第25話
第25話
浅黒い肌の、気の強そうな娘だとよく言われていた。
温暖な島国イリュエノッドの第二王女サリア。
くるりと癖のある焦げ茶色の髪はエル・フェアリアでは珍しい暗めの色で、暗い色の瞳が端から見れば嫌っているかのように目前のコウェルズを睨み付ける。
「お元気そうで何よりです」
「…やあ。まさか君が持ってきてくれるとは思わなかったな」
イリュエノッドからエル・フェアリアまで魔術師達の力を使い空の道を飛び訪れた王女は、一団の中央から堂々とした様子で頭を下げた。
「魔力増幅装置を使用なさるのがあなた様とお聞きしましたので」
近付いて、隣に立つコウェルズにのみ聞こえる程度の声量で咎めるように語りかければ、周りを気にしたコウェルズにそっと肩に手を置かれる。やはり聞かれたくない内容なのだろう。コウェルズは護衛騎士達を少し気にして、彼らの耳には届いていないと知るともう一度サリアに向き直った。
「…とりあえず、中に入ろうか。エル・フェアリアの風は冷たくなってきているからね。長旅には応えるだろう」
自分の上着を脱いで肩にかけてくれて。
イリュエノッドは一年を通して温暖なので、サリアの衣服は薄くへそを見せたものだ。イリュエノッドではよく見られるものだが、肌をあまり露出させないエル・フェアリアでは悪い意味で目立ってしまうのだろう。
コウェルズの気遣いにわずかに頬を染めても、元々肌の浅黒いサリアの変化に気付けはしない。
「さあ、おいで」
本来ならイリュエノッドごときなど相手にするはずもない大国の王子は、一応は婚約者としてサリアを大切にしてくれる。肩を抱いて、エスコートするように。
彼の上着は彼の温もりを宿していて、爽やかで優しい香りと共にサリアを包み込んだ。
-----
エル・フェアリアに訪れたサリア王女と会う為に呼び出されたアリアは、途中で護衛部隊の面々と合流して慌てながら王城の上階、王家の居住区に足を踏み込んだ。
行き着く先はコウェルズの部屋で、廊下にはミモザとエルザ、そして彼女達とコウェルズの王族付きに、見たこともない衣裳の魔術師らしき者達が集まっている。
魔術師達は恐らくイリュエノッドの者だろうが、女性の魔術師が二人いることにニコル達護衛部隊は静かに驚いている様子だった。
今でこそアリアという治癒魔術師を獲得して女性の魔術師が復活したエル・フェアリアだが、大戦が終わってこちら、女性の団員はいなくなっていたのだから仕方無い。
そしてニコル達の驚いた表情に、二人の女性魔術師は少し立腹したように眉を寄せた。恐らくこの場にいる他の騎士達からも似たような視線を向けられたのだろう。
イリュエノッドの女性はエル・フェアリアの女より気が強いとは聞いていた野郎達だが、さすがに怒らせてしまう要因を作った理由に気付いて思わず目を逸らして。
それでなくとも肌の露出の多い衣服の為に目のやり場に困ってしまうのだが、そうやって無理矢理逸らしてしまえばさらに彼女達の腹の虫を刺激することになると気付けない辺り鈍感だ。
「--ミモザ様、お持ちしました」
アリア達の背後から聞こえてきたのはミモザの王族付きであるミシェルの声で、その手には上品な色合いとレースの美しい大きめのショールが用意されていた。
恐らく彼女達の為にミモザが用意させたのだろう。ミシェルは慣れた手付きで二人の女性魔術師達にショールをかけてやり、いやらしさの欠片も感じさせずに胸元で両端を可愛らしくリボンの形に結び上げた。そのスマートな動作と穏やかな雰囲気には、気の強い彼女達もわずかに照れた様子を見せる。
「魔力を消費する空の旅は大変だったでしょう。エル・フェアリアは貴女方には寒いはずです。身体を冷やさないよう気を付けてください。女性の体は寒さに弱いのですから」
さらに労る言葉をかけて。
恐らく彼女達の好感度はここにいるエル・フェアリアの男の中でミシェルだけが上げることに成功したはずだ。
「--アリア、せっかくの休みを潰してしまって、ごめんなさいね」
訪れたアリアに気付いたミモザが申し訳なさそうに眉を少し寄せる。その表情に驚いたのはアリア本人だろう。
「そんな!あたしなら平気ですよ!」
大切な用事なのに姫に頭を下げさせるなんてと、慌てながらも両手を振って否定して。
「どちらにいらっしゃいましたの?」
「えーっと…」
隣にすすっと近寄ってきたエルザに訊ねられて、思わずレイトルに目を向ける。
アリアのいた場所は名目上は“秘密の”訓練場なので、勝手に教えてしまってよいものかと。
それに気付いたレイトルも、茶目っ気たっぷりにクスクス微笑みながら口元に人差し指を置いて内緒にね、と告げる。
「…秘密です!」
レイトルの促す通りにエルザにも秘密だと笑顔で答えれば、尚更気になってしまう様子でエルザがアリアとレイトルを交互に眺めた。
「あら、気になりますわ!二人でどちらに?」
「エルザ様でも駄目ですよー」
無邪気に戯れるアリアとエルザの姿が微笑ましいのか騎士達は表情を綻ばせているが、ただ一人ミシェルだけはアリアがレイトルと共にいたらしい事実に少しばかり難しそうに眉根を寄せた。
「お姉様!」
「お姉さまー!」
そこに第五姫フェントと末姫オデットが駆け足で訪れる。
「走らなくても良いのですよ」
「でも、サリアお姉様が来られたのでしょう?」
「はやく、お会いしたいです!!」
慌てたようにミモザを急かす様子は、大人しいフェントとオデットからはあまり想像できない事だった。まるで長く離れていた身内にようやく再会できるかの様子で、二人がサリアによくなついていることを教えてくれる。
「慌てないで。二人の息切れが治まるまではいけません」
全員がそろうまで待っていたらしいミモザも、急かす妹二人をたしなめるように落ち着きなさいと告げる。そうすればフェントは胸を押さえ、オデットは口を押さえて呼吸を治める為に少しうつむき加減になった。
「あの…本当にあたしがここにいてもいいんですか?」
天空塔にいる為に来られないクレアとコレーを除いて姫達が揃った辺りから、アリアも緊張してきたらしく表情が固まり始めた。
しかも今から入室する場所はコウェルズの私室で、コウェルズの婚約者である異国の王女もいるのだ。
「勿論です。治癒魔術師は王族と対話する立場にあるのですから」
完全に固まったのは、自分がどんな立場の存在であるかきちんと理解していなかったせいだろう。
「サリアは優しい子ですから、安心してください」
「は、はい…」
緊張して顔色を悪くするアリアの手にそっと触れながら、エルザは優しくフォローしてくれて。その心遣いは今のアリアにはとても有り難かった。
「…クレアお姉様とコレーは来られないのね…」
先に呼吸が整ったフェントは仕方無いとはわかりつつも姉と妹を探して。
「仕方無いわ。ね」
「…はい」
そっと肩を抱いてくれるミモザに甘えるように、静かに身を預けた。
その後すぐにオデットが嬉しそうに満面の笑顔を浮かべる。
「いき切れ治まりましたわ!」
「では行きましょうか--」
約束通り落ち着いたなら行きましょうとミモザがドアをノックするより早く、フェントとオデットがバンッと体当たりする勢いで扉をこじ開けて慌ただしく入室してしまった。
「サリアお姉さまー!!」
「お姉様!!」
室内ではコウェルズに促されたのか彼のベッドに腰掛けるサリアと数歩離れた場所に立つコウェルズが驚いたように目を向けてきて。
「おやまあ…」
「二人ともはしたない!!」
妹達の襲撃にコウェルズはクスクスと笑うが、ミモザは扉からしっかりと注意をする。聞く耳など持たずにサリアに抱きついてベッドに押し倒しているが。
「きゃあ!」
「ね?私の言った通り、ベッドに座ってて正解だろ?」
どうやらサリアがコウェルズのベッドに腰かけていたのは妹達に押し倒されることを見越してだったらしい。
コウェルズの口調にサリアはわずかに不満げになるが、すぐに両手にすがる未来の妹達に笑顔を向けた。
「オデット、フェント。お久しぶりですわね」
「サリアお姉さま、海の香りがしますの!」
「お久しぶりです、サリアお姉様」
寝転がったまま抱きしめ合って、数年ぶりの再会を喜んで。
「二人共大きくなりましたね」
数秒そのままの体制でいた後にゆっくりと身を起こして、サリアは未来の姉に当たるミモザとエルザに頭を下げた。
「ミモザお姉様、エルザお姉様、ご無沙汰しております」
ミモザとエルザは抱きつくという活発さはなく落ち着いた様子で「長旅お疲れ様です」とサリアを労って。
「空の旅でしたから、楽しかったですわ」
「まあ、羨ましいです!」
早く到着する為に空を飛び来た話をすれば、エルザが少しだけそわそわと身動いだ。
だがここで長々と話してしまうと後がつかえてしまう。ミモザとコウェルズはわずかに視線を交わすと、ミモザは妹達に、コウェルズは扉の外で固まっているアリアに視線を送る。
「フェント、オデット、少し離れなさい」
「アリア、こちらへ」
「…!」
呼びつけられても、固まったアリアは入室を躊躇ってなかなか入ってこようとはしない。
「…大丈夫だ。行ってこい」
「う、うん…」
中に入ることが許されたのはアリアだけなので、ニコル達はコウェルズの部屋に足を踏み込むことは出来ない。どうやらそれもアリアの緊張を煽ったらしい。
今までは必ず護衛部隊が共にいてくれたので尚更なのだろう。
「…ほら」
「わぁ!」
「では何かありましたらお呼び下さい」
あまりにも固まるアリアの背中をニコルは強制的に押し込んで、素早く扉を閉めてしまった。
兄に強い力で押されてバランスを崩すが、何とか体勢を整えて初めて目にする異国の王女に深く頭を下げる。
「は、初めまして!エル・フェアリア治癒魔術師のアリアと申します!」
声は裏返り、まくし立てるように早口で。
一気に言い終えてから、アリアは顔から火を吹くほどの恥ずかしさに襲われた。それでもサリアは気にせず微笑んでくれて。
「初めまして。サリア・イリュエノッドと申します。ご活躍は聞いておりますよ」
「あ、ありがたく光栄であります…」
おかしな言葉遣いにコウェルズが遠慮の欠片もなく吹き出した。
「お兄様!…落ち着きなさい、アリア」
「は、はい…」
すぐにミモザがコウェルズを注意してくれるが、恐らくコウェルズには効かないだろう。
そんな様子にサリアが微笑んでくれていることはまだ不幸中の幸いだ。
「とても綺麗な方ですね。以前は平民として生活されていたとか。ぜひお話を聞かせてください」
「ふぁ!喜んで!」
ぐだぐだのアリアを面白がるように、コウェルズは靴を履いたままベッドに乗り上げてサリアの背後に周り、その細い両肩に手を置いて頭を下げるように隠れて笑い続けた。
いや、笑いを堪えるのに必死なのだろう。アリアも必死なのに。
「…お兄様」
「や、大丈夫だよ…笑ってなんていない」
笑っていないと宣言するならサリアの背中から顔を出したらどうなのか。
兄はいつも通りとして、アリアの固まりようにオデットも面白がりながらサリアの腕を引っ張る。
「アリアったら扉の前でも緊張してカチカチでしたのよ!ね、アリア」
「ふぁい!」
その返答がコウェルズの限界を越えさせてしまった。
大笑いしながらサリアの肩から手を離し、お腹を押さえてベッドにうずくまる。笑い声は外までだだ漏れだろう。
同時にアリアもあまりの笑われように真っ赤になりながら目に溢れんばかりの涙を浮かべた。
「お兄様!…アリア、下がって大丈夫よ…別室にいてね」
「すみません、あたし…」
鼻声になるアリアを慰めながら、ミモザは肩を抱くように手を添えて後ろを向かせる。
「大丈夫だから。突然だったのですから仕方ありません。ごめんなさいね」
ノックをして扉を開かせれば、待機していたニコル達が半泣きのアリアに驚いて目を見開く。
「ふ、ふぁい…」
「お兄様!」
「っ…」
さらに追い打ちをかけるようにコウェルズがアリアの最後の言葉を真似し、ようやくニコル達も合点がいったようにやや呆れた様子でうずくまるコウェルズを眺めた。
優秀なコウェルズ王子が実は周りが引くほどの笑い上戸だなどと、国民には知らせられない事実だ。
「…では、別室にて待機させていただきます」
ミモザからアリアを譲り受けながら、ニコルは溜め息に近い口調と共に頭を下げた。
-----