第25話
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バタバタと足音が響き渡り、ひとつの扉が強く押し開けられた。
その部屋は侍女達が待機の際に使用する小部屋なのだが、今はヴァルツが所在なさそうにうろついていて。
「うお!どうしたのだ!?」
突然の乱入者が半べそをかきながら訪れた為に猫のように跳び驚きながら、続々と入室する一団に目を向けた。
「どうしよー!!噛んじゃったよー!!」
涙を滲ませるのはアリアだ。ヴァルツの前だというのに口調が普段通りなので、それだけパニックに陥っているのだろう。
「笑いがとれて良かったじゃないか」
「コウェルズ様しか笑ってなかったですよ!!」
さっくりとアリアの胸を刺したのはセクトルだ。痛いところを突かれたせいでさらにアリアが顔を真っ赤にして嘆く。コウェルズの大笑いはさすがにヴァルツのいる小部屋にまでは届かなかったが、想像は容易だった。
「コウェルズ様は笑い上戸だからね」
仕方無いよ、とフォローしてくれるのはレイトルだ。
落ち着いた声の調子にアリアも少し冷静になるが。
「王女様に変に思われたらどうしよう…」
「噛み噛みだったんだろ?もう何も怖くないだろ」
トリッシュのとどめのような言葉にまた固まって涙を浮かべた。
モーティシアが注意代わりにトリッシュの頭を叩き、トリッシュはわざとらしく吹っ飛んでアクセルにぶつかって。
「…なんだ、また噛んだのか。私の時もそうだったな」
ようやく全体像をつかみ始めたヴァルツもゆっくりとアリア達に近付くが、その言い草にアリアがキッと睨み付けてきた。
「ずっと平民として暮らしてたんですよ!王家の人に会うなんて、有り得ないことだったのに…」
本番には強いアリアも、突然の出来事には弱いらしい。その突然の出来事が今までことごとく王族との謁見だったのだから運が悪いとしか言い様がない。
「慣れるしかあるまい。だが我が兄上には気を付けるのだぞ。コウェルズと違ってミスする度に説教をかますからな」
「ら、ラムタル国王…」
まだまだ謁見の可能性のある王族の名を出せば、ふらりとアリアは目を回した。ラムタル国の規模を考えればそのまま失神しかねない様子で。
「ヴァルツ殿下、アリアで遊ばないでください」
「反応がいちいち面白いのが悪いのだ」
咄嗟にニコルがアリアの背中に腕を回して庇うが、謁見の失敗にモーティシアは不満げだった。
「それにしても、なぜサリア王女が来られたのでしょうね?この危険な時期に」
突然すぎる来訪。イリュエノッドの魔術師団が魔力増幅装置を持って訪れることは知っていたが、まさか王女が訪れるなど。
モーティシアの呟きに、答えられる者などいない。
予想のついているヴァルツでさえもだ。
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コウェルズの部屋では王族のみが集まったことにより、まったりとした空気が部屋全体を包み始めていた。
コウェルズとサリアの婚約が決まったのが今から十年ほど前なので、それだけサリアもエル・フェアリア王家とは親睦を深めている。
「サリアはどうしてこちらに?今はエル・フェアリアはファントムの噂の為にあまり平穏とは言えませんよ?」
隙を見せればサリアにペタリとくっつこうとするオデットとフェントの行動を成人組がようやく諦めてさせるがままにした頃、エルザは首をかしげながら突然の来訪理由を訊ねた。
ただでさえぴりついている王城内だ。サリアにとっても居心地が良いとは言えないだろうと。
だがサリアの方はきちんと理解して訪れた様子だった。右腕と左腕をオデットとフェントに取られながらも、背筋を伸ばして睨み付けるようにコウェルズを見つめる。
「決まっています。魔力増幅装置の使い手に異議がありますので」
慌てたのはコウェルズだった。
「わ、サリア…シッ!」
「私は犬じゃありませんのよ!」
まるで飼い犬の粗相を叱る飼い主のような態度にサリアは凛と声をはる。歳は第三姫クレアと同じ17歳のはずなのに、意思の強さはミモザに似ていた。
「…魔術師団長が使用すると聞いていますが?」
サリアとコウェルズの短いやり取りを怪訝そうに見守ったミモザが、どういう事かと静かに問いかける。
「いいえ。コウェルズ様がお使いになるつもりですのよ」
そしてわずかの静寂。
ミモザ、エルザ、フェントは固まり、コウェルズはバレたとでも言いたそうに表情を苦々しく歪めて、理解できずにきょとんとしているのは末のオデットだけだ。
「…どういうことか聞かせていただけますね?」
ようやく口を開くミモザの言葉は微かに震えており、怒りを孕んだ様子にオデットがそっとサリアの腕にすがる力を強くする。
「どうもこうも…私が使う予定なだけだが?」
「ふざけないでください!聞いていませんわ!!」
「…言ったら却下するだろう」
「当然です!まさかそんな…恐ろしい!」
開き直りも甚だしい態度に様変わりするコウェルズにミモザは詰め寄り、逃がさないとでも告げるように兄の胸元を強く掴んだ。
「どうして恐ろしいの?」
状況を理解できないオデットはサリアの背中ごしにフェントに訊ね、フェントもオデットが分かりやすいような説明をくれて。
「…魔力増幅装置は魔力量を増やす代わりに、使用者の命を削るのです」
「そんな!」
姉達が怒る理由を知れて、オデットもみるみる泣きそうな表情に変わって。
「大袈裟に考えなくていいんだよ。使い方次第なんだから」
コウェルズは優しく諭すが、オデットの表情が晴れるはずもなかった。
俯き涙をこぼしそうになるオデットの頭を優しく撫でてやりながら、サリアは怒りと心配を含んだ視線を真っ直ぐコウェルズに向ける。
「魔力増幅装置は我が国でも禁忌の宝具です。今回はファントムに七姫が狙われているとのことでおひとつ差し上げることになりましたが…あなた様が使われるなら話しは別ですわ」
「あのね、サリア。私なら平気なんだよ。だからイリュエノッド王は私に譲ってくださったんだ」
コウェルズは諭すように口を開くが。
妹を含むエル・フェアリアの者達には黙っていたが、魔力増幅装置を譲ってくれる国の王には使用者を伝えていると。そして理解を得たから、譲られることが決まったのだと。
しかし命に関わるような事態だ。当事者同士で約束したからと他者が口を挟まずにいられるはずがない。
「お兄さま死んでしまうの?そんなの駄目です!!」
最初に涙をこぼしたのはオデットだった。
「…死にはしないよ」
「どうか考え直してください。お兄様が装置を使うなど、何かあったら大変です」
次にエルザが胸の前で両手を握り締めて訴えかけてくる。
「私なら大丈夫だから」
「とにかく。反対です」
有無を言わさず拒否したのはミモザだった。
「…ミモザ」
元々口数の少ないフェントはサリアの腕にすがったまま、しかし瞳は不満を表しコウェルズから離さない。
娘達の誰一人としてコウェルズの言葉を聞くものはいなかった。
魔力増幅装置とは、それほど恐ろしいものだからだ。
「もっと早く気付くべきでしたわ。魔力増幅装置を頂くお話を持ち出したのはお兄様でしたものね。…色々と問題を抱えた時期でしたから深くは考えませんでした」
「その話はまた後でね。サリア、装置を渡してくれ」
誰も自分の話を聞かないならきちんとした説明は後回しだとばかりに、コウェルズはオデットを挟んだ隣に座るサリアに手を伸ばした。
「持ってきてはいるんだろう?そういう約束だったからね」
手のひらを上向けて、渡せと告げて。
「いけませんサリア。お兄様との話し合いが終わるまでは」
「…はい」
サリアは無言のまま固まっていたが、ミモザの言葉には耳を傾けて頷いた。コウェルズから目は離さない。だが差し出された手にコウェルズの望む物を渡すつもりもないと。
「…私の味方はいないのかな?」
わずかに苛立つように、コウェルズの瞳がスッと細まった。サリアに伸ばした手を下ろして、落ち着くために溜め息をひとつ。
「エル・フェアリア次期国王となるお方が、命の危険を伴う装置を使うなど!誰も賛成するはずがないでしょう!」
「その装置を一番上手く扱えるのは、この国では私なんだよ」
「いったいどこから来る自信ですの!?」
「どこからも何も、ただの事実さ」
声を荒らげるミモザにちらりと呆れるような視線を向ける。
リラックスするように両手を身体よりわずかに後ろに置いて、姿勢を崩しながら足を組んで。
「魔力増幅装置は使用者の魔力を数倍にしてくれる。だがその代償に使用者の命を削る。…実際に命を削るのは、自分が持つ魔力量を空にした後だ。そうだね?サリア。失った魔力の代わりを命で補う」
淡々とした口調は、まるで感情が見えない。そんなコウェルズの態度に驚きを見せることもなく、サリアは静かに頷いた。
「…ですがいつ自身の魔力量が空になるか、装置を付けていると気付けません。気付いた時には手遅れになりますから。だから危険なのです。あなた様の言われる自信は、あなた様が膨大な魔力量を誇るからこそなのでしょうが」
「そうだよ。魔力量なら、私はコレーの上を行くからね」
自分の魔力量を信じて疑わないコウェルズの発言に、妹姫達は眉をひそめるしかなかった。
「そんな単純な考えで…」
吐き捨てるようなミモザの言葉にも、コウェルズは冷めた微笑みを浮かべるだけだ。
「男はそういう生き物なんだよ。さあ、サリア。装置を私に」
もういいだろうと、コウェルズは再びサリアに手を伸ばす。
サリアとコウェルズの間に挟まれたオデットは不安そうな瞳で二人を交互に見つめて。
「いけませんよサリア。渡さないで」
「サリア。誇り高きイリュエノッド王の決断を、たかが第二王女の君が蔑ろにするつもりかい?」
ミモザとコウェルズの言葉に、サリアはグッと唇を噛む。わずかに震えるように両手を握り締め、やがて懐から細やかな装飾を施された幅の広い黒い指輪を取り出した。
「駄目よ!」
ミモザは慌てて近付くが、側にいたコウェルズが指輪を受けとる方が早かった。
それでも兄から指輪を奪おうとするミモザの手首を、立ち上がったコウェルズが優しく掴んで動きを封じる。
「お兄様!」
まるで悲鳴のようなミモザの声に、コウェルズは苦笑いを浮かべて。
「ごめんね、ミモザ。だがこれを使うのは私でなければならないんだ。この国を治める立場にいるからこそ死ねない私がね」
この危険な宝具を扱えるのは自分だけだとコウェルズはミモザを離して、息を飲む妹達の目の前で指輪を左の薬指にはめる。
すると指輪の細やかな装飾がまるで命を与えられたかのように蠢き出し、コウェルズの指から体内に侵入して指輪が外れないように固定してしまった。
「っ…」
微かな痛みに眉根を寄せていたコウェルズも、動きがおさまり螺旋を描くような細くシンプルな形に変化した指輪を見て、小さな溜め息をつき。
「--…サリア、その指輪は?」
サリアの左の薬指にある、コウェルズと同じ形の指輪に気付いて目を見開いた。
コウェルズの指輪と、魔力増幅装置と同じ形の。
「…あなた様に渡した装置の対となる指輪ですわ」
その指輪を大切そうに撫でながら、サリアは先程とは一変した穏やかな眼差しでコウェルズを見つめる。
「あなた様の魔力が失われ、万が一その命を削ることになった場合…まずはこの指輪をはめた私の命から削られることになります。この指輪に猶予はありません。私の魔力を飛び越えて…私の命を削ります」
「--」
言葉を無くしたのは、コウェルズを含めた全員だった。
エルザとフェントは口元を押さえ、ミモザは顔色を青くして、オデットは混乱した様子で。
痛いほどに静まり返る中で、コウェルズはサリアの元に向かった。
「…外しなさい」
「一度付ければ切り落とすか死ぬまで外せないことはあなた様も理解されているでしょう?」
「サリア!」
コウェルズと同じ左の薬指にはめられた指輪。
コウェルズはサリアの左腕を強く掴むと、強引に引き寄せてベッドから立ち上がらせた。
あまりに力任せな行動にサリアの隣にいたフェントとオデットはびくりと肩を震わせるが、コウェルズには見えていない。サリアを睨み付けて、ねじり取るように左腕を掴む手に力を込めて。
「あなた様が勝手になさるなら私も勝手にします!…それを伝える為に、私が参りました!」
コウェルズに指輪を渡さない為に来たのではないと。凛と意思の強い声で、睨み付けてくるコウェルズから目をそらさずに。
「…何かあったらどうするつもりだ」
「自信がお有りなのでしょう?装置を上手く使いこなす自信が」
まるで挑発するような。
気の強い娘であることは昔から知っていたことだ。だが、こんなことまで。
「私はいずれあなた様の妻として、この国の為に生きていく女ですもの。あなた様と運命を共にする覚悟は既に出来ていますわ」
エル・フェアリアには歯向かえない小国の王女と侮るには、サリアは意志が強すぎた。
「…指を切り取られたいかい?」
静かに訊ねれば、さすがに顔色はわずかに白くなる。それでもサリアは視線を逸らさなかった。
「アリアを呼びなさい。切り落とした指を繋げさせる」
ぐい、と強くサリアを引き寄せて、エル・フェアリア唯一の治癒魔術師を呼ぶように命じる。魔力増幅装置を取り外す方法は、死ぬ以外では指輪をはめた指を指輪の上から切り落とすことだ。
コウェルズの命令に、妹達は動かない。固まってしまい動けないのだろう。それならサリアをアリアのいる部屋まで連れていくだけだと強引に腕を引っ張れば、
「そんなことをしても無駄です」
癪に障るほど冷静な声。
まるでサリアの方が歳上であるかのような。
「あなた様なら…この世界で誰よりも装置を上手く使用なさるでしょう。私は信じています。だからこそ、私は対の指輪を作らせましたの」
まるで最初の会話からは想像できないような、サリアの本心。だが信じてくれると言うなら、対の指輪など必要無いだろうに。
「…言っている事が矛盾していないか?」
「いえ、何ひとつ。…男性であるあなた様にはわからないでしょうね?女はそういう生き物ですのよ」
まるで先程コウェルズが告げた台詞をなぞるかのような。
女の生きざまなど男のコウェルズは知らないし、そんなものを告げられても困るだけだ。だが先にそれを相手にぶつけたのはコウェルズだ。
「…馬鹿な王女様だな」
そっと離す浅黒い肌の腕。遠慮のかけらもなく掴まれ引かれて痛かったはずだ。妹達ならば肌の白さのせいですぐに赤くなって痛ましく見えたことだろう。
「…そうでもなければ、あなた様の妻にはなれませんから」
掴まれた腕を胸元に寄せて優しく擦るように触れながら、サリアはコウェルズの発言を甘んじて受け入れる。本当に馬鹿なのは勝手に決めてしまったコウェルズの方だろうに。
「…対話用の伝達鳥をここに。イリュエノッド国王と王妃に話をしないとね」
「お父様もお母様も、家臣達も理解していますわ」
サリアの件について説明しなければと動こうとするコウェルズに、サリアは唇を尖らせながら抗議するように責めてきた。
あなたと違い、私は周りの理解を得ていると。なんて耳に痛い言葉だろうか。
「だからと報告も無しでは、私が愚か者になるんだよ」
「もう充分愚か者です!」
ようやく普段通りに強気に語彙を荒らげるサリアに苦笑いを浮かべる。視界の端ではミモザが静かに動き、扉を開けてイリュエノッド国と通じる伝達鳥を連れてくるように話してくれていた。
「…大切な娘の夫となる男がただの馬鹿だと、ご両親は心配してしまうんだよ。どうせなら娘を任せるに相応しい愚か者にさせてくれ」
自分が充分自分勝手で愚か者であることはわかったから、せめて挽回のチャンスを、と。
本来なら守りぬくべき未来の妻を強引な手段で傷付けようとしたのだ。
謝罪の意味もかねて、頬を撫でるように触れる。
コウェルズがきちんとエル・フェアリアの者達にも指輪の説明をして理解を得ていたなら、サリアが対の指輪をはめるなどしなかったはずだから。
やがて窓辺に一羽の海色のオウムが訪れ、コウェルズは一度だけ深呼吸をしてから、サリアと妹達から離れていった。
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