第2話:陽だまりの影、路地裏の牙
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スピンオフ:雨上がりの陽だまり【主SIDE】
コミジュルの地下医療施設から退院したのは、事件から1週間が経った、よく晴れた、でも涼しさも感じる夏の日だった。
身体の傷は、もうほとんど癒えていた。
ソンヒさんたちの、献身的な看病のおかげだ。
でも、心の傷は、まだ生々しく疼いていた。
退院したその足で、どこへ向かうでもなくただ漫然と歩いていると、いつの間にか、横浜の港が見える、浜北公園のベンチに辿り着いていた。
潮の香りが、少しだけ、傷ついた心を癒してくれるような気がした。
「……………よぉ」
不意にかけられたその声に、心臓が大きく跳ねた。
振り向けば、そこに立っていたのは、趙さんだった。
白いコックコート姿。
手に、何か小さな紙袋を持っている。
あの雨の夜以来、初めて見る、その顔。
――『もう二度と、ここには、来るな』
そう冷たく言い放った、彼の拒絶の言葉が、耳の奥で蘇る。
なんて顔をすれば、いいんだろう。
「……体の調子は? もう、平気なの?」
その声は、いつもの飄々とした響きではなく、少しだけ低く、硬かった。
「……はい。…おかげさまで」
気まずい沈黙。
その沈黙を破ったのは、彼だった。
彼は、私の隣に、少しだけ距離を開けて座ると、その紙袋を、私の膝の上に、ことり、と置いた。
中から、出てきたのは、二つの温かい肉まんだった。
「……腹、減ってるでしょ」
「……………」
「……俺もまだ、メシ、食ってなくてさぁ。…付き合ってよ」
私たちはしばらく、無言で、肉まんを頬張った。
温かくて、少しだけ甘い肉汁が、空っぽだった、私の身体と心に、じんわりと染み渡っていく。
食べ終わった後。
彼は、ずっと言えなかったであろう、その言葉をようやく口にした。
その声は、震えていた。
「……………本当に、すまなかった」
彼は、深く深く、その、普段は決して誰にも下げないであろう、頭を下げていた。
「俺のせいだ。…俺のくだらない内輪揉めに、未華子ちゃんを巻き込んじまった。…本当に申し訳ない……」
私は、何も言えなかった。
ただ、その大きくて広い、でも今は少しだけ小さく見える、その背中を見つめるだけ。
彼が、どれほどの後悔と罪悪感を、その背中に背負っているのか。
私には、痛いほど、わかったから。
「……顔、上げてください、趙さん」
私のその声に、彼はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、初めて見るくらい悲しい色をしていた。
「……私、趙さんのこと、恨んでなんかいませんから」
「…………」
「むしろ感謝しています。…何度も何度も、サバイバーのときも、地下に連れて行かれたときも。助けてくれたのは、趙さんだったから」
「…………」
「……それに…それ」
私は、彼のズボンのポケットから、ちらりと覗く、あるものに視線を送った。
――盆栽のキーホルダー。
あの日、ゴミ捨て場に叩きつけたはずの、彼への「お土産」だ。
「……あれ、拾ってくれたんですね。ありがとうございます」
その言葉に、彼は子供のように目を見開いた。
そして、照れくさそうに頭をがしがしと掻くと、観念したように言ったのだ。
「……………月餅もうまかったよ。ありがとね。……また、いつでも、店おいでよ」
それは、彼の不器用で精一杯の、「これからもここにいていいんだよ」という、メッセージ。
「はい」
私は、涙がこぼれないように、必死で空を見上げた。
「―――また、バンバンジー、食べに行きますね」
その、私の言葉に。
彼はようやく、いつもの飄々とした笑顔を取り戻した。
そして付け加えるように言う。
「もちろん。…みーちゃんは、佑天飯店、一生、無料(タダ)だからね?好きなだけ食べに来な」
秋の気配を感じる陽だまりの中で。
私たちは、ただ並んで、海を眺めていた。
失われたものは、多い。
でも、きっと、それ以上に大切なものが、この街で、また一つ、生まれたような気がした。
<了>
