第4話:王の戯れ、龍の目覚め
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スピンオフ:不在の理由、相棒の眼差し【杉浦SIDE】
静かだ。
レンガ調の壁に西日が当たり、事務所全体が柔らかいオレンジ色に染まる時間。
杉浦文也は、手元のゲーム機から顔を上げ、がらんとした事務所を見渡した。
橘未華子が帰省して、一週間が経つ。
たった一人いないだけなのに、この秘密基地は、まるで明かりが一つ消えたかのように静まり返っていた。
数ヶ月前に彼女が横浜に来てからというもの、事務所の空気が変わった。
コーヒーのいい匂いがするようになった。
散らかりがちだった書類が、いつの間にか綺麗に整理されている。
そして何より、九十九が、以前よりもずっと楽しそうなのだ。
……だが、今は少し違う。
いつもなら聞こえるはずの、彼女がキーボードを打つ軽快な音も、コーヒーを淹れる香りもしない。
「……暇だね、九十九くん」
「ですな。やはり、未華子氏がいないと事務所の活気が30%はダウンしますぞ」
デスクのモニター群から視線を外さずに、九十九誠一が応える。
その声も、どこか手持ち無沙汰に聞こえた。
杉浦は、ゲームをセーブすると、ソファにごろりと寝転がった。
天井の、静かに回り続けるファンを見つめる。
――未華子が来てから、本当に色々なことがあった。
逆上したチンピラによる腹いせで連れ去られたかと思えば、中華マフィアの元トップ(趙)に命を救われ、そのせいで拉致され、ひどい目にも遭った。
元新聞記者としての血が騒いだ結果、埠頭で爆発に巻き込まれ、また命を狙われた。
思い返すだけで、ゾッとする。
普通の女性なら、とっくにこの街から逃げ出していてもおかしくない。
「……あの子さ。『一度は実家に帰る』って決めたのに、なんで戻って来てくれたんだろ」
ポツリと、独り言のようにもれた言葉。
「このまま地元でのんびりしてれば、もうこれ以上危ない目に遭わずに済むのに」
それは、杉浦の純粋な疑問であり、彼女の身を案じるが故の本音だった。
その言葉に、九十九はくるりと椅子を回転させ、初めて杉浦の方を向いた。
いつものハイテンションな雰囲気はなく、そのメガネの奥の瞳は、全てを見透かすように、静かに杉浦を捉えている。
「――杉浦氏。それは、野暮というものですぞ」
「……なにが」
「未華子氏が、なぜこの街に、この事務所に戻ってきてくれたのか。その理由を、あなたが一番よくわかっているはずです」
九十九の真っ直ぐな視線に、杉浦は思わず目を逸らした。
「……さあね。僕にはわかんないよ」
とぼけてみせても、無駄だった。
この男には、何もかもお見通しなのだ。
九十九は、ふ、と少しだけ笑みを浮かべると、諭すように続けた。
「ボクはハッカーです。専門は、情報と論理と確率。でも、未華子氏がここに戻ってきたのは、そのどれにも当てはまらない、非論理的な感情に基づいている」
「……感情?」
「ええ。――そしてそれは、あなたも同じでは?」
図星だった。
あの日、ビデオ通話の画面の向こうで、声を殺して泣いていた彼女。
あの涙を見た瞬間から、杉浦の中の何かが決定的に変わってしまった。
守りたい。
ただ、それだけじゃない。
彼女が笑っていてくれるなら、なんだってできる。
そう、本気で思ってしまったのだ。
(……僕も、か)
無意識に口元が緩む。
強くて、脆くて、そして目が離せない人。
あの日、誓った。
今度こそ、守り抜く、と。
「……僕のせいで、あの子を何度も危険な目に遭わせたんだ。僕がもっとちゃんとしてれば……」
「それは違いますぞ」
九十九は、杉浦の後悔の言葉をきっぱりと遮った。
「あなたは、いつだって彼女を命がけで守ってきた。そして未華子氏も、それをわかっている。だからこそ彼女は、あなたがいるこの街を選んだ。……違いますかな?」
相棒からのストレートな言葉。
杉浦は、照れ臭さと、心の奥を見抜かれた気まずさで、何も言えなくなった。
そんな杉浦の様子を見て、九十九は満足そうに頷くと、悪戯っぽく笑った。
「まあ、そういうわけですので。杉浦氏には、これからもっと頑張ってもらわねばなりませんな!」
「……えっ? なんでだよ」
「決まってるじゃないですか! 我らが横浜九十九課の紅一点、未華子氏を泣かせるような輩は、たとえ地の果てにいようとも、ボクのハッキング能力で探し出し、杉浦氏の電光石火の蹴りで制裁を加える! この鉄壁のコンビネーションで、彼女を守り抜くのですぞ!」
大仰ながらも、どこまでも真っ直ぐな宣言。
杉浦は呆れたように、でもどうしようもなく嬉しそうに小さく吹き出した。
「……ほんと、九十九くんには敵わないや」
そうだ。
一人で抱え込む必要なんてない。
自分には、こんなにも頼りになる最高の相棒がいるのだから。
――時計をふと見る。
今日は、未華子が横浜に帰って来る日なのだ。
「……そろそろ、新幹線に乗り換えた頃かな?」
「ですな。帰ってきたら歓迎会ですぞ! ボク、とっておきのデリバリーピザのクーポンを確保してあります!」
がらんとしていた事務所の空気が、少しだけ、色を取り戻した気がした。
杉浦は、ポケットからスマートフォンを取り出すと、メッセージアプリを開く。
『新横浜駅まで迎え行くね』
たったそれだけの文章を、打っては消し、打っては消しを繰り返していた。
この穏やかな時間が、一日でも長く続けばいいのに。
柄にもなく、そんなことを願ってしまっている自分がいた。
夕日が完全に沈み、伊勢佐木異人町が、その本当の顔を見せ始める。
この街の闇は、まだ彼らに、つかの間の休息を許してくれているようだった。
<了>
静かだ。
レンガ調の壁に西日が当たり、事務所全体が柔らかいオレンジ色に染まる時間。
杉浦文也は、手元のゲーム機から顔を上げ、がらんとした事務所を見渡した。
橘未華子が帰省して、一週間が経つ。
たった一人いないだけなのに、この秘密基地は、まるで明かりが一つ消えたかのように静まり返っていた。
数ヶ月前に彼女が横浜に来てからというもの、事務所の空気が変わった。
コーヒーのいい匂いがするようになった。
散らかりがちだった書類が、いつの間にか綺麗に整理されている。
そして何より、九十九が、以前よりもずっと楽しそうなのだ。
……だが、今は少し違う。
いつもなら聞こえるはずの、彼女がキーボードを打つ軽快な音も、コーヒーを淹れる香りもしない。
「……暇だね、九十九くん」
「ですな。やはり、未華子氏がいないと事務所の活気が30%はダウンしますぞ」
デスクのモニター群から視線を外さずに、九十九誠一が応える。
その声も、どこか手持ち無沙汰に聞こえた。
杉浦は、ゲームをセーブすると、ソファにごろりと寝転がった。
天井の、静かに回り続けるファンを見つめる。
――未華子が来てから、本当に色々なことがあった。
逆上したチンピラによる腹いせで連れ去られたかと思えば、中華マフィアの元トップ(趙)に命を救われ、そのせいで拉致され、ひどい目にも遭った。
元新聞記者としての血が騒いだ結果、埠頭で爆発に巻き込まれ、また命を狙われた。
思い返すだけで、ゾッとする。
普通の女性なら、とっくにこの街から逃げ出していてもおかしくない。
「……あの子さ。『一度は実家に帰る』って決めたのに、なんで戻って来てくれたんだろ」
ポツリと、独り言のようにもれた言葉。
「このまま地元でのんびりしてれば、もうこれ以上危ない目に遭わずに済むのに」
それは、杉浦の純粋な疑問であり、彼女の身を案じるが故の本音だった。
その言葉に、九十九はくるりと椅子を回転させ、初めて杉浦の方を向いた。
いつものハイテンションな雰囲気はなく、そのメガネの奥の瞳は、全てを見透かすように、静かに杉浦を捉えている。
「――杉浦氏。それは、野暮というものですぞ」
「……なにが」
「未華子氏が、なぜこの街に、この事務所に戻ってきてくれたのか。その理由を、あなたが一番よくわかっているはずです」
九十九の真っ直ぐな視線に、杉浦は思わず目を逸らした。
「……さあね。僕にはわかんないよ」
とぼけてみせても、無駄だった。
この男には、何もかもお見通しなのだ。
九十九は、ふ、と少しだけ笑みを浮かべると、諭すように続けた。
「ボクはハッカーです。専門は、情報と論理と確率。でも、未華子氏がここに戻ってきたのは、そのどれにも当てはまらない、非論理的な感情に基づいている」
「……感情?」
「ええ。――そしてそれは、あなたも同じでは?」
図星だった。
あの日、ビデオ通話の画面の向こうで、声を殺して泣いていた彼女。
あの涙を見た瞬間から、杉浦の中の何かが決定的に変わってしまった。
守りたい。
ただ、それだけじゃない。
彼女が笑っていてくれるなら、なんだってできる。
そう、本気で思ってしまったのだ。
(……僕も、か)
無意識に口元が緩む。
強くて、脆くて、そして目が離せない人。
あの日、誓った。
今度こそ、守り抜く、と。
「……僕のせいで、あの子を何度も危険な目に遭わせたんだ。僕がもっとちゃんとしてれば……」
「それは違いますぞ」
九十九は、杉浦の後悔の言葉をきっぱりと遮った。
「あなたは、いつだって彼女を命がけで守ってきた。そして未華子氏も、それをわかっている。だからこそ彼女は、あなたがいるこの街を選んだ。……違いますかな?」
相棒からのストレートな言葉。
杉浦は、照れ臭さと、心の奥を見抜かれた気まずさで、何も言えなくなった。
そんな杉浦の様子を見て、九十九は満足そうに頷くと、悪戯っぽく笑った。
「まあ、そういうわけですので。杉浦氏には、これからもっと頑張ってもらわねばなりませんな!」
「……えっ? なんでだよ」
「決まってるじゃないですか! 我らが横浜九十九課の紅一点、未華子氏を泣かせるような輩は、たとえ地の果てにいようとも、ボクのハッキング能力で探し出し、杉浦氏の電光石火の蹴りで制裁を加える! この鉄壁のコンビネーションで、彼女を守り抜くのですぞ!」
大仰ながらも、どこまでも真っ直ぐな宣言。
杉浦は呆れたように、でもどうしようもなく嬉しそうに小さく吹き出した。
「……ほんと、九十九くんには敵わないや」
そうだ。
一人で抱え込む必要なんてない。
自分には、こんなにも頼りになる最高の相棒がいるのだから。
――時計をふと見る。
今日は、未華子が横浜に帰って来る日なのだ。
「……そろそろ、新幹線に乗り換えた頃かな?」
「ですな。帰ってきたら歓迎会ですぞ! ボク、とっておきのデリバリーピザのクーポンを確保してあります!」
がらんとしていた事務所の空気が、少しだけ、色を取り戻した気がした。
杉浦は、ポケットからスマートフォンを取り出すと、メッセージアプリを開く。
『新横浜駅まで迎え行くね』
たったそれだけの文章を、打っては消し、打っては消しを繰り返していた。
この穏やかな時間が、一日でも長く続けばいいのに。
柄にもなく、そんなことを願ってしまっている自分がいた。
夕日が完全に沈み、伊勢佐木異人町が、その本当の顔を見せ始める。
この街の闇は、まだ彼らに、つかの間の休息を許してくれているようだった。
<了>
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