camera obscura
ちょっとした呟き
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10周年
20250114(火)21:17コメントする ( 0 )そんなわけで
20250114(火)20:16コメントする ( 0 )コラロのネップリスタートしました〜!良かったらお手にとってみてください☺️🙏✨
感想も頂けたら嬉しいです🥰💕
支部にあげてるみつくりにも感想頂けてめっちゃ嬉しい✨💖✨一言でもスタンプだけでも反応貰えるってマジで宝くじで5億円当たったようなものだし、奇跡よね。見て貰えるだけでも有難い☺️
いつも見てくださる皆様、ありがとうございます🙇♀️大感謝✨💖✨できた
20250114(火)15:47コメントする ( 0 )十連鍛刀チャレンジ2
20250114(火)11:55コメントする ( 0 )

70鍛刀したけど丙子椒林剣はまだ来ないので引き続き十連鍛刀チャレンジしよ。連隊戦
20250114(火)11:51コメントする ( 0 )
結果は190000でした。目標だった150000はクリアしたので満足。筆が乗ってるけど
20250114(火)02:08コメントする ( 0 )40時間近く起きてるのでぼちぼち寝る。十連鍛刀チャレンジ
20250114(火)00:36コメントする ( 0 )



1枚スクショ撮り損ねたんだけど、50鍛刀して丙子椒林剣来ません😇😇😇(今十連鍛刀×2やってる。3時間待ち)
やたら蜂須賀さんきてちょっと笑ってしまった😂
引き換えた
20250114(火)00:31コメントする ( 0 )
鬼丸国綱を引き換えました!刀100振り
20250113(月)19:44コメントする ( 0 )明日のメンテナンス後に刀100振りプレゼント……!めっちゃ公式太っ腹だし、審神者始めたばかりの私には有り難すぎる〜!明日が楽しみだな!🥰💕
クオリティ
20250113(月)16:51コメントする ( 0 )お友達のサイトにもちょっと書き込みをしたんだけど、作品のクオリティについて。
どうせ書くなら完璧なものを書きたいけど、推敲しているうちに飽きてくるし、ずっと読み返してると何が正解なのか迷子になってしまって、最後はもうこれでええわ!!!って投げてしまう😇😇😇堪え性がない。
一発で完璧なものを出力できたら良いんだけど、私の頭じゃ無理ゲーすぎる😇😇😇
何度読み返しても誤字脱字あるし……誤字脱字製造マシーンとは私のことよ。ぼちぼち
20250113(月)15:50コメントする ( 0 )コラロ
懐かしいものを発見
20250113(月)08:18コメントする ( 0 )数年前、仲良くしてた字書きさんと使ってたテキストライブ。アカウントそのまま残ってたので見返したけど、ちょっと面白かった。制限時間を設けてテキストライブで小説書いて、書き終わったら次に書く字書きさんを指名していく、という遊びもやったなあ。
テキストライブ使ってる方、今どれくらいいるんだろ?
リンク貼っておくので、気になる方は覗いてみてください。文字の打ち込みがゆっくりなので、8倍速くらいで見るといいかも。
テキストライブ
ジレンマ
20250112(日)00:45コメントする ( 0 )本読んでると小説書けないし、小説書いてると本読めない。となると、執筆のペースを落とすしかないんだけど、でも話を思いついたら書いてしまわないとずっと頭の中で考えてるからしんどい。楽になりたくて妄想をガーッと書き殴ってる。
書いてないと書けなくなるし、書けなくるなるとこのまま書けなくなるのかな、書くの辞めちゃうのかなと変な不安が出てきて悪循環。
もうちょっと気楽に書けるようになりたいなあ。
とりあえずもう寝ろって話だけど。センシティブな話。
20250111(土)22:16コメントする ( 0 )千早茜の「グリフィスの傷」の中にある話で自傷行為している少女の話があって、それを読んでちょっと色々身につまされたというか、思うことがあったのでこちらに吐き出し。というか、ほぼ自分語り。自傷行為について書いてます。見たくない人は引き返してください。
また、自傷行為を推奨する意図はありません。それを踏まえた上で下記の文章の閲覧は自己責任でお願いします。
センシティブな話。
自傷行為って、なかなか理解されない病気の症状で、本当にいくら説明しても解らない人には解らないし、当事者同士でも理解できないこともあるので、なかなかやっかいな症状だなあと思う。
私もストレスが溜まった時にやってしまうことがあるので、やっちゃった後は「何やってるんだろ」と虚しくなったり。
去年の2回目のネップリアンソロ主催するにあたって、参加者さんのことでめちゃくちゃ悩んで悩みすぎて、頭がパンクして気が付いたら剃刀握って左腕血塗れでした、みたいな事態がありました。それ以来、自傷行為はやってません。てか、その後に起きたトラブルがデカすぎて自傷する気力も無かった。
良くある勘違いとしては、自傷は死ぬためにやってる、死ぬ気もない癖に自傷して周りの同情を得たいだけっていう奴。
発想がそもそも逆で、死なないために自傷行為やってるんだよね。中には自傷した傷を人に見せて心配して貰いたいっていうリストカッターもいるけど、でもそれは割と少数派だし、基本的にやってることや傷を隠している人が大半です。で、傷なんかをネットにあげている人はそういう行為を含めて病気の症状なんだと思う。所謂構ってちゃん行為自体がね。
構ってちゃん行為を叩いて嘲笑するのはどうかと思うし、それが自傷行為をしている本人の病状を悪化させるから、色々宜しくない。もしネットに自傷行為の写真あげたり、自傷しちゃった報告があったら、そっとしておくか、何か言いたいなら「大丈夫?病院行ってきてね。お大事に」が正解かと。あんまり大丈夫?って心配して親身になりすぎると相手から全力で依存されてこちらまで神経参って最悪共倒れになるので、ちょっと距離がある感じで関わった方が良いです。私のこれまでの経験から言うと。
自傷行為は死にたくてやってる訳じゃないってさっき書いたけど、これは当事者以外はなかなか理解に苦しむ理論かもしれない。自傷することによって「まだ耐えられる」って思うんだよね。「まだ死なないで生きていける」って。それは精神的な痛みを肉体的な痛みに転換することによって、限界を迎えようとしている心のガス抜きをしてる。例えると、溢れそうになってるコップの水を別のコップに移してる感じかな。で、自傷行為の痛みは実際耐えられる痛みなので「まだ大丈夫」って思うんだよね。
剃刀で腕切ってる時って、あんまり痛みを感じてないっていうこともあって行為がエスカレートしやすい。私も気が付いたら左腕傷跡ビッシリになってて、最初はこんなじゃなかったのになあって思う。あと、人間の脳の仕組みで自傷行為してる時に痛みを和らげるエンドルフィンが出ているそうなので、そのホルモンの中毒みたいになって自傷行為を繰り返してしまう、というもあるらしい。やりだすと自傷行為が癖になってなかなか辞められないのは恐らくこのホルモンのせいもあると思う。辞めたくても自分の意思じゃ辞められない。だから周りの人間が辞めろって怒っても無理な話で、適切な治療が必要だし、辞めるためにはそれなりの時間がかかる。ギャンブル依存症と同じで、本人の意思の弱さの問題とかじゃないんだよね。
かつて私もパートナーに「人に見せたくてやってるんだろ。傷見せて歩けば良いじゃん」とか心無い言葉をぶつけられて、悪化したことがあります。
自傷行為やってると「自分の体なんだから、自分が好きに傷つけて何が悪いの?誰にも迷惑かけてないのに」って思いがちだけど、それはちょっと違うんじゃないかなって私は考えている。自傷行為をすることで誰かが心配して悲しんでいる時点で「誰にも迷惑かけてない」という理論は破綻してるし、「向こうが勝手に心配しているだけなんだから関係ない」というのは暴論で、屁理屈だよなと。
自分の体は確かに自分のものだけれど、その体というのは他者の間にあって認識されるものでもある。だから完全に私の体は私だけのものとは言いきれない。
「売春行為がなぜ悪いのか」と似たような理論かな。
私もまだメンタル治療中なので偉そうなことは言えないけど、もし自傷で悩んでる人がいたら、専門家を頼って相談すること、自傷行為についてどうしたら辞められるのか書かれた本もたくさん出てるからそういうのを見たりするのも良いかもしれない。あとは自傷行為をしてしまう根本的な原因を取り除くことも大事かなと。
自分でやったことなので完全に自己責任だけど、たまに傷跡のない腕は良いなあと思ってしまう。自傷行為の傷跡とかあんまり見せらないし、偏見の目で見られるというか「こいつはヤベー奴」って思われるがオチなので。自傷はやらないでいられるならその方が断然良いしね。
自傷行為はやってもいいことは無いです。その時はすっきりするけど、その分反動もデカいし、後悔もデカいです。 命の危険もあるし、ほんと良いことはないです。マジで。
ここを見ている方達も、どうか危ないことはしないようにしてくださいね。
石原吉郎詩文集から抜粋
20250111(土)14:11コメントする ( 0 )〈死〉
死はそれほどにも出発である。
死はすべての主題の始まりであり
生は私には逆向きにしか始まらない
死を〈背後〉にするとき
生ははじめて私にはじまる
死を背後にすることによって
私は永遠に生きる
私が生をさかのぼることによって
死ははじめて
生き生きとした死になるのだ
〈失語と沈黙のあいだ〉
平凡なことですが、ものの価値は、それがうしなわれてみて、はじめてわかる。うしなうということは、いうまでもなく不幸なことです。しかし、その不幸なことによってしか、私たちは、ものごとの存在の重みを知ることができないのです。
神の想念は問いとなり警告となって絶えずわれわれにつきまとう。(カール・バルト)
ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ
吉野弘「奈々子に」
不条理がたしかに不条理となる場所が自分自身である。従って、自分自身が事実上存在しない場所では、不条理は存在せず、世界もまた存在しない。不条理は自己に対する切実な関心(sorge)から生まれる。不条理の深さは、自己への関心の深さである。
この、無意味な世界を生きるに値するものということは、無意味を意味におきかえることではない。無意味とたたかいつづけることである。
私は虚無へ引きかえす
帰るべき故郷を待つもののように
痛みはその生に固有なものである。死がその生に固有なものであるように。固有であることが痛みにおいて謙虚をしいられる理由である。なんびとも他者の痛みを痛むことができない。それがたましいの所業であるとき痛みはさらに固有であるだろう。そしてこの固有であることが人が痛みにおいてついに孤独であることのさいごの理由である。痛みはなんらかの結果として起きる。人はその意味で痛みの理由を自己以外のすべてに求めることができる。だが痛みそのものを引き受けるのは彼である。そして「痛みやすい」という事実が窮極の理由として残る。人はその痛みの最後の主人公である。
最後に痛みはついに癒されねばならぬ。治癒は方法ではない。痛みの目的である。痛む。それが痛みの主張である。痛みにおいて孤独であったように治癒においてもまた孤独でなければならない。
以上が痛みが固有であることの説明である。実はこの説明の過程で痛みの主体はすでに脱落している。癒されることへの拒否はそのときから進行していたのだ。痛みの自己主張。この世界の主人は痛みそのものだという最後の立場がその最後にのこる。


