第24話
第24話
「--可哀想だけど、この子の魔力量じゃ到底騎士にはなれないわ」
毎日のように言われてきた言葉だった。
まず「可哀想に」と必ず頭について始まる言葉。
レイトルの未来と夢を根本からもぎ取る、優しさを全面に押し出した残酷さ。
「諦めきれないようだけど、もう現実を教えないと」
自分より長く生きているから偉いのか。何でも知っている気でいるのか。
庇護を必要としない歳になったのだ。もう放っておいてくれないか。
「こればかりはどうにもならないもの」
やる前から無駄だと言われてしまったら、何を目指して歩んでいけばいいのだ。
「可哀想だけど、仕方無いわ。あの子の為に鬼にならないと」
あなたの言葉は、いつだって自分の為だったじゃないか--
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窓から差し込む朝日に起こされてアリアがゆっくりと身を起こした時、すでに兄の姿は部屋にはなかった。
ここはニコルとガウェの部屋だが、昨日アリアが精神的に参ってしまった為にニコルのベッドをひと晩借りて休んだのだ。
王城に来てからいつも側にいてくれた人がいないのは、少し寂しかった。ここはニコルの部屋なのだから特に。
「お休みっていったって…何もしないのは逆に疲れるんだけどな…」
昨夜兄が一日休日宣言をしてくれたはいいが、やりたいことがあるわけでもなくて。
ニコルがそのうち戻ってきてどこかに連れていってくれるかとも思ったが、少し待ってみても帰ってくる気配はない。律儀な兄が置き手紙ひとつ置かずに部屋からいなくなっているのですぐに戻ると踏んだのだが、予想は外れてしまったらしい。
アリアが休みなので護衛部隊も一日休暇を取るのだろうか。なら誰もいなくていいのかな?
そんな風に思いながらとりあえず服を着替えに戻ろうと扉を開けたアリアは、部屋から出るときによく兄がそうしていたように扉の前に立つレイトルの姿に驚いた。
「わ…」
「やあ、お早う」
朗らかな笑顔を向けてくれるレイトルは、いつから立っていたというのか。
「今日は休みじゃ…」
思わず呟いた言葉に、レイトルは真面目な表情になる。
「君はね」
「え…」
「あははは、嘘だよ。みんな今日は自由行動」
まさか護衛部隊は平常通りなのかと思った矢先に笑い飛ばされたので、思いきり頬を膨らませる。
「…じゃあレイトルさんは?」
「私はニコルの代わりだよ」
「…代わり?」
膨らませた頬を両手で潰されながら、何の代わりだと首をかしげる。
というか兄はどこへ行ったのか。
「ニコルも全く休み無しで働き詰めだったからね。この機会に総出で無理矢理休ませたんだ。今頃セクトル達に連れられて医師団で全身マッサージコースさ」
ということは、アリアが眠る間に強制的に連れて行ってしまったと。それならニコルの姿が見えないことも頷けた。
「医師団ってそんなのもあるんですか…」
「あるよ。騎士よりも筋肉モリモリの按摩師部隊がね。そうでもしないとあいつ休まないからさ。今日もアリアの護衛に一人で立つつもりだったみたいだし」
やはり護衛はつく様子に、アリアは仕方無いのかなと頭を切り替える。
護衛だとしても、どこへ行くにも必ず行動を共にしなくてもいいのでは、と言うアリアの希望的発言はその都度論破されてきたのでもう言うまいと。
ただ、今日は護衛部隊も一日自由行動だというなら、
「…レイトルさんは?」
彼は休まないのだろうか?
いくらアリアが休みだからあまり動かないにしても、仕事という意識があると気は休まらないはずだ。
「君が五日間眠り姫になっていた時に、私も随分休ませてもらったからね」
「眠り姫…でもレイトルさんはあたしのサポートでとても疲れてたんじゃ」
「伊達に鍛えてないさ。私は一日寝たら回復したよ。さあ、今日は何をしたい?どこでもお共するよ、お姫様」
まるで護衛部隊の話は切り上げるかのように、レイトルはわざとらしく頭を垂れる。
「あたし、お姫様じゃ…」
先ほどの眠り姫発言といい、本物のお姫様がいるというのに。恥ずかしくて赤くなる顔を見られないように、アリアは少しだけ俯いた。
「私達にとってはお姫様みたいなものだよ。前まで王族付きだったからね」
「うーん…でもやっぱり恥ずかしいですよ」
「あははは」
どこまで冗談でどこから本気なのか、レイトルはいつも朗らかに笑うので読み取り辛い。
「それで、どこに行きたい?王城内ならどこでも連れていってあげる」
改めて訊ねられて、アリアは頭を捻った。
「えー…と」
「ん?」
「…一応考えてはいたんですけど、思い付かなくて…」
何せ昨夜突然兄に言われたのだ。今まで治癒魔術の仕事やら異国語の勉強などに費やしてきたのに、どう動けばいいかなんて正直わからない。
困惑しながら「どうしましょう…」と訊ねれば、レイトルにまた笑われてしまった。
「なら着替えて食事を済ませてから中庭の方に行ってみる?今の時間なら涼しくて過ごしやすいよ」
でも笑うだけでなくて提案もしてくれて。
そういう辺りは兄より気が利くかも、なんて口が避けてもニコルには言えない言葉だ。
「はい。…あ、でも…」
「何?」
中庭なら確かにゆっくり過ごせるかもと思ったが、ふとあることを思い出してアリアは表情を曇らせた。
「…出来ればあまり人目につかない…二人でいられる所がいいです」
「……」
アリアより数センチ背の高いレイトルをわずかに見上げれば、彼は何故だか固まってしまって。
「あの…昨日兄さんから…これから求婚者が増えるって言われて…」
「ああ、そういうことか…うん、そうだよね」
理由を説明したところでようやく石化から解放されたレイトルが少し肩を落とした。
何かおかしな事を言ったかと自分の言葉を反芻してみるが、変わった点は無いと思うのだが。
「…いや、大丈夫だよ。なるべく話しかけられたくないわけだ」
「そういうわけじゃないんですけど…」
「任せて。とっておきの場所を教えてあげる」
少し寂しそうに笑いながら、レイトルはアリアが望むような場所があることを口にする。
「とっておきの場所ですか?」
「そうだよ」
さらりと肯定する様子は、なかなか場所に自信があるらしい。少し気になってきた。
「でもその前に、お腹を満たしておこうか」
「はい」
そういえばまだ着替えてもいなかった。
村ではそれが普通だったが、王城に来てからは一応身だしなみには気を付けるようにしているのだ。
そのままニコルの部屋を抜けて、アリアはすぐに用意しますね、と自室に戻っていった。
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毎朝のように訪れる王家の朝食風景。いつもと様子が違うのは、普段は王子とヴァルツと六人の七姫が揃うというのに、エルザとミモザとフェントの三人しかいない点だろう。
コウェルズとヴァルツは二人で朝からどこかに行っているらしい。悪巧みではないといいのだが、とは妹達の切なる願いだ。末姫のオデットは朝から新緑宮にいるらしく、クレアとコレーは天空塔から出られない毎日だ。
「今日はアリアはお休みを頂いているとか!」
運ばれてくる朝食を眺めながら、三人しかいないテーブルの場を盛り上げるかのようにエルザが元気よく二人に話しかけた。
「らしいわね」
返事をくれたのは姉のミモザで、フェントは頷くだけに留めて。
「どこでゆっくり過ごされるのでしょうか?」
「…今日一日はせっかくの休みなのですから、治癒魔術の訓練法を聞くのは駄目よ」
ミモザはそわそわとアリアの行方を気にするエルザの胸の内を適当に当てたつもりだったが、見事に的中した様子でぐっと押し黙られた。
「…何か聞きたかったのね」
「…どうしても理解しにくい項目がありまして…それが解明できれば治癒魔術に近付ける気がしますの…」
だからアリアに話を聞きたかったなぁ、と両手の人差し指同士を合わせて、エルザはしゅんと項垂れる。
「…そのお気持ちとてもわかります」
そんなエルザの思いを理解してくれたのは、パンを千切りながら何やらやさぐれているフェントだ。
目の下の隈は、昨夜も遅くまで起きていた証拠だろう。
「まあ、フェントも?」
「はい。ユナディクスの古代文字の解読が佳境を迎えているというのに…パージャったら逃げ回って手伝ってくれないのです」
「…まあ」
フェントがファントムの件に別の視点から携わってくれている事は王城内全てで周知の事実だ。
そして平民であるはずのパージャがユナディクス国の古代文字を解読できるという事で役立っているのも知られている。
彼が最近逃げ回り始めた事実も。
「それは聞き捨てなりませんね。パージャは今どこに?」
「危険を察知したかのように自室にも戻らなかったとかで」
ミモザの言葉が冷め始め、フェントもやさぐれ度合いに磨きをかける。
まあ、と普段通りなのはエルザくらいだ。
ミモザはわずかに何かを思案した後、壁際に立つ護衛の二人を静かに呼び寄せた。
「…ベルメリオ、ニコラ、訓練中の私の王族付き達に伝えなさい。パージャを見つけ次第捕らえてフェントの元に連れてくるように」
「あら、でしたら私の王族付き達も訓練場にいましたら捜索に加わるようにお伝えくださいな」
ミモザの命令を受ける二人の騎士に、エルザもついでと言うように指示を出す。
姉姫二人の申し出に、フェントはパッと瞳を輝かせながらベルメリオとニコラを見上げる。
「よろしいのですか?」
申し訳なさそうな声色だが、騎士の数が揃えばパージャを捕らえられるかも、という期待に胸が膨らんでいる様子だ。
これにはさすがに命じられた二人の重圧が一気に重くなる。
何としてもパージャを捕らえなければ、騎士達に呼びかけに行く二人の責任になるではないかと。ヤバイと互いに顔を見合わせるベルメリオとニコラの気持ちを知ってか知らずか、エルザがグッと拳を握った。
「パージャは『候補』といえど私の王族付きですし、パージャが逃げた責任は私にありますわ」
「そんな、エルザお姉さまは悪くありませんわ!」
立ち上がって否定するフェントの椅子が倒れそうになって、ニコラが慌てて受け止める。
「そうですよエルザ。与えられた責務から逃げるパージャがいけないのです。では二人共、お願いしますね」
ミモザの命令に、ベルメリオとニコラは静かに黙礼をして下がる。ミモザの護衛は二人が戻るまでは他の騎士達が請け負ってくれるはずだが、朝食が済んでしまう前に戻らねばと、二人は部屋を出た瞬間に走り出した。
そんな様子など知りもしないミモザは、食後の予定を話して聞かせてくれる。
「私はこの後コレーに会いに向かいますが、エルザはどうします?」
「ぜひご一緒させてください。クレアにも会いたいですし」
天空塔にいる妹達に会うための相談を始めるミモザとエルザに、天空塔に上がることを止められているフェントは不満そうに唇を尖らせた。
「…私も会いたいです」
駄目だとはわかっているが、クレアとコレーに会いたいと。
だがフェントの幼い魔力では、またコレーの魔力が暴発してしまったら庇うことが出来ないのだ。
自分の身も守れないのに、危険な場所に連れていくわけにはいかない。
「…今は我慢してね」
申し訳なさそうに眉尻を下げながら我慢させるミモザに、フェントはさらに俯いてから不貞腐れてしまった。
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朝早くからオデットが訪れた新緑宮は、以前と何も変わらない様子で木々の間に静かに佇んでいた。
小ぢんまりとした虹の宮殿のひとつ。オデットがもっと小さな頃から、この場所は不思議な魅力に包まれていた。それはきっと大好きな姉との思い出が詰まっているからこその魅力なのだ。
新緑宮は変わらない。だがオデットは時の流れに逆らえない。天国に行ってしまったリーン姫と同じ髪型も、今はやめてしまった。
とっても大好きなリーンお姉さま。
私はあと一年で、あなたと同じ歳になります。
周りが変わろうとするから、自分も留まってはいられないと一歩踏み出したのに、どうしてこうも上手く出来ないのだろうか。
周りはみんなオデットを聡いと誉める。だがオデットには、まだまだ世界はわからないことばかりで。
どれだけ誉められようが、自分より長く生きて多くを経験した者達には敵わない。
婚約者のいる国が何を考えているのかもわからない。
そもそも恋なんてものも知らないのに。
「オデット様、秋の花が美しく咲いていますよ」
新緑宮の周りをプラプラと散策していたオデットに、護衛の一人が間を持たせるかのように話しかけてきた。
「風も心地好いですね!」
無言でいれば、もう一人も。
リュカとセレスは王族付きにしては珍しく押しの弱い騎士だ。いつも控え目で譲ってばかりで、はっきりと言えば影が薄い。でも優しい。
その優しさの種類は灰汁の強い他の騎士達とは違い、幼かったオデットの手を引いてくれたリーンに似ている気がしていた。
無言のまま二人の元に行き、間に入って二人の手を片方ずつ握る。
他の騎士達にこれをすると、問答無用で宙に引き上げられた。子供ならこれが喜ぶだろうとでもいうように。
だがリュカとセレスは違う。ぎゅっと優しく、同時に力強くオデットの手を握り返してくれるのだ。
大丈夫だよと、何も怖いものなど無いよと教えてくれるように。
最後に新緑宮をもう一度瞳に映して、オデットは二人と一緒に背を向けて歩き始める。
少し肌寒い風を頬に受けていると、ふと前の道を誰かが通りすぎようとした。
「--おやまぁ沈んだ顔して」
その誰かはオデット達に気付いて足を止め、オデットの浮かない表情を放ってはおけないとでもいうかのように足を運んできて。
「パージャ殿?」
「なぜこちらに…」
リュカとセレスは困惑するように首をかしげ、パージャはオデットに視線を合わせるようにしゃがむ。
「えー?まぁ色々と諸事情というか、深いわけがあったり無かったりあるわけ無かったり…」
「フェントお姉さまから逃げ回っているのでしょう」
「……よくお知りで」
はぐらかそうとするパージャがここにいる理由を口にすれば、わざとらしくガクリと項垂れられた。
だがごまかしなどオデットには利かない。今のオデットには特にだ。同じ高さにまで降りてきたパージャの瞳をじっと見つめれば、するりと視線を逸らされる。
「どうして逃げるのですか?」
「えー?」
リュカから手を離し、逃げられないようにそっとパージャの服を、手を置くように掴む。オデットが何を言いたいのかわかっているから、パージャはこちらを見ようともしない。
その子供騙しな賢しさに、鼻の奥がつんと痛んだ。
「…どうして?」
「いや…逃げたわけじゃ」
逃げているくせに。
「--え!?」
自分が泣いてしまった事には、パージャの驚いた様子を目の当たりにしてからようやく気付いた。
頬をぬるい水が伝う。
パージャは慌てた様子でセレスとリュカに代わる代わる視線を送るが、二人がパージャに助け船を出すはずがない。
「…泣かせた。制裁決定ですね」
「あなたが泣き止ませてくださいよ」
「…まじ?」
冷たいとも取れるかもしれないが、二人がオデットを慰めたところでオデットの気持ちが晴れることなど無いとわかっているのだ。
泣いているのだと自覚してしまうと後はもう止まらない。胸の奥に刺さって抜けない思いの数々が、オデットの幼い心を押し潰そうと苛んでくる。
「…あー」
パージャは頭の後ろを掻きながら、わずかに視線を逸らしつつもオデットに目をやって。
「…お姫様?」
「…パージャがフェントお姉さまのお手伝いをしてくれたら…ファントムのことがわかって、コレーお姉さまが助かるのに…」
なんて涙声なんだろう。
「いや、助かるかどうかは…」
「フェントお姉さまはとっても頭が良いのです!!絶対にファントムと宝具の繋がりを解明してくださいますわ!!」
掴んだ手を何度も引いて、自分が出せる一番の大声で訴える。涙を拭う時間も惜しい。パージャはオデットに出来ないことが出来るのに。
「…解明出来たからってさぁ」
「パージャはフェントお姉さまのお役にたてるのに…」
古代文字の解読など、兄でも時間がかかるだろう。それをパージャはすらすらと解けるのに。
リーンの形見としてラムタル国のバインド王から譲られたエメラルドの髪飾りに刻まれたラムタルの古代文字も解読してくれたのに。
パージャなら出来るのに。
「何も出来ない私と違って、パージャはお役にたつことが出来るのに!!」
涙が止まらない。
オデットがこんなに泣いたのはいつぶりだろうか。
「オデット様…オデット様だって昨日フェント様のお手伝いをしてお役に立っていたではありませんか」
「そうそう!」
オデットにフォローをくれたセレスが、馬鹿な相づちを寄越すパージャを強く睨みつける。
「…ごめんて」
うっ、と流石にパージャも身を引いて謝罪するが、オデットの気が晴れるわけもない。
「わ、私なんか、ようやく…」
ひきつけのように声が裏返る。
オデットが昨日フェントの為に出来たことといえば、不必要になった文献を本棚に直したりと、その程度だ。そんなもの手伝えたうちに入るものか。
オデットがしなくても、フェントの騎士達が直したはずなのだから。
騎士達は気を利かせてオデットに“お手伝い”を譲ってくれたのだ。それがわからないほど幼いつもりはない。
「…ごめんな」
ふと頭に大きな手のひらが乗って、ポンポンと触られる。
パージャの行為に、リュカとセレスは驚いて言葉を失う。王家の姫の頭に触れるなど。だがその手のひらは心地よくて、誰かに似ている気がした。
「これからはちゃんとフェント姫のお手伝いするよ。俺に出来ることちゃんとやってくる」
黙りこんだまま見上げるオデットに、パージャは似合わない真摯な笑顔をくれた。
「…ほんと?」
「ああ。約束するよ。お姫様に泣かれちゃ、面倒だからって逃げてられないよね」
仕方ないよねぇ、なんて、まるでオデットが泣いたから手伝いを続けるみたいに。実際にそうなのだろうが。
「…約束ですよ!!」
涙が止まる。心はなんて現金なんだろう。
「はいはい約束約束」
軽口を叩きながら、パージャがオデットに小指を差し出した。
「…何ですか?」
「…あれ、知らない?」
首をかしげたオデットを真似るように、パージャも首をかしげる。
何なんだろう?小指に何かあるのだろうか。オデットの心の声を聞くかのように。
「これね、指切りげんまん」
小指をピンと立てたまま、パージャは聞いたこともない単語を口にする。
ゆびきりげんまん?
「…何ですの?」
「俺と同じように小指出してみて」
促されるままに、恐る恐る小指を立てて前に差し出す。
その指を、パージャの小指が絡めとった。
「…?」
「小指同士を重ねてね、ゆーびきーりげーんまーん」
「!?」
突然歌い出されて、びくりと肩を跳ねさせる。
「…歌うのは止めとくわ。ウソついたら針千本飲ます指切った!」
「!!」
今度は早口で物騒な呪文を口にして、パッと指を上に離された。
呆然とするオデットの頭に、またパージャの手のひらが乗る。
「これで、俺が約束をやぶってフェント姫から逃げたら、嘘ついた罰で針を千本飲まなきゃいけなくなったんだ」
「…千本も?」
「そーいうこと。針飲みたくないからフェント様のお手伝いしてきますよー」
なんて恐ろしいまじないなのだろう。パージャには姉の手伝いをしてほしかったが、命の危険があるほど追い詰めたかったわけではないのに。
「…とても怖いですね。一本で構いませんよ?」
「…リアルだからやめて」
千本なんて、と譲歩したのに、パージャは想像でもしたのかブルリと身を震わせた。
そして。
「…ごめんね」
また、謝罪して。
「今からお姉さまのお手伝いをしてくださるのでしょう?なら」
「君は良い子だから、つらいだろうけど…もうすぐ終わるから」
含みのある言い方。
もうすぐ終わるとはフェントの手伝いの事だと思いたいのに、何かがささくれのように違和感として胸に刺さった。
何が終わるのか。訊ねようとした矢先に怒声が辺りに響き渡る。
「--見つけたぞ!!」
ミモザの王族付きのミシェルだった。
訓練用の兵装に身を包んだ彼は普段の穏やかな様子をかなぐり捨てて藍色の長い髪を振り乱し、額に青筋を浮かべてはいないか。
「おい!パージャを発見した!!」
ミシェルの後ろにいた別の王族付きもパージャを睨み付け、さらに誰かを呼び寄せる。
「うわ、何!?」
「そこを動くなよ!!」
「貴様を今からフェント様の元へ連行する!!」
次々に騎士が姿を現す。それは全員王族付きで、さらに全員殺気立っていて。
「今から行くとこだったっての!!」
「さんざん逃げ回って、嘘をつくな!!」
「マジだって!!」
「こっちはお前のせいで訓練中断してんだぞ!!」
一斉にパージャを追いかける騎士達の手には問答無用の魔具が発動していた。
ギャアギャアとやかましい騒音を撒き散らしながら、パージャと騎士達が走り去っていく。
ぽかんと口を開けるオデットを守るように両端に立っていたリュカとセレスも呆れ果てて。
「まったく…嵐のような男共ですね。オデット様の姿も目に映していませんでしたよ」
「お怪我などございませんか?」
心配されて、ようやく小指が疼くことに気付いた。
先ほどと同じように小指を立てて、じっと見つめて。
「…小指が痛みますか?」
「いえ…ですが…」
ぴりぴり、ぴりぴりと。
それは何かに似ている。
どこかで感じた不思議な。
でも思い出せなくて。
パージャ。
不思議な人。
いなくなってしまった彼とのまじないを思い返しながら、オデットはもう一度、新緑宮へと目を向けた。
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