第23話


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 ふらりふらりと城内を散策していたヴァルツは、ふと中庭の木陰で誰かが物凄い体勢で仰向けになっていることに気付いた。
 首と言えばいいのか、肩下十センチ程度からと言えばいいのか、そこから上だけを枕のように木に預けて地面にだれた姿は器用だねとしか言い様がない。
 恐る恐る近付いてみれば、
「…ないわー」
 だれた男はこの世の終わりを暗示するかのような溜め息と共によくわからない単語を呟いた。
「おお!平民騎士二号ではないか!フェントが探しておったぞ?」
 王城でそんな姿を晒すのはたった一人しかいないのだが、見事に予想の的中したヴァルツは嬉しそうに駆け寄りながら項垂れた男、パージャの隣に立った。
「いやいや、ないわー…」
 しかしパージャはヴァルツの登場をさほど気にする素振りも見せずにまた溜め息をつく。
 疲れきった様子で、微動だにしない。
「どうしたのだ?」
「あのお姫様鬼だねって話。ないわー」
 エル・フェアリアの宝の一人を指して鬼だなどと怖いもの知らずにもほどがある。
 パージャがぼやく姫は、第五姫フェント以外には有り得ない。何をさせられているのかも、ヴァルツには初期の時点で耳に入っていた。
「ユナディクスの古代文字の解読か?」
「全部っすよ。あの分厚い文献の細っかい文字全部。エルザ姫も快く俺をフェント姫に貸し出しちゃってくれちゃって。朝から晩まで黙々黙々黙々黙々…ないわー」
 酷くやさぐれた姿は、剽軽なイメージばかりのパージャには珍しい。異国の古代文字を解読出来るという点も他者を大いに驚かせていたが。
「…そうとう参っている様子だな?」
「何日目よって話ですわーないわー」
「フェントとオデットはコレーに会いに行けんからな」
「それもないわー。王様何考えてんの?バッカじゃないの?」
 大国の王をいとも簡単に馬鹿呼ばわりするパージャに、ヴァルツは大笑いを返した。
 突然笑ってしまったせいで横っ腹がつりそうになって慌てて揉み静める。
「ふう…まあ、そこに関しては仕方なかろう。フェントとオデットでは万が一またコレーの魔力が暴発した際に止められんからな。あの愚王にしては、ミモザとエルザが天空塔に向かうのを許したことは讃えてもよいほどだ。クレアはコレーから離れられん様子らしいが」
 最初は七姫全員にコレーに会いに行くなと命じた王だ。もちろん誰もそんな命令を聞くつもりなどなかったが、事態が事態だけにまだ幼いフェントとオデットが当分コレーには会えないのは仕方がない。
「その程度で讃えられる王ってどうなの?」
「仕方なかろう。あの者は王として生きる存在ではなかったのだ」
 さっくり明言すれば、パージャはわずかに目を見開きながらヴァルツを見上げる。よいしょ、と小さな掛け声を発しながら上半身を起き上がらせて、呆けるように青空を仰いで。
「…優秀な兄王子は暗殺され、無能の弟王子が残った」
 口にするのはエル・フェアリアの悲劇だ。
「44年前か。他国からの攻撃ならまだしも、王族内での諍いだというからな。今の平和なエル・フェアリアでは考えられんな」
「…そして呪いの始まり始まりー」
 ヴァルツも自国で学んだエル・フェアリアの歴史。その歴史をまるで闇物語のように語るパージャに、妙な違和感を覚えた。初めて合った時もそうだったが、どこかで彼を見たような。
「--パージャ!!見つけましたわ!!」
「げっ!!」
 過去を探る途中で、怒っているような少女の声が響き渡った。
 反応するのはヴァルツよりパージャだ。
「貴様!!フェント様に対して「げ」とは何だ「げ」とは!!」
「じゃーね、王子様!俺は逃げる!」
「いけません!捕らえなさい!!」
 大切な姫を蔑ろにするパージャに騎士達がぶち切れて追いかけ始める。パージャはヴァルツに別れの言葉を置いていくが、その呼び方はとても懐かしいものだった。
「…私はもう王子ではないのだがな」
 隣に訪れるフェントに知らせてやるように呟いて。
 自分が王子であったのは何年前の話だろうか?
 まだ父が生きていた頃はヴァルツも確かに王子だった。
 今は王弟に変わってしまったが。
「…今日くらい許してやったらどうだ?」
 騎士達に追いかけ回されているパージャを眺めながらのほほんと隣のフェントに訊ねれば、姫は鼻息荒く拳を握り締めた。
「あと少しなのです!」
 その“あと少し”が本当に少しなのかは疑問が残るところだった。

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 コレーの魔力が暴発した時から数えれば九日が経った。それだけの時間があればコウェルズとミモザの二人が揃えば大体の物事は万事つつがなく進めていくことが出来る。
 王都の民が心配していた天空塔の件にしても、それ以外のものにしても。
 自分の他にはミモザしかいない政務棟の一室で、コウェルズは気の抜けたようにソファーにぐでんと項垂れながら足を投げ出す。その様子をはしたないとミモザが怒らないのは、この数日コウェルズが頑張った成果だ。頑張ったら大目に見てくれる。なんて優しい妹だろう。
「あ、そうだ…バインド王からラムタルの絡繰りを壊しても構わないと正式に許可を得たよ。ただし持ち出されたのはバインド王お手製の貴重な絡繰りらしいから、壊した分だけ小言が増えそうな様子だったけど」
 多くの者達とめまぐるしい対話をこなしてきたコウェルズは、身体を休ませつつミモザにそう大事でもない報告をしておく。
 絡繰り使用の許可が大事でないわけではなく、小言の方だ。
「では犠牲はヴァルツ様だけで済みますわね」
「犠牲だなんて。ただ少し、壊した絡繰りの数だけ説教時間が長くなるだけさ」
 ラムタル王バインドの説教の長さは折り紙つきだ。
 壊して怒られるのはもちろん持ち出したヴァルツだ。というか面倒な説教はヴァルツに丸投げにしてやると内心で呟けば、心の声が盛れていたのかミモザが苦笑した。
「その時は私もヴァルツ様にお供しますわ」
 あの説教の長さを知りつつ一緒に受けようだなんて、なんて出来た妹だろうか。
「まあ、冗談はヴァルツのいる時にまた言うとして。イリュエノッドから送られる魔力増幅装置は明日にでも届くそうだ。向こうの魔術師団が持ってきてくれる」
 ファントム対策に宝具を使わせてくれることになったのは二国だ。
 ヴァルツが持ってきたラムタルの絡繰りを借りられることになり、コウェルズの婚約者がいる島国イリュエノッドからは魔力増幅装置を譲られる。
 海に隔てられたイリュエノッドは海と陸の道を使えばなかなかの距離になるが、急ぎの為に向こうの魔術師団達からは空を飛んで訪れると伝えられた。
 空の旅なら五日程度か。予定では明日の昼辺りに到着のはずだ。
「アークエズメルはどうなりましたの?」
 イリュエノッド辺りの報告は予測のつく範囲なのでミモザもさらりと流すが、もう一国の件については言葉に棘が含まれている。オデットがいずれ嫁ぐ国、馬鹿なプライドの高いアークエズメル。
 隠しきれていない打算でオデットを預かると告げてきたアークエズメルには、ミモザだけでなくコウェルズも立腹している。
 己のプライドを守る為に大国エル・フェアリアの姫を広告塔に打ち出そうとするなど、頭が高いにもほどがある。
「オデットは渡さないと伝えておいたよ。ついでにファントムに狙われた当時の状況について訊ねたが、やっぱりうやむやに返されてしまった。あれじゃあコレーを奪われてしまえと告げているようなものだね」
 プライドの高いアークエズメルも、かつてファントムに宝具を奪われた経験がある。
 いくらガラクタであろうが姿の見えない存在に宝具を奪われたなどアークエズメルのプライドが許すはずもなく、そのプライドを守る為にも大国エル・フェアリアのコレー姫がファントムに奪われてしまうことを望んでいるのだ。
 コレーが奪われたとなれば、アークエズメルの傷付けられたプライドも少しは晴れるのだから。
“エル・フェアリアですらファントムには敵わなかった”と。
 オデットを預かっていれば、姉姫をファントムに奪われた可哀想な末姫として押し出すことも出来る。そうしてファントムを追うことで、地に落ちたプライドを取り戻そうと。
 エル・フェアリアを舐めるにもほどがある。
「オデットについては諦めきれない様子だったから、素直に聞いてみたよ。コレーがファントムに奪われることをお望みか?と」
 ストレートなコウェルズの会話を想像し、ミモザはクスクスと冷めた微笑みを浮かべる。
 大切な妹を軽んじられた怒りはコウェルズよりもミモザの方が強く感じているかもしれない。
「慌ててらしたでしょう」
「ああ。ナノアは将来大変な思いをするだろうね。自立した意思を持とうが、アークエズメルの習慣に馴染もうが」
「オデットも聡い所がありますものね」
 歳のわりに、オデットはしっかりしている。
 若干9歳だ。
 だが得意な舞踏を生かすことの出来る国立演劇場の運営を任されており、その運営方針にコウェルズやミモザが手を貸したことは滅多にない。
 以前国立児童保護施設で起きた痛ましい事件の折りに演劇場の宿泊施設を数日借りることになった時も、オデットは自ら率先して動き、劇団員達と即興とは思えないほど素晴らしい舞台を心に傷を負った子供達に捧げたのだ。
 その動きの早さにはコウェルズも驚いた。
 我が妹ながらよく気が利くものだと。
「…まあアークエズメルはオデットを汚名を返上する道具程度に見てるんだろうけど、エル・フェアリアの姫達は守ってあげたくなる見た目してるくせに中身は強いからね」
 吟遊詩人達が語るような儚い七姫など実際には存在しない。
 クレアはクレアで呪いを受けて見目が歪んだという婚約者に変わらぬ愛を誓うし、一番人気のエルザでさえのほほんとした性格の中に押しの強さを隠し持っているのだから。でなければニコルに一度こっぴどくフラれたのにコウェルズにけしかけられたくらいで再アタックなどしないだろう。いくら単純とはいえ。
「ね、七姫筆頭?」
「…何としてもコレーを守らねば…」
 そんな妹達をすっきりまとめてしまうミモザこそ七姫達の中で最も根性の据わった姫だろうと暗に誉めれば、ミモザはフイ、と知らん振りして。
「おや、話をそらされた…」
 失笑すれば、ちらりと軽く睨まれてしまった。
「あぁ、それと。魔術兵団について聞いているか?」
「…いえ?何か?」
 本題だとでも言うように上半身を起こして、コウェルズはある意味でファントムより厄介になるだろう部隊の名を上げる。
 魔術兵団。彼らはコウェルズの言うことを聞かないのだから。
「…魔術師団長からの情報だが…魔術兵団がおかしな行動に出ているそうだよ」
 最近知らされた情報を開示すれば、ミモザは眉間を寄せて。
「--…お父様が?」
 魔術兵団が動くのは国王の命令でのみだ。いくらコウェルズが国政を取り仕切っているとしても、父が王でいる限り魔術兵団はコウェルズの言うことを聞かない。
 しかしミモザの言いたいところを、コウェルズは首を横に振って否定した。
「父上が命令したなら、もっとわかりやすい行動に出るはずだ。しかし我々が気付かないほどの静かさだ」
 愚鈍な父親が、コウェルズにも気付けないような命令を魔術兵団に課すわけがない。
 予想の範囲だが、魔術兵団は独自に動いていると。
「…いったい何を…」
「…実態が掴めない。だが魔術兵団は何かを知っていて、その何かを隠している」
 ファントムの件からこちら、魔術兵団はたまにではあるがおかしな動きを見せ始めてはいた。
 滅多に姿を見せない彼らが何を考えているのか。
「…魔術兵団を掌握するには」
「お兄様が王として立つ以外にはありません」
 その魔術兵団の胸の内を知るための唯一の方法をミモザに告げられて「だよねぇ」と軽口のような溜め息をつく。
「…なぜ躊躇われるのですか?エル・フェアリアの王に相応しいのは…お兄様ですわ」
 苦しむ表情で、なんて嬉しいことを言ってくれるのだろうか。
 それでも。
「…理解はしているよ…だが」
「お父様を討てと言っているわけではありません。しかし平和的に、話をすれば」
「ミモザ…」
 請い願うようなミモザの唇を、コウェルズは静かに閉じさせる。
 ミモザは現状をよく理解している。だがまだ甘い。
 コウェルズはすでに何度も父と対話したのだから。
「あのような状態になりながら…なぜか父上は玉座に執着しているんだよ」
 目を見張るミモザは、まだ心の片隅で父が再び立つことを願っているのだ。
 愚鈍と言われてもいい。平凡で構わないから、優しい国政を。
 だが父は、もうそんな次元にはいない。
「おかしな話だろう?政務をこなさず、王の威厳も見せず、ただ玉座にだけ執着する。我が父ながら酷く滑稽な姿だ」
 蔑むような口調を、ミモザはどう思うだろうか。
「もう“彼”は、私達の知る父ではない。その件に関しても、話し合いを進めていきたい」
 俯いてしまうミモザの悲しげな様子は見ていて毒だ。出来るなら見たくない。だが現実から目をそらせる立場ではないのだ。
「…そういえば、知っているかい?」
 せめて今だけは見たくないと話題を変えれば、まだ悲しげな様子のままではあるがミモザは不思議そうに顔を上げる。
「…何ですの?」
 不安そうな声。いつも凛としているくせに。
「アリアに求婚するつもりでいる騎士達が多数いるらしい。未婚の若い王族付きがこぞって、ね」
 あまりに突然話題を変えすぎたか、ミモザはキョトンと呆けてしまう。しかしすぐにコレーの魔力暴発の件以降の話だと理解した様子だった。
「王城には今までいなかったタイプの女の子ってだけでも彼らには魅力的なんだろうけど、アリアは現在エル・フェアリア唯一の治癒魔術師で、ニコルによく似て真面目な性格だが愛嬌がある。晩餐会の席では侍女の嫌味を一刀両断してみせたらしい」
 しかもコンプレックスらしい巨乳を余すことなく男達の前で揺すって見せたとか。元々エル・フェアリアの男達は八割強が巨乳好きだ。
 その様を騎士達から聞かされたコウェルズもぜひ見てみたかったと切に思った。
「…私も数日前にミシェルに相談されたところですわ。私は構わないと思うのですが…」
 ミモザもアリアが特定の存在を作るのは肯定的な様子だが、どこか憂いを見せる。
 その理由は一つしかない。
「見ものだね。結婚間近に婚約者に裏切られて悲しみに暮れる美女の心を、誰がほどくのか」
「茶化すのは止めてくださいませ。同じ女としては…つらいものがありますから」
 アリアが婚約者に裏切られた件はすでに知れている。
 治癒魔術師の次代を生む貴重な存在なのだ。魔力を持たない平民などアリアには釣り合わない。だがミモザは義務よりも心の寄る辺が勝るのだろう。まだ伝えてはいないがアリアの婚約者候補の中にミシェル・ガードナーロッド・トラヴェリアの名前もあるので、彼が押し強くアリアの心を捕らえてくれたなら万々歳なのだが。
「私だって…ヴァルツ様に見放されてしまったらと思うと…」
 義務を取るか、心を取るか。
 ミモザは幸運だったろう。年下とはいえ義務の相手に心も許せたのだから。
「ヴァルツが君を見放す?…それはないと思うけどね。それを言うなら私も心配だよ。いつ『結婚したくない』と泣かれるかと毎日ヒヤヒヤさ」
「サリアならご安心なさってください。あの子は上手く自分の気持ちを表現出来ないだけですから」
 ミモザが不安がるなら自分の方がと頑なな婚約者を思い浮かべれば、ミモザはクスクスと笑いながらフォローして。
 島国イリュエノッドの第二姫サリア。
 クレアと同じく17歳になる年下の婚約者は、いつだってコウェルズに仏頂面を向けてくるのだ。
「サリアはいつもお兄様を思っていますわよ」
「…そう?」
「ええ」
 そうは見えない…と口を曲げて、ややしてからあることに気付いて。
「…ふふ」
「…何ですの?」
「いや、名前が面白いと思ってね」
 サリア。馴染んだ名前に違和感など覚えなかったが。
「ニコルとニコラで随分笑ったものだけど、次はサリアとアリアだからね。楽しい兄妹だよ。この四人が上手く揃う時が来たら遊んでやろうか」
 ミモザの王族付きにいるニコラ。ニコルとニコラの名前でよく遊んだものだがサリアとアリアでも遊べるのではなかろうかと。
 コウェルズの言いたいところを理解して、ミモザもようやく楽しそうに笑ってくれた。

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