第2話:陽だまりの影、路地裏の牙
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―――「 迷惑だ」
趙の冷たい言葉が、鋭い氷の礫となって未華子の心を滅多打ちにする。
その一言が、彼に抱きかけた淡い期待も、ささやかな勇気も、すべてを粉々に砕いていった。
降りしきる雨の中、ずぶ濡れになりながら、自宅マンションの方角へととぼとぼと歩いていた。
その時、一台のキッチンカーが、すぐ横に音もなく停車した。
横合いからすっと伸びてきた腕が彼女の行く手を制す。
「――あなたが橘未華子さんね。趙天佑から頼まれたの。少し、話ししたいことがある。乗って」
響いたのは、凛とした女性の声。
振り返ると、そこに立っていたのは、息を呑むほど美しい、ペールパープルに染めた髪の女だった。
コミジュルの総帥、ソンヒ。
その後ろに立つのは、参謀のハン・ジュンギ。
「……人違いです」
趙に言われた言葉が蘇り、未華子は咄嗟に嘘をつき、その場を去ろうと歩みを進めた。
――この人たちと関わってはいけない。
直感が、鋭く警鐘を鳴らす。
だが、ソンヒは慌てるでもなく、静かに彼女を呼び止めた。
「待ちなさい。とにかく、話だけでも…」
その言葉が、言い終えられるかどうか、という、まさにその時だった。
「見つけたぜ、趙の女!」
路地の向こう側から、複数の下卑た声が響いた。
横浜流氓のチンピラたちだ。
「チッ。…とにかく、車に乗って!」
ソンヒは、未華子の腕を強く引き、近くに停めてあった、キッチンカーに擬態した装甲車両へと半ば強引に乗り込ませた。
すぐに、エンジンがかかり車は急発進する。
運転席には、いつの間にかジュンギが座っていた。
車の中は、外見からは想像もつかないほど、静かで近未来的だった。
改造されたキッチンスペースのソファに、ゆったりと脚を組み、私を見つめるソンヒ。
「…まず、自己紹介からだな。…私たちは、コミジュル。…この街に根を張る、韓国系のマフィアだ」
その、さらりとした自己紹介。
「……そして、趙天佑とは、腐れ縁、ってとこだ」
彼女はそこで一度、言葉を切った。
「先日、彼から連絡があった。『守ってほしい人がいる』、とな」
「え……?」
(趙さんが……?)
信じられない言葉だった。
未華子が、戸惑いながら言う。
「……でも、私さっき…。…彼にもう店には来るなって、言われたばかりなんです……」
それを聞くと、ソンヒは呆れたように「……あの馬鹿は」と言うと、深く、長いため息をついた。
彼女は、今の趙が置かれている複雑な状況を、静かに語り始めた。
「趙は、総帥の座を降りた。…でも、彼がこの街に与え続けてきた影響力は消えない。…それを、快く思わない馬鹿たちが、流氓の中には、まだ、たくさんいるんだ」
「……………」
「そいつらは、趙本人には手が出せない。…だから、狙うんだ。…彼の、一番大事なものをな」
ソンヒの鋭い視線が、未華子を射抜いた。
「―――お前のような、弱点を、だ」
「…………っ!」
「彼が、お前を突き放すようなことを言ったのだとしたら。…それはお前を、自分から遠ざけて、危険から守るための、彼なりの最大限の誠意ってことだ」
切ない真実。
未華子は、さっき店で見た、彼の少しだけ疲れた笑顔を思い出し、胸が、きゅう、と締め付けられるのを感じていた。
その静寂を破ったのは、運転席に座る、ジュンギの、低い声だった。
「……まずいですね」
ソンヒが鋭い視線で、サイドミラーを覗き込む。
そこには、数台の黒い大型バンが、まるで獲物を狩るハイエナの群れのように、猛スピードでこちらに、迫ってきていた。
ソンヒの美しい顔が、険しく歪んだ、その刹那。
ゴオオオオン!!!
「きゃっ!!!!」
凄まじい衝撃と、金属音が車体を襲った。
追突されたキッチンカーが、大きく揺れる。
そこからは、悪夢のようなカーチェイスだった。
ジュンギの神業的なハンドルさばきで、何度も窮地を脱する。
だが、敵の数が多すぎた。
激しい衝突を繰り返し、ついにキッチンカーはコントロールを失い、横転。
視界が逆さまになり、アスファルトに叩きつけられる衝撃。
意識が朦朧とする中、未華子は、ガラスの割れた窓から、チンピラたちが乗り込んでくるのを見た。
「……っ、逃げなさい……!」
額から血を流しながらも、ソンヒが銃を構え叫ぶ。
運転席から引きずり出されたジュンギも、多勢に無勢の中必死で応戦している。
未華子は這うようにして、壊れたドアから、外へと脱出した。
――だが、逃げられなかった。
背後で、完全に制圧されたソンヒとジュンギが、地面に跪かされているのが、見えてしまったからだ。
その二人の頭には、銃口が突きつけられている。
(私のせいで……!)
腹を括った。
これ以上、自分のせいで、誰かが傷つくのは耐えられない。
「―――やめて!」
未華子は震える足で、チンピラたちの前に立ちはだかった。
そして、叫んだ。
「あなたたちの狙いは私なんでしょ!? …だから、その人たちを、解放して!」
チンピラたちは、顔を見合わせ、下卑た笑みを浮かべた。
「……へぇ。…いい度胸じゃねえか、趙の女」
リーダー格の男が、ソンヒたちの頭から銃口を下ろす。
そして、その冷たい銃口を、今度は未華子の額へと押し当てた。
「……いいだろう。…約束通り、そいつらは見逃してやる。…大人しくこっちへ来い」
「……未華子さん!」
ジュンギの悲痛な叫び。
ソンヒが「行くな!」と叫んでいる。
だが、未華子は、もう迷わなかった。
彼女は静かに頷くと、自らの足で悪夢の中へと歩いていった。
その後ろで、解放されたソンヒとジュンギが、悔しげに地面を叩く音がした。
*
引きずり込まれたのは、伊勢佐木異人町の中でも、一際古く、陰鬱な空気を放つ廃ビルだった。
エレベーターはなく、埃っぽいコンクリートの階段を、何度も何度も、引きずられるように上がっていく。
そして、たどり着いた最上階。
鉄の扉が、ぎぃ、と軋む音を立てて開かれた。
その部屋は異常だった。
だだっ広い空間の中央に、趣味の悪い、赤いベルベットのソファが一つ。
そこに、脚を組み、悠然と座っている男がいた。
反・趙派のリーダー格、
彼の背後には、場違いなほど大きなサイズのキングベッド。
そして、そのベッドサイドには、悪趣味な枷や鞭といったSM道具が、無造作に置かれているのが見えた。
そして、何よりも、未華子を戦慄させたのは。
そのベッドの正面に、無機質に設置された三脚とビデオカメラだった。
これから、自分の身に何が起きるのか。
理解した瞬間、全身の血の気が引いていくのを感じた。
「……ようこそ、趙の女」
曹が、下卑た笑みを浮かべて立ち上がる。
抵抗する間もなく、屈強な男たちに羽交い締めにされ、無理やり口の中に錠剤をねじ込まれ、水を流し込まれた。
「―――んぐっ!」
抗うことができない。
数分も経たないうちに、薬が回り始めた。
思考がうまくまとまらない。身体の感覚が鈍くなり、視界がぐにゃぐにゃと歪んでいく。
朦朧とした意識の中で。
容赦ない暴力が、何度も、何度も、未華子の心と身体を壊していく。
服を引き裂かれ、抵抗することすら許されないまま、その汚れたベッドの上に身体を押さえつけられた。
男たちの下卑た笑い声と、カメラの無機質なレンズの光。
(……いやだ…)
熱く湿った何かが、無理やり、自分の内側をこじ開けてくる。
痛みと屈辱。
(…やめて…)
意識を失うことすら許されず、絶望だけが降り積もっていく。
(もういやだ……誰か……助けて……すぎうら、くん……)
朦朧とする意識の中、最後に思い浮かべたのは、あの不器用な笑顔だった。
(こんなことされたのを知ったら、ドン引きされるんだろうな……)
妙な冷静さで、自分のことを俯瞰で見ている自分がいた。
ーー自分はもう、あの人の隣に立つ資格なんてない。
ーー汚されてしまった。
そう思うと、悔しさと悲しさで、涙も出なかった。
