第4話:王の戯れ、龍の目覚め
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[数日後。横浜・伊勢佐木異人町]
未華子が横浜へ戻った、数日後の夜。
快気祝いと、帰郷報告会を兼ねて。
横浜九十九課の3人と、すっかり未華子のお目付け役が板についた鉄爪を交え、佑天飯店で「未華子お帰り会」が開かれていた。
店の主である趙は、コミジュルの医療施設を退院したばかり。
まだ本調子ではないのか、厨房には立たずカウンター席に座り、楽しそうにその宴を見守っている。
「いやーしかし、趙さんもみーちゃんも、無事で何よりだったな!」
鉄爪が安堵の息を漏らす。
和やかな空気が店を包む。
杉浦も、心からの笑顔を浮かべる未華子の顔を見て、自然と口元が緩んでいた。
――その時、カラン、と店の扉が開いた。
入ってきた男の姿を見て、場の空気が一瞬で凍りついた。
鉄爪は、ガタッと音を立てながら椅子から反射的に立ち上がると、直立不動の姿勢から、びしりと腰を曲げて敬礼する。
「……総帥」
そこに立っていたのは。
未華子が地元で出会った、あの李と名乗る男、その人だった。
――いや、違う。
その男が纏う空気は、あの田舎町で会った時とは、全く別物だった。
寸分の狂いもなく、完璧に着こなされた、漆黒の高級スーツ。
そのただならぬオーラは、もはや敏腕ビジネスマンのそれではない。
店の入り口付近には、護衛であろう屈強な男たちが、数人、壁のように立ちはだかっている。
彼は、驚きに目を見開く未華子を一瞥すると、興味なさそうに視線を外し、まっすぐにカウンターの奥にいる趙を見据えた。
「ふっ…。2発ぶち込まれた割には、元気そうだな」
その声には、地元で会った時のような親しみやすさはない。
この世の全てを見下しているかのような、氷のような冷たさだけがあった。
趙は、カウンターに肘をついたまま、やれやれ、という顔で言った。
「…ったく。お前が来ると、うちの若い衆がビビっちゃって、店の雰囲気がぶち壊しになるんだよな〜。……で? こんなとこまで何の用?」
その男は、趙の軽口には答えず、こう続けた。
「……お前のこの店で、使ってほしい男がいる」
「……は?」
「お前が行方知れずになっている間に、そこにいる女を逆恨みした、お前の"忠実な部下"のことだ。『元総帥がいなくなったのは、あの女のせいだ』、とかな」
その冷たい視線が、顎で、未華子の方向を示す。
―――逆恨み。
その言葉に、未華子は全身の血の気が引くのを感じた。
あの日の三凪駅。
黒いジャージの男が自分に突進してきた、あの光景。
(……まさか、あれは。……私を狙って……!?)
全てが線で繋がった。
店のドア付近に立っていた屈強な護衛たちが、一人の男の腕を掴み、店内へと乱暴に引きずり込んだ。
その情けない顔を見て、未華子はさらに息を呑んだ。
まさしく、三凪駅で自分に突進してきた、あの黒いジャージの男。
そして「味仙」で必死に中華鍋を振っていた、あの「従業員」だったからだ。
「―――この男、どうやら料理の腕は悪くないらしい。……この店で使ってやれ」
「…………」
「……これは命令だ」
あまりに一方的な宣告。
それだけ言うと、彼は踵を返し店の外へと向かった。
そして、そのすれ違いざま。
彼の鋭い、氷のような視線が、確かに未華子を射抜いた。
その圧倒的な存在感の前に、彼女は身動き一つできなかった。
嵐が去った後の、佑天飯店。
張り詰めていた空気が、ようやく緩む。
鉄爪が「はあああああ〜〜〜……」と、心の底からの長いため息をつき、椅子へと崩れ落ちた。
その額には、びっしりと汗が浮かんでいる。
「……だ、大丈夫ですかな? 鉄爪殿」
九十九が心配そうに声をかけると、彼は、まだ少しだけ震えている声で答えた。
「……ああ。…いや、すまん。…あのお方の前では、どうにも身体が固まっちまう」
「……あの人、一体、何者なの?」
杉浦のその純粋な問いに、鉄爪は表情を引き締めた。
そして、声を潜めて語り始めた。
「……まず、お前らにとって一番身近な顔で言やあ、この伊勢佐木異人町を支配する『異人三』の一角。横浜流氓の、今の総帥だ。その名は
「流氓の、今のトップ……!?」
「ああ。だがそれは、あの人のいくつもある顔の一つに過ぎねえ」
鉄爪はそこで一度言葉を切り、カウンターの奥にいる趙へと視線を送った。
趙は、静かに頷いた。
鉄爪は、続けた。
「―――あの人の本当の顔。それは、

その、あまりにスケールの大きすぎる話。
そして、鉄爪は3人にこっそり囁くように、こうも付け加えた。
「…十朱会長こと劉総帥の父親は、流氓の幹部だったんだ。親父さんが総帥だった趙さんと同じく、この異人町で『王』になるべく育てられた。2人は幼馴染っつうか、“ライバル”ってやつだな。でも、劉総帥が若い頃に異人町を出てってから、ずっと趙さんとは折り合いが悪いみたいで……。それが数年前、ソンヒさんの後釜として流氓のボスになったんだよ。あのときは激震が走ったね。『若が異人町に帰って来るぞ』ってな」
九十九も杉浦も未華子も、ただ息を呑むことしかできなかった。
今度は、趙が重い口を開いた。
「……みーちゃんが気になってるであろう、地元の駅での一件の種明かしもしないとだねぇ」
趙は、店の隅で未だに震えているジャージの男を顎でしゃくった。
――趙が、行方知れずになっていた一週間。
流氓の内部では「趙は死んだ」という、噂が独り歩きしていた。
そしてその矛先は、全ての元凶である未華子へと向かった。
「すべての元凶である、探偵事務所のあの女への復讐」を叫ぶ、血気にはやる若い衆。
鉄爪たちが必死で抑えていたが、その監視の目を盗んで暴走したのがこの男だったのだ。
未華子を追いかけ新幹線にまで乗り込み、故郷の駅で事を起こそうとしていた、と。
「……で、そのくだらないお遊戯をさ、俺より先に察知しちゃったのが、あのお節介なかいちょー様だった、ってワケ」
趙が心底、面倒くさそうに言う。
「どうせ、ヘリかなんかでも飛ばしたんじゃないのぉ? …で、駅で先回りしてみーちゃんを守ってくれました、と。まあどうせ、俺に恩を売りたかっただけなんだろうけど。あと、地元でみーちゃんに名乗ってた名前やら肩書きやらも、100%嘘だろうね」
壮大で、あまりに現実離れした物語。
未華子は信じられなかった。
自分の知らないところで、命を狙われていたという事実。
そして何よりも。
あの「味仙」で、優しく自分の話を聞いてくれた李さんが。
この国の裏社会を牛耳る絶対的な支配者、十朱雅であったという、その残酷なまでの真実。
頭がぐらぐらする。
目の前の世界が歪んでいくような感覚。
彼女は、ただ、呆然と話を聞くことしかできなかった。
*
あの夜、佑天飯店で衝撃の事実を知ってから。
十朱雅、という男の存在が重い影となって、未華子の心にのしかかっていた。
九十九課でのいつも通りの日常。
杉浦とくだらないことで笑い合い、九十九と皮肉を言い合う。
その平和な時間の中にいても、ふとした瞬間に思い出してしまう。
あの、全てを見透かすような氷の瞳。
そして、佑天飯店でのあの再会以降、街を歩いていると、常にどこかで誰かに見られているような奇妙な感覚に囚われていた。
――そして、その日は突然やってきた。
数日後の夜。
九十九課での仕事を終え、自宅へと一人向かう帰り道。
伊勢佐木異人町の雑踏の中で。
未華子は、ふと、周りの空気の流れが変わったことに気づいた。
音もなく、黒いスーツに身を包んだ複数の男たちが、彼女の周りを静かに取り囲んでいたのだ。
だが、彼らはこれまで相対したことあるようなチンピラとは違い、一切の殺気を放っていない。
ただ静かに、そこに存在するだけ。
そして、彼らが作る円陣のその先に。
裏社会の人間とは思えないほど、端正でどこか育ちの良さを感じさせる顔立ちの、鋭い目つきをした、中国人風の男が静かに立っていた。
「―――橘未華子さん。…我々の
男は、
彼のどこまでも丁寧で、しかし一切の拒絶を許さないその態度に。
未華子は、抵抗が無意味であることを悟った。
黒塗りの高級車に乗せられ、着いた先。
そこは、横浜中華街のさらに奥、飯店小路に竜のようにそびえ立つ、横浜流氓のアジト「慶錦飯店」。
通されたのは、息を呑むほど豪華絢爛な最上階の会長室。
大きなガラス張りの窓からは、まるで宝石箱をひっくり返したような横浜・みなとみらいの夜景が一望できる。
そしてその光を背に、玉座のような椅子に腰かけていたのは。
やはり、あの男だった。
十朱雅。
「―――ようこそ、俺の城へ。……驚かせたかな」
その声はもちろん、地元で会ったあの優しい「李」のものではない。
絶対的な支配者としての、十朱雅の声だった。
「……何の、ご用件でしょうか」
目の前の男の圧倒的な存在感の前に、恐怖と緊張で声が震えそうになるのを、必死でこらえる。
十朱は、ゆっくりと椅子から立ち上がると、音もなく未華子の目の前まで歩み寄ってきた。
その氷のような瞳に見つめられると、心の奥の奥まで全て見透かされているような気分になる。
「……君は面白い女だ。…俺がこれまで見てきた、どの女とも違う」
「…………」
「裏社会の連中を前にしても、物怖じしない。自分の足で立ち、自分の頭で考え、自分の言葉で話す。……そして」
彼の指が、そっと、未華子の顎に触れた。
その、ぞくりとするほど冷たい感触に、びくりと身体が震える。
同時に、彼の身体から、ふわり、と香りがした。
三凪駅で助けられたときに感じたのと同じ、甘く官能的で、どこか心を鎮めるような白檀(サンダルウッド)の気品のある香り。
その大人の匂いに、未華子の思考が一瞬だけ麻痺する。
「……驚くほど、無防備に、人の懐に飛び込んでくる」
その言葉の、本当の意味。
未華子は、ただ、息を呑むことしかできなかった。
「―――だから、俺のそばにいろ。……俺の女になれ」
「……は…………!?」
予想外で、一方的すぎる宣告。
未華子は、完全に言葉を失った。
だが、その衝撃と混乱の中から、彼女の心の奥深くにあった一つの譲れない「矜持」が燃え上がる。
「…………お断りします」
未華子は彼の指を振り払い、一歩後ずさると毅然として顔を上げた。
「……あ、あなたの、言っている意味が分かりません。私は、あなたのような方の隣にいるような人間ではありませんので」
その声は頑なな意思を示しながらも、わずかに震えていた。
目の前にいる、絶対的権力者への底なしの恐怖。
それを、隠しきれてはいない。
そんな彼女の精一杯の強がりを、十朱はまるで子供の戯言でも聞くかのように、ふ、と鼻で笑った。
そして、ゆっくりと語り始める。
その声は、どこまでも静かで冷徹だった。
「……金か?」
「…………」
「……それとも、地位か?」
彼は窓の外の横浜の夜景へと視線を移す。
「……どちらも心配する必要はない。…君が大学時代から抱えている奨学金の残債、約280万。それと君の実家の住宅ローンの残債、約1850万」
「―――っ!?」
未華子は息を呑んだ。
なぜ彼が、そんなプライベートな情報を。
「それら全て、俺が今この場で肩代わりしてやってもいい。…ああ、君が先日壊してしまったスーツケースの買い替え費用も付けてやろう。リモワの最新モデルでどうだ?」
緻密で正確すぎる情報。
彼は、彼女の、そして、その家族の全てを調べ上げた上でここに立っている。
「―――望むものは何でも与える。…それでも不服か?」
「……あなたたちの世界の、その傲慢さが嫌いだと言っているんです!」
未華子の声が、広い会長室に、凛と響き渡った。
「お金や力で、人の心が買えるとでも思っているんですか?! 私の家族の苦労まで、あんたのゲームの駒みたいに扱わないで!」
その瞳には、恐怖ではなく確固たる怒りの炎が燃えていた。
「……そうやって、他人の人生の物語をリスペクトもせずに、自分の都合のいいように書き換えられるとでも思っている、その考え方が! 私は一番許せない」
そして、彼女は最後に、自分の心を支える一番の真実を口にした。
「それに……。私は……好きな人がいるんです。だから、あなたの申し出は受けられません」
その脳裏に浮かんでいたのは、ぶっきらぼうで、不器用で、それでも誰よりも必死に自分を守ろうとしてくれた杉浦文也の顔だった。
その言葉を聞いた十朱の顔から、スッと表情が消えた。
そして、次の瞬間、彼は心底楽しそうに声を上げて笑った。
「……ははっ、面白い。ますます、気に入った」
