第3話
第3話
王城内の書物庫には、あらゆる分野の書籍が納められている。エル・フェアリア国内で作成された書物から他国の書物まで、この書物庫の中で調べられないものは無いと公言できるほど、他国でも類を見ないほどの規模を誇っていた。
そのひと区画、魔力についての文献を集めた書物が並ぶ棚の側にガウェは第二姫エルザと共にいた。
「その隣の、それです!」
壁一面全てが本棚である為に手を伸ばしても届かない書物も多く、ガウェは用意されている梯子を使ってエルザの代わりに彼女が求める本を手に取る。
「…以前読まれたことのある本ですが?」
「か、確認したい所がありますの」
手にした書物の背表紙に見覚えがあったので訊ねてみれば、エルザは恥ずかしそうに頬を染めた。
エルザの目指す所を知っている為にそれ以上は詮索せずに梯子を降り、書物を近くの机に置く。
この本で三冊目だ。
「ありがとうございます。今日はこれだけにしておきますわ」
今日はこれだけど言いながらエルザの選んだ書物は全て分厚く、うちの一冊は他国語だ。
魔力についての書物が二冊に、治癒魔術についての書物が一冊。
「--あれ?ガウェ?」
ふと書物庫に響いた声は第三姫クレアのもので、エルザが慌てた様子で治癒魔術に関する書物を他の二冊の下に隠した。
「珍しいね。エルザ姉様とガウェが一緒にいるなんて」
視線を扉に移せば、クレアを先頭にレイトルとセクトルが入室してくる所だった。
二人はガウェにとって兵舎内や訓練場では気安く話しかけられる仲間だが、王族を前に気安い態度には出られない。
近付くクレアに頭を下げて、レイトルとセクトルにも視線だけで挨拶を交わせば、二人も同じようにエルザに頭を下げ、ガウェに目礼をした。
「クレアったら!ガウェは王族付きなのですよ!!」
「えー、ガウェは“ばっくれ”で有名でしょ?」
「ばっくれ?」
ガウェがエルザ姫付きでありながら護衛任務をニコルに丸投げすることはもはや有名どころの話ではない為に、ガウェが真面目にエルザと共にいることが珍しいらしい。
一応反論をしてくれるエルザだが、耳慣れない言葉に注意がそれていた。
「魔力の本?」
「ええ。クレアは?」
「私は呪術について」
エルザの読む予定である本に視線を移すクレアだが、自分の借りる予定の本を口にしたすぐ後に、しまったという表情を見せる。
案の定、エルザの顔が曇った所だ。
隣国の第一王子であるクレアの婚約者は王族間の争いに巻き込まれて身体に呪いを受けてしまっており、その為にクレアは本来ならば成人した二年前に婚礼が行われて他国に嫁いでいるはずだというのに、今に至るまで延期され続けているのだ。
クレアが婚約者の事を一途に思い慕っているのを知っている分、エルザの悲しみも深くなる。
「…そんな顔しないで。私は私に出来ることをしたいだけなの。呪術に対する知識を増やすのだって、そのひとつなんだから」
「そう、ですね」
愛しい人が苦しい呪いをかけられたというのに何も出来ないということがどれほど辛いか、同じように恋慕う気持ちを抱いているエルザには痛いほどに理解できるのだ。そして悲しんでいるのが大切な妹なので尚更に。
「…失礼いたします、ニコル殿がいないようですが?」
重くなり始めた空気を払拭する為に声を発したのは、三人の騎士の中で唯一場を和ませる為に動けるレイトルだった。
ガウェとセクトルでは空気が重くなろうが我関せずを貫いてしまう。
「ええ。ニコルに会いたいと言う女性が来たみたいで」
レイトルの話題変更は少しわざとらしくはあったが、エルザは気にせずにニコルがいない理由を教えてくれた。
「何それ!ニコルに恋人!?」
「違います!」
そして女性という言葉にクレアが反応し、エルザも瞬時に否定する。
「わ…私が聞いたわけではないのですが…」
大声を上げてしまったことに対して恥ずかしがっているのか、ニコルの恋愛事情を断言してしまったことに対して恥ずかしがっているのか。
俯きながら、エルザはガウェに助けを求めるような視線を向けてきた。
「…兵門で騒いでる女がいたので話を聞いてみたら“平民だけど騎士になった人がいるはず。自分はその人の家族だ”と」
「ガウェが直接聞いたの?ってことは、やっぱりばっくれてたんだ!!」
仕方無く数刻前に目撃した情報を話せば、なぜか嬉しそうにクレアが笑った。
ガウェが護衛任務を放棄する事が面白い訳ではない。
エルザ以外のここにいる全員が気付いているとある片想いが面白いのだ。
「家族なら妹君でしょうか?」
「若い娘でしたので、おそらく」
ニコルの家族構成は故郷に妹が一人だけだと聞いているのでそう呟いたレイトルに、ガウェは同意する。
普段は楽に話すのに、姫達が居るためにわざわざ堅苦しい敬語を使いながら。
「久しぶりに珍しいものを見ましたわ!ニコルったら、ガウェから“家族が面会に来ていると告げられて、慌てて走って行ってしまいましたの!」
「へー。ニコルって妹いるんだね」
興奮したように話すエルザと、身近な騎士の新たな情報に妙に納得してみせるクレア。
「たしかに面倒見いいし、お兄ちゃんって感じだもんね?ニコルって」
だがのんきな二人の姫とは対称的に、レイトルとセクトルは怪訝そうに顔を見合わせていた。
「…ニコルの出身はたしか王都から一番遠いカリューシャ地方だったはず…」
「…何かあったのか?」
ニコルに対する心配を口にするが、二人はニコルの妹が数日前に寄越した手紙の内容を知らないはずだ。
エルザと同い年であるニコルの妹は、貧しい平民なら完全に行き遅れである年齢で婚約を破棄された。
あまり好まれない貧困階級の家の娘だ。奇跡でも起きない限り、もう貰い手は現れないだろう。
仲間の妹であるというだけで会ったことも無い娘だが、ガウェは薄幸の娘に、自分でも気付かぬうちに静かに同情していた。
-----
金持ちの世界に憧れていた頃は、貴族達は豊かな生活を送っているのだから慈悲深い人間なのだと勝手に想像していた。
ニコルが住んでいた土地を治める村長が優しい人間だったから、なおさらそう思ったのかもしれない。
騎士団長に力を認められ王城入りした時は、周りの貴族達の冷たい視線にただ体が竦んだ。
綺麗だとばかり思っていた世界は、見た目がきらびやかなだけで驚くほど平民の世界と変わりなかった。
「ニコル殿!!」
王城を守るように取り囲む兵舎外周棟。正門へ繋がる渡り廊下を早足に進んでいる時に、前方から若い騎士に声をかけられた。
以前の魔具訓練の時にニコル達と同じ棟を選びついてきた若騎士の一人で、クレメンテという名の若者だ。
待っていたかのように呼んだということは、妹の件を知っているのだろう。
「すまない。私の妹が来ているとか」
ニコルにも寝耳に水の話だが突然の来訪に謝罪すれば、クレメンテは困惑した様子でニコルの隣に立った。
「それが…その…」
兵舎正門には警備の者達が休憩出来る部屋も用意されており、妹はそこに通されているはずだ。
連れ立って歩いていると、さらに前方にいた王城騎士達と目が合った。
「…まったく、程度の低い人間はこれだから困るのですよ」
「門の前であんな騒ぎ方をして、みっともない。まあ育ちが悪ければ致し方無いでしょうが」
本来ならば階級の低い王城騎士から王族付き騎士であるニコルに挨拶なりするものだが、二人の騎士はニコルを目にしながら無視を決め込む。どころか堂々と完全に悪口を言う始末だ。
「…すみません」
いつもの事なので気にはしなかったが、まだ不馴れな若騎士であるクレメンテにはそうもいかないらしい。
「なぜ君が謝る…って、騒いでるのか?」
「騒ぐと言うか…泣いてしまってて話ができないんです…」
ニコルの思い出に残る妹は、よく笑いよく怒り、そしてよく泣く小さな女の子だった。
その妹は、つい最近酷い仕打ちを受けた。
「あ、ニコル殿!」
手紙の内容を思い出して駆け出すニコルの後を、慌てながらクレメンテが追う。
ニコルの産まれ育った村から王都まで、馬の足でもひと月近くかかる距離だ。
手紙が届いたのはたった数日前で、だが今王城に妹がいるのなら、最近だとばかり思っていた婚約者に裏切られた話はいつの頃だというのだ?
「--ニコル殿!!」
たどり着く休憩室の扉を吹き飛ばす勢いで強く開ければ、クレメンテと組んだばかりの若騎士が驚いた顔を向けてきた。
それを無視して部屋中を眺めて妹を探す。
室内にいるのは若騎士と見知らぬ少女だけだ。
「……だれ?」
女の子にしては珍しいほどに短髪の娘は、泣き腫らした目をニコルに向けて鼻をすすりながら呟く。
「え?」
その言葉に素っ頓狂な返しをしたのは若騎士で。
「…私の妹は?」
「えっ!?」
ニコルの問いには、ようやく追い付いたクレメンテがさらに唖然とした顔を向けてくる所だった。
-----