第3話:波止場の鎮魂歌、再会の約束
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2021年、秋。
あの穏やかな秋の日から、季節はさらに移ろい始めていた。
その日未華子は、九十九課の仕事とは別に、副業として個人的に引き受けていたフリーライターとしての仕事に追われていた。
それは、横浜のとあるNPO法人を紹介する、Web記事の作成。
代表の近藤という男と、経理を担当する真奈美という女。
二人とも、人の好さそうな、ごく普通の一般市民に見えた。
だが、取材を重ねるうちに、彼女の元新聞記者としての「勘」が、警鐘を鳴らし始めていた。
NPO法人への不透明な金の流れ。
そして、近藤たちが時折見せる、僅かな言動の矛盾。
これは、ただの慈善事業ではない。
その裏で、何か汚いことが行われている。
集めた寄付金を、海外のペーパーカンパニーを経由させることで、そのほとんどを自分たちの私腹を肥やすために横領している。
彼女の取材は、その確信へと至っていた。
正義感が暴走を始めた。
九十九課の、誰にも相談せず、彼女は一人でその闇を暴こうと決めた。
彼女は、すぐに、大学時代の友人である週刊誌の編集者に連絡を取り、今回の件を、匿名での告発記事として発表する、その準備を水面下で進め始めたのだ。
だが、その動きは、すぐに相手に察知された。
最初に届いたのは、一通の差出人のない封筒だった。
中には、彼女が自宅マンションを出入りする様子の盗撮写真と、「これ以上、嗅ぎ回るな」と切り抜かれた新聞の文字。
それでも、彼女は止まらなかった。
すると、今度は非通知の電話が、昼夜を問わず、何度も何度も鳴り響くようになった。
「―――余計なことに、首を突っ込むんじゃねえ」
「―――お前の家族のことも、調べはついてんだぞ」
電話の向こうから聞こえる、下品な男の声。
近藤たちが雇ったチンピラだろう。
しかし、その脅迫すらも彼女のジャーナリストとしての魂に、火をつけただけだった。
すると相手は、今度は態度を変えてきた。
『―――悪かった。…全てを正直に話したい。…今夜、横浜埠頭の古い倉庫に一人で来てくれ』
罠だと、わかっている。
それでも、行かない、という選択肢は彼女にはなかった。
ジャーナリストとしての血が、それを、許さなかった。
▼
指定された、横浜埠頭の古い倉庫。
錆びた鉄の扉を開けると、そこは、高い天井まで足場やコンテナが雑然と積み上げられた、巨大な空間だった。
ひんやりとした空気。カビと、鉄錆の匂い。
「……よく、来てくれたね」
声のした方を見上げると、地上から数メートルはあろうかという、キャットウォークの上に、近藤と真奈美の二人が立っていた。
未華子は臆することなく、近くの錆びた階段を上り彼らと対峙した。
「……見逃しては、もらえないかな」
近藤が、心底反省したような顔で頭を下げた。
「あなたの記事が出れば、俺たちは終わりなんだ。……頼む」
あまりに見え透いた命乞い。
未華子は、その男を冷たく見下ろした。
「できません。……あなたがたは、善意で寄付をしてくれた多くの人たちを裏切ったんです。…その罪は償うべきです」
凛とした拒絶の言葉。
それを聞いた近藤の顔から、表情が消えた。
そして、彼は吹っ切れたように、こう言ったのだ。
「……そうか。…残念だよ。―――では、お願いします」
その言葉を合図に。
物陰から、鉄パイプやバールを持った十数人のチンピラたちが、その醜悪な姿を現した。
「……!」
絶体絶命。
だが、その彼女を嘲笑うかのようなチンピラたちの下卑た笑みは、次の瞬間驚愕の表情へと変わった。
背後の倉庫の入り口から、二つの影が凄まじい勢いで飛び込んできたのだ。
「―――へっ。…姉ちゃん一人に、寄ってたかって、ご苦労なこったな、てめぇら」
海藤だった。
「……未華子ちゃん、大丈夫!?」
杉浦だ。
彼は、ここ数日、思い詰めたような表情の未華子をずっと心配していた。
そして、九十九に頼み込み、彼女のスマホにこっそりとGPSを仕掛け、海藤と共に後を追ってきていたのだ。
チンピラたちを、次々となぎ倒していく杉浦と海藤。
その圧倒的な戦闘力によって、戦局は、一瞬でひっくり返った。
しかし、自暴自棄になり、焦った近藤は、最終手段に出る。
彼は、懐から拳銃を取り出すと、その震える銃口を、物陰に隠れていた未華子の方向へと向けた。
「動くな!」
その狂気に満ちた一言に、チンピラと相対していた杉浦と海藤の動きが止まる。
「―――全部、お前のせいだ!!!!」
近藤が叫び、引き金を引いた。
バン!!!
乾いた銃声が、倉庫に響き渡る。
だが、未華子の身体を、痛みは襲わなかった。
突然、どこからともなく、物陰から飛び出してきた一つの人影が、彼女を庇うようにその前に立ちはだかっていたからだ。
派手な柄シャツに、革ジャンを羽織った、長身の男―――趙天佑だった。
「……っ!」
彼の腹部から、赤い鮮血が飛び散る。
「いやー……。間に合って、よかった。……出前の、配達より、焦ったよ?」
その命がけの状況ですら、冗談めかして見せる軽薄な言葉。
だが、その低い声の奥の奥には、彼女を安心させようとする、どうしようもないほどの優しさが滲んでいた。
近藤は動揺し、もう一発、引き金を引いた。
バン!!!
二発目の銃弾が、さらに趙の身体を貫く。
その衝撃で、趙の身体はバランスを崩し、足場の手すりを越え奈落の底へと落ちていった。
「趙さんっ!?」
未華子の絶叫が響き渡る。
杉浦がその隙を突き、銃弾のような速さで近藤へと飛びかかり、その意識を完全に刈り取った。
―――だが、悲劇はまだ終わらない。
近藤が撃った流れ弾の一つが、倉庫の奥に積まれていたドラム缶に着弾していたのだ。
一瞬の静寂。
そして、倉庫全体が地響きと共に揺れた。
火の手が上がる。
「まずい! 引火するぞ!」
海藤の叫び声。
倉庫に置かれていた何らかの可燃物に火が燃え移り、あちこちで小規模な爆発が起き始めた。
黒い煙が充満していく。
未華子は、落ちていった趙を探すために足場の下を覗き込む。
だが、炎と煙で暗くて何も見えない。
「みーちゃん! 逃げろ!」
海藤が彼女の身体を、強く引っ張った。
「でも! 趙さんが!!!」
必死に身を捩り、足場の下へと降りていこうとする。
「もう危険だ!」
海藤は、未華子を無理やりその巨体で担ぎ上げ、倉庫の外へと走り出した。
「離して!!! 趙さんが、まだ!!!!!」
その泣き叫ぶ声は、爆音に掻き消されていく。
海藤と未華子が、倉庫から転がり出るように飛び出した、その直後。
背後で、これまでとは比べ物にならないほどの大規模な爆発が起きた。
凄まじい爆風と衝撃波。
海藤は、未華子を爆風や飛散物から庇うように、その身体で覆いかぶさり、地面に叩きつけられた。
起き上がると、倉庫はもう完全に火の海と化していた。
遠くから、けたたましい消防車のサイレンの音が聞こえてくる。
「趙さんっ!」
炎に包まれた地獄へと、近づこうとする未華子を。
海藤はただ、その小さな身体を、後ろから、強く、強く、抑えつけることしかできなかった――。
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