第23話


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 逃げた先は王城上階の露台だった。
 フェントの騎士達は上手くまけた様子で気配は感じないので、パージャは悠々自適に風を浴びながら露台を進む。
 時間的な問題なのか、なぜか露台にはフレイムローズ以外の姿は無くて。
 赤都アイリスの名に相応しい真っ赤な髪。同じ赤でも、ミモザやあの男とは全く違う。
「…明日にはイリュエノッドの魔力増幅装置が届くって」
 フレイムローズの隣に立てば、王城中の魔眼蝶を操りながら重要な情報を教えてくれた。
 フレイムローズを味方につけて以降、諜報活動はとてもやりやすくなった。
 元よりフレイムローズは王家に絶対の忠誠を持つ。あの男の正体と理由を知って、こちら側につかないはずがないのだ。
「…タイミング悪いね。ちょっと侮ってたわ。魔力増幅装置なんて得体の知れないもんをよく手に入れたよ」
 魔力増幅装置。
 噂にしか聞いたことはないが、そんなものをよく使う気になったものだと感心すれば、フレイムローズが閉じられたままの瞳をパージャに静かに向けてきた。
「…いつなの?」
 瞳が開く。
 魔眼の瞳は特殊だ。
 白目部分は存在せず、全てが黒目のように真っ黒で、だが黒目というわけでもない。
 そもそも眼球が存在するのかしないのか。
 フレイムローズの開かれた瞳から、涙のように頬を伝った芋虫のような魔力の固まりがこぼれ落ちた。
 黒いそれは、異常なまでに圧縮された魔力だ。
 大概の者はその魔力の塊を見ただけで意識を失い、酷ければ精神をやられてしまう。しかしパージャは魔眼を直視しながらも、その影響をさらりと受け流していた。
「…それは言えないな」
「どうして?早くしないと…」
 不満そうに、フレイムローズが眉根を寄せる。
「早けりゃいいってものじゃないんだよ」
 フレイムローズは王家に忠実だ。
 あの男の、ファントムの狙う彼女を案じ、今も胸を痛めている。
 可愛くて可哀想な彼女を思いながら。
「仕方ないな…十日後だ」
 今にも泣き出しそうなフレイムローズの様子がいたたまれなくて、パージャは仕方無く計画の日程を教えてやる。
「早くても遅くても…問題はないけどやばい。でも十日後の夜に…姫は救われる」
「っ…」
 ようやく。待ちわびた時が訪れる、と。
 フレイムローズは唇を噛んで瞳を閉じ、涙をこらえる。
 その様子を眺めてから、パージャは露台から見える天空塔を見上げ、そこで眠る姫を思った。
 ごめんね、と。

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 王城の多くの者達が寝静まる深夜帯、久しぶりに護衛仲間と訓練を行って部屋に帰ってきたガウェは、ニコルが中央テーブルの椅子に座っているというのに彼のベッドに人の形をした毛布の塊があることに気付き、少しだけ驚いた。
 ニコルは申し訳なさそうにガウェを見て、毛布の固まりはわずかにびくりと震えて。
 毛布の中にいるのがアリアだということに気付けたのは、共に訓練を行った騎士から聞かされていたからだ。
 ここ数日の騎士達のアリアをめぐる動きを。
 そしてガウェも今朝、例外なく上から伝えられていたものを。
「…時期を考えろと代わりに言っておいてやろうか?」
「いや、いい」
 説明は不要だと言うように訊ねれば、ニコルは肩をすくめるように断ってくる。
 時期を考えろと。今はファントムの件に集中しろと。
「…今日はフレイムローズの部屋を借りる。好きに使え」
「…悪い」
 アリアの様子を見る限り、相当参っていることが窺える。
 恐らく多くの娘達からは批判を浴びそうな悩みなのだろうが、アリアにはまだ耐えられない苦しみなのだ。
 ニコルに自分のベッドを好きに使えと告げて、ガウェは勝手知ったるフレイムローズの部屋に向かった。

ーーー

 アリアの様子がおかしくなってしまったのは、その日の夕方の事だった。

「アリア嬢…少し二人で話せないだろうか」
 五日間も深い眠りについていたアリアがようやく目覚めて本調子に戻りつつあったその日、アリアの護衛についていたのはニコルとセクトル、そしてアクセルの三人で。
 突如現れた王族付き騎士に、ニコル達はただ驚いた。
「…あたしですか?」
「…ああ」
 アリアも二人でと言われて驚き、同時に首をかしげて。
「どこか怪我でも?」
 治癒魔術師としてアリアに急ぎの依頼を願う者も多かったのでそれかと思えば、騎士は言いにくそうに口ごもりながらニコル達を窺う。
「いや、違うんだ…二人になれないだろうか」
 言葉の後半は確実にニコル達に向けられたものだった。
 アリアと二人に。
 誰にも聞かれたくない話ということだろう。
「あたしは構わないですけど…」
 アリアも困惑しつつニコルを見上げて、ニコルもよく知る王族付き騎士だったので彼を信用した。
「…アクセルとセクトルは左に、俺は右の通路にいる」
 自分達が離れるからここで話してくれと願い、ふた手に別れて曲がり角まで離れた。
 騎士とアリアの会話はわからない。騎士の様子から随分と真剣な話なのだろうとニコルは思っていたが。
 しばらくするとパタパタと駆けてくる足音が聞こえたのでアリア達のいる通路を覗けば、騎士を残したままアリアがこちらに向かってくるところだった。俯いたまま走って、困惑するニコルの胸に強く飛び込んで。
「アリア!?」
 怖いものを目の当たりにした子供のような仕草にニコルはただ驚いた。
「…アリア?」
 アリアは口を開かない。
 向こう側でも異変に気付いたセクトルとアクセルもこちらに歩いて向かってきて、途中でセクトルが騎士と二、三言話してからまた歩みを再開して。
 騎士はセクトルと話してすぐに去ってしまった。
「どうしたのアリア?」
「黙っててもわからないだろ」
 アクセルとセクトルも困惑気味で、しかしアリアはニコルにすがったままひと言も話さずに首だけ横にふって。
 セクトルは騎士にも一応訊ねたらしいが、曖昧にされて会話の内容は知れなかったらしい。
「…言いたくなったら言え。わかったな?」
 突然のアリアの変化にニコルもどうしようもなく、とにかくなぐさめようと頭を撫でてやりながら言えば、ようやく小さく頷いた。
 アリアが何とかニコルから離れた後で奇妙な沈黙のまま通路を進めば、またも顔見知りの王族付き騎士が訪れて。
「ニコル殿、アリア嬢!」
 今度はニコルとアリアの二人に用があるらしかった。
「どうされました?」
「いえ。お二人に会えてちょうどよかった!」
 普段から明るい彼は笑みを浮かべ、なぜか利き腕を妙な形で後ろに向けている。
 ニコニコと活発な様子だが、ようやくアリアがあまり元気でないことに気付き、心配するようにわずかに前屈みになった。
「…アリア嬢、どこか具合でも?」
「…いえ」
 アリアは目をそらしたままで、普段と異なる様子にさすがの騎士も困惑してしまう。
「用件の方は?誰か怪我人でも?」
 訊ねたのはアクセルだった。
 騎士団の人間に対しては臆病な様子を見せてきたアクセルだがアリアを庇うようにわずかに前に出て伺えば、騎士はピシリと胸を張って。
「いや、そういうわけではなく」
 全員が見る前で、不自然に背中にやっていた利き腕を付き出す。
「早く言わなければと思って…その…アリア嬢!私と結婚を前提にお付き合いをしていただきたいのです!」
 何やら可愛らしくアレンジされた小ぶりの花束をアリアに差し出して、王城中に響き渡りそうなほどの大声でドカンと一気に思いを告げる。
 その様子にニコルとアクセルは驚きで言葉を失い、セクトルは予想していたかのように普段通り無言で騎士を眺めていた。
 肝心のアリアは花束を押し付けられて受け取りはしたが、顔色は完全に白くなっていた。
「…返事はすぐにとは言いません。ですが…お待ちしています!」
 では!と走り去る騎士は清々しいのひと言で片付けられそうなほど爽やかに見えなくなっていった。
「…名前も名乗らずに…子供みたい」
 アクセルは自分より歳上だろう騎士の凡ミスを指摘して、ちらりとセクトルに目を向ける。
「…もしかして、さっきの騎士殿も求婚とか?」
「…さあな」
 セクトルは気のない返事だが、目を合わせない辺り何かを知っている様子だった。
 だがそれを指摘することはニコルには出来なかった。
「…アリア?」
 俯くアリアの様子がおかしい。先ほど以上にだ。
「--…」
「アリア!?」
 そしてスローモーションのようにふらりと倒れそうになるアリアを、ニコルはすぐに背中から抱き止めた。
 セクトルとアクセルも突然のことに無意識に腕を伸ばしてアリアを止めようとしていたが、ニコルが先に動いたことによりその状態のまま固まって。
「…今日はもう休ませる。悪いがレイトル達に言っておいてくれないか」
 アリアは自分の力だけでは立てないと告げるかのようにニコルにもたれかかり、小刻みに震えていた。
「…一人で平気?」
「手伝うぞ」
 アクセルもセクトルも心配してくれるが、アリアが頑なにニコルだけを頼るのだ。
「…いや、今はそっとしてやってくれ…」
 アリアの肩を抱けば、真冬の中に放り出されたかのように震えている様子がダイレクトに伝わってくる。
「…今日の予定は明日に回して大丈夫かな?」
「未定の方がいいんじゃないか」
 アクセルとセクトルは今からの相談を軽く行い、後は任せてアリアを、と送り出してくれた。
「すまない」
 ひと言の謝罪だけを残して、アリアを部屋に連れていく。本当はアリアの部屋にと思ったが、少し考えてから、ニコルは自室にアリアを連れ込んだ。
 ベッドに座らせて、頭から毛布を被せてアリアが落ち着くのを待って。

 気が付けばガウェが遅くに戻るような時間になっており、気を聞かせて出ていってくれた同室の足音が遠ざかるのを確認してから立ち上がり、椅子をベッドの前に持っていって座り直してからアリアの被る毛布の頭の部分だけをゆっくりと剥ぎ取った。
 アリアは膝を抱えた状態のまま、ニコルを見ようとはしない。
 二人目の騎士から貰った小さな花束がアリアの隣でわずかに傷みながら置かれていたので拾い上げてテーブルに置き直せば、花弁が一枚だけ床に落ちてしまった。
 「…何があった?」
 再度椅子に座り直し、なるべく穏やかな声を心がけて訊ねる。しかしアリアは無言のままで、身動ぎひとつしない。
「…求婚されて血の気を引かせる女なんて、そういないだろ」
 照れたり喜んだりするならわかるが、と。
 だがアリアには辛い過去がある。
「…何があったんだ」
 元婚約者との間に何があったのかなどニコルは知らない。聞きたくはあったが、今まで聞き出すことは出来なかった。
 たまにそういう話しになってもはぐらかされるか完全な拒絶の態度を取られてきたのだ。
 自分はそんなに頼りにならない兄貴なのかという虚しさが込み上げる時もある。
「…俺にも言えない話か?」
 そっと頭を撫でれば、無表情だったアリアの瞳から涙が溢れて。
「っく…ふ…うぅ…」
「…アリア」
 涙腺が緩んでしまえば後は止まらない。
 嗚咽を漏らすアリアの声に胸の奥を掻きむしられて、どうすればよいのかもわからずに隣に座り、アリアをなるべく優しく抱き締めた。
 泣かせたかったわけじゃない。そんなわけがないのに。
 悪かった、と呟きながら、ニコルはひたすらアリアを抱き締めて慰め続けた。

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