第6話:仮面の告白、裸の真心
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約束の場所、古びた雑居ビルの5階。
フロアの扉を開けると、そこにいたのは、タバコの煙を燻らせる十数人の半グレ集団だった。
そして、その中央。
玉座にでも座るかのようにパイプ椅子に腰かけていたのは――佐竹幸人だった。
その顔に、いつもの優しい笑顔はない。
ただ、全てを小馬鹿にしたような、冷たい嘲笑が浮かんでいるだけだった。
「……ようこそ、未華子さん。よく来てくれましたね、一人で」
「佐竹、さん……? やっぱり…あなたは………」
「ああ、ご名答。俺が、この『ベイサイド・サーベル』のリーダーですよ」
彼が、わざとらしくスーツの胸元をはだけさせる。
そこには、心臓を貫くかのように、一本の鋭いサーベルのタトゥーが刻まれていた。
絶望だけが、未華子の全身を支配する。
「……そっか」
未華子の唇から、ひび割れたような声が漏れる。
「……ぜんぶ、嘘だったんだ」
その問いに答える代わりに、佐竹はただ冷たく笑うだけだった。
その歪な表情を認めた瞬間、胸の中にあった疑念の破片が、音を立てて噛み合った。
やっぱり、そうだった。
趙たちの忠告は、正しかった。
それを心のどこかで信じたくなくて、ここまで来てしまった愚かさが、何よりも鮮明に浮き彫りになる。
未華子は、自嘲を込めて小さく鼻で笑った。
その瞳からは既に湿り気が失われ、ただ冷徹な諦観だけが、静かに底を打っていた。
「……あんな、ロマンチックな告白までして」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
「……さぞ、私に取り入るのは、簡単だったでしょうね」
それは、もはや問いかけではない。
どうしようもない自己嫌悪と、目の前の男への最大限の軽蔑を込めた言葉だった。
痛々しくも気高い、彼女の最後の抵抗に。
佐竹の顔から、一瞬だけ笑みが消え、複雑な何かがよぎる。
だが彼は、すぐに嘲笑をその顔に貼り付けた。
「当たり前じゃないですか」
彼の言葉は、氷のように冷たかった。
「横浜流氓の元総帥・趙天佑と、コミジュルのソンヒ。そして、あの東鞘会の十朱雅にまで目をかけられている、あなた。……最高の情報源でしたよ。おかげで、連中の金の流れも警備体制も、面白いように手に入った」
無慈悲な言葉に、未華子の瞳から光が消える。
――“一番信用できそうな顔の奴が、一番、ヤバい牙を隠し持っている”
趙が言っていた通り。
あのマフラーの温もりも。
方向音痴で、可愛いと思ってしまったあの素顔も。
その全てが、自分をこの場所におびき寄せるための、完璧な「餌」にすぎなかった。
絶望が、怒りへと変わっていく。
未華子は、震える唇で、最後の言葉を絞り出した。
「……………最低」
その時、ビルの外が急に騒がしくなった。
パトカーのサイレン。
拡声器の声。
「派手に動きすぎたかな。まあいい。潮時だ」
佐竹が腰を浮かせた、まさにその時だった。
フロアの鉄扉が、凄まじい衝撃音とともに内側へひしゃげ、吹き飛んだ。
逆光を背に、二つの影が踏み込む。
杉浦と趙だ。
「――てめぇ、佐竹……!」
杉浦の低く鋭い咆哮が、地下の淀んだ空気を切り裂く。
それと同時に、二つの影は、狼の群れへと飛び込む二頭の虎のように、ベイサイド・サーベルのチンピラたちへと躍りかかった。
杉浦の跳躍が先行する。
予測不能な軌道を描く回し蹴りが、先頭の男の手から鉄パイプを奪い、その顎を正確に打ち抜いた。
続く趙の青龍刀が、空気を震わせる重厚な唸りを上げる。
閃光のような一閃が、男たちの盾ごと、その戦意を根こそぎ断ち切った。
抵抗の術すら見出せぬまま、男たちは次々とコンクリートの床に沈んでいく。
わずか十数秒。
そこには、立ち上がる力も奪われた男たちの、浅い呼吸音だけが取り残されていた。
佐竹は、その圧倒的な暴力の饗宴を、まるでつまらない映画でも見るかのように、ただ静かに見つめていた。
そして、全ての雑魚が片付いた後。
彼は、ゆっくりと、こちらへと向き直る。
その心底楽しそうな笑顔に、未華子は吐き気すら覚えた。
「……さすがだな。…だけど、遅かったじゃないか」
追い詰められた彼は、未華子の首筋に冷たいナイフを突きつけると、彼女を人質に、じり、と後ずさった。
そして、大きく開かれた窓枠に腰掛ける。
地上5階、吹き込む夜風。
落ちれば、無傷では済まない。
「動くなよ。動けば、この女の喉を掻き切る」
絶望的な状況。
杉浦と趙の動きが、ぴたり、と止まる。
だが、未華子の瞳は、まだ、死んではいなかった。
(……もう、自分のせいで、誰かが傷つくのを見たくない)
(私が選んでしまった間違いは。…私が、終わらせる)
彼女は、自分を抱きかかえている、裏切り者の横顔を見上げた。
汗が僅かに滲む、俳優のように整った横顔。
こんな危機的な状況でさえ、その容姿の完成度に意識を割いてしまう。
そんな己の
そして、次の瞬間。
彼女は残された力のすべてを振り絞り、震える唇を目の前の男の口元へ、強く、深く、叩きつけるように押し当てた。
「―――っ!?」
不意を突かれた男の瞳に、明らかな動揺が走る。
隙のない仮面を被っていたその表情が劇的に崩れ、身体から一瞬の弛緩が生まれた。
ナイフを握りしめていた指先がわずかに浮いた、その刹那。
(……これで、終わり)
自分を拘束していた佐竹の左腕を全力で振りほどき、彼女は窓の外、夜の虚空へと迷わず身を投げ出した。
死んでもいい。
ただ、このゲームを終わらせるための、最短距離。
それだけを、考えて。
「―――しまっ……!」
佐竹の低い呻き。
彼が我に返った時。
思考より先に、その身体が動いていた。
彼の右手が、虚空へと落ちていく未華子の手首を辛うじて掴んだ。
だが、落下する質量は容赦なく、佐竹の身体ごと窓の外へと引きずり込んでいく。
「未華子ちゃんっ!!」「おいっっっ!!!」
杉浦と趙が、絶望を振り切る速度で踏み込んだ。
二人の身体が夜の闇に呑まれる直前、四本の腕が、絡み合う運命を力技で繋ぎ止める。
落下していく未華子の右腕を杉浦が、彼女を掴んだまま宙に浮いた佐竹の左腕を趙が、それぞれ同時に掴み取ったのだ。
窓枠を支点とした、歪な人間の鎖。
佐竹は右手で未華子を掴み、空いた左手で窓の縁を掴んではいたが、趙のサポートがなければ、その指はとうに力尽きていたはずだ。
「……へ……助かった……?」
眼下に広がるアスファルトを視界の隅に捉えながら、未華子が呆然と呟く。
「今、引き上げる!」
杉浦と趙の、怒声にも似た声。
二人は背筋に力を込め、まず未華子の身体を強引に室内へと引き戻す。
床に倒れ込む未華子。
その一瞬の隙。
「……………っ」
佐竹は短く舌打ちを刻むと、自らの腕力のみを頼りに、しなやかな動作で窓枠へと這い上がった。
一度だけ、佐竹がこちらを振り返る。
その瞳には、これまで見せたことのない剥き出しの葛藤と、逃れようのない苦悩が混ざり合ったような色が浮かんでいた。
だが、それも一瞬のこと。
彼は一言も発することなく、夜の闇へとその身を翻した。
そして、彼が消えていった扉から、入れ違うかのように。
ガシャン! という破壊音とともに、武装した警察官たちがなだれ込んできた。
「動くな! 全員そこを動くな!」
交差する怒声とタクティカルライトの光。
残されたのは、粉々に砕け散った信頼の残骸と、辛うじて繋ぎ止めた命の絆だけ。
そして、この歪な事件のどこにも見当たらない「正解」を求めて、未華子の思考だけが、冷え切った夜の底を彷徨っていた。
