第23話


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 別件で一人だけ離れていたレイトルがアリアの件を聞かされたのはつい先ほどの事だった。
 遅くまで時間がかかってしまったがモーティシアに報告に向かった際に聞かされて、訝しがりながら部屋に戻ればまだセクトルが起きていて。
「何があったんだ?」
 誰にとは言う必要も無いはずだ。
 ベッドに寝転がりながら本を読んでいたセクトルは静かに上半身を起こしながら本に古びた栞を挟んだ。
「さあな。騎士に求婚されて、青ざめた」
「…青ざめた?」
 見ていたはずのセクトルは自分が目の当たりにした事実は話してはくれるが、アリアの心情まではわからない。
「一人目は求婚かどうかはわからないが、二人目は俺達の目の前で堂々と言ってのけたからな」
「待って…二人も?」
「ああ。トリッシュ情報だと、これからさらに増えるぞ」
 驚くレイトルに、セクトルはさらに追い討ちをかける。
「…どうして今…コレー様の、国の一大事だぞ」
 ファントムの噂がどうやら本物であることがわかってきたというのに。
 そうは口にしつつもレイトルの頭の中を占めるのはアリアに思いを伝えた者への嫉妬心ばかりだった。
 国の一大事と思わねばならないのは自分こそだろうがと頭を振り、上着を脱ぎながら自分のベッドに苛立つように強く座り込む。
「どこかの誰かがアリアに求婚すると噂が立てば、狙ってる奴等は気が気じゃないだろうな。それでなくてもアリア狙いは今増えてる。対ファントムへの願掛け状態の奴もいるかもな」
 アリアは魅力的な女だ。背は高いが容姿はエル・フェアリアの男達の好むポイントをよく突いているし、そこにあの真面目ながら間の抜けた所もある愛嬌抜群の性格が合わさればひとまずは最強だろう。
 レイトルも例外なくまず容姿に惚れた。そして後に続くように内面にも。
「王城騎士の中位、下位貴族の男達はアリアというよりも“治癒魔術師”の名に惹かれているみたいだが…王族付きはアリアに惹かれた奴が多い」
 セクトルは淡々と事務的に語り、
「あとは、魔術師団が静かにだがアリアの夫探しに本腰を入れ始めたからな。本能的に気付いた奴もいるんだろう」
「…え」
 魔術師団の上層部でなければ知らないはずの案件をさらりと語られる。
「治癒魔術師の血を後世に残す為だ」
 それはわかっている。アリアだけでなく、いずれ魔眼を持つフレイムローズにも同じことが言えるのだから。
 女である分、アリアの方を優先したという事なのだろうが。
 それをなぜセクトルが知っているのか。予測はついた。だがレイトルはそれを考えないようにした。
「何にせよ、今のアリアはそれを望んでない」
 セクトルは自分がボロを出したことに気付いていない様子で、そのまま会話を続ける。
「…元婚約者かな」
「可能性は高いだろうな」
 アリアの過去については軽く聞かされている。
 まだ出会う前は、婚約者に捨てられた可哀想な娘としか思わなかったが、今は…
「…何があったんだ?」
 婚約者との間に。顔色を青くするほどの何かが。
「……アクセル達が魔術師団長に計らってくれるみたいだが…どうなるかだな」
 夫候補を立てるにも、アリアがあの状態では無理だと語るセクトルに同意しながら、レイトルは上階にいるアリアを思った。

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 アリアが落ち着くまで静かに抱き締めて頭や背中を撫でて。
 ようやく泣き止んでくれたアリアからわずかに離れて、ニコルはその頬に伝う涙を拭ってやった。
「--大丈夫か?」
「…うん。ごめんね。心配かけちゃって」
 照れ臭そうに笑うのは、そうしないとまた泣きそうになるからか。
 会えない間に何があった。
 村に帰りもしなかったニコルには聞く権利すら無いのか。
「もう平気だから」
「そんなわけないだろ」
「…平気だよ」
 急かしすぎだとは思った。だが止められない。
「…俺にも言えない事か?」
 アリアがここまで苦しむ理由がどこにあるのだ。かつてのアリアの婚約者は、何を思ってアリアを裏切った。
 結婚を夢見て指折り数えていた可愛い妹を。
 余命幾何もない父親に花嫁姿を見せてやれなかった可哀想な妹を。
 父からの最後の手紙は、アリアの将来を心配する弱々しい筆圧と文面で締められていたのに。
「…アリア」
「何にもないよ!ちょっと疲れが残ってただけ!」
 なぜ笑うんだ。
 健気に、悲しそうに。
 元婚約者を庇うのか。
 まだ愛しているとでも言うのか。
「二人には断っておかないとね。あたし今はまだそんなの考えられないし」
「…アリア」
「まだ王城に来て少ししか経ってないのに、まだ無理だよね」
「アリア!」
 無理矢理話題を変えようとするアリアの肩を掴んで振り向かせた。
 驚きの中にわずかに灯る恐怖の瞳にニコルを映して、アリアはキュッと口元を引き結ぶ。
「…話してくれないか?」
 兄として、唯一の肉親として、今まで側にいてやらなかった詫びとして。
「…ごめん、今はまだ…」
 身体をよじるアリアの肩を強引に掴んで、もう一度自分の方にもどした。
「…元婚約者なんだろ?」
 アリアを苦しめるのは。
 それとも、アリアを村で襲おうとした者達とも関係があるのか。
 この世界でニコルが何を犠牲にしてでも守りたい可愛い妹を。
「…アリア」
 頼むから話してくれと引き寄せたのに、アリアは拒絶するように両腕を伸ばして、つっかえ棒のようにニコルと距離を保つ。
「…やめて…無理…兄さんでも話したくないの…」
 止まったはずの涙が再び溢れるのを目の当たりにして、ガツンと頭を強く殴られたかのような衝撃を受けた。
 自分はいったい何をしているのだ。
 ついさっきアリアを泣かせたのに、また同じことを。なんで、こんな。
「…わかった…悪い。泣かせたかったんじゃないんだ」
 アリアの肩を掴んでいた手を離せば、アリアもニコルを拒絶した腕を下ろしてくれる。
「ごめんなさい…心配してくれてるのに…」
「いや、俺も…気が利かなかった」
 いたたまれなくて視線を逸らす。だがいくら視線を逸らしたとしても、アリアの泣く様子がわからなくなる訳ではなくて。涙を堪えようとして上手くいかない様子が、耳から振動から伝わってくる。
「ごめんなさい…」
「謝るな…謝るような事じゃないだろ」
 むしろ謝罪しなければならないのはニコルの方なのだろう。そっとしておいてやればよかったのに、一方的な正義感がアリアを苦しめたのだから。
「…明日も一日休め」
「え、でも…」
 詫びるように、勝手に明日の予定も白に戻す。モーティシアならすぐに理解を示してくれるだろうと予想して。
 不安そうに眉を寄せるアリアの頭をくしゃくしゃと撫でて、少しだけ笑う。
「ここに来てから一日も休み無しだったんだ」
「でもあたし…五日間も寝てたし」
「それは休みのうちには入らないだろ」
 魔力暴発により傷付いた者達を癒したアリアは五日間も深く眠り続けた。
 その五日間は休みに入れるわけにはいかない。
「明日一日は、何も考えずにゆっくりしていろ…コレー様の件があるから城下には行けないが」
 いっそパッと遊べたならいいのだろうが、今の状況で城下に降りることは出来ない。せめて城内でくつろげと自分の頭を掻きながら告げれば、アリアは泣きながらも表情を緩めてくれた。
「ううん…ありがとう」
 ふわりと泣きながら笑う様子は、妹だとわかっていても胸の奥を甘くうずかせる。
「兄さんがあたしの兄さんでよかった…大好き」
 なんて笑顔で言ってくれるのだ。
「あー…今後もたぶん、お前への求婚者は増える」
 妹相手に邪な考えが浮かびそうになるのを振り払って、逃れるように立ち上がる。
「…対応したくないなら俺が」
「…大丈夫…今日はちょっと、驚いただけ…」
 涙を袖で拭う姿を横目で見れば、視線に気付いたアリアは見上げたまま寂しそうにまた笑った。
「…もう大丈夫だから…」
 何が大丈夫なのか。
 その本心が聞けるのは、まだ先なのだろう。

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