第7話:忘却のレプリカ、追憶のアルペジオ
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第一幕:偽りの夜会
2022年2月。
元公安&東大卒のエリート・佐竹幸人が正式に加入し、横浜九十九課は、新たな黄金期を迎えようとしていた。
「いやぁしかし! 佐竹殿の作成した帳簿は、もはや芸術ですな! これなら、どんな税務調査も恐るるに足らず! 安心して最新鋭のドローンが買えますぞ!」
「所長さんよぉ、あんたの物欲のために、俺の脳細胞を無駄遣いしてくれんなよ……」
九十九の興奮を佐竹は完璧な笑顔でいなし、杉浦は呆れたように苦笑いをする。
その光景を、未華子は温かいコーヒーを淹れながら微笑ましく眺めていた。
佐竹の加入は、事務所の経営を劇的に改善させた。
彼が持ち込んだ警察内部や政財界のグレーな情報網を活かし、九十九課はこれまでの浮気調査やネット調査といった“表”の仕事に加え、裏社会と通底する、よりディープで危険な依頼も積極的に引き受けるようになっていた。
「スリルと報酬は、比例するものですからな!」
「まあ、退屈しないのはいいけどね」
九十九と杉浦は、この命がけの日々を心の底から楽しんでいた。
その日、事務所のドアベルを鳴らしたのは、いかにも訳あり、といった雰囲気を纏う一人の女性だった。
年は40代半ばだろうか。
エルメスのバーキンを、まるで武器のように固く握りしめている。
派手だが、どこか影のある高級ブランドのスーツに身を包み、夜の世界の匂いを色濃く漂わせている。
「……ここが、あの有名な横浜九十九課さん?」
女は、値踏みするような目で事務所の中を見渡した。
「ご依頼ですか?」
佐竹が、完璧な営業スマイルで応対する。
「ええ。あなたたちにしか頼めないことよ」
女は、榊(さかき)と名乗った。
依頼内容は、横浜ベイサイドホテルで今週末に開かれるIT企業「ネクスト・イノベーション」の創立記念パーティへの潜入調査。
「うちの店の太客でね。そこの社長が、どうも会社の金を横領してるって噂があるのよ。もしそれが本当なら……私も少しは分け前をいただかないと、割に合わないじゃない?」
欲望を隠そうともしない言い草に、杉浦は少しだけ眉をひそめた。
「具体的には、何を?」
未華子が尋ねる。
「パーティの最中、社長の側近たちがVIPルームで密談をするはずよ。その会話を録音してきてほしいの。もちろん報酬は弾むわ。……前金で300万。成功報酬で、さらに500万。どう?」
破格の金額。
女の瞳の奥に宿る、得体の知れない光。
未華子は本能的に、この依頼の危険な匂いを嗅ぎ取っていた。
だが――。
「やりますっ!」
九十九が、目を輝かせて即答した。
「そのご依頼、この横浜九十九課が完璧に遂行してみせますぞ!」
*
パーティ当日。
事務所の奥で着替えを終えた未華子が姿を現した時、杉浦は思わず、時が止まったかのような錯覚に陥った。
光沢のある、深いネイビーのロングドレス。
大胆に開いた背中と、華奢な肩のライン。
いつもより少しだけ大人びたメイクが、彼女の美しさを凶器のようなレベルにまで引き上げている。
彼女の持つ「強さ」と、剥き出しになった「危うさ」を同時に際立たせていた。
「……どう、かな? 変じゃない?」
少し恥ずかしそうにはにかむ彼女に、杉浦は、喉がカラカラに渇いていくのを感じた。
「……ううん。す、すごく綺麗だよ」
やっとのことで絞り出した言葉に、未華子の頬が、ふ、と赤く染まった。
会場であるホテルのボールルームは、シャンデリアの光と男女の虚飾に満ちていた。
『――こちら九十九。会場内のシステムへの侵入、成功しましたぞ。監視カメラ、全てこちらのものです!』
『こちら佐竹。会場の警備体制、配置図と完全に一致。いつでも動ける。……杉浦、未華子から絶対に目を離すなよ』
耳元のインカムから、頼もしい仲間たちの声が聞こえる。
不意に、未華子の視線が会場の隅に立つスタッフの姿を捉えた。
――ソンヒとジュンギだ。
目が合うと、ソンヒは、誰にも気づかれぬよう小さく頷いた。
このパーティに、何かがあると嗅ぎつけたのは九十九課だけではないらしい。
杉浦と未華子の二人は、グラスを片手にターゲットの男に接触し、当たり障りのない会話を交わしながらその素行を探る。
順調だと思った。
その一瞬の油断が、命取りだった。
パーティが終盤に差し掛かり、会場の照明が少しだけ落とされた、その時。
乾いた破裂音が、三発、続けざまにホールに響き渡った。
シャンパンの栓が開く音ではない。
それは、紛れもない銃声。
悲鳴、怒号、砕け散るグラスの音。
会場は、一瞬で阿鼻叫喚の地獄と化した。
「未華子ちゃん、伏せろ!」
杉浦が叫ぶ。
だが、遅い。
二発の銃弾はターゲットの男を捉え、その身体を赤い血飛沫と共に吹き飛ばした。
だが、残りの一発は、その男の背後、喧騒の中心に立ち尽くす未華子の心臓を、一直線に狙っていた。
時間の流れが引き伸ばされる。
スローモーションの世界の中で、銃口から放たれた死の閃光が、確かに、彼女へと向かってくるのが見えた。
(―――間に合え!)
考えるより先に、身体が動いていた。
杉浦はテーブルを蹴り飛ばし、未華子の身体を突き飛ばす。
そして、その銃弾を、自らの背中ですべて受け止めた。
「―――ぐっ、あ……!」
背中を貫く、焼けるような凄まじい痛み。
だが、それ以上に安堵があった。
(……よかった。……守れた)
未華子の上に覆いかぶさるように、杉浦の身体がゆっくりと、糸の切れた人形のように崩れ落ちてくる。
「……すぎうら、くん……?」
彼の右肩から、ドレスのネイビーをさらに濃く、どす黒く染める、おびただしい量の血が溢れ出してくる。
『杉浦氏!? 未華子氏、応答なさい!』
『クソッ、何が起きてる!』
インカムから、九十九と佐竹の絶叫が聞こえる。
ギャルソン姿のソンヒが、血相を変えて駆け寄ってくるのが、滲んで、歪んで見えた。
「杉浦くん! 杉浦くん、しっかりして!」
何度呼びかけても返事はない。
その腕は、ぐったりと力を失っていた。
ダメだ。
いやだ。
死なないで。
私のせいで。
恐怖と絶望に、未華子の意識は、ぷつりと黒い闇の中へと沈んでいった。
▼
白い光。
無機質な天井。
消毒液の匂い。
ゆっくりと目を開けると、最初に目に映ったのは、心配そうにこちらを覗き込む、二人の男の顔だった。
「……気がつかれましたかな」
メガネをかけた、ボサボサ頭の男。
「……よかった」
その隣で、安堵の息を漏らす甘いマスクの男。
知っているはずの顔なのに、誰なのかがわからない。
「……ここは?」
掠れた声で尋ねた。
「病院だよ。お前、気を失って杉浦と一緒に運ばれたんだ。安心しろ、杉浦も無事だから」
佐竹はいつものような冷静な口調ながら、心から安堵した声で告げた。
だがその言葉に、未華子はただ困惑したように、首を傾げるだけだった。
「……あの、すみません」
「……あなたは、誰ですか?」
「……『スギウラ』って、どなたですか?」
その、無垢で純粋な問いに、九十九と佐竹の顔から、血の気が引いていくのがわかった。
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