長編
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和解
『今日のご飯は何かな。』
山本シナ先生の授業を終え、夕食をとるために食堂へと足を進める。
今日は後輩たちの校外実習に付き添っていたため、いつもより授業の終了が遅くなった。だが、こればかりは仕方がない。指導にあたっていたシナ先生にも、心なしか疲労の色が見えていた。
時間も遅いためか、食堂の中に他の生徒の姿はない。
ひっそりと静まり返った食堂に足を踏み入れ、厨房で片付けを進めるおばちゃんに短く声をかける。
「おばちゃん、ご飯まだ残っていますか?」
「あら名前ちゃん!大丈夫、ちゃんとご飯残ってるわよ!」
『良かった。ありがとうございます。』
「今日は他にも夕食が遅くなる子たちがいるって聞いてたから、多めに準備しておいて正解だったわ」
『他にもいらっしゃるんですね。あっ、いただきます』
おばちゃんが準備してくれたお膳を受け取り、誰もいない席の椅子へ静かに腰を下ろす。
湯気の立つ白飯に、温かな味噌汁、色鮮やかな香の物。そして丁寧に作られた三品のおかずが並び、思わず視線が引き寄せられた。
一口ずつ確かめるように咀嚼すれば出汁の深い味わいが広がり、空っぽだった胃がじんわりと満たされていく。
「食堂のおばちゃん、夕食いいですか?」
「あら、食満君。いらっしゃい。」
夕食を半ばほどまで食べ進めた頃、聞き覚えのある声とともに留三郎が食堂へとやってきた。
他に入客のない静かな空間ではいやでも目につき、自ずと彼と視線がぶつかる。
留三郎がお膳を受け取るタイミングを見計らい、向かいの席をトン、と指先で軽く叩いて示した。それに応じるように、彼が向かいの席へと着席する。
『留三郎も今からご飯?』
「あぁ……野外実習で遅くなった。」
『そう。私は授業で遅くなったの。』
普段の威勢の良さに比べると、どこか歯切れの悪い返答だ。
二人で並んで食堂の飯を突く機会などめったにないが、こうして取り留めのない会話を交わしながら食べる夕食も悪くない。
食堂へ足を踏み入れると、思いがけず名前の姿が目に入った。
この前、伊作から“あの話”を聞かされて以来、どうにも意識してしまって胸の鼓動がうるさい。
しかも彼女は、己の向かいの席をトンと指差している。
——つまり「ここへ座れ」ということか。
予期せぬお誘いに、緊張と照れが同時に押し寄せて胃がキュッと縮み上がる。食欲などどこかへ吹き飛んでしまったというのに、足だけは素直に彼女の元へと向かっていた。
どうやら話をすると、お互い授業やら実習やらで慌ただしい一日だったらしい。
こんな遅い時間でも名前の顔が見られたのは素直に嬉しい。……嬉しいのだが、以前のように上手く言葉が出てこない。
何から話せばいい? 下手なことを口にして変に思われたら——そんな臆病な思考が頭を巡る。
箸を動かしながら脳内で必死に自問自答を繰り返していると、向かいから名前が声をかけてきた。
『……留三郎、何かあったの?』
「い、いや!なんでもない!」
食い気味に返した声が自分でも驚くほどひっくり返る。
『……もしかしてこの前の組み手の事?』
「!!!?」
まさか、あの“事故”みたいな口づけのことか!?
いや待て、彼女は「組み手」と言った。なら絶対に違う!……違うはずだ!
だが、名前の中ではあの出来事をどう整理しているんだ?
核心に触れそうな一言に心臓が大きく跳ね上がる。
「断じて違う!!!」
『うゎっ!』
ガタッと勢いよく身を乗り出し、食卓越しに大声を張ってしまった。
その勢いに圧され、向かいで彼女が素で目を丸くして驚いている。
(くそっ……! たかが口づけ一つでこんなに狼狽えて……こんな情けない姿見せたら、嫌われるだけだろ!)
冷や汗が背中を伝い、己の余裕のなさに深い自己嫌悪が押し寄せる。
『良かった、組み手で何か気分を害させたか心配して。』
こちらの必死な否定に安堵したのか、名前は小さく胸を撫で下ろし、息を吐いた。
「ん…?どういう事だ?」
『あの時、周りの状況も考えずに無理やり終わらせてしまってごめんなさい。……実は少し恥ずかしくて、つい』
伏せられた睫毛の奥で彼女が気まずそうに、けれど照れくさそうに頬を染める。
いつも大人びていて、どこか達観している名前がこんな顔をするなんて。
普段の彼女からは想像もつかない反応に、胸の奥がキュッと締め付けられ、気づけばさっきまでの焦りが嘘のように口元が緩んでいた。
「あれは俺が鍛錬に付き合ってもらったんだから気にするな。それにしても名前は強いな。」
『留三郎にそう褒められるだなんて、光栄だわ。』
「いやいや、俺だってまだまだだ。だがまた鍛錬付き合ってくれるか?」
『ええ、いいわよ。私でよければ』
静かに微笑む彼女の横顔を見つめながら、心の中でそっと息をつく。
本当は、伊作から聞いた“あのこと”が頭をよぎらないわけじゃない。けれど、今はこの距離感のままでいい。
こうして少しずつ絆を深めていけば、いつか名前の口から、彼女自身のことを話してくれる日が来るはずだ。
そんな期待を胸の奥に仕舞い込み、俺は冷めかけた残りの夕食へと再び箸を伸ばした。
『今日のご飯は何かな。』
山本シナ先生の授業を終え、夕食をとるために食堂へと足を進める。
今日は後輩たちの校外実習に付き添っていたため、いつもより授業の終了が遅くなった。だが、こればかりは仕方がない。指導にあたっていたシナ先生にも、心なしか疲労の色が見えていた。
時間も遅いためか、食堂の中に他の生徒の姿はない。
ひっそりと静まり返った食堂に足を踏み入れ、厨房で片付けを進めるおばちゃんに短く声をかける。
「おばちゃん、ご飯まだ残っていますか?」
「あら名前ちゃん!大丈夫、ちゃんとご飯残ってるわよ!」
『良かった。ありがとうございます。』
「今日は他にも夕食が遅くなる子たちがいるって聞いてたから、多めに準備しておいて正解だったわ」
『他にもいらっしゃるんですね。あっ、いただきます』
おばちゃんが準備してくれたお膳を受け取り、誰もいない席の椅子へ静かに腰を下ろす。
湯気の立つ白飯に、温かな味噌汁、色鮮やかな香の物。そして丁寧に作られた三品のおかずが並び、思わず視線が引き寄せられた。
一口ずつ確かめるように咀嚼すれば出汁の深い味わいが広がり、空っぽだった胃がじんわりと満たされていく。
「食堂のおばちゃん、夕食いいですか?」
「あら、食満君。いらっしゃい。」
夕食を半ばほどまで食べ進めた頃、聞き覚えのある声とともに留三郎が食堂へとやってきた。
他に入客のない静かな空間ではいやでも目につき、自ずと彼と視線がぶつかる。
留三郎がお膳を受け取るタイミングを見計らい、向かいの席をトン、と指先で軽く叩いて示した。それに応じるように、彼が向かいの席へと着席する。
『留三郎も今からご飯?』
「あぁ……野外実習で遅くなった。」
『そう。私は授業で遅くなったの。』
普段の威勢の良さに比べると、どこか歯切れの悪い返答だ。
二人で並んで食堂の飯を突く機会などめったにないが、こうして取り留めのない会話を交わしながら食べる夕食も悪くない。
食堂へ足を踏み入れると、思いがけず名前の姿が目に入った。
この前、伊作から“あの話”を聞かされて以来、どうにも意識してしまって胸の鼓動がうるさい。
しかも彼女は、己の向かいの席をトンと指差している。
——つまり「ここへ座れ」ということか。
予期せぬお誘いに、緊張と照れが同時に押し寄せて胃がキュッと縮み上がる。食欲などどこかへ吹き飛んでしまったというのに、足だけは素直に彼女の元へと向かっていた。
どうやら話をすると、お互い授業やら実習やらで慌ただしい一日だったらしい。
こんな遅い時間でも名前の顔が見られたのは素直に嬉しい。……嬉しいのだが、以前のように上手く言葉が出てこない。
何から話せばいい? 下手なことを口にして変に思われたら——そんな臆病な思考が頭を巡る。
箸を動かしながら脳内で必死に自問自答を繰り返していると、向かいから名前が声をかけてきた。
『……留三郎、何かあったの?』
「い、いや!なんでもない!」
食い気味に返した声が自分でも驚くほどひっくり返る。
『……もしかしてこの前の組み手の事?』
「!!!?」
まさか、あの“事故”みたいな口づけのことか!?
いや待て、彼女は「組み手」と言った。なら絶対に違う!……違うはずだ!
だが、名前の中ではあの出来事をどう整理しているんだ?
核心に触れそうな一言に心臓が大きく跳ね上がる。
「断じて違う!!!」
『うゎっ!』
ガタッと勢いよく身を乗り出し、食卓越しに大声を張ってしまった。
その勢いに圧され、向かいで彼女が素で目を丸くして驚いている。
(くそっ……! たかが口づけ一つでこんなに狼狽えて……こんな情けない姿見せたら、嫌われるだけだろ!)
冷や汗が背中を伝い、己の余裕のなさに深い自己嫌悪が押し寄せる。
『良かった、組み手で何か気分を害させたか心配して。』
こちらの必死な否定に安堵したのか、名前は小さく胸を撫で下ろし、息を吐いた。
「ん…?どういう事だ?」
『あの時、周りの状況も考えずに無理やり終わらせてしまってごめんなさい。……実は少し恥ずかしくて、つい』
伏せられた睫毛の奥で彼女が気まずそうに、けれど照れくさそうに頬を染める。
いつも大人びていて、どこか達観している名前がこんな顔をするなんて。
普段の彼女からは想像もつかない反応に、胸の奥がキュッと締め付けられ、気づけばさっきまでの焦りが嘘のように口元が緩んでいた。
「あれは俺が鍛錬に付き合ってもらったんだから気にするな。それにしても名前は強いな。」
『留三郎にそう褒められるだなんて、光栄だわ。』
「いやいや、俺だってまだまだだ。だがまた鍛錬付き合ってくれるか?」
『ええ、いいわよ。私でよければ』
静かに微笑む彼女の横顔を見つめながら、心の中でそっと息をつく。
本当は、伊作から聞いた“あのこと”が頭をよぎらないわけじゃない。けれど、今はこの距離感のままでいい。
こうして少しずつ絆を深めていけば、いつか名前の口から、彼女自身のことを話してくれる日が来るはずだ。
そんな期待を胸の奥に仕舞い込み、俺は冷めかけた残りの夕食へと再び箸を伸ばした。