第24話
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レイトルと二人で朝食を済ませたアリアが連れてこられた場所は、兵舎内周内側の端の一角に近い林の中にぽっかりと開いた空間だった。
王城中庭というにはあまり整備されていないその場所は、木々の所々に傷がついて目には少し痛ましい。
いくつか切り倒された切り株のひとつに促されて座れば、心地好い冷たさが衣服越しに伝わってきた。
「とても静かな所ですね」
喧騒から離れて、まるで世界に自分とレイトルしかいないような錯覚に陥る。
レイトルは隣り合う切り株に腰を下ろして、辺りを見回すアリアを微笑ましそうに眺めてきた。
「今は静かだけどね」
「…いつもは違うんですか?」
耳に入るのは秋色に染まりつつある木の葉の風に揺れる音色ばかりで、騒がしさとは無縁の様子なのに。
首をかしげるアリアに、レイトルは膝に腕を置きながら空を仰ぐ。
「私やニコル達の秘密の訓練場さ」
訓練場ということは、ここで身体を鍛えているのか。
ニコルならともかく穏やかなレイトルの訓練風景など想像がつかないが、彼も騎士なのだから当然鍛えているだろうと考えを改めた。
よく目を凝らせば周りの木々は目立つ目立たないに関わらず傷だらけで少し痛ましいどころではない。
一瞬見ただけなら少しだけに見えたが、ここが訓練場だと思えば傷の数は数えきれないほど存在した。
もしかしたらこの空間もレイトル達が作ったのかもしれないと、地面にも目を向けて。
「なんで秘密なんですか?」
訓練場ということはわかったが、なぜ秘密なのか不思議に思った。
騎士団は兵舎外周と内周の間に四ヶ所も広い訓練スペースを設けられている。
一日に一度その訓練場に顔を出すのも治癒魔術師としてのアリアの日課なのだが、そこで皆と一緒に訓練を行えばいいのに、と。
「…まあ、色々あってね」
レイトルの返答は曖昧で、やや困ったような表情が少し新鮮に感じた。
「そんな風に言われたら、すごーく気になります」
「…ならお話しましょうか?」
「やった!宜しくお願いします」
駄目元で両手を合わせれば、そこまで隠したい内容ではなかったらしくさらりと願いを聞き入れてもらえた。姿勢を正してペコ、と頭を下げればクスクスと笑われてしまう。
「私やセクトル、ニコル、ガウェ、フレイムローズはけっこう早く王族付きに任命されてね」
レイトルを含めた五人は、アリアもニコルからの手紙で名前だけは昔からよく知っていた兄の友人達だった。小言的な内容が多かったが、友人関係だからこその出来事はアリアも読んでいて面白かった。
「特にフレイムローズは一番の若さでコウェルズ王子付きに任命されて、当時まだ11歳だったんだ」
「11歳で?」
同い年のフレイムローズの早い出世に、アリアも目を見開いて驚く。
王城騎士と王子付き--王族付きの違いは早々に教えられていたが、11歳など早すぎる。
「王城騎士になるにも15、6歳からでも随分若いけど、フレイムローズは10歳から入団したし、ガウェなんか13歳で入団して、王城騎士を経験せずにリーン様の姫付きに選ばれたよ」
なんて早さだ。まだ成人前なのに。
アリアも年齢を誤魔化して未成年時代から色々な場所で働いたが、ただの平民と騎士など規模が違うだろうに。
探せば仕事にありつけるアリア達平民と違い、王城で働くのは貴族にとって狭すぎる門なのだ。
そしてそんな内情を知ってしまうと、やはり気になるのは身内の存在で。
「兄さんは?」
ポツリと呟くように訊ねれば、レイトルはわずかに首をひねった。
「ニコルは今25歳だから…18歳で入団だね。クルーガー団長に声をかけられたのは15、6歳の時らしいけど、少し揉めてね」
「揉めたんですか?」
「ああ。平民を騎士にするなど有り得ないって人達が当時あまりにも多かったんだ」
流すようにさらりと告げられた平民への批判に、思わず言葉を詰まらせる。
ニコルがあまり良い状況にいないことは教えてもらっていた。平民というだけで迫害されてきたのだ。その中にアリアも王城に呼ばれることになりニコルが暴れたという出来事も、モーティシア達魔術師団から聞かされている。
「それで最終的に、ニコルだけ特別な試験をさせられたんだ」
「特別な試験ですか?」
「そう。当時の王族付きと対戦して、王族付きに力を認められたら入団ってね」
平民のニコルの実力を認めさせる為に取られた特別措置。
ニコルはたった一人、多くの騎士達の前に晒されることになった。
その当時を思い返しながら、レイトルは懐かしそうな、どこか興奮したような様子を見せる。
「すごかったよ。私とセクトルはニコルと同じ年に入団したんだけど、ニコルの入団対戦は凄まじいのひと言だったんだ」
同期入団になる当時16歳のレイトルとセクトルも、親戚筋のニコラのお陰で運良くニコルの入団対戦を目にすることが出来た。
平民騎士に対してはレイトルもセクトルも何も思わなかった。というか自分達の入団決定に喜んで他など正直どうでもよかったのだ。だが。
「…下位サンシャイン家の双子騎士が当時いてね、ニコルと対戦したんだけど」
当時、若騎士達の憧れの的であった双子の騎士。ニコルの対戦相手はリーン姫付きである彼らだった。
「双子って…二対一ですか?」
「そうだよ」
しかし騎士の名を出されてもあまり理解できないアリアは単純に人数に眉を寄せる。
二対一など卑怯ではないのかと、どうしようもない過去に不満を覚えながら。
それでもレイトルは、まるで血が滾るかの様子を見せて。爛々とした瞳は獲物を狙うかのようで、彼がかつて王族付きであったことを改めて思い知る。
エル・フェアリアの王族付きに選ばれる為に必要不可欠な素質を、レイトルもしっかりと宿している証拠だった。
「圧倒的にニコルが不利で押されていたんだけどね」
レイトルはアリアに当時を伝えようと細かく説明をしてくれた。どこの訓練場での話か、周りにどれほどの騎士達がいたか、そしてその凄まじい戦闘を。
当時のニコルの実力では双子騎士には全く歯が立たなかった。
勿論二対一で、しかも実力者に挑むのでニコルにはハンデが与えられて魔具の使用は自由、双子達は武術のみとされた。
その時点でニコルは他者を驚かせた。完全に魔具をコントロールしていたからだ。現在のニコルも得意とする長剣から弓矢、果ては投網なんてものまで。
誰も見たこともないような代物を魔具で生み出し、双子を捕らえようとニコルは躍起になった。
しかし双子は踊るように右に左にと軽やかに逃げ回り、その合間に簡単に攻撃を繰り出し当てていく。
双子なので顔が同じである部分もニコルを撹乱させるに役立ったのだろう。
量に頼った魔具での攻撃が当たらず苛立つニコルは、戦闘方法を変更する。
「それでね、途中でニコルが魔具で形勢を変えさせた。…逆転まではいかなかったけど。…サンシャイン兄弟が間合いを取ったんだ」
発動していた魔具を全て消し去ったニコルは、まるで装備のように魔具を纏った。
それはニコルが地方兵として前線に立ってきた中で生み出した経験の賜物であったが、騎士達は誰もそこに目をつけていなかったのだ。
魔具は武器を発動させる手段であると勝手に思い込み続けた騎士達にとって装備は目を見開くに充分すぎる想像力と魔力の質で。
「凄いこと…なんですか?」
「凄いなんてものじゃないよ。双子騎士の実力は当時のエル・フェアリア騎士団で最上級。各国の力自慢が腕を競う剣武大会でもそれぞれ優勝したし、騎士団入りしていなくても噂は聞けたほどだよ。…その二人に間合いを取らせたんだ」
それはアリアにはわからない感覚だった。
剣術に興味はあるが、争い事は恐ろしいとしか思えないのに。
レイトルの語り口調は、まるで戦闘を楽しむかの様だった。それが無ければ生きていけないかのように。
「たったそれだけ?って思うでしょ。でも、たったそれだけで、ニコルは王族付き達の欲を掻き立てたんだ」
「欲、ですか?」
「ああ。王族付き騎士は優秀なだけじゃなくて…血の気も多くてね」
それなら知っている。第六姫コレーの魔力暴発の件でも、じっとしていろと命じたのに負傷者の騎士達は言うことを聞かなかったのだから。
「ニコルと戦いたいと、当時の王族付きが全員思ったんだそうだよ」
戦いたい。
それは戦を好むという事だろうに。
レイトルも例外なく同じ思いを胸に秘めたのだろう。瞳の奥で静かに燃える炎の揺らめきが垣間見えるようだった。
ニコルと戦いたい。
強者と狂い合いたい。
大戦が終結し平和にほだされた者も多いが、エル・フェアリアの男達は元来戦闘気質なのだ。
「対戦は間合いを取った二人が本気を出してその後すぐに終わったんだけど、王族付きが全員でニコルを入団させるよう直訴して、晴れてニコルの入団が決定したんだ」
その直訴の内容も、是非ニコルを入団させろという生易しいものではなく“ニコルと戦わせろ”と告げるいかにも王族付き達らしいもので。
時の騎士団会議で、王族付き達全員の血に飢えた直訴はさぞ会議に参加する貴族領主達を恐れさせた事だろう。
「…そうだったんですか。兄さん詳しいことは何も話してくれないから」
ニコルの入団の経緯を報告程度にしか教えてもらっていなかったアリアは、兄の新たな一面を知ることが出来て怖いと思ってしまう半面少し嬉しくもあった。自慢の兄が凄い人達の目に留まるのは、やはり家族としても鼻が高い。たとえそれが、物騒な理由だったとしても。
危険だからやめてなど、エル・フェアリアの女は口にしない。それほどまでに兵力に魅入られた国なのだ。
「ニコルも周りに興味を持つ方じゃないからね。じゃあその後の事も教えてあげる」
「その後ですか?」
まだ続きがあるのかと身を乗り出すアリアをレイトルはクスクスと笑って。
「ニコルの魔力量に魔術師団長が目をつけて魔術師団に欲しがっちゃって、騎士団長と魔術師団長の喧嘩にまで発展したんだよ」
「えー…」
「訓練場が大破する物凄い喧嘩だった」
なんて喧嘩理由だ。
開いた口が塞がらなくなりそうなアリアに、喧嘩勃発の理由はそれだけでないと教えて。
「セクトルがさ、あいつ元々魔術師団に入団する予定だったのを無理して騎士団に来たものだから、魔術師団側からしたら余計にセクトルの代わりにニコルを寄越せよって思ったんだろうね」
「セクトルさんがですか?魔術師団に入ってた可能性があったんですか…」
「そ。でもあいつはずっと騎士団入りを夢見てたから。そうは見えないかも知れないけど、人一倍訓練してるんだよ。魔力に長けてるけど、その分筋肉が付きにくい体質だからさ。まあ、そんなこんなで、魔術師団は優秀な魔術師の卵を失った分をニコルで補いたかったわけなんだ」
魔術師団入りは騎士団よりも門扉が狭い。
生まれもっての魔力の質と量を認められなければいけないのだから、剣術や武術のような努力など無駄なのだ。
「…ちなみに、団長の二人って、今の?」
「今も昔もクルーガー団長とリナト団長。あの老体のどこからそんな力がっていうほどの喧嘩だった」
もしやと思い訊ねたアリアの予想は見事に当たる。
初めてアリアと会った時に突然自分達の腕を破壊してアリアに強制的に治癒魔術を使わせた二人だ。喧嘩などしたら訓練場は砂の城のように簡単に大破した事だろう。
堅物の騎士団長クルーガーと、剽軽な魔術師団長リナト。水と油のようで、しかし互いを理解して。それでもやはり水と油であることは変わらないのだ。
「凄いことになってたんですね」
「…当人のニコルは大変だったろうけどね」
団長二人の喧嘩の後もニコルは幾度もリナトから勧誘を受けていたのだから。
そしてアリアの質問は、少し入り込んだ内情に向かう。
「…嫌がらせとかも…やっぱりあったんですか?」
訊ねれば、今までリラックスしていたレイトルの表情がわずかに悲しげに影をさす。
「…あったよ。でもニコルは負けなかった。嫌がらせしてくる奴等には訓練で返してたし」
だから心配しなくていいよ、と微笑んでくれるが、それはやはり無理だ。
アリアでさえ侍女達から心無い扱いを受けたのだ。昨夜はその筆頭に近かったジュエルと歩み寄ることが出来たが、それだけで今の現状が変わるとは思えない。
ジュエルの性格は昨日で大まかには掴めた。まだ幼い考えの彼女をけしかけて筆頭に仕立て上げた者がいるはずだ。
アリアを潰す為に、でも自分を汚さない為にジュエルを。女の嫌らしさなら村にいた頃から知っている。
「そういえば前に兄さんが、みんなと仲良くなった理由はレイトルさんとセクトルさんの喧嘩を止めたからだって言ってましたけど」
そしてふと思い出す兄の言葉の真実を問うてみる。
アリアの中のレイトルとセクトルは息の合った親友同士なので、二人の喧嘩など想像できるわけがなくて。
「二人は仲良いのにほんとに喧嘩するんですか?」
小さな喧嘩ならまだしも、ニコルが止めに入るほどの喧嘩ともなればたいがいのはずだ。真相はどうなのだろうと窺えば、レイトルは少しだけ顔をそらした。
「まあ、昔っから一緒にいたからね」
「やっぱり喧嘩なんて」
「いや、小さな言い合いなら毎日だよ」
「うそ!」
気恥ずかしそうに告げられる二人の関係に、アリアは思わず大きな声を上げてしまった。
そんな様子にも肩をすかして諦めたように肯定してみせながら、レイトルは思い出してみて、とアリアに願う。
「私達の名前、似てると思わない?」
「あ、はい。レイトルさんとセクトルさん、あまり似てないけどご兄弟かと最初思いました」
同い年で互いを理解し合って名前も似ていて。
見た目で似通った所など年齢程度しかないが、周りの反応を見ていても兄弟にしか思えなかった。
「それなんだよね…」
何の気もなく頷くアリアに溜め息を返しながら、レイトルはセクトルとの腐れ縁関係を教えてくれる。
「私とセクトルは家が隣同士でね、近い位の中位貴族の生まれで、両家が大の仲良し。私かレイトルのどちらかが女に生まれていたら絶対に結婚させられてたよ」
「あっははははっ!!」
ざっくりとした説明にアリアは手を叩いて今日一番の大笑いをした。
恐らく両親達は結婚させて家族にしたかったはずだ。二人共男だとわかり少しはガッカリしたことだろう。
「笑い事じゃないよ…幸い男に生まれたけど、そしたら名前を似たの付けられるし、どこに行くにも似たような格好させられるし。騎士団入りも王族付きに任命された時期も同じ、部屋も上が面白がって同室」
つまり、長く離れた試しがない。クレアに仕えていた時もチームを組まされていたのだから。
「運命共同体ですね」
それは親しい幼馴染みに当たる存在のいないアリアには少し羨ましいものだった。
互いに理解し合える親友など、そうそう手に入れられるものでもないだろうに、レイトルは生まれた時から手に入れられたのだから。セクトルも同じく。
「…まあ、言いたいこと言えるってことなんだけど、イラつくポイントもお互い熟知してるから、そこをどっちかがつついて喧嘩が始まるかな」
「じゃあ、兄さんと仲良くなった理由の喧嘩は?」
「あの時は…ああ、そうだ。思い出したよ。当時のニコルは誰ともつるまなくてね」
当時ということは、ニコルが入団したての18歳の頃か。騎士団入りした当初のニコルからの手紙は、確かにあまり生活内容は多く書かれてはいなかった。アリアと父を心配する内容を書き、アリアの手紙に対する返事を書き、訓練が大変だという程度だけを教えてくれる。
当時は忙しいのだと思っていたが、手紙に書けるような内容ではなかったのだろう。
自分はアリアと父を心配するくせに、心配させてはくれなかったニコル。少しくらい弱音を吐いてくれてもよかったのに。
「私とフレイムローズはニコルと仲良くしたいなと思ってたんだけど、セクトルとガウェはどっちでもいいってスタイルでね。何度か話しかけたけどニコルは歯牙にもかけなくて。で、ニコルが王族付きに任命されたくらいかな…」
ニコルの王族付き任命は入団からわずか半年の事だった。早すぎる出世。しかも平民がだ。
当時を思い返しながら、レイトルはポツリポツリと静かな口調で話してくれた。
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その日、まず最初にニコルに話しかけたのはフレイムローズだった。
王城敷地内の片隅に存在するそこはあまり人が足を踏み込むことなど無く、フレイムローズ、ガウェ、レイトル、セクトルの四人は気晴らしと訓練を兼ねて訪れていたのだが、そこで何かを手にしていたニコルと遭遇したのだ。
「あ!ニコル殿だ!ねえ、聞いたよ!エルザ様の姫付きに選ばれたんだってね!同じ王族付き同士宜しくね!」
四人でニコルの話をしていたので良いタイミングだなどと口にしながら無邪気に近付く12歳のフレイムローズに、およそ年下の子供に見せるようなものではない眼差しを向けながらニコルは何かを懐にしまい込みながら立ち止まった。
「…ああ」
短い返事は、ニコルの中に警戒心しか存在しないことを告げている。
「私達ももっと訓練に励まないとね。ニコル殿も時間が開いたら訓練相手になってくれないかな?」
「…ああ」
そんなニコルの態度に怯むフレイムローズをフォローするように立ち上がるのはレイトルだ。言葉の前半はセクトルに向けて、そして後半はしっかりとニコルに微笑みかけながら話して。
穏やかな様子は少しはニコルの警戒を解くかと思われたが、彼の心の鎧は思った以上に厚く固い。
「…嫌ならそう言ってくれて構わないよ」
「……」
遠慮しないでという言葉は、無言のまま切り捨てられた。無視というより返答に困った様子だったが。
「あ、おれ…私もよく魔眼攻略の訓練に呼ばれたりするから、ニコル殿も魔眼攻略したかったらいつでも言ってね!」
「…ああ」
何とか会話を繋げたいフレイムローズはもうひと踏ん張りとばかりに一歩踏み出すが、同じ距離だけ下がられて。
「…もういいか?」
ガウェとセクトルが静かに見守る中で、完全に会話を拒絶するニコルにフレイムローズが可哀想なほどに消沈する。
「…足止めしちゃったね。ごめん」
フレイムローズにこっちにおいでと手を伸ばしながら、レイトルはニコルに軽く謝罪をして。
そのまま立ち去ろうとニコルが踵を返した瞬間に、セクトルが盛大な溜め息をついた。
「…謝る必要無いだろ」
冷めた口調と共に。
それは完全にレイトルに向けられたもので、指摘されたレイトルも表情をスッと凍らせる。
「…いいだろ」
完全に冷えきった返答に、フレイムローズがヤバイとばかりに身を強張らせ、ガウェはセクトルの隣から静かに離れる。様子の変化に気付いたニコルもさすがに立ち止まった。
「話しかけるのもそろそろ止めとけよ。どうせ返事なんて返ってこないだろ」
そこにはレイトルに向けた注意だけでなく、ニコルへの不満も含まれていて。
「同期の騎士として仲良くしたいだけだよ」
「嫌がってんだから放っとけばいいんだよ」
「前に比べたら返事をしてくれるようになっただろ。打ち解け始めてる証拠さ」
「はっ、ただの相槌だろ」
「それだって良い方向に向かっている証拠だろ」
雲行きの怪しい剣呑な会話はガウェとフレイムローズには日常のワンシーンだが、さすがにニコルは驚いてわずかに目を見開いていた。
「…止めなくていいの?」
「いつもの事だろ」
フレイムローズの隣に来たガウェに、フレイムローズはどうしようと相談するように訊ねるがガウェはそっけない。
毎度毎度止めていられるかという態度はレイトルとセクトルにも伝わっており、
「いつもの事で悪かったね」
「おい、八つ当たりするなよみっともない」
さらに雲行きが悪くなる様子に、フレイムローズがびくりと肩を震わせてガウェの背中に隠れた。そのさらに後ろにいるニコルも、離れるに離れられない状況で。
「君が私のやることに文句を言わないなら私も苛つかず済んでいるんだよ」
「忠告しただけだろ馬鹿かお前」
馬鹿呼ばわりされたからか、完全にレイトルの目が鋭く変化する。
「…いつも私に任せきりで何もしようとしないお前にだけは言われたくないね」
普段は相手を“君”と呼ぶレイトルが“お前”と使った場合は完全に理性の範囲を越えたのだと暗に知らしめる印だ。
「あ?お前が勝手に動いてんだろ」
「お前が動かないせいでな」
セクトルも普段の行動を口にされて声のトーンをさらに低くし。
「--…」
先に物理的に相手を攻撃したのはセクトルだった。レイトルの太腿を遠慮もなく蹴りつければ、後は雪崩のように殴り合いが始まる。
「見てないで止めてよガウェ!!」
「いつもの事だろ」
「ガウェ!」
胸ぐらを掴み、蹴りつけ殴りつけ。
ヒートアップしていく喧嘩をガウェはただ眺めるだけだ。フレイムローズはおろおろと狼狽え、
「あ!」
同じように困惑しながら喧嘩を眺めていたニコルを思い出して、フレイムローズは強い力でニコルにすがりついた。
「お願い止めて!俺が止めたら後が大変なんだ!!」
魔眼を使えば簡単に喧嘩を止められる。だが魔眼の効果が強すぎて、レイトルとセクトルはもれなく三日は寝込むだろう。何度か立証済みだ。
「…いや、だが」
「何が『いや』なんだ言ってみろよ!!」
「元はといえばお前がいつも一人でいるからだろうが!!気を使わせやがって!!」
フレイムローズにすがられてニコルもわずかに逃げ腰になるが、殴り合っていようが他人の声は届くらしく、ニコルの困り果てた拒否の声に強く反応を見せてくる。
「うわわ、とばっちりが…」
今にもニコルに掴みかかりそうな二人の様子にフレイムローズはサッとニコルから離れる。そして。
「原因はお前だ。止めてこい」
「はぁ!?」
ガウェにポンと肩を叩かれてニコルは素っ頓狂な声を上げた。
「…という感じで、喧嘩から打ち解けたんだよ」
今となっては懐かしい思い出のひとつだ。結局喧嘩を止めたのは通り掛かった先輩騎士でレイトルの親戚筋に当たるニコラだったが。
「…なんというか」
「みんな若かったね」
「…兄がすいません」
今から七年前の話だ。レイトルもまだ16歳だったから、成人していたとはいえ大人に成りきれているはずもない。
「いやいや、迷惑かけたのこっちだし」
申し訳なさそうに頭を下げるアリアを止めながら、当時のニコルをもう少しだけ思い出して。
「…それに打ち解けた後にニコルに聞いた話だけど、王城騎士時代のニコルの同室メンバーは私達が思っていた以上にニコルに酷いことをしていたからね。ニコルが頑なになるのも仕方なかったんだ」
あの日、通りがかったニコルが手にしていたのはアリアからの手紙だったらしい。
ニコルは同室の騎士に手紙のことを気付かれたくなくてわざわざ人目につかない場所にまで足を運んだのだ。結局喧嘩に巻き込まれてしまったのだが、喧嘩を止めに入りたくなかった理由も、懐に入れたアリアからの手紙を汚されたくなかったからだと聞かされた。
「馴れ馴れしく話しかける私達を警戒するのも当然だよ」
嫌がらせというには酷すぎる実情。こればかりは、どんな目にあったのか詳しくアリアに話すことは躊躇われた。
「…そんなに」
「酷かったね」
これ以上この話題を続けるのも酷だろうとアリアの表情から推測して。
「それで、この場所さ」
「…?」
話はだいぶ逸れてしまったが、本筋はこの場所の由来だったはずだ。
「秘密の訓練場」
レイトル達がこっそりと使うこの場所、秘密の訓練場の。
「ニコルは個人訓練でも嫌がらせを受けるし、フレイムローズは魔眼を恐れられて訓練場を使うと多くの騎士が別の訓練場に移った。ガウェも黄都ヴェルドゥーラ嫡子の名が邪魔をして訓練相手がいない。頭をひねって考えたのが、新しい訓練場作って私達だけで訓練しちゃおうってこと。まあ団長や王族付きはここを知っててたま乱入しに来るけど」
大きな訓練場が四ヶ所も存在するというのにスペースを設けた理由を教えれば、アリアは少しだけ首をかしげた。
「…レイトルさんとセクトルさんも秘密の訓練場で訓練してたんですか?どうして…」
「あはは…私もセクトルも少し嫌がらせされててね。訓練場に居辛かったんだ」
わかりやすい嫌がらせ。ニコルほどでないにしても、レイトルとセクトルにもその牙は向けられた。
「私は本来なら騎士になれないほど魔力量が少ないし、セクトルは元々魔術師団入りが決まっていたのに騎士団入りしたからね。だけど各隊長に可愛がられてたから僻まれたんだろうね」
互いに騎士団にいられる存在ではなかった。無理をしたのはここに夢があったからだ。
「魔力量が少ないのに、騎士になれたんですね」
「親の言うことをハイハイ聞いてたら、今頃大臣の秘書でもしてたかもしれないね」
「えー…やだ」
「あはは。でもそうなる寸前だった」
というか、その可能性の方が高かった。
レイトルが騎士になれると信じてくれた人がどれほどいるだろうか。
試験を受けるだけ受けてみろと背中を押してくれた人達も、レイトルが入団出来るとは思わなかったはずだ。
「私は騎士になりたかったけど、魔力量だけで周りに止められたからね。可哀想がられてたんだ」
小さな頃からの夢は、語る度に優しく拒絶されてきた。
「可哀想って言葉も使い方次第では酷いよね…まあ、そのおかげで私は余計に騎士を目指したわけだけど」
「上手くいったんですね!?」
反骨精神で乗り越えたのだろうと予想したのか、アリアの明るくなる声に思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「…セクトルとひと芝居打ってね」
「何したんですか?」
何をしたのか。言うとアリアは笑うだろう。
「…騎士団試験受けさせてくれないならセクトルと二人で死ぬって」
「うそーー!!あはははは!!」
笑うだろうとは思っていたが、笑いすぎだろう。
「…そんなに笑うこと?」
「だって、二人で死ぬって…報われない恋人のセリフじゃないですか…」
少し唇を尖らせてみても、アリアは笑いのツボにはまったらしく肩を震わせ続ける。
「…それで何とか試験を受けられたんだよ」
「魔力の方は大丈夫だったんですか?」
「余裕のアウト。でも剣術試験の方で第四部隊長に気に入られてね。まあニコルの存在感の前に私の実力は霞のように消え去ったけど」
レイトルの剣技は隊長クラスの舌を巻かせた。だがそれもニコルという特殊物件のお陰で華々しいものにはならなかったが、確かに隊長達の目には留まったのだ。
「何から何まで兄がすいません…」
「はは。でもニコルの剣術は本当に凄いからね。私とセクトルは入団してすぐにフレイムローズと打ち解けて、フレイムローズ経由でガウェとも仲良くなったんだけど、当時はガウェが剣聖と呼ばれていてね」
「剣聖?」
「そう。剣術でガウェの上を行く騎士はいなかったんだよ」
ニコルが現れる前までは、団長以外誰もガウェに剣術で敵わなかった。クルーガー団長ですら、経験値で勝利したようなものなのだから。
「え、でも双子の騎士の人は?」
「あの二人は規格外だからね」
レイトルの説明にニコルの入団試験の対戦相手となった双子騎士を思い出したらしいアリアには双子騎士は次元が違うと告げて。
「色々あるんですね」
「騎士は武術、剣術が主かな。正直なところ、魔術は後付けだよ」
魔具は大切な実力のひとつだが、レイトルの剣技の腕前を持ってすれば、王城騎士程度はいくら魔具を操ろうがレイトルには敵わない。だからこそレイトルは王族付きに選ばれたのだ。
「ガウェさんは、その剣術で一番だったんですね。今は?」
「剣術と魔術は僅差でニコル、武術に関してはガウェが余裕の一番」
「…あんなに沢山いる騎士の中で?」
「そうだよ。二人がチームを組んだ時の必須訓練は王城騎士のやる気の下降具合が面白かった」
年に数回ある必須訓練。以前の魔具訓練の際はニコルとガウェのペアは不慮の出来事にて早々に退場となったらしいが、レイトルとセクトルは喧嘩を始めてしまったので詳しくは知らない。
「面白かったんですか?」
「すっごくね」
若き実力者を前に、王城騎士の大半は戦う前から勝利を諦めていた。
そしてそれを見過ごすほど団長は甘くも放任主義でもない。
「変わって王族付きは燃えてたけど。“妥当・貧富コンビ”ってね」
そしてニコルとガウェのコンビ名にアリアは食い付いて。
「貧富コンビ?そんな言われ方してたんですか!?」
「してたよー。ガウェは最上位貴族、ニコルは辺境の平民だったからね。何で真逆の二人がこんなにも似てるんだって騒がれてたものさ」
「…確かに似てますもんね。性格もどことなく似てる気がします」
正反対に見えて、本質は似通った二人だ。
「ね。背格好も似てるから、余計だろうね。ニコルが髪を伸ばすようコウェルズ様に命じられた理由もそこだし」
「仲よしですもんね」
「そう。けっこう息ピッタリ。二人は認めないけど」
「今度その辺を兄さんに問い詰めてみますね」
「いいね。私も混ぜてもらうよ」
「--やめろ」
ニコルとガウェの類似点の話しにヒートアップし始めた頃合いで突然嫌そうな声が背後から聞こえてきた。
「わぁ!」
「うわニコル!いつから!?」
レイトルとアリアは背中を仰け反らせて盛大に驚いた。
「好き勝手話しやがって…」
「いいじゃないか、減るものでもないし。君はどうしてここに?」
開き直ってみたのは、ニコルがレイトルだけを睨み付けてくるからだ。ここでアリアにも睨みを利かさない辺りが兄馬鹿だ。
「…休暇が潰れた。話すからついてこい」
「誰か怪我を?」
突然訪れた理由を簡単に告げるニコルに、アリアはすぐに表情を改める。
休暇を潰してまでアリアを呼ぶなど、酷い怪我以外に無いだろうと。だがニコルの返答は別のものだった。
「…いや、賓客が来たんだ」
悪いが急いでくれと急かす様子にアリアは困惑するが、状況を察したレイトルはニコルの隣につく。
「…治癒魔術師を紹介するほどってこと?」
「そうだ。…イリュエノッドから魔力増幅装置が届くことになっていたが…コウェルズ様の婚約者のサリア様が直々に来られた」
治癒魔術師は国の大切な力と象徴のひとつになる為に、賓客が訪れた場合は王家と並んで謁見に向かわねばならない。
それもアリアの仕事なのだ。
そして同じ時間、空の道を使いエル・フェアリア王城に訪れたイリュエノッドの一団と対峙するコウェルズは、一団の中心で鋭い眼差しを向けてくる王女に困惑の笑顔を向けていた。
第24話 終