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短編

 豪雨の中、何をするでもなく中庭に突っ立っている赤色を見つけた。本当に、どこにいても目立つ男だな、と思った。
 
「風邪引いても知りませんけど」
 男が振り向く。え、と驚いたように見開かれた両目に私は呆れた。口を開閉させる姿はまるで金魚だ。金魚も、ただ飼い放っておいたままでは、月余の命は保たない。目の前の男も、そういう所がある。金魚は餌をくれる人間を理解している。
「風邪引いたらさ、看病してくれる?」
「まあ一応」
「そう、そっかあ、そういうところあるよね、司書ってさ」
 適当に、はあ、と返事をしておいた。どう反応するべきなのか分からない。喜ぶべきなのか、それとも怒るべきなのか、はたまた悲しむべきなのか。
 とりあえず、こんなところに長時間ずぶ濡れのままいさせるわけにはいかない。どうにか館内に連れ戻したいのに、この男はてこでもこの場から動く気配はないようだった。戻りますよ、と声をかけてもあともう少しだけ、と返ってくるだけで、「もう少しだけ」の具体的な時間は返ってこない。
 無理に連れ帰ろうとするのではなくて、本当に、しばらくここにいさせておくべきなのかもしれない。でもそれはそれでどうなのだろう。この男、目を離した隙に失踪でもしそうな気配を漂わせている。それは困る。色々と。だからなのだろう、その場から離れる気はしなかった。何か言おうとして、やめた。たぶん何を言っても、今はそぐわない。
 
 長い時間だったかもしれないし、ほんの5分くらいだったかもしれない。とにかく、私たちの間に流れていた静寂を破ったのは向こうからであった。
「司書は俺の事、どう思ってるの」
 極めて簡単だけれど、難しい問いだ。そもそも人間自体が難解な生き物で、目の前の男はその中でも一際難しい中身を持っているから、なおさら難しい。
「生き辛そうだと思います」
 少し考えて、そう答えた。
「はは、言えてる」
 相手は自嘲気味に笑うものだから、なんだかそれが無性に嫌だった。
 人間が個々で思考を持つ生命体である以上、他人と付き合う上でなにかしら相手に対して理解のできない事柄は生まれる。場合によっては、自分か相手、どちらかが妥協しなくてはいけない。妥協ができなくて相手を攻撃することもある。そんな世の中は生き辛いに決まっている。
 世の中にある大きな流れに順応できる人間なら、そうでもないのかもしれないけれど、この男のように世の中の流れに逆らいたいような人間は生き辛いはずだ。数の暴力によって妥協を強いられるのは、耐え難い苦痛なのだろう。
「でも、だからといって否定されていいわけじゃない」
 人の生き方を否定する権利は誰にもない。だから、生き辛い人生だからって、それが否定されていいはずがない。
「本人すら否定しても、私が認めます、それは否定されるべきものじゃないって」
 肯定までは、流石にできない。この男の人生を肯定するには、私はいささか秩序的に生きすぎている。
 男は、また驚いたように両目を見開く。本日2回目だ。
「…………ほんとさあ、そういうところだよ」
 そう言ったときの笑い方は、自嘲気味の笑いよりは、良い笑いだったと思う。
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