第6話:仮面の告白、裸の真心
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第四幕:仮面を脱いで、本当の朝へ
女神が舞い降りた、あの夜から数日後。
横浜九十九課の扉を、コンコン、と控えめにノックする音がした。
「……どうぞ」
未華子が応じると、そこに立っていたのは、見覚えのある顔をした、「全く知らない男」だった。
完璧に整えられていた黒髪は少し伸び、無造作なウェーブがその額に落ちている。
上質なスーツに代わって彼が纏っていたのは、身体のラインを美しく拾う革ジャンと、肌に馴染む無地のTシャツ。
一見ラフだが、そのどれもが選び抜かれた品であることを、独特の落ち感と質感が物語っている。
そして、綺麗に剃られていた顎には、うっすらと無精髭が蓄えられている。
だが、何よりも違ったのは、その瞳の光だった。
「好青年」の仮面を脱ぎ捨てた彼の顔は、どこか吹っ切れたような、少しだけやんちゃで、無骨な色気を湛えていた。
「……佐竹、さん?」
「……よぉ」
彼は、気まずそうに頭を掻くと、事務所の中に足を踏み入れた。
ソファに座っていた杉浦は、彼を見るなり、ぷい、とそっぽを向く。
デスクの九十九は無言のまま、レンズの奥の鋭い視線で、その「新しい姿」をスキャンするように観察していた。
重い沈黙の中、男は三人の前に立ち、深く、長く、頭を下げた。
「いろいろ、迷惑かけた。……本当にすまなかった」
そのまま顔を上げ、彼は一呼吸置いてから、本当の名を口にした。
「俺の本名は、
その告白に、杉浦が小さく舌打ちを漏らす。
「……へぇー。じゃあ、あの人の良さそうな雰囲気は、全部演技だったってわけ?」
その棘のある言葉に、佐竹は困ったように眉を下げた。
「……ああ。まあ、そうなるな」
「では、税理士の資格は? あれも嘘なんですか?」
九十九が、畳み掛けるように尋ねる。
「いや、資格は本物だ。公安の力で、佐竹幸人名義の戸籍は用意してあったから、それで正規に取得した」
「……ふーん」
それまで黙っていた未華子が、腕を組み、冷たい声で言った。
「じゃあ、『未華子さんの淹れるコーヒーは、本当に美味しいです』って、あのキラキラした目で言ってたのも、全部演技だったってこと?」
ピンポイントすぎる指摘に、佐竹は、本気で狼狽えた。
「……いや、あれは……その、コーヒーは本当に美味しいと思ってて……」
しどろもどろに言葉を紡ぐ彼の姿に、九十九、杉浦、そして未華子の三人は、もう限界だった。
「ぷはっ……!」
堪えきれなくなった笑い声が、事務所に弾ける。
「フヒヒヒヒ……! 杉浦氏、未華子氏! もう、その辺にしてあげなされ!」
「……え?」
きょとんとして固まる佐竹に、九十九は眼鏡の奥の瞳をいたずらっぽく細めた。
「あなたの本名が松田仁であることも、公安のエースだったことも、趙殿やソンヒ殿からとっくに聞いておりますぞ! ボクの調査でも、裏は取れてますので!」
そう。三人は、すべてを知った上で、さんざん騙し通してくれた彼へのささやかな「意趣返し」を楽しんでいたのだ。
「……んだよ、それ」
彼は毒気を抜かれたように、ソファに深くへたり込んだ。
「でもさ。公安、辞めたんだって?」
杉浦が、まだ少しだけ拗ねたような口調で尋ねる。
「ああ。……一悶着あったが、俺から辞めてきた」
佐竹の瞳に、強い光が宿る。
「……実を言うとな、上のお偉いさん方からは、かなり感謝されたんだよ。『迫田の暴走を、最小限の被害で食い止めてくれた』ってな。おかげで、俺の今回の『裏切り』は、不問に付されるどころか、ちょっとした『手柄話』にすり替わってるらしい」
吐き捨てるような、皮肉な響き。
それは自慢でも謙遜でもない。
組織という怪物が、自分たちの体裁を守るために事実を歪めていく様への、隠しきれない嫌悪だった。
迫田が独断で進めた、過激な「異人町制圧作戦」。
それは警察組織全体から見れば、いつ爆発してもおかしくない厄介な時限爆弾でしかなかった。
佐竹が成し遂げたのは、その爆弾を最小限の「殉職者」という犠牲だけで処理し、その全ての泥を「ベイサイド・サーベル」という半グレ集団に押し付けるという、離れ業だったのだ。
公安の上層部にとって、彼は裏切り者ではない。
組織のスキャンダルを未然に防いだ、最高の「火消し役」。
そして何より、今の彼は横浜流氓、コミジュル、横浜星龍会、東鞘会……これら全てのトップから個人的な「貸し」を持つ、唯一の男。
組織が、そんな最高の「パイプ役」を手放すわけがなかった。
降格どころか、待っていたのは異例の昇進と、将来の幹部入りが約束された椅子。
『これからもその『人脈』を維持し、組織のために尽力せよ――』
それが、組織が彼に下した「評価」のすべてだった。
「―――だが、俺は、降りた」
彼の声が、一段、低くなる。
「……公安なんて仕事は、お国の正義ために自分の全てを捧げるような、イカれた連中がやることだ。…そこに、一度でも『本当にこれでいいのか』なんて、疑問を持ってしまった」
彼の視線が、床の一点を見つめる。
「―――そんな人間は、もう"公安"にはふさわしくない」
彼は、決して口にはしなかった。
その疑念の引き金を引いたのが、目の前にいる、たった一人の女だったということを。
どんな言い訳を並べようと、自分は組織を、そして、共に歩んできた仲間を裏切った。
――ただ、たった一人の女を守りたいという、私情のためだけに。
「……それに」
彼は顔を上げた。
その瞳には、迷いを断ち切った男の強さが宿っている。
「コミジュルや横浜流氓に潜入していた仲間を、結果的に売ったのも事実だ。……まあ、そういうことだよ」
「……………俺の、プライドの問題だ」
一切の虚飾を排した、真っ直ぐな矜持。
杉浦は言葉を失った。
だが、その横顔には、組織という大きな盾を捨て、ただ一人の男として己の筋を通した目の前の男に対する、純粋な敬意が滲んでいた。
未華子の胸にも、チクリと、小さな痛みが走る。
騙されたことへの怒りよりも、彼が背負ったものの重さが、今は気にかかっていた。
「……後悔は、してないの?」
未華子が尋ねると、佐竹は、にやりと笑った。
「全くな。むしろ、せいせいしてる。……ただ」
彼は、少しだけ、遠い目をした。
「一つだけやり残したことがある。数年前から、ずっと追ってる事件が……」
その言葉に、九十九のメガネがキラリと光った。
「ならば、話は早い!」
九十九はバッと立ち上がると、高らかに宣言した。
「松田仁……いえ、佐竹殿! あなたを、横浜九十九課の四人目のメンバーとして、正式にスカウトいたしますぞ!」
「……は?」
「ここで働きながら、その事件を追えばいい! 我々も全力で協力いたしましょう! その代わり、あなたの卓越した能力、ウチのために存分に振ってもらいますぞ!」
唐突なスカウト。
だがそれは、彼らが松田仁という男を、佐竹幸人という人間を、その全てをひっくるめて仲間として受け入れた、何よりの証だった。
「……いいのか? 俺はお前らを……」
「いいんじゃない?」
未華子が、あっけらかんと言った。
「うちは慢性的な人手不足だし、経理のできるイケメンなら大歓迎だよ。……まあ、当分は、パシリだけどね~」
からかうような、けれど一点の曇りもない笑顔。
それまで腕を組んで黙っていた杉浦も、ようやく、といった風に口を開いた。
「……僕も、賛成」
杉浦は少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐに佐竹の目を見つめて、言った。
「……喧嘩、強そうだし」
「…………」
「……それに、こんなエリートをパシリにできる機会なんて、そうそうないじゃん?」
皮肉の効いた、杉浦なりのユーモア。
その奥にある「仲間として認める」という不器用なメッセージを受け取り、佐竹は呆れたように、けれどどうしようもなく嬉しそうに笑った。
「……わかったよ。じゃあ改めて。これからも、よろしく頼む。所長、杉浦、未華子」
こうして、横浜九十九課に、四人目の仲間が加わった。
偽りの星空の下で始まった彼らの物語は、今、本物の絆となって、新しい光を放ち始めたのだ。
第六話:終
