第10話:女神の罪、愛の弾丸
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第六幕:最高のプレゼント
思い切り泣いて疲労がどっと押し寄せたのか、未華子はそのまま深い眠りに落ちていた。
再び目を覚ました時、病室の時計の針は深夜を指していた。
病室の中では男たちが何やら真剣な顔つきでひそひそと言い争っていた。
「ですから! ここはボクの、最新鋭・回復促進超音波治療器を!」
「おい九十九。それはまだ臨床実験も終わってないだろ。下手に使って悪化したらどうする」
「……いや、それより、なんか美味しいもの食べさせてあげた方がいいんじゃないの……?」
九十九と佐竹が険悪(?)な議論を交わす横で、杉浦が少しズレた提案をしている。
相変わらずで、どこまでも不器用で優しいやり取りだった。
「あんたらうるさいよ! 怪我人の前なんだから静かにしな!」
そばで点滴のチェックをしていたベテラン看護師が、見かねてピシャリと叱りつける。
その威勢のいい一喝に、未華子の意識はすっかりクリアになった。
「……ふふっ」
堪えきれずに吹き出すと、三人が弾かれたように一斉にベッドの方を振り返った。
「「「……あ!」」」
それから四人は、あの日起きたことについて順番に話し合った。
未華子が神室町へ向かった後、事務所に土岐の一派がなだれ込んできたこと。
奇襲だったうえに多勢に無勢で、三人はなすすべもなく打ちのめされ、結果的に未華子の居場所を吐かされてしまったのだという。
「……俺としたことが。一番最初に不意を突かれて、伸されてしまった」
佐竹は深く頭を下げ、心の底から悔しそうに顔を歪めた。
「ボクも何もできませんでしたぞ……。杉浦氏が最後まで抵抗してくれなければ、本当にどうなっていたことか」
九十九が沈痛な面持ちで肩を落とすが、杉浦はただ黙って首を横に振るだけだった。
「……それにしても、お前は本当に悪運が強いな」
重い空気を振り払うように、佐竹が小さく息を吐いた。
そして、誰も予測できなかった“あの一瞬”の顛末について語り始める。
「外に潜んでいた趙さんの放った神業のような狙撃が、お前の銃を的確に弾き飛ばした。だが、お前が引き金を引くタイミングが重なったせいで、銃口が激しく暴れて暴発したんだ」
そこで一度言葉を区切り、佐竹はひやりとするような真剣な目で未華子を見た。
「弾は左の鎖骨の数ミリ上を通って、厚い肉の層だけを斜めに貫通して抜けていた。……もし弾道があと数ミリずれていたら、間違いなく太い動脈か神経束を千切っていた。そうなれば即死か、よくて左腕は一生使い物にならなくなっていたらしい」
淡々とした口調で語られる客観的な事実が、逆に事態の深刻さを生々しく物語っている。
「至近距離での暴発による火傷からの感染症で、一週間も意識が戻らなかった時はさすがに俺たちも肝を冷やしたぞ。だが……骨も神経も無傷だ。しっかりリハビリを続ければ、後遺症もなく綺麗に元に戻るってよ」
その言葉の裏には、取り返しのつかない事態にならずに済んだことへの、佐竹の深い安堵が滲んでいた。
「そして、趙さんの一撃を合図に、十朱会長の部隊が一斉に倉庫へなだれ込んできたんだ」
ソンヒがあえて口を閉ざしていた、土岐のその後の行方。
「残っていた末端の組員は残らず拘束された。……だが、肝心の土岐本人だけは、あの混乱に乗じてまんまと逃げおおせやがった。今頃、面子を潰された東鞘会が総力を挙げて、血眼になって奴の行方を追っているだろうな」
そこまで語り終えると、病室に短い静寂が落ちた。
未華子はふと隣へ視線を移した。そこには、先ほどから明らかに口数の少ない杉浦の姿があった。
自分が言葉を間違えなければ、あるいはもっと上手く立ち回れていれば。
そう自分を責め立てる痛みが、俯く彼の横顔から痛いほど伝わってくる。
そんな彼の重い苦悩を痛感しているからこそ、佐竹と九十九もなんとか場の空気を暗くしまいと必死に言葉を繋ごうとしていたのだ。
重い沈黙を紛らわすように、未華子はふと壁掛け時計を見上げた。
短針はもうすぐ深夜の12時を指そうとしている。丸一週間ものあいだ生死の境を彷徨っていたため、頭の中の時間感覚はひどく曖昧に歪んでいた。
「……ねえ、今日って何日だっけ?」
無意識のうちに呟いた疑問に、九十九と佐竹がニヤリと顔を見合わせる。
「……お前の誕生日だよ」
「えっ」
佐竹に指摘され、未華子は思わず目を瞬いた。
自分の生死の瀬戸際という極限状態を駆け抜けたせいか、目覚めた今日が自身の29歳の誕生日であったことを、今の今まで完全に失念していた。
日付けが変わるまで、残すところあと数分。
その絶妙なタイミングを見計らって、九十九が芝居がかった手つきで立ち上がった。
「滑り込みセーフでしたな! ささ、未華子氏! これを!」
差し出された小箱に入っていたのは、可愛らしいデザインのイヤリングだった。
「……これはただの装飾品ではありませんぞ! なんと超小型の高性能インカムなのです! これでもう、我々と離れていてもいつでも繋がっていられますからな!」
「……俺からは、これ」
九十九に続き、佐竹がそっとサイドテーブルに置いたのは、Aesopのお洒落なソープセットだった。
「……まあ、色々洗い流せってこと。……誕生日おめでとう」
二人の不器用ながらも温かい気遣いに、未華子の胸がじわりと熱くなる。
そして最後に杉浦がもじもじと俯いた。
「……ごめん。……何も用意できてなくて……」
そうだ。
自分が昏睡状態にある間、文字通り一睡もせずにこの手を握り、誰よりも傍にいてくれたのだから。
自責の念に押し潰されそうになっている彼に向け、未華子は心からの最高の笑顔を咲かせた。
「……ううん」
そう優しく首を振ると、未華子はパジャマの首元から覗く包帯の上――傷を負った左の鎖骨あたりに、そっと右手を重ねた。
「……もうもらったよ。……世界で一番最高のプレゼント」
琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、未華子は慈しむように言葉を紡いだ。
「……杉浦くんの血。たくさんもらったから。……本当にありがとう」
真っ直ぐで温かい言葉に、杉浦はただ子供のように顔を真っ赤にして俯くだけ。
「……ったく。…本当に、お前はずりいな」
佐竹が呆れたように笑う。
「ヒューヒューですな!」
九十九が茶化すように口笛を吹いた。
四人の温かい笑い声が、真夜中の静寂な病室に明るく響き渡る。
みんな満身創痍で、ボロボロで傷だらけだ。
でも――心を満たすのは、言葉に表せないほどの幸せ。
時計の針が重なり、新たな一日が静かに幕を開ける。
この優しさに満ちた最高の仲間たちと共に、明日も生きていきたい。
消えかけた命の灯火の中で迎えた忘れられない29歳の夜に、未華子は改めてその想いを強く胸に誓うのだった。
第十話:終
