もう立派な大人だと自負するヴァルツはその胸中には気付かない。
「我がラムタルとイリュエノッドは同盟を結んでおらんのだ…勝手なことをしたら、また兄上の説教を食らう…」
 じっとする理由が怒られたくないからとは、何ともヴァルツらしい思考だ。
「…あたしはもういる必要ないんじゃ…」
 そしてアリアがポツリと呟く願望には目を見開いて。
「何をいっておる。どこの国でも治癒魔術師はだいたい国王の近くにいるものだ」
「国王様の!?」
「当然だろう。王に何かあったらどうする」
 想像もつかないのか、サッと顔色を悪くするアリアだが、
「ぅぅ…あ、でもあたし、国王様に会ったことない…」
 すぐに重要なことに気付いて首をかしげる。
 アリアが王城に来てからこちら、一度もエル・フェアリア王に会ったことはないし、今から会いに行くぞと連れられる気配もなかった。
「エル・フェアリアの国王デルグは引きこもりで有名だからな」
「…噂は村にも届いてましたけど」
 辺境にまで噂が届くほどの愚王。
 いったいどんな人なのだろうと想像してみるが、見たこともない人物を想像するのはなかなか難しいものだ。
 美しいコウェルズや七姫達の父親なのだから美形かと予想するが、娘達は全員母親似だそうであまり父親とは似てはいないらしい。コウェルズにしても、エル・フェアリア王家の顔立ちではあるが、父親の面影は無いとか。
 というよりも、デルグ王がエル・フェアリア王家の顔立ちをしていないと言った方が早いのかもしれない。
「早く王位をコウェルズに譲れば楽になれるものを」
 溜め息交じりのヴァルツの言葉にも、アリア以外全員が頷いて。
「コウェルズ様や七姫様でも、あまりお姿を見られないとか」
「王妃様が亡くなる前は平凡ながら良い方だったのに」
 懐かしむようなモーティシアとトリッシュの言葉は、彼らがデルグ王との間に良い思い出を持っていることを示す。
 愚王だと蔑まれるエル・フェアリア王。しかし今でこそそうなのかもしれないが、昔は真面目な王だったのだ。
 ただ、暗殺されたデルグの兄ロスト・ロード王子や、息子のコウェルズが優秀すぎただけで。
 平凡で、ゆったりとした王政。平和なエル・フェアリアにはそれで充分だったのに、と。
 しかしそれは、ニコルやアリアの生まれ故郷である辺境の地の惨状を知らないからこその言葉だろう。静かに喉の奥を凍り付かせた兄妹の様子には誰も気付かなかった。
「…昔は私もよく遊んでもらったのだぞ」
 トリッシュに合わせるように、ヴァルツも昔のデルグ王を思い起こす。ヴァルツがエル・フェアリアに訪れた事など数えるほどしかないが、ヴァルツにとって父親という存在は重要な意味を示す。
 首をかしげるアリアに説明してやるように、ヴァルツは懐かしい過去を思い返した。
「私の父は九年前に亡くなったのだ。私が…7歳の頃か。デルグ王は父のかわりによく遊んでくれだのだぞ」
 父親の温もりを忘れたヴァルツに、まるで我が子にそうするように抱き上げてくれた記憶は今も新鮮で。
「そうなんですか。…お父様、治癒魔術師の方でも治せないご病気だったんですね」
「いや、兄上が討たれた」
「討たれ!?」
 驚くアリアに頷いてみせる。
「父は悪名高くてな。兄上が先頭に立たれて父を討ち、王となったのだ」
 ラムタルが持ち直し、軌道に乗ったのは最近の事だ。
 そしてそれは、他国どころかラムタル本国でもあまり知られていない事実だ。
「…知りませんでした…」
「はっきりとは表に出ておらん事実だからな。兄上が王になられて、ラムタルもようやく光の下に持ち直したのだ!だから兄上は凄いのだぞ!」
「ほんとですね」
 いつの間にかヴァルツの中では兄であるバインド王の自慢話にすり変わっていたらしく、キラキラとした瞳で嬉しそうに話す様子にアリアも思わずつられて微笑んでいた。
「ファントムの件が落ち着いたらアリアも兄上と話すがよい。説教は煩いが頭が良いから話はとても面白いぞ」
「あたしなんかが話して大丈夫でしょうか…」
「心配するな。私もいてやろう」
 胸を張り兄との対話を進めるヴァルツにスッと横槍を刺したのはニコルだった。
「そんなことを言って、ご自身の受ける説教にアリアを巻き込むつもりではないでしょうね」
「え!?」
 ヴァルツといえば兄王からの説教が漏れなくセットでついてくることで有名だ。さらりとヴァルツの内心を言い当てるニコルに、アリアは驚くがヴァルツは固まり無表情になってしまった。
「…ニコルなど嫌いだ」
「まったく…」
 図星を指されてフイと顔を背けるので、相手が王族とはいえ溜め息が漏れる。
 そのやり取りを皆が笑うので、ヴァルツは面白くなさそうに次の話題を探し出した。
「…それにしても遅いな…私を忘れているのではなかろうな…」
 すぐに見つかる話題は、原点に戻っただけのサリアの件だ。
 紹介するからここで待っていろと小部屋に押し込んだのはコウェルズ達だというのに、どれだけ待っても呼びに来る気配すら無いなど。
「ヴァルツ殿下は、サリア王女にお会いしたことはあるのですか?」
 不満を述べるヴァルツに訊ねるのはアクセルだ。少し動けばフード内にイタズラされた塵紙がポロポロと落ちていくが、まだ本人は気付いてはいない。
「無い!…噂では兄上と同属性らしい…ミモザと結婚してエル・フェアリアに移れば兄上の説教から逃れられると思っておったのに…」
「儚い夢でしたねー」
 スコンと叩き切ってくれたのはトリッシュだった。
 滑る口を注意したいモーティシアがトリッシュを睨み付けただけで済ませたのは、はたいてまたわざとらしく吹っ飛ばれてアクセルにぶつからせないようにだろう。
「…何をしておるのだコウェルズは!私を待たせるなど国際問題だぞ!!」
「落ち着いてください…」
「じっとしていられるか!もう私は行くぞ!!アリアも来るか!?」
「え、遠慮します…」
 椅子を蹴倒す勢いで立ち上がるヴァルツに、アリアは身を引きながら両手を振って逃げる。
「なら行ってくるぞ!誰も止めてくれるな!!」
「説教されても知りませんよ?」
 アリアが来ないなら一人で乱入してやろうと小部屋の扉を開けようとしたところで、物凄く冷静な声色でニコルに痛いところを突かれて固まった。
「ラムタル国のバインド王によく似た方なら、義理の弟になるヴァルツ様にもお説教出来るでしょうね」
 面白がって煽るのはトリッシュで。
「噂ではコウェルズ様でも頭が上がらないとか」
 とどめはセクトルが刺し貫いてくれた。
「…まあ、もうしばらく待ってやろう」
 仕方無いと自分に言い聞かせるような声はわずかに震えており、その分かりやすい態度に皆が笑ったのは言うまでもなかった。

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