第2話:陽だまりの影、路地裏の牙
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スピンオフ:日常という名の処方箋【杉浦SIDE】
[場所:コミジュルのアジト内、医療施設の廊下]
夜。
清潔だが、どこか無機質なコミジュルのアジト。
医療施設のドアの前で、杉浦は壁に寄りかかり、苛立たしげに腕を組んでいた。
何度来ても、ドアの前に立つハン・ジュンギに「総帥の命令です」と、静かに追い返されるだけ。
廊下の奥から、ハイヒールの足音も立てずに、ソンヒが姿を現した。
「……まだいたのか、杉浦」
ソンヒの声は、静かだが、有無を言わさぬ響きを持っていた。
「ソンヒさん。……ねぇ、なんで未華子ちゃんに会わせてくれないの? あんたの一存で決めてることでしょ」
切実な響きがこもるその声。
そして、ポツリと、本当に聞きたかったことを口にした。
「……未華子ちゃん、ちゃんとご飯、食べれてるの?」
その問いに、ソンヒは直接答えず、冷めた目で杉浦を見つめた。
「身体の傷は、私たちの最高の医者が治す。……だが、心の傷は別だ」
その言葉に、杉浦はぐっと言葉に詰まる。
どう反論すればいいのか、わからない。
ただ、何もできずに、彼女を一人にしておくという現状が、彼を焦らせる。
過去の、守れなかった姉の記憶が、嫌でも脳裏をよぎる。
拳を握りしめる手に、爪が食い込む。
その杉浦の、苛立ちと、もどかしさと、どうしようもない無力感が入り混じった横顔を、ソンヒは値踏みするように見つめている。
「……何とか言ったらどうなんだ? お前は、あの子の“傷”をどうするつもりだ?」
挑発するようなソンヒの問いに、杉浦は何も答えられない。
――どう接したらいい?
下手な慰めは、きっと彼女を傷つけるだけだ。
かといって、このまま何もしなければ、彼女はどんどん自分の殻に閉じこもってしまう。
その、不器用な沈黙こそが、杉浦の答えだった。
ソンヒは、ふ、と小さく息を吐いた。彼の本質を見抜いたように。
「……なるほどな。慰め方も、気の利いた言葉のかけ方も知らない、と。お前にできるのは、ただ力ずくで敵を倒すことだけ。……違うか?」
「……っ」
図星だった。だからこそ、腹立たしい。
「……いいだろう」
ソンヒは、壁に寄りかかると、ゆっくりと続けた。
「あの子に今必要なのは、同情でも慰めでもない。あの子がいた、元の世界の空気だ」
「元の……世界の……?」
「そう。探偵事務所で送っていた、何でもない、馬鹿馬鹿しいくらいの日常。それだけが、あの子をここから繋ぎとめる唯一の命綱になる」
そこで、杉浦の頭に一つの光が灯った。
「……ビデオ通話……」
「……?」
「直接会えないなら、顔が見えるビデオ通話で、九十九課のいつもの様子を見せるんだ。何も変わらずに、僕らはここにいるって……。できる?」
ソンヒは、ふ、と鼻で笑った。
「甘く見ないでくれるか? ここはコミジュルのアジト。鉄壁の要塞だ。外部との通信なんて、そう簡単に許可できるわけないだろう」
「そこを、なんとか……!」
「……仮に、私が許可したとして。お前は、あの子に何を話すつもりだ? まさか、『大丈夫か?』なんて、陳腐な言葉をかけるんじゃないだろうな」
ソンヒの鋭い問いに、杉浦は迷いなく答えた。
その答えは、彼がどれだけ未華子のことを考えていたかの、何よりの証明だった。
「ううん。……九十九くんが、また変なガジェットを買って失敗した話をする。海藤さんが出前のラーメンをひっくり返した、くだらない話をする。僕が、ただ、いつものソファで、いつものようにダラダラしてるってことを見せる」
「……」
「僕らの日常は、何も変わらずにここにあるって。だから、安心していいんだって。……それを、伝えたいんだ」
その言葉を聞いたソンヒは、初めて、ほんの少しだけ笑みを浮かべたように見えた。
「……ふん。思ったより、馬鹿じゃないようだな、杉浦」
彼女は、未華子の病室のドアを静かに見つめる。
「いいだろう。ただし、条件がある。お前の言う『専門家』が、うちのセキュリティを突破できるのなら、という話だ。……試してみるといい」
「……! ありがとう、ソンヒさん!」
「勘違いするな。これは、趙への貸しを返すだけだ。……それと、あの子のためでもある。もし、お前のその『日常』が、あの子をさらに傷つけるようなことがあれば……その時は、容赦しない」
それは、マフィアの女傑からの、静かで、しかし絶対的な警告だった。
杉浦は、その言葉を胸に、九十九に「史上最大のハッキング」を依頼するため、夜の伊勢佐木町へと走り出した。
全ては、病室にいる、たった一人の女性を笑顔にするために。
<了>
[場所:コミジュルのアジト内、医療施設の廊下]
夜。
清潔だが、どこか無機質なコミジュルのアジト。
医療施設のドアの前で、杉浦は壁に寄りかかり、苛立たしげに腕を組んでいた。
何度来ても、ドアの前に立つハン・ジュンギに「総帥の命令です」と、静かに追い返されるだけ。
廊下の奥から、ハイヒールの足音も立てずに、ソンヒが姿を現した。
「……まだいたのか、杉浦」
ソンヒの声は、静かだが、有無を言わさぬ響きを持っていた。
「ソンヒさん。……ねぇ、なんで未華子ちゃんに会わせてくれないの? あんたの一存で決めてることでしょ」
切実な響きがこもるその声。
そして、ポツリと、本当に聞きたかったことを口にした。
「……未華子ちゃん、ちゃんとご飯、食べれてるの?」
その問いに、ソンヒは直接答えず、冷めた目で杉浦を見つめた。
「身体の傷は、私たちの最高の医者が治す。……だが、心の傷は別だ」
その言葉に、杉浦はぐっと言葉に詰まる。
どう反論すればいいのか、わからない。
ただ、何もできずに、彼女を一人にしておくという現状が、彼を焦らせる。
過去の、守れなかった姉の記憶が、嫌でも脳裏をよぎる。
拳を握りしめる手に、爪が食い込む。
その杉浦の、苛立ちと、もどかしさと、どうしようもない無力感が入り混じった横顔を、ソンヒは値踏みするように見つめている。
「……何とか言ったらどうなんだ? お前は、あの子の“傷”をどうするつもりだ?」
挑発するようなソンヒの問いに、杉浦は何も答えられない。
――どう接したらいい?
下手な慰めは、きっと彼女を傷つけるだけだ。
かといって、このまま何もしなければ、彼女はどんどん自分の殻に閉じこもってしまう。
その、不器用な沈黙こそが、杉浦の答えだった。
ソンヒは、ふ、と小さく息を吐いた。彼の本質を見抜いたように。
「……なるほどな。慰め方も、気の利いた言葉のかけ方も知らない、と。お前にできるのは、ただ力ずくで敵を倒すことだけ。……違うか?」
「……っ」
図星だった。だからこそ、腹立たしい。
「……いいだろう」
ソンヒは、壁に寄りかかると、ゆっくりと続けた。
「あの子に今必要なのは、同情でも慰めでもない。あの子がいた、元の世界の空気だ」
「元の……世界の……?」
「そう。探偵事務所で送っていた、何でもない、馬鹿馬鹿しいくらいの日常。それだけが、あの子をここから繋ぎとめる唯一の命綱になる」
そこで、杉浦の頭に一つの光が灯った。
「……ビデオ通話……」
「……?」
「直接会えないなら、顔が見えるビデオ通話で、九十九課のいつもの様子を見せるんだ。何も変わらずに、僕らはここにいるって……。できる?」
ソンヒは、ふ、と鼻で笑った。
「甘く見ないでくれるか? ここはコミジュルのアジト。鉄壁の要塞だ。外部との通信なんて、そう簡単に許可できるわけないだろう」
「そこを、なんとか……!」
「……仮に、私が許可したとして。お前は、あの子に何を話すつもりだ? まさか、『大丈夫か?』なんて、陳腐な言葉をかけるんじゃないだろうな」
ソンヒの鋭い問いに、杉浦は迷いなく答えた。
その答えは、彼がどれだけ未華子のことを考えていたかの、何よりの証明だった。
「ううん。……九十九くんが、また変なガジェットを買って失敗した話をする。海藤さんが出前のラーメンをひっくり返した、くだらない話をする。僕が、ただ、いつものソファで、いつものようにダラダラしてるってことを見せる」
「……」
「僕らの日常は、何も変わらずにここにあるって。だから、安心していいんだって。……それを、伝えたいんだ」
その言葉を聞いたソンヒは、初めて、ほんの少しだけ笑みを浮かべたように見えた。
「……ふん。思ったより、馬鹿じゃないようだな、杉浦」
彼女は、未華子の病室のドアを静かに見つめる。
「いいだろう。ただし、条件がある。お前の言う『専門家』が、うちのセキュリティを突破できるのなら、という話だ。……試してみるといい」
「……! ありがとう、ソンヒさん!」
「勘違いするな。これは、趙への貸しを返すだけだ。……それと、あの子のためでもある。もし、お前のその『日常』が、あの子をさらに傷つけるようなことがあれば……その時は、容赦しない」
それは、マフィアの女傑からの、静かで、しかし絶対的な警告だった。
杉浦は、その言葉を胸に、九十九に「史上最大のハッキング」を依頼するため、夜の伊勢佐木町へと走り出した。
全ては、病室にいる、たった一人の女性を笑顔にするために。
<了>
